そして扉が開かれた

 密室トリックを考えるという慣れないことをして脳を振り絞ったぼくは、浦添教授や富村を待たせるわけにはいかないという理由だけで3日でリライトを終えた。これは誰かに褒められてもいい偉業だろうと思うが、ぼくは孤独であった。クリエイターは創作の時は孤独だと誰かが言っていた気がするが、苦しみのあまりぼく自身が捏造した言葉かもしれないからおおっぴろげに掲げることもできない。

 ピクサーで絵コンテを作っていた脚本家のエマ・コーツが言っていたが、とりあえず物語を最後まで書くというのが大切なことらしい。ぼくはその関門をもう3つも突破しているわけだから、多少は他人に誇れるかもしれない。

 それにしても、付け焼刃でクイズの未来やなんかをキャラに考えさせたが、あんな冗長なパートを誰が好き好んで読もうというのだろうか。それもこれもあのマッドサイエンティストのせいだ。全てはぼくの創作方針ではなく、彼のアイディアであるということを喧伝したい。

 8月も中盤を過ぎて、台風なんかもやって来たが、幸いぼくの住む此の街は平穏なものだった。曇りがちな空の下を原稿を入れたトートバッグを肩に提げ大学へと向かう。ものすごい蒸し暑さだ。この蒸し風呂のような環境でスポーツに打ち込む人々は超人か麻痺しているかのどちらかだ。浦添教授の棲み処である7号棟に辿り着いた頃には、Tシャツは汗で背中に貼りついていた。エアコンの効いた館内に足を踏み入れて、入り口近くの自販機で買っておいたスポーツドリンクのペットボトルを開けた。爽やかでスッキリとした甘さが冷たい液体と共に喉に、身体に染み渡っていくような気がする。

 ひと息ついて、浦添研究室へ向かい、ドアをノックした。返事がない。部屋の中から何かの駆動音がしている。デジャブだ。ぼくは3日前も同じような経験をした。遠慮なくドアを開けて、すぐに奥のスペースへ目を向けた。あの時と同じようにロマンスグレーの背中が机の縁に腰かけているのが見える。

「あの、すみません……」

 浦添教授の背中に声をかけると、彼は振り返りもせずに、

「あー、やっぱり、解析した物体について類似のケースをネット上の画像から紐づけて体系的に分類した方が面白いかもしれないな……。そうなると──」

「いや、あの、直した原稿持って来ただけなんですけど」

 浦添教授がパッと振り返って、笑顔を見せた。

「おお、君、ついにやって来たのかい。鼻を長くして待っていたよ」

「それを言うなら首だと思いますが。鼻だとなんかウソついてるように聞こえます」

 浦添教授は作業を中断して、ぼくをデスクのあるスペースに促した。彼は椅子に腰を下ろすなり。ぼくの方へ手を伸ばしてきた。

「では、書き直したものを見せてもらおうじゃないか」

 どうやら、ぼくの原稿を楽しみにしていたらしい。相当つまらない毎日を送っていると見た。トートバッグから原稿の束を取り出して手渡すと、浦添教授は銀縁眼鏡のレンズを眼鏡拭きセリートで拭った。


 ペットボトルのスポーツドリンクがなくなりかけた頃、浦添教授は寝起きの身動ぎのように椅子の中で身体を起こした。ぼくもバカ正直に目の前で待っていなくてもいいのだが、もしかするとどこかの悪の組織に忠犬ハチ公の遺伝子でも組み込まれたのかもしれない。

「だいぶ話の流れが変わったんだね」

「意外な感想ありがとうございます。変わらざるを得なかったんですよ、どういうわけかね」

「ロボットと人の築き上げる未来というものが垣間見えて、良いものになったと思うよ」

 血みどろの結末を所望した浦添教授は満足そうにうなずいた。あたかも本懐を遂げたかのようなその柔らかな表情は、マッドサイエンティストとしての条件を十分すぎるほど満たしているように見えた。

「よかったです」

 しかし、浦添教授は眼鏡を光らせた。明るいはずの室内が妙に薄暗く感じられた。

「ただね、ひとつ大きな欠点があるように思うのだよ。密室トリックにおいて共犯を複数立てるというのは、ミステリの騎士道精神に悖る。しかも、トリックの中核を担う被害者の替え玉が解決編になって登場するのはほとんどアンフェアと言っていい。読者は、偽ラボの所有者が被害者に似ているかどうかの情報を与えられていなかったのだからね」

「なるほど……。確かに、おっしゃる通りです。変なことを言われると思っていたら、急にすごくちゃんとしたことを言われてびっくりしました」

「これでも私は生粋のミステリファンでね。なにしろ、岡嶋二人の『99%の誘拐』を読んで、この道を目指そうと思ったほどだ」

 岡嶋二人の名前は聞いたことがあったが、作品を読んだことはなかった。さすがにミステリの先輩だけに、人海戦術的な密室トリックと謎解きの処理の仕方についての指摘にはうなずかざるを得なかった。

 またリライトか……と暗澹たる気持ちでいると、ぼくと同じように何かを考えているようだった浦添教授が口を開いた。

「そのあたりのミステリの書き方については、私よりも中峰なかみね沙羅さらに聞いてみた方が早いかもしれないな」

 また新しい登場人物の名前だ。嫌な予感がする。とはいえ、無視するわけにもいかない。

「中峰さん、ですか?」

「別の大学になるのだが、私が学生だった頃、友人だった。今は物語の構造と社会の関係性を研究していたはずだ」

「でも、そこまで大事おおごとにするのもアレですし、このあたりで……」

「というわけで、私から予め中峰沙羅に連絡を取っておいた」

「うわぁ、頼んでもいないのにクソありがとうございます……」

 浦添はまるで徳でも積んだかのような満ち足りた表情でぼくに原稿を返すと、その手でぼくの背後のドアを指さした。

「もうそろそろ来る頃だ。彼女は時間に正確なんだ」

「え?! 来るんですか?! ここに?!」

 これでは監禁されているのとそんなに変わらないではないか。汗が引いてきたこともあり、身体が異様に冷えだして、ぼくは身震いした。いや、そんなことより、ぼくが今日この時間にここに来ることなど誰にも事前に話していないのに、なぜこの時間を狙って中峰とやらがここに呼ばれたのだろうか……?

 浦添がドアを指さしたままじっと動かない。

「ええと……、そう都合よく──」

 ノックの音もなく、おもむろにドアがダァンと開いた。瞬間、鼻腔を塞ぐような香水のにおいと共に、なにやらアグレッシブそうな女性が姿を現した。

「12秒遅刻だぞ」

 浦添が不敵な笑みと共に腕時計を掲げると、女も負けじと自分の右手首の腕時計を翳す。

「こっちは電波時計! あんたのがズレてるんでしょ!」

 女はヒールの音を響かせてぼくの隣の椅子に平然と腰掛けた。肩にかかる巻いた長い髪を振り払って、彼女はようやくぼくの方に一瞥をくれた。

「で、あなたが原稿を見てもらいたいっていう学生なの?」

 展開が早くて追いつけなかった。とりあえず、この女が中峰らしい。ぼくが答えられずにいると、浦添が言う。

「彼女は文学作品の研究者だ。気兼ねなく相談するといい。本来なら講義料を払うところなんだぞ」

「どれどれ」

 中峰はぼくの手から原稿を奪い取って勝手に目を通し始めた。

 なんだかどっと疲れが出てきて、ぼくはボーッとしたまま中峰のきつい香水のにおいの中で紙がめくられていく音を聞くともなく聞いていた。

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リライトミステリ ~つべこべ言わずに書き直せ!~ 山野エル @shunt13

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