第3話 【乾坤一擲】

第三将【乾坤一擲】





 第三章【乾坤一擲】




























 真っ黒い翼をはばたかせた烏たちが、一斉に飛び立った。


 竜巻のような、黒い雲のような、不気味な陰を落として空を覆い尽くした烏たちによって、隆司はそちらに目を向ける。


 見たことのないその光景に目を奪われたのは隆司だけでなく、そこで戦っている邑人たちもだった。


 その瞬間を見逃さず動き出したのは波幸で、邑人の横を通り抜けて火鷹を助けに行こうと試みる。


 しかし、邑人もそれにすぐさま反応し、波幸を前のめりに転ばせると背中に乗り、拘束した。


 「危ない危ない。油断した」


 「くっ・・・!」


 「慌てなくても、君もすぐにあそこに逝けるよ」


 唇を強く噛みしめた波幸は、今までに出したどんな大きな声よりも大きな声で叫ぶ。


 「覡の過去を調べた!!!!」


 「・・・・・・」


 波幸の声により、みなの視線が火鷹たちではなく波幸の方へと向けられる。


 それはもちろん、覡も同様だ。


 波幸は、何もせずにこちらを見ている覡の方を睨むように視線を向けると、声を枯らしながら叫ぶ。


 「約10年前、1人の少年が事故で人を死なせてしまった。少年は刑期を満了すると刑務所を出て、名前を変えた。その少年の顔写真と、お前の顔を認証にかけたら一致した!覡!あれは本当に事故だったのか!?本当は殺意があったんじゃないのか!?どうなんだ!?」


 しーん、と静まり返った中、聞こえて来た声は頭の上からだった。


 「くっ・・・ふっ・・・ははははは!」


 「何笑ってるんだ!?」


 邑人が鼻で笑ったかと思うと、お腹を抱えて盛大に笑いだした。


 どうして笑っているかなどわからない波幸は、奥歯を噛みしめる。


 邑人が波幸の背中から下りて未だ笑っている状況で、波幸はなんとかして火鷹のもとに行こうと身をよじるのだが、それを眺めていた邑人は、またゆっくりと波幸に近づき、首根っこを掴んで自分の方を向かせると、頬をメリケンサックをつけた拳で殴る。


