第4話 マニラにて
空想時代小説
新マニラ総督の到着ということで、港は歓迎ムード一色だった。しかし、日本人一行には安宿があてがわれただけであった。冷たい視線の中での日々が始まったのである。マニラのイスパニア商人たちからにらまれたからである。救いはキリシタンになった者だけが保護を受けられたことである。常長はじめローマまで行った者はキリシタンの洗礼を受けてきたが、迎えにきた者はここで洗礼を受けることになった。横沢将監も洗礼を受けたのである。幕府方の向井将監は、洗礼を受けることなく、早々に中国船に乗って長崎にわたっていった。幕府からキリシタン弾圧の連絡がきており、このままマニラにいては危うくなると考えたようである。常長も帰る気になれば、中国船に乗って帰れたのかもしれないが、黒船を持ち帰る必要があったので、返却の交渉に手間取っていた。船はマニラ総督預かりになっていた。自分が渡海した船の性能にほれて手放したくなかったからである。
弥七は、宿には入らず、船で寝泊まりをしていた。船を守ることが主命なので、水夫部屋の片隅に自分の居場所を作っていた。たまに町にでることはあったが、ごく短い時間に限られていた。
1年ほどたったある日、常長が弥七に声をかけた。常長が水夫に声をかけることは未だかつてなかったことである。
「そちの名はなんという?」
「弥七と申します」
「出はどこじゃ?」
「白石は福岡でござりまする」
弥七は真田の庄とは言えなかった。
「小十郎殿の配下か?」
「白石の殿様には会ったことはありませぬ。配下である三井様の作男をやっておりました」
「ふむ、白石にしては言葉のなまりがないな。まあ、それはいいとしてイスパニア語が堪能だそうな」
「はっ、甲板員のマルケスと親しくなり、教えてもらいました」
「どおりで、いずれ役にたつであろう。ところで、船で寝泊まりをしているらしいな。どうして、宿に入らぬ?」
「密が苦手だからです。それにイスパニア語はしゃべりますが、日本語が苦手で」
「はっはっ! おもしろい奴じゃの。ま、船に残る者もいないと困るからな。そこでひとつ願いがある」
「はっ、何なりと」
常長は、弥七にひとつの包みを渡した。中には新式の短筒が入っていた。
「いざという時には、これを使え。船を守るのじゃ。この音がすれば、近くにいる者に知れる。そうすれば、我々もかけつけられる。頼むぞ」
マニラでの2度目の春を迎えた。冬の厳しさがないので、特に感慨深いものはないが、また蒸し暑い日々が続くのかと思うと弥七は少しうっとうしい感じがした。朝飯を終えて、甲板の掃除をしていたら、マルケスを先頭に数人のイスパニア人が乗り込んできた。今までにも、マルケスが弥七に会いにきたことはあるが、いつもと表情が違う。
「Yashichi . Quiero que salgas de este barco . 」
(弥七、お主にはこの船を降りてもらう)
「Por que ?」
(なぜだ?)
「Este barco se convirtio en espanol . 」
(この船はイスパニアのものとなった)
「Lord Tunenaga entendio ? 」
(常長殿は了解したのか?)
