第13話 病みの濃度

「……かり! あかり!」


 目が覚めると、そこは清潔感溢れる部屋のベッドだった。知っている看護師さんがいることから、掛かりつけの病院であることを察した。


 月読さんが見たこともない表情であたしを見ている。眉は吊り上がり、眉間にしわを寄せ、目を見開いている。一瞬、怒っているのかなと思ったけど、あたしはこの表情をする人が本気で心配しているのだということを知っている。


「月読さん……ごめんな……さ……」


 言い終える前に涙が溢れてきてしまった。時々あるのだ。悲しみの波に溺れる。止めどない波に飲み込まれて息もできなくなる。


 あたしを抱きしめる月読さんの腕は太くて、力強くて。

 月読さんはスーツが涙で濡れてしまうのもお構いなしに、あたしの泣き声を押し殺すように、その胸に顔をうずめた。


 あたしはライコランドのブレーキ部品コーナーで発狂し、泣き叫び、左腕を右手の爪で切り裂いたのだとか。

 月読さんが止めてくれなかったら、爪が剥がれるまで続いただろう。

 月読さんは神通力を使ってあたしを眠らせたそうだ。それから店員さんが救急車を呼んで、バッグから自立支援手帳とクスリ手帳を見つけた救急隊員がこの病院に搬送したと言うわけだ。


 買い物の品は月読さんが宅配便の手配をしてくれた。きっと大変だっただろう。


 左腕は包帯が巻かれていて、裂傷のズキズキした痛みを感じる。どれくらい深く傷付けたのか覚えていないが、かなり広範囲な痛みだ。


 月読さんがあたしを強く抱擁しながら呟く。


あかり、もう自分を傷つけるのはやめるのだ。そんな事をしても闇は払えない。共に生きるのだ」


 ベッドに座るあたしを抱きしめる月読さん越しに、病室に入ってきた担当医の横田先生が見えた。


「こんにちはー」


 横田先生は腰を低くして、まるで「お邪魔します」と言った口調で穏やかに挨拶する。


 月読さんは抱擁をやめ、横田先生を一瞥いちべつすると、こう言い放った。


「医者か。あかりの病気は治るのか?」

「失礼ですが、どちらさまで?」

「良き友人……と言っておこう」

「先生、月読さんはあたしの大事な人なんです。一緒にいさせてください」

「大事な人……その大事な人が心配してますが、ご自分が何をしたか理解されてますか?」

「それは……先生、今回の件に関しては記憶がないんです」

「記憶がない……覚えてらっしゃらない?」

「バイク用品店で楽しく買い物してた記憶はあります。でも急に気分が落ち込んで……気がついたらここにいました」


 先生は「ふーん」と言った感じで一呼吸置き、月読さんに問いかける。


「ご友人の方……わたくし横田と申します。お名前をお伺いしても?」

「月読だ」

「月読さん。その時一緒にいらしたんですか?」

「そうだ。あかりが俯いて動かなくなったかと思えば、突然発狂し、左腕を掻きむしった」


 横田先生は、あたしの左腕の包帯を見て、看護師さんに告げる。


「これ、一回取ってもらっていいですか? 傷を確認したいので」


 あたしも傷がどうなっているか気になっていた。自傷の記憶がないなど初めての経験で、今後もこんな事があるのかと思うとゾッとした。


 看護師さんが丁寧に包帯を取っていく。すると、大きなガーゼと、そこに染み込んだ塗り薬であろう茶色い軟膏があらわになった。


 看護師さんがそーっとガーゼを取り去る。


 そこには最早引っ掻き傷というレベルを超えた裂傷が何本も刻まれていた。道理で広範囲が痛いわけだ。傷は4本の爪で切り裂いたと思われる長い皮膚の裂け目と、所々肉が抉られて陥没した爪痕が残されていた。長い裂傷の部分は何箇所か縫われている。


 それをみた横田先生はしばらく沈黙して、呟く。


「なるほど。解離したかもしれないですね」


 そこへ母が到着した。


あかり!」


 母はあたしの傷を見るや泣き崩れた。


「またこんな事して! お母さん何回も言ってるでしょ! 亮吾りょうごが事故したのはあかりのせいじゃないって! 煌が責任感じることなんて一つもないの!」

「それは違う! あたしがバイクに乗らなければ亮吾も乗らなかった! あたしが……あたしが……殺した……あ゛た゛し゛か゛ーーー!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! イヤーーーーーー!!!」


 横田は煌の右腕を強く押さえた。左腕を自傷するのを防ぐためだろう。

 煌は自我を失っている。こうなっては眠らせるか、丸ごと闇を喰らうか、2つに1つだ。

 亮吾とは煌の親縁だろうか。話の脈絡からしてバイクの事故で亡くなったといったところだな。煌の影響でバイクに乗り始めたか? それで煌は責任を感じて――


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! こ゛ろ゛せ゛ーーー!!! あ゛た゛し゛を゛こ゛ろ゛し゛て゛ーーー!!!」

