影の像

花野井あす

影の像

 これは真夏の某日あるひのこと。


 陽が未だ天頂よりだいぶ東側にある時分に、僕はひとり公園のベンチに腰かけていた。一本の大木の根元近くにある二人掛けのベンチだ。僕は丁度木陰になっているこのベンチに座して、ぽかんと口を開けたまま夏空を傍観していた。


 とくに何がしたいという訳でもなく、僕は徒然なるままに家から少し離れたこの場所を訪問したのである。僕はからな時を欲していた。


 公園は良い。とくに平日の、早朝すぎないこの時間はなお良い。


 朝の早いのはいけない。涼しいのは好ましいのだが、ラジオを掛けて朝の体操をする者や道沿いをえっほえっほ駆け抜けていく者がいて騒々しくて堪らない。孤独のひと時を過ごすのならば、未だ熱の籠っていない昼前でけれども朝の習慣を遂行される時を過ぎた辺りの今が丁度好い。


 今ここに居るのは、少し遅れた犬の散歩をするご婦人と僕だけだ。しばらくすると、犬の運動と排泄の世話を終えたご婦人もその場を去って往き、この小さな静寂の中には僕ひとりになった。


 僕は変わらずベンチの上で、けれどもくびが少々窮屈になってきたので群青の空を流れる真っ白な雲を目で追うのを中止した。そのかわり、眼前に聳え立つ数本の木々へ目を向けることにした。


 彼らは今、青々と茂っている。つい数日前にはすっかり禿げ上がっていたというのに、奇妙なものである。


 あまりに様変わりしたものだから、別のものと入れ替わったのではなかろうかと思えてくる。ようく観察すると枝の傾げ方やもたげ具合から、それらが同一人物であることはすぐに理解された。


 彼らは一年を通してふさふさに飾り立てたり、すっかり質素にしたりするが、根本は変わらないということだ。まるで化粧をした女や見栄を張った男のようだ。


 不図僕は――ただ太陽の眩しさに負けただけなのだが――地面に張り付いた木々を見た。無数の葉が揺れ、その隙間から眩いばかりの光が溢れている。いずれの葉も色に違いはなく、闇を吸い込んだように黒い。


 陰と陽が隣り合わせになっているその様子をじっと見つめいると、僕までもその深淵へ引き込まれそうになった。


 否。惹きこまれているのだ。まるで善と悪が混ざり合っているような危うげで、けれどもそこに確かに在ると叫んでいる。


 本体を映す鏡に映った像のように全く同じ風貌かたちをしているようで、僅かに歪みがあり、別個の存在であると伝えている。


 僕は芝の上で繁栄する平坦な世界へ心を奪われた。


 そして僕は見た。確かに見た。


 その木々は徐々に衰えはじめ、そしてまた栄え出し、そして伸びきったところで土に還ってしまったのを。


 なるほど僕と同じ空間を共にする木々は気分で散髪をしたりしなかったりしながらも悠久の時を過ごすが、地に生きるこれらは一日の中で二度生まれそして二度その天寿を全うするのだ。一輪の朝顔の花の如く全く同じ命が生まれることは無い。なんと儚い命か!


 僕は何とはなしに、偶然たまたま持ち合わせていた携帯電話スマートフォンでその一瞬の命を切り取った。二度とこの世界に姿を現すことの無い木々の命が、その一枚の写真の中で時を止めていた。僕はそれを哀しいと思ったがその半面で、美しいとも思った。


 あくる日から僕はカメラを携えて公園の木々を伺うようになった。僕は僕の世界とはべつの道理を生きる、像の世界に魅せられたのである。


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