第15話 国の影

「えー、以上が、今月における収支報告となります。えー、昨今では国民のほとんどが財布の紐をきつく締め、経済活動への貢献を怠っていることが、収支のバランスを崩している要因と考えられます。つまりは、使わず蓄えていると考えられ、増税することで国を運営する財源の確保をすべきと考えます」


袖口と襟が白地になっているコートを着る伯爵位の小太りの中年男が、マイク越しに覇気のない声を広い会場に響かせる。

 男は扇状に配置された席と向かいあう壇上に立ち、2000人からなる扇に視線を巡らせ、意見の有無を確認している。

 もっとも、その目には『面倒を増やすな』という意志が込められているのだが。


 歯切れが悪く、やる気のない姿勢にアイシスは苛立ち、男を睨み据えた。けれど、末広がりになっている扇状の最後部に立つアイシスは、男から見れば豆粒ほどの大きさだ。 2000人からなる扇の切れ端に過ぎないアイシスの視線など、気付かれもしない。


 なにが「バランスを崩している要因」だ。国民は高額の税収でカツカツ、いくら良い物が溢れたところで買えないのが現状なのではないか!

 体裁を整えるためだけに怠惰な議論を重ねて、吸い上げた税で私腹を肥やす……。バランスを欠いている要因は貴様たちでないか!


 父ソウジの座席の背後に控えて一時間、あくびが飛び交う緩んだ会議場の雰囲気にアイシスの怒りは沸点に到達しようとしていた。しかし、今のアイシスはソウジの付き添いに過ぎない。

 発言権は無く、感情的になればソウジの顔に泥を塗る結果にもなりかねず、喉元まで込み上げる怒りを歯ぎしりして押しとどめる。


 座席最前列から公、侯、伯、子、男と爵位で席が定められ、幾人かは厳格な表情で壇上の壇上の男の話しを聞いていたが、指摘したところで変わらないことを知ってか口挟む様子はない。が、そんな中で一人の男が手を上げる。


 男は刈り上げられた黒髪に白髪を混じらせ、屈強な面立ちだった。

 白いシャツに羽織るコートには赤い下地に金糸の飾りをあしらった襟と袖。それは公爵の証。

 40代半ばに見える公爵位の男は、アイシスのよく知る人物だった。父ソウジの友人であるショウゴ・アイウラだ。


 壇上の伯爵は恨めしそうに一瞥し、「なんでしょうか、アイウラ公爵」と顔を背けつつ指を揃えた手の平でショウゴを指す。

 ショウゴは苛ただし気に伯爵を睨み返し、小首を傾げる。


「なんでしょうか? だと? この資料はどう見てもおかしいとこだらけだろ。国民の労働時間は増加しているのに収益は前年度と変わらないか、下回っている。恐らくだが、報告されていないものもあるんだろ。そんな状況でまだ国民から吸い上げようってか? 馬鹿かよ。お前らが使ってたオアシスは干からびそうになってんだぞ? 気付いてねーのか?」

「なっ……! ば、ばか……ですと! あなたは華族でありながらそのような言葉遣いを――」

「国の財源の底が見えたから税を増やす? ふざけるな、俺の言葉遣いを諫める前にハイエナみてーなことを辞めたらどうだ? お偉い華族様がみっともない」


 ショウゴはわざとらしく肩を竦め、ため息をこぼした。明らかな批難に伯爵は顔を真っ赤にして肩を吊り上げる。

 その様子に、よく言ってくれた、とアイシスは腰の近くで小さくガッツポーズをした。

 相変わらずの歯に着せぬ物言いにアイシスの苛立ちは霧散し、胸の奥が澄んで晴れていく。が、それも一瞬であり、再び靄が立ち込めると釈然としない気分で動かぬ父の背中を見る。

