エピローグ




 激闘(?)から、早50日。



 ──ぶっちゃけてしまおう。



 必殺技(という名の、渾身の右ストレートパンチ)を放った反動によってスリムになった彼女は、今日まで、それはもう人々の視線を集めていた。


 というのも、このスリムというのは……単純に痩せたというわけではない。


 具体的には、筋肉質な見た目から、柔らかそうな女性的なフォルムに変わった……うん、まだ分かり難いか。



 もっと分かり易く言うと、だ。



 まず、動かなくとも引き締まっていて筋肉のスジが見えていた全身、手足やらなんやらに、脂肪が乗った。


 当然、太ったわけではない。痩せ衰えたわけではなく、筋肉そのものが凝縮され、そのうえに必要な分だけ脂肪が乗ったのだ。


 むしろ、引き締まった部分はそのままで、硬質な部分が柔らかくなり、以前とは比べ物にならないぐらいの柔軟性を得た……といった感じだろうか。


 言うなれば、女性的な部分があるにせよ、全体的にはアスリート体形だったのが、グラビアアイドル体形になったのだ。



 これは、非常に大変なことである。



 というのも、彼女は基本的には非常に美しい女性である。


 しかし、その美しさすら時には霞んでしまうほどに、威圧的な女性でもある。


 どうしてかって、それは筋肉だ。


 彼女にその気が無くとも、筋肉はただそこにあるだけで周囲を威圧する。そう、悲しいかな、筋肉の根源は『力』なのである。


 時に筋肉は人々に安心感を与えるが、時に人々に不安を与えてしまう。


 そこに、当人の意思はない。人は生まれながらにして筋肉の奴隷であり、筋肉に逆らえない生き物なのだ。




 ……で、だ。




 前述の通り、彼女は類稀な美女である。


 それはもう、筋肉というマイナス要素(一部の人を除く)さえなければ、街を歩くだけで大変な騒ぎになってしまうレベルで、色々と大変な容姿をしている。



 ──そこに来て、彼女からそのマイナス要素が消えれば、どうなるか。



 答えは……歩く公衆わいせつ物である。




 いや、悪意を込めて言っているわけではない。


 ただ、それ以上の言葉を思いつける者が誰もおらず、とある天使からも『……本人には言わないように』と目を逸らしたぐらいなのだから、もうこれはどうしようもないのだ。


 なにせ……歩くだけで、それはもう揺れるのだ。


 なにがって、それは巨大なπが。いや、πどころか、全身が。



 ……筋肉ボディだった時は、まだ良かった。



 固く強靭な筋肉が生み出すハリによってある程度カバーしてくれるから、ピッチリ上から押さえられる衣服なり下着なりを身に付ければ、そこらの女性と同程度で収まっていた。


 しかし、グラマラスぼでー(意味深)になった後では、そうもいかない。


 はっきりと、揺れる。それはもう、揺れる。それこそ、くしゃみをしただけで、たぷぷぷん、と弾むぐらいに揺れる。


 重すぎて垂れているせいではない。むしろ、逆だ。


 彼女の肌は赤ちゃんのように瑞々しく、遠目にも他とは別格に思えるぐらいで……そのうえ、πを支えているじん帯やら筋肉やらの強度が常人のレベルではない。


 いや、それ以前に、純粋に体表部分である皮膚が頑強であり強靭であり……つまり、弾むべくして弾むようになっているのだ。


 しかも、頑強とは言っても硬いわけではない。


 むしろ、何時までも触っていたくなるぐらいに心地良い弾力性なのに、どこまでもきめ細やかで、思わず埋もれてしまうような想像を抱いてしまうほどに……しかも、だ。



 目立つのは胸だけではなく、下半身……そう、尻もまた、ヤバい。



 もう、ぷりっぷりだ。


 歩く度、左右の足が前後に動くたび、ぷりん、ぷりん、と、まるで見せ付けるように筋肉の動きに連動して盛り上がるのだ。


 その魔性……衣服で隠せるようなレベルではない。


 いや、むしろ、下手に衣服で隠すと変に想像力が働いて、余計に駄目であった。



 そして、その二つに負けず劣らずえげつないのが……匂いだ。



 これは彼女自身気付いていないことであると同時に、それが発揮されて効果が認識される前に、色々と騒動が起こったので、今日まで気付かないままだったこと。


 人間を捕食するようなモンスターが跋扈する、この世界の厳しい自然の中で生きてきた彼女は、他の人達にはない特殊能力を習得していた。



 本来、それは『スキル』と呼ばれる部類の能力ではない。



 たとえるなら、人よりちょっと暑さに強かったり、お腹を壊さかったり、辛い食べ物が平気だったり、言うなれば体質みたいなものだ。


 ……ものなのだが、弱肉強食を生きぬいて来た彼女だからこそ、望む望まないに関係なく獲得してしまったのだろう。


 なので、たとえ気付いたとしてもコントロールする事が一切出来ないのだが……で、その能力はというと。



 もっとも近しい言葉を当てはめるならば、『フェロモン』である。



 さて、この『フェロモン』……なにがえげつないって、基本的に当人には無味無臭なので分かり難いが……それはもう、記憶としてこびり付く甘ったるい匂いをしているのだ。


 それも、単純に砂糖や蜂蜜のような、そういう甘さではない。


 まるで、胸が湧き立つような……姿を見なくとも、『成熟しているが、まだ若く美しい女だ』と思わせてしまう類の、本能を刺激する匂いである。



 ……そんな匂いを発して、どうしてこれまで無事だったのか。



 ひとえに、これも彼女がその身に搭載していた筋肉という名の武装のおかげである。


 ぶっちゃけると、フェロモンでは到底誤魔化せないレベル(もちろん、それでも影響を受けた者はいた)の威圧感を発揮していたことで、周囲がそれに気付けなかったのだ。


 まあ、それも無理はない。


 人は基本的に、見た目で物事を判断する。いくら本能を刺激する匂いとはいっても、視覚の暴力の前では……せいぜい威圧感を緩和させるのが精いっぱいであった。



 ……で、だ。



 そんなフェロモンを覆い隠していた筋肉という名の威圧感を失い、背がデカいけどそれ以上にスタイルがヤバい聖女……と、見られるようになってしまった彼女はどうなるかというと。



『……あなた、女王蜂か何かですか?』

「??? 蜂、違う」

『とりあえず、あまり不必要に出歩かないように。わたし、これ以上貴女のせいで性癖が歪み初恋を奪われ、嫉妬に顔が強張っている女性たちの顔を見たくありませんから』

「……よく分からん、でも、聖女、違う」

『そうですね、聖女じゃありませんね、だから早う旅立ちましょう、私も最後まで御伴致しますから……!!!』

「一緒、嬉しい」



 自室として用意して貰っている、教会の一室にて。


 唐突に蜂認定された彼女は抗議の声をあげたが、天使は頭痛を堪えるように頭を抱えていて……まあ、うん。


 答えは、ただ歩いているだけで……年頃の男たち(意味深)を少しばかり前かがみにしてしまうという、ある意味全方位に魅了チャームを放っているという傍迷惑はためいわくな存在になってしまったのだ。



