第3話
「お、おおっ!」
部屋に入るなり、千夏は感極まった声を上げて部屋中を見渡した。
「想像よりも、十倍ぐらい綺麗だね。わたしの予想だと、廃墟みたいな部屋かと」
「一カ月に数度は掃除してるから、見た目上は小奇麗と思うよ」
「それは少し悪いね。変な遺言めいた物を残したばかりに」
「うんうん。部屋のことでお母さんとお父さんは、お姉さんの死を幾ばくか吞み込みやすくなったよ。私はてっきり、そういう意味で残したと思ったのに」
「わたしは予言者やキリストみたいに思慮深くないよ。復活はしたけどね」
ピースしながら、茶目っ気に話す千夏。
千夏は真っ先にベッドへダイブする。
「あはははっ! さすが九年も経てば古臭い。布団のデザインも、匂いも。前のわたしはこんな体臭だったのか、自分では気づかないらしいから、貴重な体験だぞ」
などと、ベッドの上を千夏は泳ぐ。ワンピースが捲れてレギンスが丸見えでも関係なく、千夏は転がり続けた。
中身が姉とは到底思いもしない、無邪気っぷりである。健全な精神は、健全な肉体に宿ると言うし、肉体が精神に引っ張られているやも知れない。
ベットから起き、姿勢と服装を正した千夏は、いきなり私に抱きついてきた。身長差で千夏の後頭部がみぞおちに当たり、死にそうになる。内心でカエルのような声を漏らしつつ、心中ではもう一つの戸惑いを覚えていた。
姉に抱き付かれている!
いや、正しく明記すると冬城千夏なのだけど、どっちみち、子どもに抱き付かれてしまうと下手に動けなかった。ちょっとした動作で吹き飛ばしてしまいそうな、ガラス細工のような儚さが漂っているからだ。実際、千夏はそこらの小学生よりも可愛らしく、そして華奢なのだ。
「どうしたの、かな……?」
ぎこちなさ百パーセントの声を、なんとか絞り出した私。
一歩たりとも動けなかったため、自然と正面を見続けていた私だったが、お腹辺りに温かな感触が触れてきたことで、目線を下に向けた。
当然と言えば、当然だが。
そこには、千夏の後頭部があった。
はずが⁉
目の前から頭が消えた。だけど、千夏の体はちゃんと存在する。
急激なオカルトティックなことが起こったわけでもなく、千夏がいきなり服の中に顔を突っ込んできた。
「ちょ、ちょい⁉ 何してるの、お姉ちゃん! さっき汗掻いたし臭いって」
「少し気になったことがあってね。大丈夫、臭くないよ。それにこれぐらい軽いスキンシップじゃん」
「軽くないよ⁉ うゃあぁー、ロリっ子に襲われる!」
千夏に好き放題、服内に頭を入れられて身動きできない私だったけど、おそらくお姉ちゃんがおへそ辺りを舐めたのだろう、冷たい感覚と少女の体液で力が抜けてしまい、ベッドに倒れ込んだ。
私が倒れれば、頭を突っ込んでいた千夏もベッドに吹き飛ぶ。
いきなりのことでベッドから立てない状況と心情に、千夏が目下に現れた。顔を覗き込んできたのである。
「ねえねえ、この部屋の掃除って、誰がいつもしているんだい?」
「お母さんだよ。どうして?」
ぎくりとした。びくりとした。
言えない……毎日じゃないけど、一週間に一回ぐらい、五日に一回かな、三日に一回だね。それぐらい姉の部屋で奇行の限りを尽くしているなんて、口が裂けても言えない。
千夏から叩きつけられた質問は、私の急所をクリティカルヒットした。
「あは……私はこの部屋に、まったく入らないよ。ほんとだよ」
「ふーん」
素っ気なく鼻を鳴らし、千夏はベッドから本棚に行ってしまった。
私も千夏に続き、本棚に向かう。
本棚はその人物を表すと聞く。
姉の本棚のある書物は、ジャンルや種類は乱雑である。漫画もあれば、小説、詩集、実用書、参考書、入門書から上級者用の本など多岐にわたる。受験の赤本も。
長いこと姉の部屋を通い詰めた私でも、本棚から姉の性格や人柄を読み解くことが出来なかった。
「懐かしいなー。中二病時代に、難しそうな本を読まないのに集めたもんだ」
「はぁ?」
いま、なんて?
姉みたいに知的な女性になるため、ここにある本全部読んだんだけど。難しいやつは、入門書を図書館で借りたり、インターネットで調べた。英語で書かれた小説は、一文ずつ翻訳して二ヶ月で読破した。
高校三年の参考書は、中学生だった私には難しかったけど、基礎を抑えて頑張ったのに。
え、なんて?
