第12話

 かくして私は辺境伯セーファス・フィルビーの妻として、これからの人生を生きることになった。


 レディング男爵家と家族にはまず手紙を書いた。改めて挨拶に行くけれど、すぐにというわけには行かないので、結婚したという簡単な事情だけを先に報せた。


 あんな恐ろしいことがあった後だからこそ余計に、お嬢様には私という話し相手が必要だったかもしれない。

 でも、お嬢様なら私の代わりを見つけることはそう難しくないはずだ。


 セーファス様が私の代わりを見つけるのは――私が嫌だ。

 だから、申し訳ないけれどもうお勤めはできない。


 秘密がすっかりなくなると、私の心は晴れやかで毎日がとても楽しい。

 楽しく過ごしているのが伝わるのか、セーファス様も嬉しそうだ。

 皆とも上手くやっている。


 この間も、ルロイと――。


「――いけません、奥様」


 壁際に追い詰めると、ルロイは顔を赤らめて目を逸らした。


「どうして? いいじゃない、少しくらい」

「ですが……っ」

「私、あなたの綺麗な体に触りたいの。ねえ、お願い」

「…………っ」


 ポンッ、と出てきた黒い犬。この滑らかな毛皮の感触が大好きだ。

 それから、この垂れた耳。動くたびに揺れるこの耳がルロイのチャームポイントだ。半日くらい眺めていられる。

 ルロイを撫で回していたら、アイナに呆れられた。


「何を遊んでいるのかしら?」


 セーファス様に鎖を直してもらって、またあのペンダントを着けている。

 アイナは本物の宝石よりもガラス玉の方がお好みらしい。というか、光物ならなんでも好きだから、あのペンダントに執着しているのとは違う。光れば何でもいい。

 そこが人間とちょっと違うところかもしれない。


 私はアイナにも微笑みかけた。


「アイナ、後で庭にお水をあげるから、ついでに水浴びをしてもいいわよ」

「あら素敵」


 アイナは結構綺麗好きで、よく水浴びをしたがる。

 こんな具合で、私は皆を順調に懐柔できていると思う。


 一番の難関、レティスはというと。


「ちょっと、やめなさいよ!」


 私は笑顔でうんうん、とうなずきながらレティスの顎の下に手を滑り込ませる。レティスは頬を染め、私の手を振り払おうとしたけれど、私はレティスの後ろに回り込んで指の背で撫で続けた。


「うっ……」


 レティスはうっとりした目をして人型を保てなくなった。もとの姿に戻って、ごーろごろと喉を鳴らしているけれど、顔は仏頂面だ。可愛い。

 レティスを抱き上げて撫でていると、通りかかったリューに言われた。


「奥様の手って、旦那様の魔法くらいヤバいよ。レティス意識飛んじゃってるし」

「あら、私にはなんの取柄もないのよ」

「いや、それ結構な特技じゃないの?」


 小さい頃、通りかかった猫を片っ端から撫で回していた。どこを撫でたらいいかよくわかっている。こんなところで役に立つとは思わなかったけど。


「奥様、順調にいい性格になってるね」


 アハハ、とリューに笑われた。

 心配事がなくなったから、近頃は伸び伸びと暮らせている。

 でも、いい性格ってなんだろう。



「メルは肝が据わっているというか、順応性があるというか。頼もしいね」


 ティータイムの支度中、座って待つセーファス様が横で紅茶を注ぐ私にそんなことを言った。


「そうでしょうか?」


 今日のスコーンは私の手作りだ。

 焼きたてだから、きっと気に入ってもらえるだろう。


 けれど、セーファス様はスコーンには手をつけず、私がテーブルの上にティーポットを下ろすのを待って腰を抱き寄せた。


「メルが皆と仲良くしてくれて嬉しいよ。でも――」


 言葉のわりに笑っていない。少し切ない目を伏せた。

 かと思うと、いつもの美しい双眸で私を見上げる。


「僕にもっと構ってほしい」

「……構ってます」


 十分構っていると思う。今だって。


「そうだねぇ」


 笑いながらセーファス様は私の腰をさらに強く引いた。私を膝の上に乗せ、頬を撫でている。


「あの、スコーンが冷めてしまいますので」

「続きはまた後で?」


 はいと返事をするのも変だなと思っていると、セーファス様は私に軽くキスをした。


「じゃあ、焼きたてを僕がメルに食べさせてあげよう」

「自分で食べます。セーファス様もご自分で召し上がってください」

「それは残念だ」


 この人は何を言っても嬉しそうにする。新婚のうちだけだろうか。

 そして、いつまでも膝から下ろしてくれない。

 そこにリューが鼻歌交じりにやってきた。


「旦那様、王様から手紙が来てるよ」


 ギョッとするような相手から手紙が来た。

 フィルビーの至宝であるセーファス様は、いつも辺境にいると見せかけて、お呼びとあらば秘密裏に国王陛下のもとへ馳せ参じるのだという。何かセーファス様の手を借りたい時には声がかかる。

 私がここへ来てからはまだ一度か二度、簡単な用事があっただけだというけれど。


 セーファス様は邪魔が入ったせいで苦々しい面持ちになった。


「後でいい」


 あっさり言い放った。

 その優先順位はおかしい。


「よくないです!」

「だって、今はティータイムの最中じゃないか」

「紅茶なんてひと口も飲んでないくせによく言いますね」


 私が呆れて半眼になっても、セーファス様は笑い声を立てているだけだった。


「メルは、さ」

「はい?」

「君自身がフィルビーの至宝を手に入れたって自覚はないのかな」

「えっ?」


 首を傾げると、セーファス様は私の手を取り、甘くささやいた。


「僕は妻である君の願いはなんだって叶えたいし、君に危害を加える者がいたら容赦しないからね」

「…………」


 盗賊たちが私を操り、手に入れようとしたフィルビーの至宝。

 それは宝物ではなく、一人の魔法使いだった。

 私は結果として彼の心を手に入れた――らしい。


 思わず笑ってしまった。


「私がフィルビーの至宝に望むのは、人前でベタベタしないでくださいってことだけですね」

「大丈夫、じゃないから」

だけどね!」


 と、リューが突っ込んだ声はセーファス様の耳には届いていないらしい。

 まったく、都合のいい耳をしている。



     ――The end.

 

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花嫁とフィルビーの至宝 五十鈴りく @isuzu6

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