 口の中に一気に鉄の味が広がり、波幸は口に溢れる血液を地面に吐き捨てる。


 それから邑人を睨むと、邑人はまたにんまりと笑う。


 「想像力豊かなのは、馬鹿な元上司のお陰かな?自分の人生を悔やんで死ね」


 グッ、グッ、と邑人はメリケンサックと自分の拳の馴染み具合を確認すると、波幸を見て微笑む。


 邑人は隆司の方を見ると、呆れたようにため息交じりに言う。


 「隆司、そっちもさっさと終わらせろ。次がつまってる」


 先程の烏と波幸の件で途中になってしまったが、隆司は仕切り直しに火鷹の頭に足を置いて頭も動かせないようにすると、刀を振りあげる。


 身体を固定された火鷹だが、それでもまだなんとかそこから脱出しようと暴れてみるのだが、どうにもこうにも動かない。


 一呼吸置いて刀を振り下ろそうとしたとき、雑音が聞こえる。








 『あー、テステス。・・・あ?これ聞こえてんのか?おい、どうなんだアホ面ども』


 「!」


 その声に真っ先反応したのは、覡だった。


 それまでは大人しく邑人たちのことを傍観しているだけだったが、建物から出てきて顔を見せる。


 また邪魔が入ったと、邑人たちも動きを止めるが、その相手がどこにいるかが分からない為、あちこちをキョロキョロと見渡す。


 波幸たちも一斉に辺りを見渡すがその人物はどこにもいない。


 『俺の領域で好き勝手すんのはそこまでだ』








 ターバンを巻き、口には枝を咥え、長距離用のライフルを構えている茶髪の男の肩に手を置くと、隣で煙草の煙を吐く男はどこかへと向かいながら話す。


 「将烈さん!」


 「馬鹿な。蒸発した男が戻ってきたところで、何の権限もない」


 未だに何処に居るかわからない男の存在に、邑人たちは警戒しながら波幸たちを拘束する。


 『権限?んなもん必要ねぇよ。俺は今、組織人として話してるわけじゃねえ。1人の人間として、そこにいる、覡と話してんだ』


 「覡と!?」


 バッ、と勢いよく覡のほうを見ると、覡はすでに隆司と火鷹の近くまで来ており、声の主の言葉に耳を傾けているようだ。


 そんな状況のことを知ってか知らずか、男は話し続ける。


 『覡、お前の顔を見たことがあってな、調べてた』


 聞き慣れたその声に、波幸と火鷹はホッとしたのと同時に、色々と聞きたいことが溢れてくる。


 それは2人だけではなく、その場にいる全員がそうだろう。


 途中、煙草に火をつける音がしたため、すでに何本か吸っているのだろうことが推測される。


 『両親が小さい頃に離婚、どちらからも拒否されたお前は、母方の祖父母に引き取られ、そこで育った。あの事故の日を境に、全てが変わった』


 親は子を選べない、子も親を選べないなどと言う者もいるが、両親どちらからもいらないと言われた覡は、親戚中をたらい回しにされるところだったそうだ。


 遠方に住んでいた母方の祖父母がそのことを知り、引き取りにきたという。


 覡は小さい頃からあまり人に甘えるようなことはなかったが、それでも、祖父母は覡のことをとても可愛がった。


 しかし、覡が人を死なせてしまい、歯車は簡単に狂った。


 『執拗に嫌がらせを受け、近所の目にも晒され、お前の祖父母は精神的にも肉体的にも追いつめられ、自殺してしまった。・・・いや、正確には、お前と一緒に心中しようとした』


 覡のプライバシーなど無く、名前も家も家族構成なども全て晒されてしまい、毎日のように嫌がらせを受けていた。


 覡本人にだけではなく、それは覡を育ててきた祖父母に対してもだった。


 祖父母は覡が死なせてしまった相手の家族から、様々な名目で金銭も要求されており、生活もまともに出来なくなった。


 窓ガラスを割られたり、家の壁に陰湿な言葉を書かれたりも当然あり、放火されそうになったこともあるそうだ。


 近くを通りかかった警察官によって事無きを得たそうだが、その警察官にさえ、こんなことをされても仕方ないことをした、と言われてしまったという。


 そんな日々がいつまで続くのかと苦しんだ祖父母は、覡が出所してすぐ、覡と3人で無理心中を図る。


 せめて最期は苦しまないようにと、睡眠薬を飲み、練炭自殺をしようとした。


 しかし、覡は睡眠薬を飲まなかった。


 結果的に1人生き残ってしまった覡は、街を出て徘徊する。


 その頃は生きるために必死で、ゴミ捨て場に待機して、食べ残しを口にするのは当たり前のことで、時には物乞いもした。


 みすぼらしい格好で歩いていれば絡んでくる奴もいるわけで、覡のことを馬鹿にするだけならまだ良かったのだが、覡がやっとのことで拾ってきた食べ物を奪い取り、地面にたたき付けて踏みつける。


 すると、覡は足元にあった大きな石を掴みあげ、男のことを殺してしまった。


 その時、あの男と出会った。


 「何してんだ?」


 その男は酷く気だるげな顔で、覡と近くで倒れている男を交互に見たあと、覡を保護した。


 倒れた男とつるんでいた男たちは、覡のことを捕まえろ、と叫んでいたが、その男は平然とこう言って退けた。


 「うるせぇな。喧嘩両成敗なんだよ。おい、こいつらもしょっ引けよ」


 後ろにいた男たちにそう言うと、覡に絡んできた男たちを連れて行った。


 保護とはどういうことかと思った覡だったが、なぜあんなことになったのかと聞かれ、ぽつりぽつりと話した記憶がある。


 『そもそも原因となったあの事故は、お前と被害者以外にもう1人、関わっていた』


 「もう1人?」


 自分の調べではそんな人出てこなかったと、波幸は覡の方を見る。


 覡は、黙ったままだった。


 『お前が死なせた男は、酔っ払ってその変を歩いてた女に絡んでた。金渡してホテルに連れ込もうとしてて、女は拒絶していた。お前はそこに通りかかり、女を助けるために間に入った。多分、向こうが先に手ぇ出してきて、抵抗しようと押し返したら運悪く転んで、そのまま頭打って死んじまったってところだろうな。女は驚いて逃げちまって、お前の話なんて誰も聞かねえ信じねえで、あれよあれよと有罪、実刑を喰らったってわけだ』


 「・・・・・・」


 覡の表情が、緩んだ気がした。


 そして、ようやく口を開く。


 『君に出会って、警察官になろうと思ったんだ。でも、前科のある俺はきっと落とされる。その時、邑人に声をかけられたんだ』


 邑人は覡を見かけ、話を聞いた。


 前科があるけど警察官になりたいという覡に対し、邑人はデータを改ざんしてあげると提案をする。


 前科のない一般人として試験を受け、覡はなんとか警察官になることが出来た。


 邑人に一緒に世の中を変えようと、覡以外に、隆司、杠、灵閤に声をかけた。


 虎視淡々と鼇頭の椅子を狙い続け、今回、将烈が姿を消したことをきっかけに、上層部に覡を推薦したのだ。


 上層部の弱みを握っていた邑人は、簡単に覡と鼇頭のリーダーとして座らせることが出来た。


 「なんでお前じゃない?そんなことまでして、覡を鼇頭の責任者にする必要があるのか!?」


 「僕ねぇ、ずっと君の立ち位置が欲しかったんだよ」


 「!?」


 邑人は、波幸を見つめながら話す。


 それから覡に視線を移すと、まるで憐れむような顔になる。


 「ああいう意思の弱い人間の下にいれば、実権は握れるだろうと思ってね。僕ね、表立っては動きたくないんだよ。だから、良い人材だと思ったんだけどなぁ」


 「そんな理由で?」


 「責任とか負いたくないじゃん?いざとなったら、あいつにぜーんぶ押し付ける算段だったのに」


 「お前っ!」


 邑人に噛みつこうとした波幸だが、流した血が多すぎたのか、少しクラッとする。


 その時、また声が響く。


 『あー、それから、ここからは覡以外の奴らの話になるが』








 『ええと、色々調べさせてもらったんだが、いや、お前等みたいなのを野放しにしてたのかと思うと情けねえよ』


 ペラペラと資料か何かを捲る音が聞こえてきた。


 『んー・・・。まずは杠』


 いきなり自分の名前が呼ばれたことで、眞戸部の顔面にもう一発くらい拳を浴びせておこうと思っていた杠は、攻撃を止めてモニターの方を見る。


 その間に、眞戸部は杠から離れ、呼吸を整える。


 『えっと・・・。特殊部隊に入隊中、言う事を聞かない部下や、自分の事を叱咤する上司を事故死にみせかけ半殺しにして辞職を促されるも無視し、その後も部下の育成などと言って必要以上の暴力を振るうなどの暴挙を続ける。上司も手がつけられず放置。・・・いやこれ、半殺しって書いてあるけど、その後病院で死亡確認されてるじゃねえか』


 「だって、俺の方が有能なのに、なんで俺よりも仕事が出来ない奴に愚痴愚痴言われなくちゃいけないの?新人だってさぁ、俺がて取り足とり教えてやったのに、全然出来ないし。無能すぎ。躾だよ、躾」


 『手元にある情報だけでも20件はあるぞ。やべぇ奴だな。次は、隆司』


 火鷹の首を今すぐにでも斬れる場所に立っている隆司は、特に辺りを見ることもなく、ただじっとしている。


 『・・・ああ。こいつか。杠と同じく特殊部隊にいて、民間人の犠牲も気にせず発砲し、犯人検挙、ってか死亡させてる。民間人も死んでるが、謝罪も何もしてねぇから問題になったことあるな』


