第36話 旅立ち
兄デニスが俺を引き留めようとおもちゃを買いに出かけたおかげで少しだけ静かなゼルディア家別邸に来客があった。
「リュクス様。エリザ・コーラル様がお見えです」
「じゃあ、客間に通してくれる?」
「かしこまりました」
俺と同じくまだ王都に滞在していたエリザが遊びに来てくれた。
メロンに席を外して貰い、客間のソファーに腰掛ける。
「元気そうで安心したわ」
「もしかして、俺の心配して来てくれたの?」
「ちっ、違! たまたま……そうよ。たまたま近くを通りかかったら様子を見に来たのよ! 私は明日帰っちゃうから。最後に様子を……ちょっと『はいはいそういうことにしておいてあげるよ』って顔してんじゃないわよ!!」
「いや別に」
どうやら心配して様子を見に来てくれたらしい。
父グレムの持ってきてくれたポーションで完全回復したとはいえ、エリザは大けがした状態の俺を見てるからな。
ゲームとまったく変わらない。
優しくてとってもいい子だ。
ああ……そうか。
もし父上の言うダンジョンまで行くことになったら。エリザたちともしばらくお別れになるのか。
5年間。長いな……本当に。
俺、耐えられるのかな。
行かなきゃ絶対に後悔する。それはわかってる。
でも、行くという決断がどうしてもできない。
「何よ。この私とお話ししてるのに浮かない顔ね」
「うん……」
「えっ……何よその反応。私、何かアンタの気に触るようなこと言った?」
「いや違うんだ……そうだな」
少し迷ってから、俺は打ち明けることにした。
「なんだ。移住じゃなくて調査研究のための留学みたいなものじゃない」
「留学……まぁそうなるのかな?」
「身構えて損したわ。行ってくればいいじゃない」
「つっても5年だぜ? 迷うに決まってるだろ」
広大で未開のダンジョンらしいから、やるならそれくらの時間をかけてみっちりとやらなくてはならない。
でなければ、わざわざ行く意味がないだろう。
「絶対に5年?」
「正確に言うなら学園の入学式前まで……だな」
「何よ。それなら一緒に学園に通えるじゃない」
「そうだけどさぁ」
「そもそも私たち、一年に一回会うか会わないかだったじゃない? それなら5年くらい会わなくたって、今までと何も変わらないわよ」
普通に言われて、ちょっと凹む。
なんだ俺、エリザに引き止めて欲しかったのか?
甘ったれてるなぁ。
そもそもエリザと一緒に居たのなんて、全部合計したって数日くらいだ。
引き止められるほど親しくなっていなかった。それだけの話だろう。
「確かにな。こうやってエリザと話せるようになったのもここ最近だし。はは。5年も居なかったら、みんなから忘れられちゃうかもな」
「忘れないわよ」
「え……?」
思わずエリザの方を見る。
目に涙を溜めて、顔を真っ赤にして。怒ったようにこちらを睨んでいる。
「忘れない。私がアンタのこと、忘れるわけないじゃない」
涙があふれ出しても、エリザは尚、俺を睨み続ける。
「一緒にお姉様に喧嘩売ったこと。剣術大会で応援したこと。お祭で遊んだこと……全部全部忘れないから……だからアンタも私のこと……」
「うん。俺も絶対忘れない。約束する」
ああ、本当に……俺はエリザのことが大好きだ。
エリザだけじゃない。
ヒロインのリィラやクレアも。
兄デニスや父グレム、そしてモルガたちメイド見習いも。
みんなみんな大好きだから。
みんなを守れるくらい強くなる。
「ありがとうエリザ。ずっと迷ってたんだけど……エリザのお陰でようやく行く決心がついたよ」
「ふんっ。アンタは本当に私が居ないとダメね。向こうでちゃんとやっていけるか心配だわ」
「まぁ困った時は現地の人を頼るから」
そうして。俺たちは寂しさを紛らわすように日が暮れるまで他愛もない話をした。
互いの屋敷で出来事。面白い流行の小説。魔法のこと。などなど。
俺もエリザも目にうっすら涙を浮かべながら。
離れ離れになる5年分を埋めるように、いろいろな話をしたのだ。
***
***
***
海の向こうのダンジョンへ行く。
そう決めてからの数日はあっと言う間に過ぎた。
俺とモルガ、そしてメロンの3人は早朝、王都からゼルディア領に向けて出発する。
屋敷に戻ったら一ヶ月ほど掛けて準備をして、それから父と合流。海外へ出発となる。
モルガたちメイド見習いの5人は、身の回りの世話兼助手として、俺の海外留学に付いてきてくれることとなった。
見送りには兄デニスと父グレム。ゼルディア家別邸の使用人さんたち。リィラとルキルス王子。そしてクレアも来てくれた。
やたらデカいリュックを持ってきたクレアを見てまさかと思ったが、マジでついてくる気満々だったらしい。リィラに「無理ですよ?」と怒られていた。
「一緒に練習しようって約束したのに……」
「急な話でさ。ごめんな」
「いいよ。その代わり帰ってきたら勝負してよね?」
「ああ! もちろんだぜ!」
クレアと拳を付き合わせる。
「中途半端な修行じゃ、私に置いて行かれるからね?」
「……っ!? 頑張るよ」
5年後、クレアは一体どれくらい強くなっているのだろう。ゲームを越えた強さを身に付けた今、彼女にどれだけの伸びしろがあるのか、考えただけでワクワクする。
「ふぅん。リュクスよ。私はまだ認めたわけではないのだがな」
「兄さん」
「だが弟が心配だからと責任を全て放り投げるほど、お前の兄は愚かではない」
「そっすね……」
今朝、やたらデカいリュックを持って現れた兄デニス。「私も共に行かせろふぅううううん」と暴れ、父グレムに怒られてようやく諦めてくれてからのこの仕切り直しである。
考えることがクレアと同レベルでしたよ兄さん……。
「ふぅん。定期的に手紙を書くがいい。お前の活躍、楽しみにしているぞ」
「兄さんも。学園での活躍、楽しみにしています」
「ふぅん……ふっふっふっふうぅぅん! 任せておけ。いずれ光の早さで移動できる雷魔法を開発し、お前の元へ一瞬で移動できるようになるさ」
さてはこの兄さん、諦めていないな?
