退治

三鹿ショート

退治

 会社から自宅へと向かっている途中で、私は見知らぬ男性に声をかけられた。

 男性は己の腕を指差しながら、

「この腕を、切り落としてくれませんか。自分では踏ん切りがつかないのです」

 見れば、男性は腕の中央あたりを縄で縛り付けている。

 変色していることから、よほど強く縛っているのだろう。

 荒い呼吸を繰り返し、涙を流していることから、切羽詰まった状況なのだと察することができる。

 だが、見知らぬ人間の腕を切り落とすことなど、私に出来るわけがない。

 私は断ったが、男性が食い下がってきたために、相手を突き飛ばすと、その場から走り去った。

 背後から男性の叫び声が聞こえてきたが、私が振り返ることはなかった。


***


 翌日、会社へ向かう途中で人集りを目にしたために野次馬の一人に何事かと訊ねたところ、死体が発見されたらしい。

 現場が封鎖される前に死体を撮影していたというその野次馬に写真を見せてもらったところ、私は驚きを隠すことができなかった。

 それは、昨夜私に声をかけてきた男性だったからだ。

 縛り付けていた縄は外れ、男性は自身の首を自身の手で絞めている。

 まるで、己の意志に反して腕が勝手に動き、自らの生命を奪ったかのようである。

 あのとき、私が腕を切り落としていれば、男性がこの世を去ることはなかったのだろうか。

 しかし、己の腕が勝手に動くことなど、起こるわけが無い。

 男性は何者かによって生命を奪われたと考えることが自然である。

 私は男性に罪悪感を覚えることなく、その場を後にした。


***


 数日後、私は、男性の一件を考え直す必要があるのではないかと思うようになった。

 何故なら、例の男性以外にも、自らの身体の一部分を切り落としてほしいと頭を下げてきた人間と遭遇したからだ。

 その部位は腕や脚など様々だが、共通していることといえば、誰もが切羽詰まった様子だということである。

 そして、私が手を差し伸べなかったことで、誰もがその生命活動を終了させているということも、共通していた。

 もしかすると、人間の手足に何らかの生命体が入り込み、宿主であるその人間を殺めることで、主導権を握ろうとしたのだろうか。

 だが、愚かなことに、生命を奪った宿主の肉体を再び動かすことが出来るほどの優れた能力の持ち主ではないのだろう。

 だからこそ、宿主とともにその生命活動を終了させているのだ。

 だからといって、私が他者の肉体の一部分を切り落としたところで、無事に生き続けることが可能だと楽観することもできない。

 切り落とす方法を誤り、相手が大量に出血してしまったことで、激痛を覚えながらこの世を去ってしまうことになるという可能性も考えられるのだ。

 ゆえに、私はどれほど相手が追い詰められていたとしても、手を出すことはできなかった。

 そのようなことを考えていたところで、私は一人の女性と遭遇した。

 彼女もまた、私に腕を切り落としてほしいと頼んできた。

 彼女の容姿は私の好みだったために、私は彼女に条件を告げた。

 それは、もしも無事だった場合、私の恋人と化すということだった。

 誤った場所を切り落とし、殺人者として罪悪感を抱き続ける未来が待ち受けている可能性を考えれば、そのような条件を出したとしても、許されるだろう。

 私の言葉に対して、彼女は碌に考えることもなく、即座に首肯を返した。

 私は近くの塵捨て場に落ちていた硝子で、彼女の腕を切り落とすことにした。

 どれほど時間がかかり、どれほど彼女が激痛に襲われるのかは不明だが、それ以外に相応しい道具が無いのである。

 案の定、彼女は痛みに泣き叫んだ。

 耳を塞ぎたくなるほどのものだったが、手を止めるわけにはいかない。

 やがて彼女はあまりの激痛に気を失ったため、私は切り落とす速度を高めていった。

 骨にぶつかったために、塵捨て場から煉瓦を拾ってくると、それを何度も叩きつけていく。

 そのような行為を繰り返しているうちに、彼女の腕は肉体から分離した。

 これで彼女も安心だろうと考えていると、切り落とされた彼女の腕が、私に向かって飛んできた。

 首を絞められたために、段々と意識が遠のいていく。

 意識を取り戻したときには、彼女は大量の出血でこの世を去っていた。

 なんという失態だと額に手を当てようとしたとき、その手が見慣れないものだということに気が付いた。

 それは、彼女の身体から分離したはずの腕だった。

 まさかと思いながら地面を見ると、そこには私の腕が転がっていた。

 つまり、意志を持った彼女の腕が、私の腕をもぎ取り、空いた場所に居座ったということになる。

 そのような恐ろしいものが己の肉体の一部分など、信ずることはできなかった。

 私は即座にその腕を切り落とそうとしたが、私の行動を察したのか、私の首を絞めることで、切り落とされることを回避した。

 危害を加えるつもりはないと叫ぶと、腕から力が抜けていった。

 安堵したものの、完全に安心することはできない。

 常に自身の生命を狙っている存在と生活を続けることなど、不可能だった。

 しかし、これまで目にしてきた人間たちのことを考えると、隙というものは生まれるらしい。

 そのときに腕を縛り付け、何者かに切り落とすことを依頼すれば良いのだ。

 己の腕では無いために、抵抗はなかった。

 結局のところ、他者のものに対して思い入れは無いということなのだろう。

 自分の生命が、最も尊いものなのである。

 人間の持つ醜さを自覚させるために、四肢を乗り取るのだろうかと思いながら、私は腕を縛り付けるための縄を購入するために、近所の店へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

退治 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