終章

第26話

 雪がちらつき始めていた。見慣れているはずの雪が優美に、というよりも、どこか幽玄だった。由亀と未果の目には、そんな風に見えているようだ。

 店内にいて十分あったまったせいか、興奮したせいか、ちっとも寒さを感じていない由亀と未果。というのは、二人には緑子から渡されていたものがある。キュートに梱包された箱。未果は快気祝いとして、由亀には功労賞としてプレゼントだと言う。その中身が、すでに店内で確認済みで、そのせいもある。

 一応の礼を怪訝そうに箱の上下左右と角度を変えて由亀が眺めていると、未果がどうも気になって仕方ないようだった。

「そうだな。確かめておいた方がいいだろうし」

 緑子の意味深に言いから嫌な予感が発芽した由亀がストップをかけるものの、

「ゆ~きもほら開けろ」

 添えられた手に、これまた信じられない力が籠められ、開封をしていた。

 由亀のは、包装紙を取ってすぐに何か分かった。コンドームだった。メーカー名が「アフロディーテ」になっていたことは見ないようにした。

未果のは、さらに花柄の箱があった。そのふたを開ける。DVDだった。タイトル「愛のまぐはひ入門編~これで彼も昇天☆」

「女性監督の奴だから、見やすいぞ」

緑子は新たに開封した煎餅を勢いよく口で割ってから、ハートマークの中にタイトルが印字されているだけの白地のパッケージにくぎ付けな未果の肩を組む。

「どっちかというと、でぃ~Ⅴでぃ~はゆ~きが見た方がいいんではないか?」

「まあ、それはそうだな。由亀、これには続編があって中級編、上級編、達人……」

「燦空さん! 帰りましょう!」

 遮らなければならない。いろいろな意味で。その強意に我に返った未果は身支度を迅速に整えて、深く頭を下げてから店を出たのであった。


 緑子然り、アガタ然り、縁を司る存在はことのほか、愛欲にまみれており、その直情的な表現は過敏に性愛的エロティックである。

「しかし、あれがホントに神様と明王様かね?」

 疲れを息とともに吐き出す由亀。

「気さくでいいじゃない。私達なんかと話もできないとかみたいな、もっと遠い厳かな方だとそれこそ肩コルんじゃない? それに緑子さんやアガタさんの正体が分かっても、瓜生君の態度は変わらないでしょ」

 一連の話しに筋が通ったのか、すっきりした感じになっている未果。

「そりゃ、そうだけど。てか、俺はあの人達への態度は変えちゃいけない気がする。人じゃないけど」

「何か悩み多そうな顔してるね。ついでと言っちゃなんだけど、行ってみない?」

 真向いの神社。ご神体は後方の店の中にいるが、一人の男子、一人の女子としてはそんな真相よりも、場所へ向かうことが今は意味を持っていた。

 信号が青に変わり、横断歩道を渡る。一礼をしてから鳥居をくぐった。二人歩幅がそろって参道を歩く。マフラーと襟、袖口から入るわずかな冷えは、というよりも爽涼と感じられていた。

自動車のエンジン音、信号が変わる音、周りの音は透明半球の外側に響いているように聞こえた。ずっと近くに聞こえるのは、少しずつ確実に早まっていく鼓動だった。

「あの時、カツさんに追いかけられた時、瓜生君が来てなかったらと思うと、なんか今の気持ちが不思議。ん?」

 早口になってから、ふと疑問が湧いてきて、由亀を見やる。

「どうしたの?」

「いや、瓜生君。あの時、なぜここまで来ていたの?」

 通学路で通ることもあるというのが理由になるだろうが、未果の前に現れたのは、神社から少し離れた場所。そこは通学路として利用しないはず。由亀の噂の話しをアーケードの喫茶店でした時は、あくまで感想程度に話しただけだが、今になってふと頭をよぎったのだ。