 なぜ同じ気持ちであるはずの父が声を上げないのか……。


「は、はい……えな……ですと! 次から次へと、いくら公爵でも失礼ではありませんか! だいたい――」

「では、あなたに何かいい解決策でも?」


 伯爵の耳障りながなり声を、低く心地の良い声がゆったりと遮る。優雅なのに会場によく響き、芯のある堂々とした声だった。


「珍しいこともあるもんだ、いつもはだんまりのお前さんが口を出すとは、ミョウジョウの坊主」

「別に、意見をしないと決めている訳ではありませんよ。する必要がない、と思っているだけです」


 ショウゴが首を横に向け、睨んだ先にアイシスも視線を向ける。

 スッと最前列中央から一人の青年が立ち上がりながら肩を竦める。光を吸ってしまいそうな真黒な髪と瞳、華奢な体つきに雪のような白い肌の青年だ。

 席は最前列、そしてコートの襟と袖は赤地になっている。ショウゴと同じ公爵家でありながら見た目は20代前半。


 そうか、あれが最年少で家督を継いだアカリ・ミョウジョウ公爵……。


 アイシスは感嘆しつつも、その青年を見て寒気が背中を走ったのを感じた。

 なぜ、と困惑したのも束の間、すぐに理解できた。表情だ。

 彼、アカリ・ミョウジョウには表情が欠落している。口元に笑みは浮かべているが、目元は人形のように何も語っていない。ただ、感情の見えない瞳をじっとショウゴに向けている。

 感情の抜け落ちた黒い瞳は、光の届かない深海のようで、アイシスは背中に走った寒気が恐怖だと知覚したのだ。


「ほう、じゃぁ何か、今回は意見があると言うことか? 壇上の奴にか? それとも……俺か?」

「もちろん、あなたですよ。ショウゴ・アイウラ公爵」


 ショウゴの目が鋭さを増し、射るようにアカリを睨む。しかし、アカリは気にするそぶりもなく依然として薄い笑みを浮かべてる。

 弛緩していた会場の空気が張り詰めだし、もうあくびをするものも、端末に目を向けている者もいない。


「お前もそっち側なのか? 最年少で家督を継いだ逸材、聞いて呆れるな。どうやら噂の方が真実のようだ」

「ふむ、あなたらしくもない。そんな安易な挑発、通用しないと分かっているのでしょう? ここは私が家督を継いだ経緯を話す場ではないはず……私は財源確保の解決策について聞いているのですよ? それとも、分が悪くなって、議論を破綻させるための挑発でしたか?」


 ショウゴは舌打ちし、「くえんヤツめ」とつまらなそうに吐き捨てた。

 発言権がある中で誰よりも若いアカリだが、感情は制御されており挑発に乗ることもなく、重鎮たちを前に堂々としている。

 噂はどうあれ、華族とは名ばかりの連中よりはよほど華族らしい、とアイシスは思った。


 家督を継いだ経緯は詳しくは知らない。が、一人歩きしている噂は耳にしたことがあった。アカリが裏で手引きし、先代を内々に処理した、というものだ。

 その噂や年齢から、向けられる視線はやっかみや蔑みのものが多い。けれど、当の本人は気にするそぶりはない。

 

