中編の後



「……なにこれ?」



 大して長くはない、そのログを見終えたソフィアは……思わず、困惑に首を傾げた。



(統合失調症でも患っていたのか? それとも、あえて狂人に見えるように? いや、でも、内容そのものっていうか、言いたい事は一貫しているし……)



 率直な感想を言わせてもらうならば、二つ。いや、三つだろうか。


 一つは、気が触れてしまっておかしくなった男性(?)の一方的な書き込み。いわゆる、現実と妄想の区別が付かなくなった電波的なアレ。


 もう一つは、ログ内の書き込みにもあった、『ホラー小説』。体験談を装ったホラー小説であり、全て計算したうえで書かれた……素人の短編小説。


 そして、最後の一つは。



(……まさか、本当の事ってわけ?)



 思わず、ソフィアは唸る。


 可能性としては……まあ、無くは無い、だ。


 けれども、仮にソレが真実だとして。


 これまで、誰にも気付かれないなんて事があるのだろうか。どこかで、何かしらの形で露見しているはずだ。


 昔ならいざ知らず、これだけSNSが発達し、誰もが無法な発信者に成り得る現代で……誰にも見つかる事が無いなんて、あり得るのだろうか? 



(……止めよう、考えるだけでは袋小路にハマるだけかな)



 しばし、考えていたソフィアは、何気なく見やった時計が指し示す時刻を見て、とりあえずは思考を切り上げる。


 徹夜をして良い事なんて、何も無い。


 何事もタップリ寝て、体力気力が充実している時にやるのが一番効率的なのだ。疲れていたり頭が動いていない時に頑張っても、ロクな結果など出せはしないのだから。


 そう、ひとまず翌日に持ち越しする事を選んだソフィアは、明日に備えて就寝の準備を進め──ふと、だ。



 ──そういえば、芽衣も、何気なく外を見た時に『ドッペルゲンガー』を見たんだっけ? 



 その事を思い出したソフィアは、芽衣の事を想像しながら……同様に、カーテンを開けて外を見やった。


 外の景色は、何も変わっていない。


 すっかり夜も更けて真っ暗で、街灯の明かりや各住宅より漏れ出ている明かりがチラチラと町を照らしている。


 偶然というわけではないが、ソフィアの家は3階建てで、芽衣の家より1階分高い。つまり、より遠くを見通せる。



 ……まさか、ね? 



 なんとなく……そう、なんとなく気になったソフィアは、そのままベッドへ向かわず、ジ~ッと目を凝らして、通りを重点的に確認する。


 ぶっちゃけると、怪しい人はどこにもいない。


 疲れ切った顔で歩く(時期が時期だし、仕方がない)サラリーマンに、ダイエット目的だと思われる人がジョギングしている。


 こんな時間だからなのか、ペットを散歩させている人も居る。


 まあ、考えるまでもなく時間の都合でそうなっているか、あるいは、この季節だ……日中の焼けたアスファルトの上を散歩させるのは危ないと考えての判断だろう。



 他には、酔っ払いと思わしき集団。


 たぶん、帰る途中なのだ……あ、アレはこの後家に戻って……ちょっと覗きに行きたい気持ちを抑え、まあOK。



 他には、塾帰りと思わしき学生。


 早く帰って休みたいのか、けっこう飛ばしている。危ないよと声を掛けたいが、それはそれで驚かせてしまいそうなのでエールを送るだけに留める。



 あとは、ポツポツと見え隠れする帰宅者の姿と、帰路に着いている車と……暗がりにて、多分アレはエッチなことしているっぽいカップル。


 それと、遠くの方から……たぶん、こっちに向かって走って来ているっぽいソフィアに、野良猫の姿も…………ん? 



 思わず、ソフィアは二度見する。



 何かの見間違いかなと思って、先ほどの場所を少しばかり舐めまわすように見つめ……あ、いた。



「──いるじゃん!」



 思わず(Part.2)、そう、思わずソフィアはツッコミを入れていた。


 だって、居るのだ。


 遠目にも分かる、アレは、自分だ。


 恰好こそ……え、いや、何故かは知らないけど裸だ。


 いや、マジでなんで裸なのかは分からないけど、まあ、そこはひとまず置いといて、距離にして数百メートル以上離れているが、それでもソフィアには一目で分かった。


 なにせ、自分の姿なんて毎日・毎朝・毎昼・毎夕・毎夜・鏡で幾度となく見ているのだ。綺麗を作る為には欠かせないからこそ、ソフィアには一目で分かるのであった。



 ──ていうか、本当になんでいるのだろうか? 


