最近、春だ

春というのは美しい季節だ。

語弊、どの時季も美しい。夏が来れば同じことを思うし、秋も冬も同様である。


しかしこの度つくづくそう思ったのは、通勤経路が変わったからかもしれない。異動は会社員の宿命ですね。

行き帰り、駅から10分ほど歩いている。雨の日も風の日も。

わたしは地図を見すぎて曲がるべき角を通りすぎるような人間のため、最初の一週間は慎重に歩を進めて道を確かめていた。慣れた今は調子よくおさんぽ気分である。

そこかしこに花が咲き誇っていて、川に桜の花びらが大群で流れちゃったりなんかして、その風景が陽光に照らされ輝くビルの窓に映っていて。

雨が降れば花びらが足元を彩るし風が吹けば緑樹が揺れる。その全てがきらきらと見えるのは、わたしが暖かい気候に浮かれているからだけではないはずだ。春は美しいのだ。


明るく、穏やかな気分の方々はやはり多いようで、KAC含め、

なんだか春らしい柔らかくしなやかな美しさが漂う作品を多く拝読した。

そうしてわたしはまた浮かれる。


余談だが、最近わたしの友人がカクヨムを始めた。

何を隠そうわたしが教えたからなのだが、まっすぐな文章を書く人なのだ。飾り気のないシンプルな言葉たちにも言い様のない美を感じた。

きれいな瞳を通して見た世界もまたきれいなのだと思わせる素直な書き方が特徴的だった。

単純に羨ましく思った。

読みやすい文章が書きやすいかと言うとそうではないように思える。わたし自身は書きたい内容に対して文を複雑に組み立ててしまい、削り直し迂回し逸れ、迷子になることがある。道筋が覚束ないのがまさかこんな形でも発露するとは思わなかった。

それでもわたしは、美しい物語に感動するということは、目指すところがそこなのだろうと思う。

しかし困ったことに具体的で細かい点においてどこに美しさを感じているのか正直分かっていないため、手の打ちよう、筆の打ちようがない。


夕方いっぱい、ぼけっと過ごして考えた。わたしはこの春出会った作品たちに一体何を見たのだろうか。

普段より呻き声がうるさかったのだろう、異動先の先輩方に「分からないところある?」と多分に気を遣わせてしまった。

集中してなくて申し訳ない。おかげで閃いた。


愛だ。

情景に対する、人物に対する、作品に対する愛。

背景に横たわる愛情を感じ取り、わたしの中で美しさへ昇華されたらしい。

分かってみれば当然のことなのだが、この気付きには高揚したと同時に打ちのめされた。当然と言いながら、すなわちそれが、わたしに足りていないということなんじゃないか。


帰り路、新しい経路ではなく地元のいつもの風景を車窓から眺めた。

これまでと変わらず、美しく見えて安心した。

わたしはまだ、書いていていいのだと思えた。自分で自分の答えに辿り着くために。


鏡に向き合って眉間の皺の深さに一人で爆笑してしまうほどには元気である。

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