その後、リィラとも挨拶をと思ったのだが、モルガたちと何やら話している。
はて? いつのまに仲良くなったのだろうか。
しかし、メイド見習いたちに何かを話しているリィラはどこか大人びていて。
数日会わなかっただけなのに、すでに王女としての風格が身についているように見える。
置いて行かれてしまったような感じが、少し寂しい。
そんな感傷に浸る俺に、ルキルス王子が耳打ちしてきた。
「あんな風にビシっとしているけどね。昨日は大変だったんだよ? 君が海外へ行ってしまうと聞いて」
「そ、そうだったんですか?」
「ああ。本当に大変だった。でも、今日は持ち直した。きっと、君に王女としての自分を覚えておいて欲しいんだろうね」
「……」
「寂しいのを必死で我慢して、王女として友である君を見送る。そんな我が妹の頑張りを、どうかいつまでも忘れないでいて欲しい」
「はい」
絶対に忘れない。忘れるわけがなかった。
「ええ。ですからあなた方メイド5人以外の女性は、一切リュクスくんに近寄らせてはなりませんよ?」
「元よりそのつもりですわ王女様」
「現地の女性は一切近づけません」
「万が一リュクスくんが大人の階段を昇るような出来事があった場合は国際問題に発展しますのでくれぐれもご注意を」
「わかりました! ところで、男は近づけて大丈夫でしょうか?」
「許可します」
「いったい何を話してるんだ?」
よく聞こえないがとんでもないことを話している気がする。
俺の視線に気付くと、リィラは顔をぱっと輝かせてパタパタとこちらにやってきた。
「ではリュクスくんこれでお別れですね。寂しいです」
「俺もです」
「です……? 敬語ですかー?」ぷくー
「あはは……俺も寂しいよ。せっかく仲良くなれたのに」
「5年間という時間はとても長いです。多分、私たちが想像しているよりずっと長い」
「だな」
「私もリュクスくんに負けないくらい強くなります。王族として恥ずかしくないように。そして……君の横に並び立てる女であれるように」
「君ならなれるよリィラ。応援してる」
「ありがとうございます。君のその言葉だけで、私は5年間、きっと頑張れる」
その時、「大げさだな」と苦笑いしている俺の顔に、リィラの可愛い顔が近づいてきた。
え……? え……? と混乱していると……。
「ちゅっ」
「◎△$♪×¥●&%#っ!?」
リィラの唇が俺の頬に触れた。
「おまじないです。貴方が無事で帰れるように。そして……悪い虫がつかないようにボソッ」
「あはははそっかなんだーおまじないかーびっくりしたぜ」
顔がメッチャ熱い。
兄さんとルキルス王子、メイド見習いたちがニチャニチャしている……。
くそ……リィラはただ俺のことを案じてしてくれただけなのに、俺は何を照れているのか。
やっべ、まだ心臓がバクバクする……。
「へぇ……おまじないかぁ。それなら私はこれを」
クレアがリュックから剣を取り出すと、投げ渡してきた。
「私のコレクションの中でも一番いい剣だ! それを君にあげるよ! ダンジョンで使ってあげてね!」
「いいのか!?」
「いいよ! 私のものは君のものってね。悪い虫がなんのことかわからないけど、寄ってきたらそれで切り倒せ!」
「おう、任せておけ!」
「では名残惜しいだろうが……そろそろ出発だぞ」
父グレムの一声で、ようやく馬車は発車する。
手を振るみんなに、俺も精一杯手を振って返す。
王都での楽しい思い出を背に。馬車は進む。
ふと窓の外へ目をやると、変わった形をした木が目に入った。
王都へやってきた数日前にも同じ木を見たことを思い出す。
もう何週間も王都に居たような気がしていたのに。
前にこの木の前を通り過ぎた俺は、ブレファンのプロローグイベントが始まると楽しみにしていた。
結局何もかもゲームとは変わってしまったけれど。
それでも、推しキャラたちと共に語り、共にはしゃぎ、そして共に戦った思い出は俺の宝になった。
今はただ、楽しかった思い出を胸に刻む。
何年経っても忘れぬように。強くなりたいと誓った今日の思いがブレぬよう。
強く、強く。
推しを守れるくらい強くなる。そう思った。
―第一章 少年編 完―
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