第4話
「これで、補習を終わります。上原さん、一週間よく頑張りましたね」
朝起きて、学校行って、バイト行ったり、遊んだり。そんな日常のルーティンの中に入ってきた先生との補習は、最初は単なるイレギュラーの一つだった。
だけど今では先生との時間が一番大切だなんて、自分でも笑ってしまう。たった一週間で、人はこんなにも気持ちが変化するんだ。
「……先生、あたしの隣の席に座ってみてよ」
我儘を言って反応を見ることしか思いつかないあたしに対して、先生は理由を聞くことなく、無言で着席した。
教壇に立つ先生を見上げる、いつもの構図が崩れる。“教師と生徒”という境界線が曖昧になったことが嬉しくて、自然に口元が緩んでしまう。
「あたしがあと八年早く生まれていたら、同級生だったのにね」
「同級生だったら、上原さんは私の名前すら知らないと思いますよ」
「えー、ひど。先生の中であたしのイメージ悪くない?」
「そんなことないですよ。でも、私はいつも一人でしたから」
「ちゃんと話しかけるし! 先生の方こそ、あたしと関わるつもりないの?」
「いいえ。でも、私は上原さんとは今の関係でよかったと思ってるんです」
「……なんで?」
「私は教師だからこそ、上原さんのことをたくさん知ることができましたから」
そう言って微笑む先生を見て、どうしようもなく胸が高鳴ったあたしは机に突っ伏した。
――先生と生徒、大人と子ども、女と女。あたしたちの前に立ちはだかるものは、たくさんある。
でも、先生がそれでいいっていうなら、いいんだよね? あたし、覚悟決めちゃうけど、いいんだよね?
「……上原さん? 具合、悪いですか?」
そっと背中に触れられた体温の低い指先が、どうしようもなく嬉しいから。
「……先生、ごめん。あたし、先生より先に人を好きになる気持ち、わかっちゃった」
「え、そうですか。おめでとうございます」
「……どんな気持ちか、教えてほしい?」
体の中から溢れて止まらないこの気持ちを、伝えたい。受け止めてほしい。
顔を上げて、先生の手を取った。細い指をきゅっと包んでも、先生は驚かない。その大きな瞳にあたしを映しているだけだ。
「口頭で説明できるなら、ぜひ」
恋を教えてくれた張本人は、あたしが口を開くのを待っている。
たった二文字。それを伝えるために喉元まで出かかった言葉は、立場とか年齢とか性別とか、いろんなものに圧されてお腹の方に戻っていってしまう。血液を駆け巡る経験したことのない衝動は、まだ理性でコントロールできるみたいだ。
だったらまだ、抑えられる。少し落ち着こう。先生が困る顔は見たくない……っていうのは、ただの言い訳だ。
先生に、引かれたくない。振られたくない。――嫌われたくない。
今までは、考えるより先に動いてみようって思ってきたけれど。本気で人を好きになったあたしは、どうやら臆病になってしまったらしい。
「……やっぱ、難しいかも。先生も早く好きになってよ」
「……『好きになって』というのは日本語として正しいのでしょうか? 個人の感情を命令するのは違和感がありますね」
「文法のこと突っ込まれてもわかんないよ。日本語ってむずー」
無理して笑顔を作って離した指先を、心から名残惜しく思っていると、
「上原さん」
先生の白い手が伸びてきて、あたしの頭に触れた。優しい手つきなのに、触れられた部分は火がついたように熱くて、心臓はどんどん強く、速く脈を打っていく。その手が頬まで降りてきたとき、あたしはもう先生にされるがままだった。
「私だって、人を好きになる気持ちを知りたいとは思っているので」
先生はそれ以上、言葉を発しなかった。真っ赤になっているであろうあたしの頬を親指で擦って微笑んでから、授業が終わったときと同じようにさっと教室から出て行ってしまった。
……もしかして、あたしの気持ち……バレてる?
ダサい眼鏡の奥に見える綺麗な瞳は、何もかもを見透かしているようだった。
触れられた肌に残る熱を、あの柔らかさを、今この瞬間も望んでいるあたしは、一般的な色形とは違った高い線の上に立ってしまった。
揺れないはずがない。でも、見失ったりはしないと思う。
この気持ちは確かなものとして胸の中で火を灯し、あたしと先生を照らしているから。
――ねえ、先生。あたしのこと、好きになってよ。
ねえ、先生。あたしのこと、好きになってよ。 ~恋を知らないギャル、地味教師にオトされる~ 日日綴郎 @hibi_tsuzuro
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