 ──え、もしかして、ちょっと調べたからアウトなの? 



 思わず(Part.3)、ソフィアは己に自問自答する。


 でも、答えなんて出るわけないし、そもそも……あ、いや、待て、ちょっと待て、仮に調べただけでアウトだと……あ、こりゃイカン。



(下手に様子見していると、私の知らんうちに花奈子の方にも表れる可能性あるじゃん!)



 己だけならいくらでも対処出来る自信はあるけれども、同時多発的に起こるとなれば、遅れを取る可能性は高い。



 ならば──まずは、調べなければならない。



 そう、決断を下したソフィアは──次の瞬間、空間を飛び越え、ソフィアは……己と全く同じ……ではないが、裸の己の前に立ち塞がっていた。



 いったい、どうやって? 



 それは、ソフィアの持つスペシャルなパワーの一つである、瞬間移動能力。通称、『ワープですよ、ワープ!』である。


 色々と制約はあるにせよ、相手の不意を突いたり一瞬で距離を詰めるには非常に便利な能力であり、現に、ソフィアは己のドッペルゲンガーの前に立てた。



「……え、なに、マジでどういう生き物なの、あなた?」



 そうして、己のドッペルゲンガー……つまりは偽物を間近で確認したソフィアは……絶句するしかなかった。


 それは、ソフィアが習得している能力の一つである『透視』にて、偽物の正体を改めて探ろうとして分かったこと。


 何が分かったって、それは眼前の偽物には……大脳が無かったということだ。


 そう、言葉通り。眼前の偽物には、大脳が無い。


 首から下の臓器は本物のようだが、頭蓋骨の内部にあるはずの大脳が、まったく無い。


 代わりに満たされているのは、黒い液体だ。


 そう、あの時、芽衣のドッペルゲンガーへと攻撃した時に噴き出した、黒い液体だ。


 それが、みっしりと隙間なく満ちている。


 そして、そこが黒い液体ということは……当然ながら、首から下の臓器にもそれが循環している。


 つまり、『透視』を発動したソフィアの目には、黒ずんだ臓器と空っぽな頭の中が見えているわけで……そして、そんな状態で動き回れる生物を、ソフィアは全く知らなかった。



 ──だからこそ、ソフィアは眼前の生き物を倒すべき存在だと認識した。



 見た目が全く異なる(それこそ、エイリアン的な)のであれば、少なくとも、『そういう生き物なのだろう』という程度にソフィアの認識は留まっていた。


 世界は広い……人知を超えた力を持っているソフィアとて、万能ではない。


 それを誰よりも知っているからこそ、『不勉強な己がまだ知り得ていない存在、未知の生物なのだ』と考え、毒性などが無ければ放置すらしていただろう。



 しかし、コイツは……コレは、違う。



 姿形がほぼ人間と同じであるという異質さもそうだが、大脳がある部位に何もないどころか、肉体のどこにも大脳に類似した器官が備わっていないのだ。


 もちろん、この世界に脳が無い生物がいないわけではない。


 しかし、そういった生物はウニやヒトデ、イソギンチャクやサンゴといった海に生きる生き物が多く、陸上ではミミズや……ダンゴ虫のように神経が替わりを務めている生き物はいる。


