第16話 スケアクロウ
「もう少しだけ、待って頂きたい」
静寂に投げ込まれたソウジの言葉は、穏やかでありながら広い会場に響いた。
ソウジは怨恨や蔑みの視線を一身に受けながらも、壇上にいる伯爵に固い視線を据え続ける。
伯爵は一度アカリに視線を転じ、アカリが頷くことでようやく発言を許可した。
アイシスはアカリの腰巾着になっている伯爵に苛立ちを覚えたが、ソウジは表情を変えずに感謝を伝えた。
「まず、増税の件についての話を。私もアイウラ公爵と同意見であり、増税には反対です。先ほどの話しに出たスケアクロウの事もあります。これ以上、無用な反抗心を焚きつけるのは、状況の悪化を招く恐れがあると思われます」
「レイゼイ男爵、ですか。私同様に普段は口を挟まないあなたが珍しいこともある、と思ったのですが……興覚めです。話しを聞いておられなかったのですか?」
アカリが両掌を天井に向けて肩を竦めた。
直前の論争、国民が自ら望んでいる現状と見ているアカリと不況に苦しむ国民を救いたいショウゴの論争は、ショウゴが苦い顔をしなければならい結果となった。
あれだけの問答、聞いていないなどありえない。アイシスはソウジの心が分からなくなり不安の視線をその背中に注いだ。
「いえ、しかと耳にしておりました。ですが、本当に国民が望んでいないか分からない、というのも現状でしょう。相手に選択肢を与えず、一方的に決断するのは早計かと思うのです。増税するか、身きりをするか、判断するのは国民に問うてからでも遅くはないはず」
「身きりをする、などと勇ましく言っておられるが、その危険性を理解しているのですか? 仮に、私たちが身きりをして中小企業などに給付金として回すとしましょう。ですが、その先で末端の国民まで届くとは限らない……」
「それは、人を信じることのできない悲しいものの見方です。国をより良くしようと思うのなら、信じることが――」
「レイゼイ男爵。あなたは素晴らしい御方だ。けれど、同時に愚かでもある。人は信じるに値しない生き物だ。どなたも利害の一致でしか協力できない。逆を言えば、利害にズレが生じるのなら、簡単に裏切れる。先ほどの収支報告、見たでしょう? 明らかな不正の痕跡に誰も口を挟まないではありませんか」
「……」
それまで無感情だったアカリの目が微かに薄くなり、ようやく微笑みらしいそれが見えた。
ソウジは一瞬片眉を動かしたが、ポーカーフェイスは崩さなかった。けれど、アカリの論はソウジの表情を微かに崩すほどには刺さっている、とアイシスは理解した。
「そう、あなたも理解しているはずだ。この集まりのほとんどが、同じようなことを自分達も行っているからです。自分の益のために裏で動き、甘い蜜を吸っている。そんな影を抱えながら、あなた方の正義は正しく機能するでしょうか?」
「この中の誰かが、利益を得るため密約する、ということですか……」
「なくはないでしょう?」
悔しいがアカリの意見に反論することは出来ない。リスクが大きすぎる。
アイシスは唇を噛み、悔しさは鉄の味に変わり口中に広がっていく。
せっかく身きりして出した財源も、そちらの餌になってしまうのなら意味がない。国民の不満は解消されず、最悪国民の批判は強くなるだけ……。
アイシスは視線を巡らせ、華族の面々の表情を伺った。
歯を食いしばり冷や汗を浮かべるもの、含みのある笑みを浮かべるもの、無表情を通し、心の内を探らせないもの、それぞれの思惑を巡らせアカリとソウジの会話に注視している。ただし、誰もソウジの言葉は聞いていない。重要なのは公爵でも力のあるアカリの発言だからだ。
それでもソウジは、堂々とした姿勢で否を突き付けた。
「それは我らの意識の問題でしょう。不正を正すシステムを作れば良いのです。国民との間にできた溝を埋めるきっかけになる可能性も――」
「この会場の空気を見て下さい。あなた一人でどうするおつもりですか? ここは数がすべてを決める場所です。巨大な歯車の中に小針が迷い込んでも、折られ、すりつぶされるのがおちですよ?」
「私を消したいのというのなら、覚悟してほしい。何人かは道連れにさせていただきます」
ソウジの眼光が鋭さを増し、アカリを射るように睨みつける。
会場がざわめきだし、ソウジの態度にあちこちから反感の声が聞こえた。小さく、細い声で。
「おー怖い怖い。そんなにすごまないで頂きたい。誰もそこまでは言っていませんよ。意見が通らない、と言っているんですよ」
「……だと良いのですが……」
ソウジとアカリは睨み合い、二人の放つ張り詰めた気が周りに伝播する。非難する耳障りな喧騒が鳴りを潜め、妙な静けさに不安を駆り立てられるアイシスは、二人へ視線を行き来させる。
「ふむ……分かりませんね、あなたがそこまで熱を上げる理由が。例えこの件が棄却されても、これまでの日常が続いていくだけでしょうに。あなたに返って来る見返りなどないにも等しい。そんなものに、命をおかけになるのですか?」
「何か不可解でしょうか? 私たちに家格が与えられ、国の舵取りを任されているのは、国をより良く発展させ、国民を守っていく義務があるからと考えています。それをまっとうすることがないのであれば、華族の存在意義がありましょうか」