 由亀はすぐに答えなかった。二人して手水舎でみそぎ、拝殿へ。百円を賽銭箱に入れ、鈴を鳴らし、二礼二拍手、そして一礼。

 ようやく由亀が口にした回顧に、

「柄にもなく恋の一つをしてみたいなあと。自分の赤い糸は見えないから、神頼みの一つでもしようかと」

「え?」

 未果は面食らってしまった。

「俺だって一高校生だし、周りの赤い糸ばっかり見てるとね。能力が発現してほっとしたのもあるかもしれない。ようやく瓜生の家の一人に成れたっていうか、それなら、ようやく好きな人できないかなあとか。結局、カツとタテに会ってしまって参拝できなかったと。てか、拝む相手が緑子さんになるんだよなあ。まあそんなわけで、今日は、あの時言えなかった祈願をしました」

 縁・赤い糸を自在にできる由亀が赤い糸を願うために来ていた。

「自分のこともそうだけど、あの話し聞いたら、もっとしっかりしないと」

「赤い糸のこと?」

 木の段を静かに降りていく。拝殿を背にした。

「そう。言い及びもできない縁を自分はもっと知らなければならない。ただ群類の邪魔をするだけではなく、守るか切るか、その責任を持てるようになろうかなと」

 誰も彼も緑子におんぶに抱っこなのは、変わっていないということだ。

 その重圧、のどれくらいの分数にあたるかしれないが、由亀にも感じられることだった。

 由亀に力が発現した時期が、緑子が天上界を脱走してこちらに来た時期をタイムラグとカッコに入れたとしても、緑子、すなわちククリヒメノカミという神の力、縁を司る力と非常に似通った力を由亀は持った。まるで緑子が地上に来たことによって、瓜生家の血統が呼応したかのようである。天上界が失踪した神を発見できない時、群類の前にポッと出てきた人間。その特異性を不在の神の代行にしようというのは考え付くことであろうし、実際そうしようとしていたから、今回の件が起こったわけだ。

緑子やアガタが連中と呼んでいる存在が具体的にどういう存在かは知れないが、霊性を地上に反映させようと、由亀に白羽の矢を立てたのだ。トチ狂った天使が放った矢は、とてつもなく面倒な事態を引き起こしたが。

 一心に委任されるプレッシャー。緑子はそれをもう桁がしれない時間受け続けてきたのだ。今回の真相を聞かされ、首まで張りを感じる由亀は、緑子の心労を慮って憚りない。

 そして、一方の未果は思う。ここまでの日々、由亀の活躍を見て至ったのだ。

 ――無力だけれど、足手まといになるかもしれないけれど、傍らにいたい。その身が崩れそうになったら支えたい、倒れて怪我しないように。もしまた、戦うなら立ちあがれるように。この夢が、一人戦う彼の役に立つかもしれないから

石畳の歩みを止めた。

「あのさ」

 言いにくそうというか、言いたいことを絞り出そうとしているというか。

「ん?」

 言い出したとはいえ、挙動が落ち着きない未果を、由亀はキョトンとして見つめた。こいう時の未果をけしかけているのは、紛れもない好奇心だ。

「瓜生君の誕生日っていつ?」

「どうしたの、改まって」

「いや、ちょっとこないだめぐみと占いをね。占いなら瓜生君の家にお願いしたほうが良かったのかもしれないのだけど」

「姉さんの店は一年の予約待ちだけど。……て、川岸と? ああ、占いって……。その占い師があいつだったと。変なこと吹聴されてない?」

「大丈夫。意外にまともだったから」

 ――あ、そうか

 カブラがこの神社でおっ始めてしまったこと。未果が興味を催すことはなかった。ただただ恐怖心に包まれていた。ところが、由亀といると、由亀が絡む出来事となると、気持ちが弾みだす。未果は、そんな心の機微に気付いたのだ。

