終章

 桐崎は小川の家に来ていた。

 借りていた書物を返すためだ。


 流に水緒以外の者とも交流するように勧めたものの、無理そうだとも思った。

 記憶を失った時は、水緒への想いもなくなったようなので引き離す良い機会だと思ったが、流はまた以前と同じように水緒に惚れてしまった。


 おそらく流は幾度いくたび忘れても水緒にき寄せられてしまうに違いない。

 だが、それだけ想いが強い分、失った時の衝撃ははかり知れない。

 寿命をまっとうしたならまだしも、それ以外の理由で水緒が早逝そうせいしたとき流がどうなるか分からない。


 特に水緒が人間に殺されたりした場合、見境なく殺戮さつりくを始めるかもしれない。

 ただでさえ他の鬼より強い最可族に戦い方を教えてしまったばかりに流の討伐は容易ではなくなった。


 それでいざという時の対策を考えるために最可族の本を借りていたのだが……。


 水緒と同時に命を落とすと決まっているなら対処法を考える必要もなくなった。

 桐崎は流から聞いた話を小川に伝えて書物を返した。


「しかし都合良く寿命と引き替えに水緒を助けてくれる神仏が現れるとは。よほど強い想いだったのだろうな」

 桐崎が苦笑しながらそう言うと、

「都合や想いは関係ないのだ」

 小川が答えた。

「どういうことだ」

 桐崎の問いに小川は最可族の長が死んだと告げた。


「元々最可族の長は寿命がき掛けていたらしい」

 それで息子達の跡目争いが激化したそうだ。

「結局、息子達が争いの末に全員死ぬのと時を同じくして長も息を引き取ったらしい。長も跡継ぎもいなくて今かなり混乱しているらしい」

「それが流に関係があるのか?」

「寺で討伐した鬼が弟を名無なんと言っていただろう」

 小川の言葉に桐崎が頷く。

「長の息子は上からさんかんなんという名だったらしい」

 それを聞いた桐崎は息を飲んだ。

 この前、流を襲ってきた鬼は左無さんで、流が記憶を失う直前に倒した鬼は名無なん

 そして寺で討伐したのは名無の兄。

 名無もその兄も流を殺そうとしていたのは跡継ぎになるためだと言っていた。


「では、流は……」

「長の末の息子だろうな」

 小川はそう言ってから説明を始めた。


 最可族の長には特殊な能力ちからがある。

 寿命と引き替えに願いをかなえられるというものだ。

 その能力ちからは長の血を引く子供の中で長になった者だけが得られる。


 息子達が殺し合いをしてまで跡継ぎになろうとしていたのはこの能力ちからが欲しかったからだ。

 単にかしらになりたいだけなら独立して自分の一族を作れば済む。

 だが長だけが持つ特別な能力ちからが欲しければ跡継ぎになるしかない。

 それで跡継ぎの座をうばい合っていたのだ。


 おそらく流が左無を倒したのと前後して長も息を引き取っていたのだろう。

 長と、長の他の息子達がなくなれば残っているのは流だけだから、その時点で流が長の能力ちからを引き継いだ。


 そしてその時、流が水緒の命を助けたいと強く望んだ。

 命と引き替えにしてもいと思うほど強く。

 だから寿命と引き替えに長の願いを叶える者が現れた。

 流の言っていた影がそれだろう。


 昔、人間の討伐軍が最可族を滅ぼそうとしたのに出来なかったのはこの能力ちからがあったためだ。


 ただ鬼の寿命と同等以上の願いは叶わない。

 一族全体を祟名ののろいから解放するというのは無理なのだ。

 祟名を付けられた時も長に出来たのは条件を付加することだけで呪い自体は消せなかった。


 そして流の母親は成斥せいせき族。

 鬼どころか人間にすら力では敵わないから誰にも知られないように隠れてひっそりと暮らしている。

 当然人間に危害を加えたりしないし、しようと考えたところでそれが出来るだけの力はない。

 討伐対象になることのないあやかしだから桐崎は聞いた事がなかったのだ。


 その成斥族が唯一持っている能力ちからが『浄化』だ。

 だから流の父は成斥族の女との間に子をなした。

 成斥族の血を入れることで最可族に掛けられた呪いを解こうと。


 流の祟名は『族救』

『一族救済』という意味だったのだろう。