 その内容に、隆司は火鷹を見下ろす。


 自分に視線が向いたことに気付いた火鷹は、まだ自由のきかない身体をぎちぎちと動かしており、その原因となった隆司を睨む。


 隆司は火鷹を一度蹴ったあと、口を開く。


 「たかが一市民が死んだところで、凶悪犯を取り逃がすよりマシなはずだ。それをぎゃーぎゃーと喚きやがって」


 「いや、だからダメだろそれ」


 「俺は正しいことをしているんだ。あいつら下民は、悪人を捕まえるためなら犠牲を厭わないという考えが出来ていない」


 「いや、その市民を守るのが俺達だから・・・ん?デジャブ?」


 ふとここで、火鷹は思い出す。


 そういえば、隆司の問題があがって少ししたころ、隆司とすれ違い、そこで、今のようなことを言ったのだ。


 正確に何と言ったのかは覚えていないが、それでも、似たようなことは話した。


 火鷹がその時のことを思い出したことが分かったのか、隆司は火鷹を拘束しているギロチンの板の部分を思い切り殴る。


 火鷹の身体が揺れただけでなく、隆司の手からも血が出ているため、余程強く殴ったのだろう。


 「ふう・・・」


 感情を抑えようとしているのか、隆司は深い呼吸をする。


 「お前みたいな奴なんかに、俺を正す資格も権利もない・・・!!」


 「・・・ダメなことはダメだろ!!つか、正してる心算なんか毛頭なかったけどな!」


 「あんな屈辱は二度と味わうまいと思っていたが、それからすぐ、お前が鼇頭とやらに入ることが分かった。なんでお前みたいな才能の欠片もない奴が、俺よりも上にいる?この組織は力が全てじゃないのか?俺は強い。俺は正しい。いつかお前を見下してやると決めていたんだ」


 「それって、市民守るより優先することか?」


 『んで次は、灵閤』


 隆司と火鷹の会話などなんのその。


 マイペースに話しだした声に、灵閤は顔をあげる。


 鬧影の顔を数回殴ったところなのだろうが、鬧影の顔のいたるところから血が流れ出ている。


 『お前は確かに優秀だったよ。俺達同期の中でも格段に。鼇頭設立の話のときにも、真っ先に名前があがったのがお前だ』


 「・・・・・・」


 『お前も自分が就任すると思っていた』


 「・・・・・・」


 『だが、俺になった』


 「将烈さんと、同期?」


 話を聞いていた波幸は、驚きを隠せない。


 確かに歳が近い感じはあったものの、その冷たい目つきや人道を外れるようなやり方は、将烈とは全く異なったからだ。


 1人、灵閤の近くにいる鬧影は、寂しそうにも見えるその背中を見つめる。


 『性格上の問題、素行の悪さからお前は不適合と判断されたわけだが』


 自分が選ばれたかったことで、灵閤は自分の功績がまだまだ足りないのだと思い、悪人を捕えると、暴力によって自白をさせ功績を伸ばしていた。


 例えそれが、冤罪であっても。


 誰よりも世の為に働いているはずだったのに、灵閤に声がかかることはなかった。


 「灵閤・・・」


 鬧影が名前を呟くと、灵閤は一度軽く下を向いたあと、ゆっくりと鬧影の方を見る。


 「お前たちと俺と、一体何が違う」


 「・・・・・・」


 『んで、邑人、次はお前だ』


 鬧影が答える前に聞こえた声に、2人は互いに顔を見合わせる。


 波幸を拘束している邑人は、やっと自分の番かと、波幸の上で頬杖をつくが、その銀色に鈍く光るそれには、誰のものかなどわかりきっている生々しい、すでに黒く変色を始めている赤がべったりとついている。