「そんな事言わないで! あかりー!」


 母親が泣き崩れる。


 煌は闇を払って欲しくないと言っていた。責任から逃れたくないのだろう。強い意志だ。だがその強さが裏目に出ている。


 ここは一先ず眠らせるか。


 手のひらに神通力を集中させる。少し室内が眩しくなるが致し方あるまい。

 横田が私の手のひらの光を見て驚いている。無理もない。これは神の威光だ。


 数秒後、煌は眠った。


「月読さん……いまのは一体何です?」

「睡眠の暗示だ。私流の寝かし付けだよ。ついでにこの痛々しい傷も癒やすとしよう」


 私は煌の左腕の傷を癒した。傷はみるみる回復し、美しい素肌に戻った。


「ちょっとこれは目を疑いますね……どうやったんですか?」

「神の奇跡。としか言いようがないな」

「あの、失礼ですが、貴方は?」

「月読と申します。娘さんの友人です。母君、娘さんを私に預けてはもらえないだろうか。私なら娘さんを闇から解放してやることができる」

「たった1人の家族なんです。息子を事故で失って、夫はガンで亡くなって……もうあかりしか残ってないんです。娘を救って下さるんですか?」

「必ず助けると約束しよう」


 私は横田医師から新しい薬の説明を受けた。抗不安薬という不安を解消する薬だとか。気分を変えてしまうとは、なかなか凄い薬ではないか。

 煌は既に弱い薬を飲んでいたそうだが、より作用の強い薬に変えるのだと言う。最初から強い薬を出せば良いと提案したのだが、何やら副作用というのがあるらしい。


 入院の提案もあったのだが、数ヶ月かかるとのことだったので母君を説得して断った。


 煌の目の前でプレゼントを開けるのだ。彼女が楽しみにしていた私の喜ぶ顔を見せてやりたい。

 今の彼女にはそういった楽しみが何よりの薬になるのだということは、長年生きて彼女のように苦悩の末、自害した人間を何人も見てきた私にとっては、現代の医者にも勝る経験則から導いた答えなのだ。




***




 目が覚めると、新居のリビングのソファーだった。初めてのキスの場所。忘れない。


 月読さんがブラックデビルを吸ってる。見なくても甘い香りでわかる。


「起きたか。調子はどうだ?」

「病院で起きて……お母さんが来て……その後どうなったんだっけ?」

「発作が起きたのだ。横田医師は解離性障害の疑いがあると言っていた」


 解離性障害――前に入院してた時、同じ病棟の患者で解離の女の子がいた。彼女は自身を多重人格と言っていた。あたしもそうなのかな――


「そんな話はどうでもいいのだ。これを見ろ」


 リビングのテーブルには黒い紙袋が置いてあって、側面には「G-SHOCK」の赤い文字がカッコよく印字されていた。


 月読さんがガサゴソと紙袋から黒いラッピングの箱を取り出す。その表情はまるで誕生日プレゼントを開ける子どもみたいで、こっちまでニヤニヤしてしまう。


「む? これは……のりで止めてあるのか?」

「テープかな。爪で剥がせばとれるよ。紙破っちゃってもいいんだよ?」

「何を言う。包み紙も大事に取っておくのだ」


 月読さんは、包み紙を綺麗に畳むと、あらわになった本体の箱をそーっと両手で持ち上げた。


 あたしも開封の瞬間が見たいので隣で姿勢良く座る。


 箱を開けると、黒ベースに青と金の装飾が施されたMR-Gが正確な時刻を示していた。


「おお! まるで宝石のように輝いておる! どれ! 早速嵌めてみよう!」


 ニコニコしながら左腕に装着する月読さんは、まるで初めて自転車を手に入れた時のあたしみたいで、この時計が永遠に時を刻むのを心から願った。


「7時13分21秒。秒針とは働き者だな。休む間もなく動いている」


 そうだ。あたしも明日は仕事だ。今日は月読さんの職場も見にいく予定だったけど、病院になっちゃったから行けなかった。


「月読さん、明日あたし仕事なんだけど、あたしがいない間どうする?」

「そうだな。この辺に神社はあるか?」

「あ! 今日行こうと思ってたんだよ! アルバイトで神職募集してとこがあってね? 月読さんなら適任かなーって」

「ほう。何神社だ?」


 あたしは月読さんのスマホのマップにその神社の場所を表示した。


「武蔵御嶽みたけ神社だって。ここがウチで、ここがその神社」

「御嶽……蔵王ざおうか? だとしたら少々厄介な奴だぞ」

「仲良くないの?」

「その逆だ。奴は修験道の頂点だったのだが、ある日、修行と称して私に喧嘩を吹っ掛けてきてな。完膚なきまで叩きのめしたところ、気に入られてしまってな」

「あはは、気に入られたならいいじゃん」

「いやいや、私にまで修験道を押し付けてくるのだ。奴の執拗な勧誘を振り切って以来、合っとらん」

「んー、でも働ける神社そこしかないよ?」

「むう。……致し方あるまい。明日行ってみよう」


 月読さんも明日は暇しなくて済みそう。明日仕事行けば連休だ。13日だけ実家に帰るとして、他はのんびり過ごそう。


 実家に月読さん連れてったら、お母さん喜ぶかな。実家に1人で寂しいもんね。何なら泊まってきてもいいかな。


 ふふふ。連休楽しみ。




―――――――――――――――




次回から更新不定期になります。


楽しみにして下さってる方には申し訳ありません。

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常闇ヲ照ラシ、ツイニ煌メク あるてな @sunny_clouds

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