千夏が真っ先に手に取ったのは、漫画だった。
「この漫画が完結するまで死ねないと思ってたのにね。まあ、転生して読めたからいいんだけど」
「そうすか……」
「どうした?」
おかしい。私の中で文武両道の姉象にヒビが走り始めたよ。
続いて勉強机に向かう、千夏。
「今のわたしだと広いな!」
千夏は椅子に座ると、両手を広げて机に覆い被さる。
「そうそう、用事はここだったよ」
勉強机には三つの収納ケースが一体化している。下の二つは普通に開くが、一番上のケースは鍵で施錠されていた。姉の遺言によると、そのままとあったので無理やりこじ開けるような真似は誰もしていない。
千夏はそのケースを指でつつく。
「そこの鍵は、部屋のどこにもなかったよ」
「そうだろうね、近くの公園に隠しておいたから」
ポケットから鍵を取り出して、見せびらかすように持つ。
なるほど。部屋の隅々まで舐めるように探したけど、ないわけだ。
鍵穴に鍵を差し込む千夏に近づき、上から覗いてみる。
開かれたケースの中には、黒いノートが二冊と、写真が数枚入っていた。
すると、千夏がジト目で見上げてきて、恐る恐るの調子で言う。
「なか、見た?」
私は正直に頭を横に振る。
胸元にノートを押し付けながら安堵する千夏に、数年も気になった中身の正体を訊く。
「その人を殺害できそうなノートはなんなの?」
「死んでも死にきれない、禁断の中二病ノートだよ……。見られたら、わたしが死ぬ」
「へえー、ちょっと貸してね」
ノートの端を掴んでみると、悪鬼の形相で睨まれてしまう。
「わたしの心残りの一つが、この禍々しい黒歴史だった。それも杞憂のようだけどね、誰にも閲覧されていないなら、命の洗濯だ。現世も問題なく生きられる」
「誰にも言わないから見せてください!」
両手を合わせて頼んでみる。
「むりぃ! 持って帰って捨てる」
真っ白な歯を「い」の形で拒絶されてしまった。
そうですか、そうですか――。
「四の五の言わずに渡しなさい!」
「え、ええ⁉ どうした雨音」
私と千夏は黒のノートを引っ張り合う。
記憶の姉象が木端微塵に炸裂してしまうかもしれないけど、ここまで来たら黒歴史詰め合わせノートを見ないわけにもいかない。
姉と言っても所詮は小学生の馬力。
十八歳の私に歯が立つわけがなかった。
じりじりとノートがこっちに近づいてくる。
が、涙目の千夏は開きっぱなしのケースを投げつけてきた。容赦のない姉の攻撃で、私はノートから手を離してしまう。
けれど、物理の授業で習うベクトル問題みたいに、両端から引力を喰らっていたノートがビリビリと破け、辺りに四散する。
それと同時、飛んできたケースに入っていた写真達もひらひらと舞う。
二種類の紙が舞い落ちるのを、私と千夏はボーっと見惚れていた。
全てが床に落ちた後、一枚の写真を拾い上げた。
両親と、九歳の私と、姉の姿が撮られた家族写真だ。
笑いそうになる。
今は写真と逆に、私が高校生で、お姉ちゃんが小学生なのだから。
小さな姉も、写真を持ち上げて微笑む。
幼い姉がばつが悪そうな表情を浮かべて、
「早くに死んじゃって、ごめんね……」
瞳から一筋の水滴が零れた。
最初の一粒を皮切りに涙が溢れる。
「うぅ……うぅ……」
私は今、やっと姉の死を受け入れることができた。
千夏がやってきて、姉の生まれ変わりと聞かされて。
それでも、不思議と心に余裕のようなものがあった。
それもそのはずだ、姉の死を認めようとしていなかったのだから、生まれ変わりに驚くこともなかったのだ。
手が涙でぐちゃぐちゃになり、喉からは嗚咽しか零れない。
情けなく泣きじゃくる私に――千夏は、お姉ちゃんは優しく頭を撫でてくる。いつか昔、そうしてもらったように。
ピローン。
「机の下に、スマホ落ちてたよ」
最後の涙を拭い、千夏からスマホを受け取った。そう言えば、この部屋に忘れたままだった。
「ねえ、雨音ちゃん。この部屋にまったく入らないんだよね? けどスマホが落ちていたよ。それに、部屋中から雨音の香りが漂っている。どういうこと?」
心の中まで丸裸にされそうな瞳を、千夏が向けてきた。
涙なんて引っ込んだ。
逃げるため、座ったまま後ずさりすると、床に散らばった紙がぐしゃりと悲鳴を上げる。
千夏の顔を見てから、破けた黒のノートを見つめた。
「誰にも、言わないでね……」
姉が九年前に死んでしまった。
そんな姉が生まれ変わって目の前に現れたけど、もう、姉妹ではない。
今は、年の離れた友達か、親友か。
それとも、お互いの秘密を共有し合った、義姉妹かもしれない。
お姉ちゃん、千夏ちゃんのおかげで、受験には受かりそうだ。
9年前に死んでしまったお姉ちゃんが、9才になって帰ってきた 菓子ゆうか @Kasiyuuka
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