 とはいえ、圧倒的に数は少ない。一部を除いて、どんな生き物も生存の為には大なり小なり脳が必要なのだ。


 間違っても、脳無くして人の身体……2本足で自力歩行が可能は不可能。というより、生物の進化を考えるうえで、絶対にありえない。



「──おっと、今度は逃がしませんよ」



 ゆえに、ソフィアは前回とは違い、今回は欠片の油断もしなかった。



「『縛れ、存在の鎖よ』」



 そう、この世界には存在しない言語によって構成された呪文を唱えれば、ソフィアの腕より伸びる数本の鎖。


 それが──音も無く偽物の身体に巻きついたかと思えば、ピタリと偽物は動きを止めた。


 瞬間、ビクンビクンと抵抗するかのように偽物は総身をケイレンさせたが、6回目の痙攣を最後に……まるで電池が切れたかのように動かなくなった。



 ……説明すると長くなるので詳細を省くが、言うなればそれは『ワープ能力を持つ相手に対して特別に有用な拘束具』である。



 前回(つまり、芽衣のドッペルゲンガー)の時、一瞬でその場から消えたのを目の前で目撃したソフィアは、ある可能性を考えていた。


 それは、この偽物は、何かしらの攻撃や危険が及ぶと、瞬間移動や転移みたいな能力でその場から消えてしまうのではないか、と。



 実際、あの時は見事なまでにあの場から消えてしまった。



 生臭い痕跡を残しはしたが、ソフィアですら追跡出来ないぐらいだったから、普通の転移能力でない可能性が極めて高い。


 そして、改めてこの目で確認した事で、ソフィアはある一つの仮説を思いつき、その仮説に基づいた手を打ったわけである。



 ──その仮説とは、おそらく黒い体液の身体はラジコンのようなものなのだろう……というものだ。



 それならば、まあ納得出来る。


 普通ならば僅かでも残るはずの転移や移動の痕跡が、一切残らなかった理由……使い捨てだから、身体にどんな障害が起ころうが、その時だけ完璧に動けたらそれで良いというわけだ。



「──ヨシ、さすがにこの鎖で絡め取られたら逃げられんか……でもまあ、ここで調べるのはまずいね」



 辺りを見やったソフィアは、苦笑と共に偽物を抱き抱える──その際、更に厳重に(万が一、抵抗されると危ないので)封じたうえで、その場を移動した。



 なにせ、ここは外だ。



 いちおう、周辺に人が居ないのは確認しているが、うっかり見落としてしまうことだってある。


 それに比べて、自室内に限れば誰かが入って来てもいくらでも誤魔化せる手段があるし、色々と道具も置いてある。


 そう、傍目には全く分からないが、ソフィアの住まう自宅(特に、自室)は、分かる者が見れば一目で卒倒するぐらいに厳重に守られているのだ。


 なので、万が一を考えたうえで調べ物をするには、これ以上ないぐらいに打って付けなのであった。






 ……。



 ……。



 …………で、それから一週間以上掛けて……その間、夏休み前の期末テストにヒイヒイ言っている花奈子や芽衣の呻き声に苦笑しつつ、終業式の後。



『それじゃあ、明日は10時に○○駅に集合だよ』

「うん、わかった。芽衣にも伝えといてね」

『もう伝えている。気を緩めて熱とか出さないようにね』

「私を誰だと思っているのかな、泣く子も黙るソフィア様だよ」

『あはは、それだけ元気なら心配する必要はないかな』



 テスト勉強で疲れたから初日は休むというソフィアの提案を受けて、初日は休みに決まった……そんな中で。



『それじゃあ、また明日ね』

「うん、また明日」



 自室にて、友人との通話を切ったソフィアは……さて、と眼下の……バラバラになった『偽物だったモノ』へと目を向ける。



(ん~……やっぱり、これはこの世界の生き物じゃないな。というか、生き物ですらない可能性大だね、コレは……)



 調べてから改めて思ったのだが、コレはあまりに異常な存在だ。


 世界には信じ難い生態をしている生き物は数多くいるが、コレは違う。根本的に、この世界とは違うルールの下で生まれた生き物(ですら、正直分からない)だ。


 叩いても殴っても一切の言葉を発さず、命乞いはおろかコミュニケーションの類を一切取らない。


 普通ならば、激痛で全身が硬直して酷い有様になる。だが、大脳のないコレは、痛みの一切を感知しないのか、平然としている。


 それでいて、非常にしぶとかった。


 失血でとっくに失神してもおかしくない状態だったのに、コレはにはその兆候は起こらず……なんだったら、解剖している最中ですら、興味深そうにソフィアを見上げていた。



(……ドッペルゲンガーの書き込みをしていた人も、コレと同じ生き物……ドッペルゲンガーを見たのか?)



 しかし、仮にこの生き物が視界の端に現れたとして……じゃあ、その後の書き込みはなんだったのだろうか? 


 あの書き込みの人は、『吸われる』とか、『記憶とか感情を食う』と言っていたが……けれども、だ。


 ソフィアが調べた限りでは、そのような器官は備わっていないし、なんなら、そういうのを食べる精霊の類でもない。


 とりあえず……もう一度、例の書き込みに目を通してみる……で、だ。



(とにかく食べるのに、アイツは小食? たぶん、アイツって呼んでいる存在が、コレの親玉? 回収とか、どういう……?)



