第2話 兄の場合

 美優は右隣にある兄の部屋の扉をノックした。


「お兄ちゃん、美優だけど入っていい?」

「おー」


 兄がそう答えたのを聞いてから、美優は扉を開ける。すると、ブルーを基調とした部屋からは賑やかな音が聞こえてきた。


「どうした?」


 部屋の左奥で、机上にあるパソコンでゲームをしながら用件を聞いてきた。賑やかな音はゲームのBGMである。美優はその音に負けない声量で、本の所在を知っているかを尋ねた。


「あのさ、本を捜してて」

「本?」

「そう。『乙女ゲームの悪役令嬢に転生したと分かったので、スローライフを目指そうとしましたが、主人公が消えたから一緒に探してほしいとヒロインに頼まれたので、探す旅に行く羽目になりました』って本なんだけど……」

「知らない」

「え、即答? お兄ちゃんも異世界転生とか転移の話とか読むじゃん。私の部屋から持ち出して読んだりしてない?」

「はぁ?」


 彼は訳がわからない、といった様子で大きなため息をつくと美優に言った。


「とんでもない濡れ衣だな。悪いけど、お前が読んでいる本は読もうと思わないから絶対に違うぞ」

「え、それ、どういうこと?」


 眉を寄せながら尋ねる。すると兄はパソコンゲームを一旦中断し、くるりと椅子を回して美優と向き合う。部屋が一気に静かになった。


「俺は異世界転生ものでも、乙女ゲームに転生したやつを読む気はないってこと」

「何で?」

「ゲームに転生するなんておかしいだろ。しかも、悪役令嬢とセットの話なんて。みんなが好みそうなものをただ掛け算したじゃねーか」


 美優は、兄に言われたことを頭のなかで咀嚼そしゃくする。


「……もしかして、小説の悪口言われてる?」

「別に悪口を言っているわけじゃなくて、変だっていっているんだよ」


 すると美優はふんっと鼻を鳴らして笑った。


「確かにゲームに転生するなんておかしいのかもしれない。でもね、お兄ちゃん。小説に転生する話もあるんだよ? だからストーリーモードの話なら、同じようなことがあってもおかしくないと思うけど。それに少し前のディ〇ニー作品に、ゲームのなかのキャラクターを主人公にした作品だってあったの知らないの? つまり世界中でそういう話が受け入れられているってことでしょう? ただの掛け算かもしれないけど人気はあるんだよ」

「いいや、ディ〇ニー作品のほうはオリジナリティがあった。だけど他の作品を見てみろ。出だしがどれも同じじゃないか」

「それは『乙女ゲームに転生した悪役令嬢もの』の人気が高いゆえのさがだよ。出だしこそ同じでも、物語が進むにつれて内容は全く違う方向へ行くんだから。それが面白いから、私も別の作者の同じような話を読んでいるってわけで……うん?」


 ——と、美優は小首を傾げた。兄が妙に「乙女ゲームの悪役令嬢に転生する話」について詳しいので疑問を感じたからである。


「そこまで言うってことは、読んだことあるの?」


 やはり兄が、勝手に美優の部屋から本を持ち出したのだろうと思った。だが彼は否定する。


「美優の持っているのは読んでない」

「じゃあ、なんでそんなに詳しいの?」


 すると優隆は大きなため息をつき、渋々といった様子で薄情した。


「……サークルで流行っていて、読まざるを得ないんだよ」

「eスポーツサークルで?」

「……そうだよ」


 げんなりした様子で頷く。


「サークルで回ってくると、乙女ゲームの小説でも読めるんだ?」

「話題のためだ。仕方ない」


「本当は嫌だったのに……」という雰囲気をかもし出す兄を見ながら、美優は「ふーん」と相槌を打つ。だが彼女が分析するに、兄は意外と「乙女ゲームに転生した悪役令嬢もの」を楽しんでいたんじゃないかと考える。

 これでもし兄がはまっていたら、家族に話し相手ができるので、美優はラッキーだと思った。物語について語り合いたくなってしまうのは、オタクのさがである。


「だから、俺は美優の部屋から本は持ち出していないぞ」

「そうなの? でも読みたかったらいつでも貸すよ?」

「貸さなくていい。それより、『転生したらぬいぐるみでモフモフされまくってます』を読むのはどうだ? 結構面白いし、きっと美優も好きになると思うけど」


 美優はそれを聞いてハッとする。きっと兄も同じようなこと(仲間に引き入れて語り合う作戦)を考えているに違いない、と。


「いえ、遠慮しておきます」


 きっぱり断ると、美優は兄の部屋を後にした。


*****


「お兄ちゃんじゃなかったか……。本は後で返すことにして……よし、次!」


 そう言って美優は次に、高校二年生の妹の部屋へ向かった。

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