 身動きが出来ない波幸は、浅い呼吸を繰り返す。


 『サイバー課の問題児。暇つぶしにサイバー攻撃を仕掛けたり、ネット上で書きこみに便乗してさらにエスカレートさせるように仕組んだり、ま、その辺の阿呆どもと一緒だな』


 サイバー課には、邑人以外にも優秀な人たちがいる。


 しかし、邑人はそもそも他人にはそこまで興味がないため、自分がしたいことをしていた。


 個人法人関係無く、情報漏洩をさせたりも日常茶飯事、市民の書きこみを見て、面白そうだと思えばそこに便乗し、悪意のある情報を流し続けた。


 『・・・お前の書き込みで、覡の祖父母が住んでる場所も簡単にバレて広まった』


 「え?」


 「ああ、そうなんだ?いちいち覚えてないや。人が責められるのを見ると楽しんだよね」


 思いもよらない内容に、覡は目を丸くする。


 一方で、邑人は悪びれた様子もなく、これまでにも何百人、何千人、それ以上かもしれないが、その人達を苦しめてきた。


 「自己防衛が出来てないだけでしょ」


 鼻で笑ってそういった邑人に、波幸は、自分が一番近くにいるのに何も出来ないことに腹が立った。


 身体中が軋むし痛むが、そんなことどうだってよかった。


 今すぐにこの自分の背中でせせら笑っている男を殴りたいところだ。


 ふと、以前健と話したときのことを思い出した。


 (問題児?)


 (そ。なんでも、サイバー課にいることをいいことに、好き勝手やってるらしい)


 (こっちにはそんな情報あがってきてないけど)


 (会ったり前だろ。そいつ、上層部の連中の弱み握ってんだよ。それで異動もしねぇわ辞めねえわで、ずっと居座ってんだよ。だから困ってんの)


 (お前がなんとかすればいいだろ)


 (したのは山々だけどな。俺にだって仕事があんの。稚夜にも頼んでんだけど、けっこうそいつ遣り手らしくて、いたちごっこなんだと)


 (名前は?)


 (えっと、なんだっけな・・・)