再び起きた反感による喧騒は大きなものだった。感情的に荒げられた罵詈雑言が四方八方から投げかけられる。アイシスは思わず耳塞ぎ歯を食いしばる。
しかし、それを制したのはアカリだった。右手を上げ「お静かに」と告げる。それを聞いた壇上の伯爵も声を荒げ、どよめきをなだめる。
「レイゼイ男爵、その発言は非常に危険だ……。まるで反逆者の口調ではありませんか」
「反逆者? 何がおしゃりたいのですか」
「スケアクロウ……先ほど出て来たテロ組織集団……あなたはその集団の一人ではないか、という話しですよ」
「……っ! 馬鹿な! ありえない!」
会場のどよめきをソウジの怒声が切り裂く。だが、ソウジの否定には誰も耳を貸さず、群衆の疑いと侮蔑の視線が集まる。
アイシスも「ありえん!」と思わず吐き捨て、拳を握りしめていた。
あんな卑劣な者たちの一員だと? なんたる侮辱!
込み上げる怒りをまき散らしたい衝動に駆られ、奥歯を噛んでなんとか堪える。
不名誉な疑いを掛けられた当人であるソウジは、第一声こそ荒くなりはしたが、すぐに冷静さを取り戻し、疑う根拠を問うていた。
アイシスは父のソウジが常々言っていたことを思い出す。
『何事も怒りや感情に流されるだけでは解決しない。相手の発言や態度には必ず根拠がある。それを知ろうとする姿勢を持て。でなければ、人は争い、相手を屈服させることでしか、何もなしえなくなる』
いつまでも収まらない怒りにまくし立てられ、冷静さを欠いた己を顧みたアイシスは、自身の未熟さと同時に、ソウジの偉大さを再認識した。
ソウジを見習い、会場の喧騒を意識的に遠ざける。目を閉じ、暗闇の中で自身の深くした呼吸を確かめる。
何度か呼吸を確認すると、熱していた頭が冷めていくのが分かり、ゆっくりと目を明ける。視界が広く感じ、景色が澄んで見える。
何を考えているのか聞かせてもらうぞ。
アイシスの視線の先で、肩を竦めたアカリが指輪を操作し始める。
少しして会場の正面、伯爵の背後の壁にある巨大スクリーンに白黒の砂嵐が映し出され、『Sound only』と書かれた文字が浮かび上がる。
会場の視線が集まる中、スクリーンは電子音声で加工された声を流し始めた。
『どうもぉー、高い所から人を見下すカラスの皆さま、音声で失礼しますよ。あー、無礼については許さなくていいので。
えー、今回この音声を送りつけたのは、あんたらへの忠告と思ってほしい。
電柱から人が得たもをかっさらおうとするあんたらカラスの所業に国民は疲れてきている。
あんたらは分かっていない。国の土台は国民だ。その土台が崩れれば国も傾き、いずれイアポーニア帝国という国は亡ぶだろう。
その前に自身の行いを顧みるなら良し、そうでないなら……ずる賢いカラスを追い払い、我らが国を、国民を正しく導く。
我らはスケアクロウ。カラスども見ているぞ、街の中に潜み、お前らの選択を』
ブツリッ、と音声と画面が消える。
会場は静寂に支配されていたが、ほとんどの者が瞳に怒りをくすぶらせている。
アイシスはこの音声を聞いたのは初めてだったが、存在は知っていた。
半年前ほどだった。ソウジからそういうものが華族のネットワークに拡散されたことを聞かされていた。身の危険を感じたら知らせろ、ということだった。
国民には同調や混乱を招かぬように公開はされてはいないが、美味しネタを嗅ぎまわるマスコミが金で情報を得たのか、『テロ組織が政府に声明を送りつける!』という記事がネットに流れた。
組織の名前は非公開にされている上、真実と嘘が入り混じるネットの情報は利き流れていた。が、ある日、男爵家の自宅が爆発した。
原因はディスポンサーの首輪だった。主に逆らい、暴力を振るったのか、酔って判断力を無くした主が自爆させたのか、そういった内容の事件だった。
けれど、その事件が起爆剤となり、国民の中に『テロ集団』の存在を都市伝説的に信じる者が現れ出し、それを後押しするように頻繁ではないものの同じような事件が続いた。
華族会議では偶然や都市伝説的な噂に乗った悪戯と判断していた、とソウジから聞いていた。が、アカリがそれをこの場で流して聞かせるあたり、軽視している訳ではないようだ、とアイシスは思った。
「あなたも知っているでしょう? スケアクロウなる不埒ものたちの声明……ですが、どうです? あなたの先ほどの発言と同じではありませんか?」
「確かに、ですが似て非なるとはこのことです。国の未来を思う気持ちは重なるところがある。ですが、私は彼らの行動には賛同できません。言葉ではなく、恐怖や脅しで相手を屈服させても、それは新たな軋轢を生む」
「なるほど……ですが、この場ではそういう他ない、とも考えられます。聞けば、あなたは華族の許諾なく、ディスポンサーの自立を促す署名活動をしているとか……。
ディスポンサーが私達に募らせている恨みは相当なものでしょう。あなたがそうやってディスポンサーに寄り添い、信頼を得ることで主に逆らわせた、なんて考えられますよね?
