書店主の話
ミコト楚良
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父は、きっと本が好きな人だった。
彼を知る唯一のものとして残されたのは、自費出版の青い表紙の本一冊だったから、よけいそう思うのかもしれない。
手のひらほどの大きさの本には、リトグラフの挿絵が1枚だけ差し込まれていた。
月夜の森にミミズクがいる。
その店の名は、黒い飾り気のない文字で白いアクリル看板に書いてあった。
夜になって看板に電飾が灯れば、ほの白くたたずむ。
今のところ、夜に営業する気はないのだけど、気まぐれにそうなっても、おもしろいと思っている。
こんな坂道の途中に書店があるなんて、気づく人は少なそうだ。
坂の多い街。冬の長い街でもある。
ドアのウィンドゥベルが鳴った。
準備中の札がドアにかかっているのにも関わらず、そのドアを引く者がいた。
「こんにちは」
姉の恋人の
「おとうさんのこと、わかりましたよ」
「そうですか」
「灯台
「えぇ?」
福郎は、すっとんきょうな声をあげてしまった。
「てっきり、マグロ漁船にでも乗りこんだと思っていました」
うわすべりの冗談で、ごまかした。
父のこと。それは姉が
結婚する人に隠しておくわけにはいかないと。
ぼくらには消息不明になった父親がいる。もう20年も前の話だ。
新聞社に勤務している
ぼくにとって、父はもう過去の人だ。ぼんやりとしか覚えていない。
父も同じだと思う。
もし、父が家族を置いて失踪した原因が事業のことだけでなかったら、父には、もう別の家族がいるんじゃないか。
それをわざわざ調べて知ることは、よい趣味とは思えなかった。
そういう気持ちを
姉は、ウェディングハイなんだろうか。
バージンロードを父と歩きたいなんて。
まぁ、いいさ。
姉の気がすむなら。
「そうですか。それで、父に結婚式の招待状を出したんですか」
「はい」
「返事は」
「まだ出したばかりですから」
「うちの母には言ったんですか? そのこと」
「まだ母に話してないんだ」
少し非難めいた声色になったと思う。
今日あたり、家は修羅場になるのか。
と考えていたら、
「……はい。ん? うん……、うん」
聞く一方になっている。姉かな。
ちらっと、彼が、こっちを見る。姉だね。
「はぁぁ」
通話を切って、大きなため息を。
「お父さんの件を、お母さんに話したら、めちゃめちゃ機嫌をそこねられたそうです」
そりゃそうだろ。
「『女手ひとつで育ててきた恩を
「まぁ、そうなるね」
「お父さんて、『もう二度と、お前たちの前に顔は見せない』と言って消息を絶ったんでしたね」
「そう、そのくだりを、夏になると必ず聞かされて育ったんだ。オレと姉さん。父が失踪したのは夏祭りの夜だったから」
「
「オレ?」
「お父さんに会いたい、とか」
「どうだろう……。今、父がいるとしても、それはオレの父ではなくて。もう誰かの何かって役目を
とにかく。
結婚式の招待状を出したそうだ。姉と
あとは、父の返事を待つだけだろ。
どっちの返事が来るだろうか。来るとしたら、メンタル強い人だよなぁ。父。
とか考えて数週間。
父から、『 出席 』の返事が来たんだそうだ。
父、メンタル、つぇぇな。
その姉と
バージンロードに現れたのは、〈ミミズクの顔ぐるみを
どこで、そんな顔ぐるみ、みつけてきたんだろう。
虹色の
が、新郎がすました顔で祭壇の前で待っているし、先導するリングガールも小鳥のように白い羽をつけていたから、「そういう演出」と、すんなり受け入れたようだ。
前日に、「話し合って折衷案を取ったんだ」と、
『二度とお前たちの前に顔を見せない』って言った父は、たしかに顔は見せていなかった。
母の願いは、バージンロードを歩く演出の間際に来て、さっさと退場してくれということだった。母の視線がミミズク氏をとらえることは、いっさいなかった。
姉を祭壇の
式場のホールに、カメラを首にかけた礼服の青年が、氏といた。
青年は、「ご苦労様です」といって、白い封筒を差し出して、ミミズク氏が、それを受け取ったのが見えた。
そのままタクシー乗り場に向かう氏を、
「――お久しぶりです。
ミミズク氏が立ち止まった。
「この本、これ」
福郎は、青い表紙の本を取り出した。
「覚えてますか」
ミミズクの顔ぐるみを
「書店を開業したんです」
福郎は、ショップカードを差し出した。
生成りの名刺には活版印刷の蒼い文字で店の名前が印字してある。
〈月とミミズク〉
福郎は自分の書店に、そう名付けた。
彼にとっては、あの青い表紙の本のミミズクは、いなくなった父の代わりに福郎の折々を見てきた。
月とミミズクは同じ世界に存在していても、遠い距離にいる。それは父と自分のようだった。
しかし、あれは本当に父であったのか。
カメラの青年が、ミミズク氏に渡していた白い封筒は、いかにも謝礼らしかった。
あの青年は
まぁ、真実はヤブの中。
姉のしあわせは願うところだし。
さて、一日がはじまる。
〈了〉
書店主の話 ミコト楚良 @mm_sora_mm
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