ほほえみのくに

もちもち

 虐殺は突然に、なんなら雑踏の空気に馴染んだまま始まった。

 通りの向こうで奇妙なざわめきを確認したときには、すでに二、三人が頽れるところだった。

 ほっそりとした体格の女性とも男性ともつかない中性的な雰囲気の人物が、まるで日傘でも持つかのようにサイレンサー付の銃器を携えている。

 倒れている人間はぴくりとも動かないので、一瞬、路上で劇をしているようにも見えたのだ。

 だから、再びその人物が銃口を周囲に向けたときにも、まだこの国の人間には危機的フラグが立たず、状況が理解できてなかった。


「逃げてぇ!」


 思いきりぼくは叫んだ。

 そこでようやく状況を把握した人々が、わっと弾けるようにその場から走り出す。走る人影の間の向こうで、指ではじいたドミノのように倒れる人々を視認した。

 しかし、ぼくにこれ以上どうすることもできない。

 相手は戦闘特化型のヒューマノイドだ。彼らなら外部デバイスなど使わずとも、一瞬で周囲数キロを灰燼に帰することだってできる。

 ぼくは嫌な予感がしていた。なぜわざわざ被害をにしながら、殺戮をするのだろう。

 人々の逃げる波と、何事かと思いながら進んでいく人が交差する。状況を確認するために、ビルの中から出てくる人も見えた。

 その中の幾人かが、次の瞬間、正確なヘッドショットで倒れていく。

 ぼくは驚いて、すぐさま周囲を警戒した。そのすぐ傍ら、ビルとビルの隙間に微笑みを見た。

 ヒューマノイドが増えている。

 軽い発砲音で、ぼくはその微笑みの主に、眉間の間を射抜かれたことを知った。

 そのまま倒れ─── ぼくはをして、が遠ざかるのを待った。


 幸いなことに、ぼくの中枢は頭部ではない。

 額をごしごしと拭って、ぼくは起き上がった。人々は通りを右往左往するように逃げまどっている。当初逃げていた方向にもヒューマノイドが現れたのだろう。

 ─── そうか。

 ぼくはヒューマノイドの目的の一端が見えた気がした。

 彼らに対峙する勢力が来るまでに、可能な限り人間に恐怖を植えたいのだ。自分たちの姿と脅威を見せつけたいのだ。

 一瞬の殲滅ではなく、辛くも生き延びた人間から、さらに恐怖が波及することを望んでいる。


 ぼくはそこで、はたと気づいた。

 通りの一つ向こうに、小さな学校がある。幼い子どもたちの下校時刻に差し掛かろうとしていた。

 ぼくは大通りから細い路地へ走った。

 緩やかな坂の上から、賑やかな歌声が下りてくる。窮屈な時間から解放され、伸びやかな声が向かう先は惨憺たる死地だ。


「待って、止まって!」


 駆けあがってきたぼくの悲鳴に似た制止に、小さな子どもと手を繋いだ女性がびっくりしている。


「止まって、お願い!」


 だが、叫ぶぼくを恐ろし気に見つめ、子どもを抱き上げた女性は足早に坂を下ってしまう。

 ぼくは止めようと踵を返しかけ、しかし、さらに坂の上から降りてくる子どもたちに気づく。

 この先に多くの子どもがまだ残っていて、そこを止めなければもっと被害が大きくなる。

 ぼくは坂の上を目指して駆け出した。

 駆け出したが、─── ゾッとしたのだ。

 

 怯えた顔をした子どもと、女性の眼差しを思い出す。ぼくは今、のだ。


 足をもつれさせながら、ぼくは向かう方向とは真逆に走り出した。

 その先。

 二人が下って行ったその先に、長い髪の細いシルエットが佇んでいた。黒いスーツの、男だ。


「お前は」


 口を開いた男の声を、ぼくは距離を無視して聞き取った。

 ぼくを見上げて笑っていた。


 それだけを認識して、ぼくの記憶はここで一度閉じている。




 ***




「まったく、いつまで寝ているのかと思った」


 目を覚ますと、見知らぬ男の顔が見えた。眉間にしわを寄せて、呆れたという感情を隠さない。

 ぼくが目覚めた場所は、石造りの屋内…… いや、仰ぐと若干空が見えるので、半屋外とも言えるかもしれない場所だ。しかも家具一式があり、ぼくはベッドの上なので、居住空間であることは間違いない。