「で、あいつの占いからなんで俺の誕生日の話し?」

「ふと、ふとね。思ったから。親しくなったのに、知らないのもなんだと思って」

「そうか。うん。そうか」

 由亀はどことなく困った表情で空を一度仰いだ。

「瓜生君?」

「由亀でいいよ。それこそ、親しくなったんだから」

「それなら、私も未果でいい」

「じゃあ、未果さん」

「由亀君」

「今日なんだ」

「何が?」

「誕生日」

 非常に言いづらそうだった。

「……? 今日……キョー!」

 まさかしてもいないのに、おみくじの結果が凶と予見しているわけでもなかろうが、突然とあたふたとし出す未果。

「ちょっ、燦、未果さん! どうしたの?」

 正気に戻り、咳払いをし、乱れてもないのに髪を整える。

「瓜、由亀君」

 言いつつ、鞄をあさり始める。

「これ!」

 赤いラッピングの箱。

「誕生日プレゼントはしくじってしまいましたが、今日はその……バレンタインデーですので、食べますか?」

 すっかり頬をほんのりと赤みを帯びさせながら、由亀に差し出した。テンパっているせいか、微妙に言い方が正常から進路方向を変更している。

「あ!」

 未果の閃きに、受けとろうと伸ばしていた由亀の手が止まる。

「甘いもの大丈夫だった?」

「あ、うん。大丈夫」

 授受のタイミングを失って、差し伸べたままの手が動かない。

「あ!」

 二回目。未果は境内でダッシュ。赤い箱を持ったまま授与所へ。由亀は手を引っ込めることもできない。

 すぐに戻って来ると、箱の上には、

「誕生日プレゼントです」

 お守りがあった。袋に刺繍されていた文字「恋愛成就」。

 シュシュをしたサイドテールが弾んでいる。

 カツに襲われた日、買い忘れ、占いの後買おうとして寄ったが、一連の事件が生じ買えず仕舞になっていたのを、今になって思い出したのだった。もちろん由亀用のお守りと自分用のものをいただいてある。

 ちなみに。

 店を去る際に、未果は目ざとく一つの商品を見つけた。

 柄は違うが、年明けから新都教諭が持ち歩きだしていたのを思い出した。

 同時に、カブラの店にあった新都教諭が書いた違いないコメントが浮かぶ。

 ――てことは、先生がうまくいったのは、カブラさんじゃなくて、緑子さんのおかげなんだろうな

 思いはするものの、由亀には言わなかった。

 ――ごめんなさい、緑子さん。やっぱりご利益のお力をお借りすることになります!

「さっき、ウ、由亀君が祈願に来ようと言ってたし、誕生日だし、チョコだけだと箔がないというか。あ、チョコはその義理とかお礼とかではないので。いえ、お礼はあるんですが。あの、本命です!」

 ギュッと目を閉じて、さらっとではあるが、このテンパっている滑走に乗じて言ってしまった。

 ――由亀君の傍にいたい

 それは胸の中。そして、由亀に並んで祈願した思い。

 ――このご縁を大切にしていきたいです

 由亀だけでないのだ。縁をどうにかしようと手探りで動こうとしているのは。

「ありがとう。このお守りはすごく効果があるね。さすが緑子さんてとこなのかな」

「え?」

 しっかりと閉じていた目が開く。

 由亀が未果の目を見ていた。

「今、恋愛成就したみたい。未果さんとのこのご縁を守るよ」

 冬はまだ続くが、未果の顔には花が咲いた。


 そんな二人は、その初逢瀬を参道に並ぶ木の枝から傍観しているカツとタテには気づいていない。

「ゆうきの野郎。いちゃつきやがって。さんくうみかもゆうきの影響で結切自在ミディウムにでもなろうっていう宣言か」

「ユウキの祈願とまったく一緒というのもな」

 群類のテンシとアクマは祈願の心中を聞く能力もあるらしい。未果の声を聞いて、舌打ちをするテンシというのもまったく柄ではないのだが。

「おい、タテ。あいつの赤い糸切らなくていいのか?」

「結ぶ群類テンシのお前が言うな。それに――」

「あ?」

「いや、ちょっかい出したら、どっちみち叱られるぞ。ククリ様かアガタ様か、はたまた両方から」

「カブラ様はいいのかよ」

「いいのでは?」

 群類に邪険にされる天使。今頃くしゃみをしながら、緑子の店の前をまだ掃き掃除しているだろう。

「そうだな。さて、そろそろ次の仕事に行くか」

 タテは、袖に手を隠して姿を消した。

「そんなら俺も」

 カツは、とある方向へ両手を開いて親指をこめかみに当てて、舌べらを思いっきり下げて上目にしてから姿を消した。


 群類の二人が見た由亀と未果の赤い――

 糸よりも、蔦よりもしっかりと結ばれていた。

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ご縁はたけなわ 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

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