「Lord Tunenaga fue expulsado . Me subiran a un barco chino manana y me enviaran a Shanghai . Yashichi tu tambien . 」
(常長は追放になった。明日の中国船に乗せられ、上海に行かせられる。弥七お主もだ)
「Increible . No me bajare a menos que Lord Tunenaga me diga que me baje . 」
(信じられぬ。わしは常長殿から降りろと言われなければ降りぬ)
と言って、弥七は懐から短筒を取り出し、宙に向けて一発撃った。連発ではないので、次を撃つまでに時間がかかるのだが、船の周りが騒ぎ出した。多くの人が集まってきた。中には日本人もいる。いずれ常長らもやってくるだろう。マルケスたちは捨てゼリフを残して去っていった。しかし、明日になれば接収にやってくるだろう。どうすればいいのだ。弥七は、今後の策を練っていた。
しばらくして、常長たちが船にやってきた。
「弥七、ご苦労であった」
「いえ、常長様からお預かりした短筒をはなっただけです」
「上々。ところで我々は明日上海に行くことになった。お主も行くか?」
弥七は一瞬ためらった。常長らと帰っても、だれも責めはしないだろう。しかし、最後の命令を果たすことはできない。佐助殿もそのことは許してくれぬ。そうすれば忍びの世界では生きてゆけぬ。一生悔いて生きるのはいやだった。
「明日はまいりません。やるべきことがあります」
「何か密命を受けているのだな。横沢殿に聞いたら、三井殿は新参の家臣とのこと。お主は白石の出ではなく、他国者だな。しいていえば、信州あたりか?」
「・・・・」(常長殿は真田のことを知っている)
「ま、いいだろう。生きて帰れよ。無駄に死ぬでない」
常長は、自分に言い聞かせるような口ぶりで話した。
翌日、常長らは中国船に乗って、マニラを出ていった。弥七は隠し部屋でその出航を見送った。かくし部屋は水夫部屋の下にあり、ふだんは物置になっている。隠し窓があり、そこから見ることができた。マニラに来てから弥七が万が一のために工作をしていたのだ。船の中では、数人のイスパニア人が歩き回っている。どうやら本格的な軍艦にするために改装をしているようだ。大砲を増やすような話をしている。
(この船は戦にかり出されるのか。沈めるとすれば、今夜だな)
その夜、弥七は船倉で火薬をまいて船に穴をあけるしかけを作っていた。ほぼできあがり、後は導火線をつなぐだけになった時、上から光りがさした。マルケスだ。
「Yashichi estara alli . Pense que todavia estaba en el barco porque no abordo el barco chino . 」
(弥七だろ。中国船にお主が乗らなかったので、まだ船にいると思っていた)
「Es Marquez ? No quiero matarte . Algun dia este barco se hundira . 」
(マルケスか。お主を殺したくない。いずれこの船は沈む)
「Porque hundirse ? Lord Tsunenaga vendio este barco a Espana . Es por eso que Lord Tsunenaga y los demas se van a casa .」
(なぜ沈める。常長はこの船をイスパニアに売ったのだ。それで常長らは帰れることになったのだぞ)
「No soy un criado de Masamune . Es de Sanada , que lucho contra Masamune . 」
(わしは政宗の家来ではない。政宗と戦った真田の者だ)
「Era un enemigo de Masamune ? Sinifica eso que el barco se hundira ? 」
(政宗の敵だったのか。それで船を沈めるということか)
「Ese es el mandato del senor . 」
(それが主の命令)
「Entonces dejame morir por ti . 」
(それではお主には死んでもらう)
マルケスは、持ってきた短筒を放った。短筒には短筒ということだろう。弥七の短筒も火を放った。ほぼ相撃ちだった。弥七の放った弾は、マルケスのあかりを消した。マルケスの放った弾は、弥七の右足にあたった。痛みが徐々にやってくる。痛みをこらえながら導火線に火をつけた。ジッジッと火が船倉に向かっていく。
マルケスはそれを見て早々に退散していった。弥七は暗闇の中、手探りで隠し部屋にもどり、傷の手当をした。血は止まったが、足はきかない。と分かった瞬間、ドーンと大きな音がなり、船がぐらついた。水が入ってくる音がする。甲板では船員たちが騒いでいる。弥七はニヤリと笑った。
(これでわしの任務は終わった。さて、この先どうなることやら・・・?)
弥七のところまで水はやってきた。弥七は最後の力をふりしぼって、隠し窓から脱出をはかった。船が沈めば、その波にのまれる可能性がある。なるべく遠くへいかなければならない。しかし、右足がきかない。弥七は思うように動かない体にもどかしさを感じた。
半刻(1時間)ほどで、船はマストを水面に残して全て沈んだ。だが、弥七の死体は浮かんでいなかった。
常長と横沢将監が帰国したのは、それから半年ほどたった元和6年8月24日(1620年9月20日)である。上海から長崎にくる中国船に乗り込み、沖合で小舟に乗り換えて上陸し、幕府の目をかすめてみちのくへ戻ってきた。キリシタン弾圧がきびしかったからである。
政宗も幕府の政策に反することはできず、常長たちに棄教をすすめた。横沢将監はそのすすめに従い、その後土木奉行として治水工事に活躍する。しかし、常長はローマ法皇に謁見した栄誉を捨てるわけにはいかず、領地で蟄居させられた。そして1年もしないうちに天に召されていった。
そのころ、真田の庄に片足が不自由な男が住みついたとの話が佐助に聞こえてきた。
(弥七、よくやった。達者で暮らせよ)
その後のサン・ファン・バウティスタ 飛鳥 竜二 @taryuji
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