 侮蔑の視線を向けはすれど、誰も罵詈雑言を発しないのは、噂を信じての事か華族としての権力は高いアカリに寄生するつもりでいるのか。

 どちらにせよ、アカリ自身には直接的な害はない。彼はそれを知っているから無関心を通せているのかもしれない。

 隣の犬が騒いだところで多少うるさい程度、家の中にいる自分が恐怖することがないように、アカリは周囲の態度を喧騒の一部としか捉えていないように見える。


「俺の考えはある。なぁに簡単なことだ。俺たちが身を切るんだよ」

「ほう? 私たちの報酬を削減……ということですか。なるほど、削った分は会社の財源として国民の給料を上げさせる、ということですか」

「さすが優等生、話しがはえー」


 表情を変えずに淡々と述べたアカリに、ショウゴは悪戯でもした子供のような笑みを浮かべた。

 ショウゴの案に会場はどよめき、「ふざけるな」「冗談ではない」などの批判が飛び交い、動揺した参加者は次々に述べ始める。


「なぜ我々が減給されなければならん! 庶民の収益問題は庶民で解決すればいい!」

「そうだ! 〈管理者〉を制限して無駄な補助金の削減を――」

「ありえん、それでは我々が道具を管理せねばならなくなる。面倒ごとはごめんだ」


 直前まで眠たそうにしていた者たちが一斉にしゃべり始め、会場は言葉が識別できないほどの喧騒に包まれた。

 自分の身に災難が降りかかろうとしたときだけ饒舌になる光景にアイシスはつくづく嫌気がさす。

 これが国の舵を切る話し合いだと言うのだから眩暈を起こしそうになる。


「だまらんかぁ!」


 咆哮のような叫びが喧騒を切り裂き、会場を静まり返らせる。

 アイシスも思わず体を硬直させるほどの気迫が込められた声はショウゴのものだった。


「貴様らが贅沢して腹回りに脂を蓄えて分、栄養不足で病気を患う者がいる。餓死する者もいる。国の舵を切るものたちがそれでいいのか、貴様らの脂肪と同じように金も余ってんだろうが!」


 ショウゴは振り返り、怒りで会場を睨みながら怒鳴りつけた。

 抗議していた者たちは一様にショウゴを睨み返しはしたが、身がすくんでいるのか、言葉にする者はいなかった。アカリ・ミョウジョウ以外は……。


「そうは言いますがアイウラ公爵、そもそも我々に祭りごとを任せているのは国民自身ですよ? なら現状を良しとしていると同義では?」

「馬鹿な、それは俺たちに愛想をつかしているだけだ、言っても無駄だ、訴えたところで握りつぶされる、そんな失望から――」

「そうだとしても、それで口を噤んでしまうほどの意志しかない、ということでは? 本当に嫌気がさしているのなら、すぐにでも我ら華族を国の舵取りから下ろす抗議運動をしてもよいはずではないでしょうか。そうしないのは、自分達が国を運営するよりも、華族に罵詈雑言を投げつけている方が楽で気持ちが良いと、そういう現状を国民自身が良しとしている部分があるからではないでしょうか」

「……くだらん屁理屈を、声は上がっているだろ。増税による物価の高騰、労働力に似合わない給与、それに伴う人員不足、上げればきりがない。それに、テロリスト……」

「スケアクロウ、ですか。確かに彼らは行動を起こし、私たちを玉座から引きずり降ろそうとはしている。しかし、国民の反応はどうです? 賛同し、同乗する者は後を絶たないですか?」

「……っ!」

「そういうことです。それに、先ほど言われた国民の声、私たちが国の舵取りをすることについての非難ではないでしょう? あくまで、私たちが行っている政策に対しての非難です。誰も国の運営に関して口を出していない。分かりましたか? 誰も、望んでいないのですよ」

 

 熱意ではなく、他人事のように淡々と事実を告げるアカリの言葉だったが、アイシスは普段から感じていた国民へのぼんやりとしていた違和感にはっきりとした輪郭を得たような気がした。が、同時にこの国にかかる影をまじまじと見せられたようで、暗く沈む心のせいで顔を上げていられなくなる。


 アカリの言葉は欠けていたピースを埋めるように胸の奥にすっぽりと収まり、反論する言葉を見つけられない。そんなことはない、と反論する根拠が見つけられない。それは、対面していたショウゴも同じだったようだ。

 言葉を発するのではなく、悔しそうに歯を食いしばり、アカリを睨むだけに留まるショウゴの表情が心内を現していた。


「理解していただけましたか? では、この話はここまでです。財源は……そうですね、国民の皆さんの批判を聞いて気分を晴らして差し上げているのですから、その分ということで増税して徴収しましょうか」


 押し黙り、立ち尽くすショウゴを視線から外したアカリは、壇上の伯爵に告げた。呆けて二人の問答を見ていた伯爵は「そ、そうですな。良い考えです」と慌てて我に返る。

 彼は、まるで自分が話をまとめたかのように偉そうに胸を張ると、方針の決定を宣言しようと声を上げようとした。が、そのとき――。


「もう少しだけ、待って頂きたい」


 うつ向いていたアイシスの耳に聞き馴染んだ声が響き、その声は暗く冷たい胸の中を温かく照らし始める。

 嬉しさの込み上げるままに顔を上げ、目の前にそびえる大きな背中を見る。

 肩越しに見える父ソウジの目は鋭く険しい。けれど、それは攻撃的なものではなく、この国の暗部を良しとすることの出来ない意志によるものだとアイシスは知っていた。

 そう、幼い日に見た、凛々しく、堂々としたアイシスの憧れた父の表情だった。

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