 流の父親の望み通り、成斥族の女との間から呪いを能力ちからを持った子供が生まれてきた。

 それが流だ。

 そのため長は流を跡継ぎにと望んだ。


 流の血が一族に行き渡れば最可族はいずれ呪いから解放されていたのだろう。


 だが流の祟名は消えた。

 流から最可族の血と共に呪いを解く能力ちからも消えたに違いない。


 流は水緒に祟名を呼ばれても死ななかった。

 あれだけ強く想っている水緒に呼ばれても平気なら誰に呼ばれたところで死ぬことはないだろう。


 流や、いずれ生まれてくる流の血を引く子供達は祟名を呼ばれても死なない――というか、死なないはずだった。

 最可族の血と祟名が消えた今となってはもう関係ない。

 流も、流の血を引く子達も。


 保科という鬼が去ったというのもその為だろう。

 長から、流が次の長になれば呪いが解けると聞かされたから迎えに来ていたのだ。

 だが能力ちからを失ったのなら殺される危険を背負わせてまで流を一族に迎える意味はなくなった。


 水緒と同時に死ぬなら寿命も人と同じになったのだから、流の望み通りこのまま人の世界で暮らしていく方がいいだろう、と。


 流が狙われていた理由が混血ではなかったのと同様、水緒を刺した鬼が狙われていたのも混血自体ではなく可支入かしり族の血を引いているせいだと聞いた。


 可支入族の血が一族に入ると災いがもたらされるから命を狙っている者がいると言っていたらしいが、桐崎はそんな話は聞いたことがない。

 小川も知らないという。


 可支入族の血が災いをもたらすというのはおそらく鬼の間に伝わっている街談巷説がいだんこうせつ――根も葉もない噂話なのだ。

 そんな本当かどうかも分からない話を間に受けた最可族の一部の者が可支入族の血を引く娘を狙った。


 その鬼の祟名は「身虫」

 おそらく「獅子身中しししんちゅうむし」ということだろう。


 流が救いの子なら「身虫」は救い妨げる者だ。

 実際「身虫」が水緒を刺さなければ流が願い事をすることもなく、最可族の血が消えることもなかった。


 流の中の最可族の血が残っていれば、最可族の子孫達は祟名を呼ばれても死ななくなっていたはずだったのである。


「身虫」が左無と手を組んだのは最可族に命を狙われていたからだ。

 最可族が「身虫」に何もしなければ、最可族の跡目争いに関わることもなく、水緒を殺そうとしたりもしなかっただろう。


 卜占ぼくせんの自己成就。

 占いを聞くと自ら成就させるように振る舞った挙げ句、その通りの事を起こしてしまうというものだ。

 占いが当たったという場合、これに当てまることが多い。

 悪いことは特にそうだ。

 可支入族の血を引く娘に対して行ったのが正にそれである。


 流や「身虫」に対して、最可族が何もしなければ長の能力ちからを持った跡継ぎがいなくなることもなかった。


 長の能力ちからは寿命と引き替えなのだから願ったら自分も死ぬのだ。

 そう簡単には使えない。

 最初で最後、一度きりしか使えない能力ちからなのだから得たところで必要になるようなことはまずない。

 長になりたいと言うだけの理由で兄弟を手に掛ける者達が一族のために自分の命を投げ出すとは思えない。

 つまり手に入れたところで使い道のない能力ちからである。

 にも関わらず最可族は目先のことに捕らわれて流や「身虫」を殺す道を選んだ。


 そのため「身虫」は身を守るために左無と手を組み、流は人間の水緒を選んで最可族の血を捨てた。

 最可族を救う能力ちからと共に。


 本来なら水緒を助ける代わりに死ぬはずだった流の寿命が水緒が生きている間だけとは言え残されたのは最可族の血を渡したからだという。


 寿命を渡す際、長になることや記憶を取り戻すことではなく、水緒を助けることで良いのかと確認されたと聞いているが、そんなことを確かめる必要はないはずだ。

 望むと同時に問答無用で流の寿命を取り上げて水緒を生き返らせるだけでいい。


 当人が自分の能力ちからを知らずに使ってしまうことなど珍しくない。

 それで命を落とすことも。


 仮に本人の意志を確認しないといけなかったとしても他の事も望めるなどと教える必要はない。