 これがまあ、冷静かつ客観的に見ると、シャレにならないぐらいにヤバい状況である。



 なにせ、ただ歩いているだけで、年若い子供たちの初恋を片っ端から奪って……血気盛んな者に至っては、その日一日頭が呆けてしまうぐらいに……ヤバいのだ。


 身長が大きいとか、そんなのはもはや関係ない。


 いや、それどころか、どこまでも柔らかく良い匂いのするその身に包み込まれたいと、夢に思ってしまうぐらいに、逆にプラスに働いてしまっている。



 それも、これも、フェロモンのせいである。



 言葉こそ拙いが、基本的に心優しい対応を取るおかげで、余計にフェロモンによって好意的に取られるようになって。


 まだ目覚めるには早い子供ですら、思わずクラクラッと赤らんだ顔を彼女に向けてしまうぐらいには、その色気は凄まじいものになっていた。



 天使がその異常に気付いた時にはもう、全てが遅かった。



 いや、というより、正確には、天使は当初それを異常とは思っていなかった。


 何故かといえば、諸事情により天使だけは知っている、聖女と呼ばれる存在の裏事情なのだが。



 ──実は、のだ。



 どういうことかって、それは聖女に求められる資質の一つである……相手から信頼され、敵対心を抱かれず、味方が集まってくれるという……で、だ。


 そんなわけだから、天使は当初、『あ~、見た目の威圧感無くなりましたし、そっちが表に出るようになりましたか~』といった感じで軽く見ていたのだが。



 ……天使は、甘く見ていた。



 見た目のうえではスッキリ女性的なボディとなり、筋肉の威圧感を失くしたとしても……彼女は聖女ではなく、パワーで解決する脳筋なのだということを、忘れていた。


 そう、天使は少しでも想像するべきだったのだ。


 彼女のフェロモン能力のパワーが、これまで歴史の中に現れた数多の聖女とは格が違う可能性を。


 彼女がパワーなのは物理的筋肉だけではなく……フェロモンの分泌量もまた、頭オカシイパワーなのだということに。



 天使は……考えを巡らせるべきであった。


 天使が気付いた時にはもう、全てが遅かった。



 ただ、天使がその事に気付けなかった……それ自体にはまあ、仕方がない一面はある。


 同性かつ、元々が人間でなかったことに加え、そういった感情や感覚を理解する前に天使になってしまったからこそ、気付けなかったのだ。


 けれども、もはやそんな言い訳で誤魔化せる事ではなく、当人が気を付ける程度で収まる範囲を超えてしまっていた。


 おかげで、今では街を歩くだけで騒ぎになる。


 まあそれは、フェロモンとは別に、彼女の拳によって軽微な犯罪が食い止められた……といった、人気になるだけの理由があるのだが……それは、それとして。



 ゆえに──彼女は、旅立つ事にした。



 実際、天使より提案される前から、彼女はうっすらとだが……己に向けられる視線が色々と変わってきたなと思う機会は増えていた。



 そういえば、目が合った男が変にギクシャクするようになったな、と。


 そういえば、見知らぬ男の子から、妙にスキンシップを取られるようになったな、と。


 そういえば、妙に殺気立った目で見て来る女が増えたな……とか、とか、とか。



 数えだすとキリが無いが、とにかく以前に比べて、妙な目で見られる機会が増えたなと思うようになった彼女にとって……天使の提案は、渡りに船も同然であった。



「じゃあ、挨拶、王子に」

『え、止めた方がいいですよ、絶対止められますから』

「駄目、礼儀。フラさん、これ、大事」

『フラさん違います──いえ、まあ、それは同意しますけど……』



 なので、寝床を含めて色々と世話になったイシュギン(何故か、用意してくれた)に挨拶をしてから、旅立とう……と、思って、城へと向かったわけだが。




「     」

「……? 王子、寝た?」

『いや、気絶しているんですよ……初めて見た、立ったまま気絶した人……』



 ……天使の予想通り、イシュギン王子、ガチ泣きの末に立ったまま気絶してしまった。



 これには、成り行きを見守る事に徹していた王様も王妃も、兄妹たちも困惑……いや、男たちはだいたい察して頷いていたが、まあ、アレだ。



(そりゃあねえ……あれだけ性癖バキバキに歪めた相手が街を去るって言われたら、そりゃあねえ……)