 それよりも、ぼくは一体どうしていたのか、なぜここで目を覚ましているのか、目の前の男に尋ねようとした。


「う、─── あ、……」


 だが、言葉が上手く紡げない。喉が悪いのではない、言葉が出てこないのだ。


「欠陥か」


 男は不機嫌そうに頭を傾けた。欠陥。

 男はぼくの正体を理解しているのだろうか。いや、きっと知っているだろう。ぼくが目を覚ますまで見ていたような発言だった。


「ルノ! ルノ!」


 男は欠けた天井へ繋がる階段の先へ声を掛けた。

 ひょこりと顔をのぞかせたのは、精悍さと幼さが入り混じる頃の少年だ。男が呼んだのは、少年の名前らしい。

 ルノ少年は、ぼくを見ると、「ああ」と破顔した。


「おはよう、やっと起きたの」


 そうして、ルノはひらひらと手招きをする。ぼくを呼んでいるようだ。

 ベッドから起き上がろうとして、一応、男の方を見た。ぼくの確認を察したらしい男は、上を指して言う。


「外を確認してくるといい。お前が起きたなら、ここを発つことになってる」


 不思議な言葉だったが、ぼくはいったん頷いた。

 ぼくの再起動が起因となっているなんて。彼は何者なのだろう。

 そしてぼくを待つルノ。

 身体の挙動に違和感はない。障害があるのは声くらいか。視界に見える限りのぼくの表面にも、目立つ損壊は無さそうだ。

 階段を上り切ったぼくを、ルノは笑顔で迎えた。


「やあ、はじめまして。俺はルノ。

 君の名前は」


 と、ルノがわざわざぼくに聞くのに。

 ぼくは、目に飛び込んだ光景に驚いて、答えることができなかった。


 廃屋だった。八割くらい壊れた木造の家屋の、その向こうには、開けた草地が続いていた。

 いや、正確には、ほとんど崩れたビルと思しき欠片が点在している上に、緑が覆い掛かっているのだ。

 ぼくの記憶の最後に残るビル群の面影を、微かに残して。


「びっくりしてるね。

 きっとこれから、さらに驚くかも」


 ルノはいたずらっぽく笑って、ぼくの方へ手を差し出した。


「買い物に行かなきゃ。俺たち、これから旅をしなくちゃならない」


 躊躇うぼくに、ルノは促すように差し出した手をこまねく。

 ぼくは、未知数のその手を取った。

 引き上げられるようにぼくはルノに連れ立って、廃屋を出る。ぼくが眠っていたのは、この家の地下室だったようだ。

 空は青く晴れていて、小さな鳥が遊ぶようにのんびりと渡っていく。背の高い建物が無いので、すぐに前方に人だかりがあるのが見えた。敷物の上に物を並べている人、それを物色している人……

 ぼくは眩暈がするかと思った。

 市場なのだ。だが、人々がやり取りしているのは金銭ではない。

 貨幣制度が壊れている!

 足を止めかけたぼくに、ルノが気づいた。ぼくを振り返るルノに、一体ぼくはどんな顔をしてしまっただろう。

 ルノは笑って、ぼくの手をぎゅっと握ると、再びゆっくりと歩き出した。

 市場には食料から生活雑貨まで種々様々で、中には電気機器も見えた。だがそれらは、ぼくがいつも見ていた新品でもなければ、中古品でも解体してしまうだろうと思われるほど、破損寸前のものが多かった。

 店を出している人間が整備したものではない。どこかから拾ってきたものであると一目で分かった。

 やがて、ルノは市場の中ほどで足を止めた。店主の前に置かれた大きなボウルの中に、脱穀された穀物が盛られていた


「こんにちわ。ちょっと物入りなんだ。

 こいつと交換してくれないか」


 ルノはそう言って、ジャケットの内ポケットから銀色のシートを取り出した。

 薬だ。青い錠剤がシートの透明なポケットに収まっているのが見えた。

 店主はそのシートをちらりと、そしてルノをじっと見つめ、「いくつだ」と尋ねた。


「10日分、大人が、えーと」


 ルノがぼくを見た。ぼくは首を振る。「大人二人分で」


「8杯」

「少な。15杯」

「バカ言え、10杯」

「他を当たるよ」

「12」

「13」


 結局、店主の持っている四角形の器13杯分でルノが押し通した。

 大の大人二人分、10日間の主食と交換される錠剤。


「痛み止めだよ。必要になるから」


 ルノは笑って言うのだが、なぜそれをルノが持っているのか。ぼくがよく見ていたシート状の薬だ。完成品を、彼は持っている。

 穀物の入った袋を提げて市場を歩いていると、ふと鈴の音が聞こえた。音の方向を振り返ると、白い布を被った一団が、列をなして歩いている。

 その先頭を、両脇を白い獣の面を被った男に固められた女性が歩いていた。物々しい雰囲気に思えたが、しかし女性は静かに微笑みを湛えている。

 あの顔を、ぼくはどこかで見た気がした。

 あるいは、顔の下に添えられていた花に、ぼくは記憶を動かされたのかもしれない。


「アル、ロ、リア」

「うん? ああ、─── アルストロメリア」


 ぼくの指したものを、ルノは正しく汲み取った。

 アルストロメリア。女性の微笑みの下に抱えられていた花。


「それがいいかも」


 突然、ルノがまるで会話の途中のように頷いた。

 不思議に見るぼくを、ルノは楽しそうに振り返る。


「アロア。君を呼ぶのにちょうどいいね」


 こうして、ぼくはアロアとなった。なにがちょうど良かったのかは、ルノにしか分からない。

 雑踏の中、ルノを呼ぶ声が聞こえた。

 地下室にいた男が、「なにのんびりしているんだ」と顔を顰めながらやって来るのが見えた。


 旅の準備をしているのだった、とぼくは思い出した。

 ぼくはこれから、ルノと彼の仲間の男と、未だ分からぬ世界を巡ることになる。

 そうして、ぼくは───

『レコーダー』として、ぼくの記憶が閉じていた空白の時間を、再録しなければならない。


 あるいは、この二人についていくことで、その空白を埋められないだろうか。

 繋いだルノの手が暖かい。

 ぼくは、その手をぎゅっと握り返す。


 ちょっと驚いた顔をした後、ルノはぼくへ微笑みかけたのだった。



(ほほえみのくに 了)

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ほほえみのくに もちもち @tico_tico

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