 それに、気になる点が一つ。



(こっちの世界に戻すって言葉……素直に受け取るなら、この人は親玉に囚われてしまっていて、何かしらの……そう、反芻はんすうのような事をされている……?)



 出来うるならば、あの書き込みをした人と直接連絡を取り合って情報を仕入れたいところだが……それは、難しいだろう。


 リアルタイムの書き込みならば能力の一つで場所を割り出せるが、何年も前……加えて、書き込みからして生存の可能性が極めて低いとなれば、いくらソフィアとて見つけ出すことはできない。



 ならば……どうするか? 



 パチン、と。


 ソフィアの細い指が、甲高く鳴る。その直後、バラバラになったソレは……まるで、時間が逆行しているかのように動き始め……1分と経たないうちに、元の人の姿に戻っていた。



「……こんな形でお気に入りを失う日が来ようとは……まあ、仕方がないか」



 その手段を持ち合わせていたソフィアは、深々とため息を吐くと……勉強机の引出しを開け、二重底の下に納められている……バイブを取り出した。



 ……バイブである。



 言っておくが、マッサージ用ではない。形状からして、情欲を静めるのを目的としているのが分かる。


 親が見たら、ショックのあまりしばらく言葉を失くしてしまいそうなソレは、週8回のペースで使用しているソフィアのお気に入りであった。



「──そいや!」



 そして、それを……ブスッと、一思いに偽物の秘所に差し込んだ。



 どうして、いきなり凶行を? 


 いや、違う。これは、凶行ではないのだ。



 言うなればこれは、マーキング。己の臭い……というより、己の『力』が染み着いたバイブを、発信機代わりに使うのである。



 と、いうのも、だ。



 あの書き込みが全て事実であるならば、おそらく親玉はこの世界にはいない。つまり、この世界に存在する普通の発信機では、役に立たない可能性が極めて高い。


 なので、替わりにバイブを使う。


 このバイブは、ソフィア自身が十二分に染み着いている。


 他者のモノなら無理でも、自身のソレであるならば、たとえ別の世界に移動させられたとしても……その位置を特定するのは、ソフィアには可能であった。


 もちろん、1日2日で見付かるモノではなく、場合によっては数ヶ月、失敗する事もあるわけだが……まあ、そこらへんはどうしようもないだろう。



「はーい、動いちゃ駄目ですよ。テープでギッチギチに固定しますんで」



 じんわりと、黒い体液が滲み出ているそこを覆い隠すように、テープを二重三重とグルグル巻いて……傍からみれば、レザーの褌のようにしてから、拘束を外す。


 常人ならば激痛で悶絶するところだが、さすがは偽物……顔色はおろか表情一つ変わらず、ぼんやりとソフィアを見上げるばかりで──っと。



 ──前回と同じく、唐突に消えた。



 前回は悪臭が残ったけれども、対策が施されているここでは全くの無臭で……ウンウンと、唸りながら、バイブの行方を探知していたソフィアは……パチン、と膝を叩くと。



「──遠い! ちょっとそこは遠い! なんか変なの居たけど、遠くてよく分からん!」



 なんとか捕捉は出来たが、何の準備も無しには中々に危険が大きいというか、確実に大掛かりになってしまうと判断したソフィアは、ひとまずカチコミを断念──いや、待て。


 それは、僅かな違和感であった。


 この世界から遠ざかって行くバイブとは別の、他の場所からこの世界へと離れて行く……気配。


 バイブを頼りに追跡していなかったら、気付けなかったぐらいの小さな違和感。



「……そっちからなら、こっそり行けるか?」



 思わず、そうソフィアが呟くのも無理はない



 だって、明日は夏休み。



 せっかく遊ぶ約束をしているというのに、無粋な邪魔が居ると分かっていては……気が散って仕方がない。


 そう、結論を出したソフィアは、この場で用意出来る道具をササッと見繕い、一通りの準備を終えると。


 両親が己の不在に気付かないよう術を掛けてから……とう、と窓から一気に飛び立ち……蒸し暑い熱帯夜の中を、駆けて行った。





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転生者ソフィアの初体験 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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