スケアクロウの被害にあったとされる人たちは皆、ディスポンサーの首輪が起爆しています、あなたのような人がディスポンサーの信仰を集めることで可能なのでは?」
「あなたが言っていることは憶測にすぎず、証拠にはならない。それにディスポンサーを救いたい私が、彼らを犠牲にするなど断じてあり得ない。仮に事件を起こすのなら、私自らが人柱になっている」
ソウジは揺るぎのない硬い眼差しを、アカリに向ける。
周りの感情も、アカリの疑いも、ソウジは堂々とした姿勢で正面から受け、自身の信念を言葉にして返した。ソウジのその姿勢は、後ろ暗いことがないことの表れであり、アカリのこれ以上の追及を困難なものにしていた。
何かを隠しているのなら、少しでも狼狽し、感情的になりボロが出たのかもしれない。アカリはそれを狙っていたのかもしれないが、決着はついたようだ。
アカリはようやく笑みを崩し、諦めた様子でため息をついた。
「ま、今の私の言は脆弱でしたね。少し、試させて頂きました。度重なる非礼をこの場でお詫びします」
アカリは胸に手を当て頭を下げた。
アイシスは、それだけか、と心内で腹を立てた。ショウゴも同じ気持ちだったようで、「おいおい、犯人扱いしてそれで済まされるのか?」と勝ち誇ったように声を上げた。
けれど、ソウジが「かまいません」とショウゴに言った。
「元々は私が疑われるような行動をしていたことが発端ですから……」
「しかしよ……」
「いいでしょう、レイゼイ男爵。今回の私の非礼とあなたの密かな活動は痛み分けとしましょうか。増税の件は、保留ですね。あなた方の案を取り入れるにしても、改善することが多すぎる。それを考えなければなりません」
「は、検討していただけるだけありがたいと思っています」
「そういうことです、皆さん。今回の会議はここまでということで……」
アカリが手を打ち鳴らし、話しを強制的に切った。伯爵は口をぽかんと開けて呆気に取られていたが、すぐに気を取り直し「解散!」と自らの仕事を行った。
「すまん、ソウジ。迷惑をかけた……」
ショウゴが頭を掻きながらソウジに謝った。
「水臭い事を言うな。友達だろう?」
「だが、こうなることが分かっていたからお前は意見を控えていたんだろ? それを――」
「だから、それも承知の上で意見を述べた。私自身、お前の意見に賛同していたし、言わねばならないと感じたから発言したのだ。これは私の意志だ。お前には関係がない」
「そ、そうか……? なら、いいんだが……」
熊のような体格に歴戦の勇士を思わせる強面の顔が、お叱りを受けた犬のようにしょげている。そうとう罪の意識を感じているらしい、とアイシスは思った。
アイシス自身も別にショウゴが悪いと思うつもりはなく、それよりもあの薄気味の悪い笑みを浮かべ続けていたアカリ・ミョウジョウだ。
遠くで出口に向かうアカリの後姿を睨みつける。彼はあちこちから監視するような、値踏みされるような視線を受けながらも、やはり笑みを崩さず堂々と歩いていた。
会議をかき乱し、周りの物たちは我知らずアカリの手のひらで転がされていたのだ。快くは思っていないはず。それを分かっていて、悪気を見せることなく、堂々としている。
鋼の心臓を持っているのか、はたまた感情がないのか、やはり不気味だ、とアイシスは背筋に走る寒気を感じた。
「ところで、ショウゴ。貿易大臣たるお前に、折り入って頼みがある」
「なんだ改まって? 何か運んでほしいものでもあるのか? それとも、欲しいものでも?」
「いや、私の娘、アイシスを次のお前の仕事に同行させてやってほしい」
「「はいぃぃぃ?」」
突飛な依頼に驚くショウゴはもちろん、事前の話しもなく自身の名前が出たことに驚いたアイシスの声が重なった。
Personality 沁月 秋夜 @gashinkyouka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Personalityの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます