第3話 妹の場合

 美優は次に、自室の左隣の部屋の前に立つと扉をノックをした。


美輝みき~、入っていい?」

「いいよ」


 返事が聞こえると美優は扉を開け、白とベビーピンクで統一された部屋のなかへ入る。妹の美輝は、向かって右側にあるベッドの上で寝転がり、読書をしていた。


「どうしたの?」


 本をめくりながら尋ねる妹に、美優は尋ねた。


「いやね、本が紛失しまして……。『乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと分かったので、スローライフを目指そうとしましたが、主人公が消えたから一緒に探してほしいとヒロインに頼まれたので、探す旅に行く羽目になりました』って本なんだけど、知らない?」

「私を疑っているのですか、お姉さま?」


 視線を本から姉に向けると、にやにやと笑った表情で聞く。美優はなんだか見透かされたような気持ちになり、慌てて否定した。


「違うって! そうじゃなくて、私、貸したかなって思ったんだけど……」


 すると美輝はすぐに否定した。


「悪いけど、私はお姉ちゃんが読んでいる転生とかの話は読まないから」

「そうだっけ?」

「私が好きなのはミステリー! 最近は人が死なないものも出てきていいよね。でもね、そのなかでもやっぱりコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』よ!」


 美輝は読んでいた文庫本の表紙を姉に見せ、そしてうっとりした表情で話を続ける。彼女はシャーロキアンなのだ。


「折角だから、お姉ちゃんも久しぶりに読んだら?」

「いや……ホームズは散々読んだからいいよ」


 美優は高校生のときに、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを読みまくっている。それも色んな出版社から様々な翻訳家の人が出していることを知らずにいたので、違うものだと思い込み中古本で買い集めたことがあるのだ。

 そして買った本を全て目を通してから、人気のある本は色んな出版社から出ることもあるんだということを学んだのである。そして、同じ原書を扱っているにも拘わらず、翻訳する人によって、微妙にニュアンスが違うこともこのときに知った。

 そうやって『シャーロック・ホームズ』シリーズを読んでいたので、美優はしばらく読まなくていいと思っている。


「何度読んでも面白いのに……。そういえば、最後に読んだのはどの文庫?」


 美輝が尋ねる。『シャーロック・ホームズ』は読み飽きるまで読んでしまったので、買い集めたものは全て彼女に譲った。そのため美輝も、色んな出版社から出ている同じホームズの話を読み比べている。


「えー……新〇文庫だったかなぁ? 結構読みやすかった印象がある」

「そうなの? 私は断然角〇文庫派!」

「何で?」

「新〇文庫は、ホームズとワトソンが『ホームズ君』『ワトソン君』って、『君』付けで呼び合っているのがいただけない」


 美優は眉を寄せて「…………え、それだけ?」と聞いた。


「私には大きいことなの! だって、『君』って付けたらなんか変じゃない? 英語じゃ呼び捨てでしょう? それにさ、語り手のワトソンは地の文で『ホームズ』って言っているのに、会話のときだけ『ホームズ君』って言うんだよ? 違和感ない?」


 美優は妹の主張を聞きながら、人によって感じ方は違うので好き嫌いはあると思うが、これだけで「いただけない」と言われるのは、本を出している出版社と翻訳者が気の毒である。

 しかしここで反論すると話が長くなりそうなので、テキトウに相槌を打っておく。


「うーん、まあ、それはそうかもねぇ……。じゃあ、光〇社文庫は? 確か『ホームズ』『ワトソン』と呼び合っていた気がするけど?」

「あれは挿絵が可愛くない」

「えー……」


 美優はその挿絵を思い出す。確かにリアリティのある絵なので、可愛くはない。しかし当時の服装や、部屋の様子などがきちんと描かれている絵だと思っていたので、「可愛くない」と一刀両断されるとちょっと悲しくなる。

 どうやったらその良さを分かってもらえるだろうか――と思ってから、美優ははっとした。ホームズの話をするために、美輝の部屋に来たのではない。


「って、シャーロック・ホームズの話をしている場合じゃなかった。あのさ美輝、さっき言った本の居場所を知らないんだよね?」

「うん、知らないよ」

「そっか、分かった。それならいいんだ。読書の邪魔してごめんね」


 美優が部屋を出て行こうとすると、その背に妹の得意げな声が投げかけられた。


「私が本のある場所を推理してあげましょうか?」

「え」


 振り返ると、きらきらと自信に満ちた目で姉を見ている妹がいる。


「もしかしたら分かるかもしれないよ?」


 確かに分かるかもしれないが、彼女の推理に頼ると美優は「ワトソン」役をしなくてはならなくなるのだ。すると美輝のことを「ホームズ」と呼ばなければならず、探偵モードになっているときにうっかり「美輝」と呼んでしまった日には、「お姉ちゃんちゃんとして!」と怒られるのである。しかもこの推理は物が見つかるまで続く。二年前、美輝の推理で物探しをしたのだが、二日かかったことがあった。物は見つかったが、「ワトソン」役がかなり大変で疲労困憊になった思い出がある。

 本は早く探したいが、探偵ごっこをするのは勘弁してもらいたかったので、美優は断った。


「いや、いいって。読書の邪魔しちゃ悪いし。光輝こうきにも聞いてみるよ」


 それに、美優の部屋から本を持って行く可能性がある人物はもう一人いるのだ。そのため、妹の美輝の話を聞くよりも、まずは「もう一人」が持っていないかどうかを聞いた方が早い。


「そう? じゃあ、それでわかんなかったら私に聞いて。探偵美輝が謎を解決するよん?」


 顎に手を当てて、にやりと笑う妹に「うん、これで見つからなかったら頼るわ」と言って、美優は部屋を出たのだった。


*****


「美輝でもなかったか……。よし、次!」


 残るは今年中学三年になった弟・光輝に聞いてみることにした。

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