 流の真意を知りたかったのだとしても、流の望みは「水緒の命を助けること」だった。

 本来の願いは水緒と一緒に生きていくことだったが、水緒が死に掛けていた時の望みは「水緒の命」だ。


 本心を確かめた上で望みが叶うように寿命を少し残してやろうと考えたのだとしても、そんな事が出来るならほんの数十年分残せば良いだけの話である。

 人間の寿命は鬼の寿命よりも短いのだから少々流の寿命を残したところでお釣りが来るだろう。


 それに長や記憶を取り戻すことも出来ると言われたということは願いが叶った後、すぐに死ぬわけではなかったのかもしれない。

 長になったり記憶を取り戻したりした瞬間、死んでしまうのでは意味がないのだから。


 だが、それはそれで最可族の血を引き替えにする必要はなかったと言う事だ。

 例え生きていられるのが一日、いや一刻足らずの僅かな時間でしかなかったとしても、水緒が助かった上で短い間だけでも側に居られるなら流は満足していただろう。


 願いが叶うと同時に死ぬのか、少しは時が残されていたのかは分からないが、どちらにしろ水緒が生きている間の分だけ流の寿命を残すというのは口実で、実際は最可族の長の能力ちからを取り上げたかったのではないだろうか。


 最可族の血を奪った者と、最可族の長に能力ちからを与えた者が同じ者かどうかは知りようはないが、同じ者だったのだとしたら最可族の行いを見て与えたことを後悔したのだろう。


 祟名に条件を付加したのは良い。

 一族を守るために命を差し出したのであって、おのれの欲のためではないからだ。


 流の母に流を生ませたのも、流は道具にされたと怒っていたが、それでも自分の為ではなく一族を救うという目的があったから、まだ分からなくもない。

 だが生ませた後、会いに来ることすらせず、あまつさえ確認のために流が懐くように仕向けた上で祟名を呼んだ。

 そうやって確かめてから跡継ぎに決めたにも関わらず護衛も付けていなかった。

 何故かは分からないが跡継ぎにした理由も一部の者にしか教えていなかったらしい。

 それで流の母親は殺され、流も命を狙われ続けた。


 そして流の兄達は長の座を巡って殺し合った。

 兄達が流の「一族救済」という能力ちからを知らなかったのか、知っていて尚、一族より自分が長に就くという望みを優先させたのかは分からない。

 どちらにしろ最可族の長の能力ちからを取り上げてしまおうと考えるには十分すぎるくらい目に余る行いが続いていたに違いない。


 流が一族の血を捨てたように、望みを叶えていた者からも最可族は見限られたのだ。


 流は愛想をかした以上、何があっても長にはならなかっただろうが、水緒と共に生きていくのなら子供が生まれることは十分考えられる。

 子供が出来た時、流が最可族だったら長の血と能力ちからが残ってしまう。

 その為に寿命を残すという条件で血を取り上げたのだ。


 長の最後の息子だった流が血を失った以上、もう能力ちからを持っている者は残っていない。

 わざわざ流と取引してまで能力ちからを奪ったくらいだから、もう二度と与えてはもらえないだろう。

 最可族が祟名から解放される事はなくなった。


 最可族は力に任せて傍若無人な振る舞いをしているから人間だけではなく様々な妖から恨みを買っている。

 力では敵わないのだからのろうことで滅ぼそうと考える者がいつか再び現れるだろう。


 既に祟名が付いているのだから「最可族にしか見えない」とか「大切に想っている者でないと効果がない」という条件を変えてしまえば良いだけだ。

 呪術にけた者ならそれほど難しくないだろう。


 その時、寿命と引き替えに一族を救える能力ちからを持った者はない。

 次に呪われた時、助けられる能力ちからを持った者はいなくなってしまったのだ。

 最可族が助かる道は閉ざされた。


 遠からず最可族は滅亡するだろう。

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ひとすじの想い 月夜野すみれ @tsukiyonosumire

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