第2話
「ほぉー、リビングの家具はすっかり替わってしまったようだね。このソファ座り心地がいい。昔はなかったからな、ソファ」
私は立った状態で千夏を見下ろし、警察に電話しようかと固定電話を握り締めていた。
千夏はテレパシーを想起させるように、「警察には電話しない方がいいぞ」と戒められた。童女を不本侵入で通報してしまうのも、思うところがある。違うかな、小学生にまんまんと侵入を許してしまったプライドの問題かもしれない。
金目の物が盗まれないよう千夏を見張りつつ、気になることを訊いてみることした。
「あなたが姉の名前をどこで聞きつけたか知らないけど、家族の前で、死人を装うのは子どもの悪戯にしても、不愉快だから」
私は苛立ちを覚えている。子ども相手に悪いが、イライラを隠さずに話した。質問というより詰問だった。
「確かに外見、年齢、DNAと涼風葵だった名残は一切ない。だけど、記憶は受け継いでいる。雨音は輪廻転生って信じる?」
千夏が思いのほか神妙な表情を向けてきたので、私は否定の気持ちを込めて顔を左右に振った。
「信じるか信じないかは雨音次第だけど。実体験としてわたしは輪廻転生した」
「オカルトめいたことばっか言って。証拠は、証拠はあるの」
「涼風葵の記憶と人格がある」
両親の名前、涼風家の話、昔行った旅行の思い出を、千夏はベラベラと喋った。私が千夏のことを――姉のことを信用してしまったのは、姉自身が残した遺言を言い当てられたからだった。
姉の部屋を十年そのままにする、そんな不可思議な言葉は家族だけしか知らない。
求めろと言いたげな顔を千夏が送ってくる。
「はぁー」
私は感嘆の息を漏らしながら、降参して右腕をプラプラと垂らした。
「って、本当にお姉ちゃん⁉︎」
「そうだよー」
ソファに寝転がり、体も声も間伸びさせて応じる。あまりの清々しく軽く言うものだから、私は苦笑いを浮かべてしまった。
この娘がお姉ちゃんか……。
純白のワンピースに、レギンスと夏らしい格好だ。被っていた野球帽は、今はテーブルの上に置かれている。
セミロングの黒髪はツヤツヤで煌めいている。
身長は百三十センチぐらい、顔立ちは当然幼さだけしかない。姉が亡くなったのが十八歳の時だから、今の体を合わせると精神年齢は十八歳以上になる。はずだが、大人びた話術を除けば、可愛い小学生にしか見えなかった。
「さっきから、なにジロジロ見てるんだ?」
「そんな見てないよ、ホントだよ⁉︎」
「いや、そこまで焦らなくても。別段、咎めようとは思ってないよ」
千夏から体を反転させて、私は両手で頬を覆いながらも、チラっと一瞥する。
一切素知らぬ少女が、姉であると認識してから妙に心拍数が上がっていく。
「雨音、雨音」
私は、千夏に名前を呼ばれて振り返った。
体を起こした千夏は私の全身をマジマジと吟味し出す。
私が硬直していると、千夏が天使のような柔和な表情を浮かべた。
「あんなに小さかった雨音がね、考え深い。いま、何歳だっけ?」
「十八だけど」
「十八かー。青春のラスト、地獄の受験日和だね」
今の私は、受験という言葉を聞くたび背筋がザワザワとしてしまう。プレッシャーなのか、それとも刻々と迫り来るタイムリミットを意識させられるか、どちらで、どちらもだ。
「わたしが勉強教えてあげようか。見た目は子供でも、頭脳は受験生だからね」
「別にいいよ。いくら中身がお姉ちゃんでも、小学生に勉強習うのは、終わった感がある」
「そう? 昔は夏休みの宿題、手伝ったりしたんだけどね。まあ、何年前の話って感じかな」
「うん、あったね」
千夏は話題を変えるように、「よっ」とソファから立ち上がった。
「長居するのも迷惑だろうし、そろそろ本題に入ろうかね」
「お姉ちゃんならどれだけいても迷惑じゃないよ」
「中身は涼風葵でも、わたしはもう冬城千夏なんだ。今日ここに来たのだって、別に雨音や母父達に正体を表すためじゃないからね。亡くなった人間が別人で戻ってきても、不謹慎で迷惑なだけだから」
「それじゃあ、なんで来たの?」
「遺言だよ。葵の部屋に向かいながら話そう」
私と姉はリビングから出て、廊下を進んでいた。
「お姉ちゃんは、自分が輪廻転生するって分かってたの?」
初めて来たはずなのに、私よりも前で体を揺らしながら歩く千夏に、質問を投げかけた。
「そんなわけないって、雨音ちゃん。自分が転生するなんて夢にも思っていなかったよ」
「それなのに、あんな内容の遺言を残したの」
「遺言ねぇー。遺言なんて言うと、自殺前や死地に向かう前に書くわけだけど、わたしは自殺してないし、義勇兵ってわけでもない。あの遺言はちょっとハズいんだけど、中二病を拗らせた時に書いたものなんだよ」
「はい?」
この九年間、不可解な遺言の内容だったため、考えることを放棄していたけど。遺言とは確かに姉の言う通り、亡くなることを前提にしないと書けない代物だ。
しかし、私の記憶上で、姉が中二病的な言動を取っていた思い出は一切ない。カッコよく、可愛く、クレバーな、姉という私の中で完成した姉象が、記憶をデリートしてしまった可能性もある。
あまりの衝撃な告白に、私の足は止まっていたようだ。
正面に立つ千夏も、同じようにそこにいた。
「わたしも、つい数日前まですっかり忘れていた。前世の中でも、悶絶極まりない記憶だからね。それを思い出して、じゃあどうなったかなって、見に来たわけだよ」
彼女は、廊下の先を顎で指す。
なんというか、お姉さんは自分が亡くなった後、悲しむ両親のことを考えて残した遺書と私は想像していたが、千夏の口から出てきた真実は、ヘンテコなものだった。
「自分の部屋に入るだけなのに、いやに緊張する。ビンゴ大会でリーチした後みたい」
ドアノブを握った千夏が、許可を求める視線を向けてきた。
私は一つ頷き、言葉など要らない姉妹のような暗黙の了解をする。
扉は主人の帰りを喜ぶみたいに軋んだ音を漏らすのだった。
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