 奇しくも、その中で一番イシュギンの内心を察していた天使は……只々、苦笑するしかなかった。


 ……と、同時に、これもまたシャレにならない問題なのではと、天使は今更になって心配事が脳裏を過った。



 その、シャレにならない問題とは……ずばり、『世継ぎ』だ。



 今回だけで幾度目かとなるぶっちゃけだが、この先王子が成人を迎えて誰かと結婚した際……果たして、世継ぎを作れるのだろうか。


 正直、行為を済ませることはおろか、その前段階に至ることすら至難なのでは……と、思ってしまう。


 ──そして、おそらくは、国王と王妃も……似たような心配が脳裏を過ったのだろう。



「……率直に尋ねよう。ウロロ殿、イシュギンへ嫁ぐ気はあるか?」



 本来であれば天地がひっくり返っても言ってはならないぐらいの、大問題に発展すること間違いなしな提案を……国王は彼女に告げた。


 これまた本来ならば、断ることすら不敬であり、返事はYes以外にありえないこと……なのだが。



「ない、旅に出る」



 残念ながら、彼女は普通に首を横に振った。


 まあ、それは国王も王妃も、その他家族たちも察していたことだから、特に驚きはしなかった。



 ──少し、待ってほしい。あと、天使様はちょっとこちらに。



 けれども、それはそれとして……彼女に聞こえないよう、この場に居る王族たちが隅っこに集まり……次いで、息を潜めるようにして、天使へ率直に尋ねた。



『あの……聖女様のように身長があって、胸もお尻も太ももだって太いのに要所が細い、そのうえで美しい女性に心当たりはありますでしょうか?』

『──あるわけないでしょう、あったらとっくにあなた達に伝えております』

『そ、そうですよね……ええ、普通に考えて、そんな女性……二人といませんよね……』



 結果は、考えるまでも無く……しかし、そこで諦めてしまうわけにはいかない。


 なにせ、ここで諦めてしまえば、イシュギン王子はいずれ不能王子として陰で笑われる存在になってしまうのが確定してしまう。


 単純に、そういった欲が無いのならばまあ、諦めがつく。


 生まれつき枯れていて、必要な時は精力剤を飲んで義務を果たすなんて話は古今東西、いくらでもあるからだ。


 けれども、己よりも長身で、胸もケツも太ももだって太いのに要所が細い美女じゃないと駄目だなんて話、一度として聞いた事がない。


 というか、そんなの漏れた時点で醜聞なんてレベルじゃない。


 よほど優秀でないと、問答無用で王位継承から外すぐらいには無視できない問題……だが、外したからといって、その立場の重要性は何一つ変わらないのだ。



「……背に腹は変えられぬ、アレを使う」



 正に、苦悶の顔、苦渋の決断。


 しばしの沈黙の後、絞り出すように出したその言葉に、誰も異論は……うん、まあ、アレだ。


 家族愛が強い国王や王妃からすれば、だ。


 罪を犯したわけでもないイシュギンを、その歳で隠居させるのはあまりに申し訳ない。だからといって、色狂いなんぞもってのほかだ。


 かといって、もはや矯正不可な状態にまで性癖が歪んだイシュギンがこの先、解消されぬ欲望に苦しみ続けるのを見るのもまた、辛い。


 宦官かんがん……それだけは、駄目だ。


 それこそ、何一つ罪を犯していないどころか、結果的には此度の問題を解決にまで導き、不正を暴いてくれた彼女を発起させたイシュギンに科すことでもない。



「……ウロロ殿」

「なに」

「これより、仕事を一つ受けて貰えないか?」



 ゆえに、再び元の定位置へと戻った国王(以下、王族)は……改めて、彼女へ提案した。



「ウロロ殿には、わが王国の秘宝である『転移の宝珠』を渡す。それで、時々だが……イシュギンの相手をしてやってほしい」

「相手?」

「うむ、報酬は毎日金貨1枚。会う、会わない、使う、使わないに限らず、毎日金貨1枚を報酬とする」

「…………」

「もちろん、それだけではない。よほどの理由が無い限り、我が国の全ての検問や領地を自由に行き来出来る通行証も渡そう。意図的に民を害そうとしない限り、自由に振る舞うことを許そう」

「…………」

「どうだ、受けてくれるか?」

「……ふむ」



 しばし、国王の提案を吟味していた彼女は……傍まで戻ってきていた天使に、コソッと尋ねた。



『金貨、多い?』

『ええっと、そうですね……』



 天使は、何かを受信するかのように、己の頭を指先でツンツンと何度か突いた後……自信が無さそうな様子で答えた。



『う~ん、貴女でも分かり易い単位にするなら、ええっと……だいたい、15万円ぐらいですね』

『──っ じゅ、じゅうご!?』

『はい、だいたいそれぐらい……つまり、食っちゃ寝していても日給15万円(非課税)ってとこでしょうか……どうします?』



 ──どうしますって……そんなの、受けるに決まっている。




 金は無くて困る事は多々あっても、有って困る事は少ない。


 世捨て人同然な生き方をしてきた彼女でも、いざという時にお金が命を助ける事に繋がるのは知っているのだ。


 それに、自由に動き回っても咎めないという許しは有りがたい。


 人の営みの中で暮らすのも悪くはないが、どうも己は自由気ままに長く生き過ぎたということを、今になって自覚する。


 命の危険に脅かされる日常だとは分かっていても、何にも縛られず、自由に歩いていた日々を思いだしただけで、どうにも浮足立ってしまうぐらいには……無意識に不満を溜めていたようだ。



「受ける、王様、受けよう」

「そうか! 受けてくれるか……ありがとう──って、もう行くのか?」

「元々、そのつもり」



 感謝の言葉もそこそこに、さっさと踵をひるがえして旅立とうとするその姿に、国王たちは思わず苦笑し──ふと。



 ……。



 ……。



 …………とりあえず、7日に1回程度に抑えるよう監視しておかなきゃ。



 未だ、血の涙を流して立ったまま気絶しているイシュギンの姿を見て、先ほどとは異なる意味で苦笑を零すのであった。



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身長も胸もケツも太ももだって太いのに要所が細いTS聖女の日給15万円暮らし(なお、蛮族) 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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