 「(そうだ。あのとき健が言ってたの、確か・・・)」


 そんなことを頭の中で巡らせてると、邑人が波幸の髪の毛を掴み、一度上にあげると、勢いよく地面にたたきつける。


 傷口がさらに開き、波幸は意識を保つのに必死だった。


 「まったく。上手くいくと思ってたのに、あいつじゃ力不足だったか」


 軽く舌打ちをした邑人は、もう一度波幸の頭をあげたところで、手を止める。


 中央の処刑台の近くにいる覡が、か弱い声で話したからだ。


 「全部、俺のせいだ」








 ―全部、俺のせいだ。


 そう言った覡は、腰から銃を取り出す。


 一体何をするのかと思っていると、覡は自分のこめかみに銃口をつける。


 「「「「・・・・・・!?」」」」


 波幸たちが驚き、覡を止めようとしたのだが、邑人たちがそれをさせない。


 するとそこに、ようやく現れた影。


 「将烈さん・・・!」


 鼇頭メインの建物からコツコツといつもの歩調で覡に近づくが、一定の距離の場所で足を止める。


 黒いシャツに赤いネクタイ、白い手袋をして口に煙草を咥えているその男は、平然とした様子で覡のことを眺める。


 「え?将さん!?見えねえ!どこだ!?」


 「俺からはお前のケツしか見えねえよ」


 「将さんだ!その言い方は将さんだ!」


 何を基準に将烈と判断しているのかはわからないが、火鷹は固定されてしまっているため姿を確認は出来ないまでも、背中に感じる懐かしい空気に安堵する。


 覡は将烈を見たまま、銃を下ろそうとはしない。


 そしてまた、将烈も、覡のことを止めようとはしなかった。


 そんな将烈の姿を見て、邑人が叫ぶ。


 「ほらみろ!あいつだって、覡が死ぬことを止めないだろ?あれがあいつの本性なんだよ」


 「・・・っ」


 将烈は少し横に立ち位置をずらすと、短くなった煙草を携帯灰皿に入れる。


 新しい煙草を取り出して口に咥えると、それに火をつけ、煙を吐く。


 その一連の動作をただなんとなく眺めていた覡は、将烈を目があうと、何を思ったのか、小さく笑った。


 そして引き金を引こうとしたそのとき。








 「・・・っ!?」


 何が起こったのか、瞬時には判断できなかった。


 覡が銃を撃とうとしたとき、覡の手から銃は離れ、将烈の足元へと吹っ飛んでいったのだ。


 それを将烈は足で止めると、上半身を屈めて腕を伸ばし掴むと、そのまま自分の腰のホルダーへと収める。


 ちらっと覡のさらにもっと奥、というよりも遠くの方を見る。


 そして、いつもの如く煙を空に向かって優雅に吐くと、こう言った。


 「俺ぁ、てめぇらと違って、死んで償わせるなんてことしねぇよ」


 まだ痺れている右手を見つめていた覡は、将烈へと視線を戻すと、数回瞬きをしてから、また微笑む。


 「それにな」


 将烈は隆司の方を見ると、続ける。


 「どんだけ邪魔されようと、俺ぁ俺のやり方を貫く。んで、人道は絶対に外れねぇ」


 将烈の言葉に、隆司は奥歯を噛みしめてから叫ぶ。


 「なんでお前は自分が正しくて俺達が間違ってるなんて断言できる!?どうやって自分の正義を証明する!?甘えや偏見の中で、誰がお前の正当性を見極められる!?」


 隆司の言葉に便乗するように、邑人も波幸の背中から下りて言葉を発する。


 「定義も形もないものの善悪なんて、誰が決められるものだろうね。君の言ってることだって、所詮は正義の押し付けだ。定着すればそれが普通になるんだよ」


 「そうそう。これまでの警察は舐められてたんだよ。だから悪人は減らない。俺達がちゃんと成敗していってあげるから、安心して死んでよ」


 邑人に乗っかるようにして杠がそう言うと、将烈はまた煙を吐いてしばらく空を仰ぐ。


 風がそよそよ気持ちよいのに、こんなにも気分が良くないのはどういうわけだろうか。


 鳥が気持ちよさそうに飛んでいるのに、その姿を見て気楽でいいな、なんて思うのはどういうわけだろうか。


 こんな日に天気が良いのは、むしろ何か悪いことが起こる前触れではないか、などと考えていたかどうかはわからないが、将烈はしばらく空を見つめたあと、再び隆司を見る。


 その眼差しが、先程のものとは違った眼光で、隆司は一瞬息を忘れる。


 「そりゃ、そいつらが答えてくれる」


 「あ?」


 「俺のやり方が間違ってねぇってことを」


 眉間にシワを寄せたかと思うと、隆司は腰から銃を取り出し、将烈に向ける。


 どこからか音が聞こえきたかと思うと、すでにその時には火鷹は解放されていた。


 身体を固定するはずの板が木っ端微塵に壊されており、それを理解したときには、火鷹が隆司の足を蹴飛ばしていた。


 思い切り転んでしまった隆司だが、すぐさま立ち上がって銃を向けようとするが、自分の手から銃が無くなっていた。


 目の前にいる火鷹が、ニヘラと笑いながら、隆司の手から奪い取った思われる銃を見せると、銃弾を抜き取り、その辺に放り投げる。


 「将さん、俺、腕折れてるから期待しないで」


 「安心しろ。いつもしてねぇ」


 「ひっど!!」


 火鷹が隆司と向き合ったところで、将烈も覡と向かいあう。


 そして、みんなに聞こえるように言う。


 「てめぇらわかってるとは思うが、負けたら減給だからな、俺も含めて」


 「え、まじ!?ただでさえ安月給なのに!?」


 減給どころの話ではないのだが、火鷹は楽しそうに笑いながら答える。


 杠と向かい合っている眞戸部は、これを聞いて目をパチクリさせていた。


 「え、まさかとは思うけど俺も?」


 同様に、鬧影も呆気に取られていた。


 「ふざけるな。こっちは巻き込まれたんだぞ」


 ふう、と煙を吐いたあと、将烈はまだ吸えるだろう煙草の火を消し、首を左右に動かして答える。


 「てめぇら道連れだ」


 そして、珍しく小さく笑って。


 「旅は道連れって言うだろ」








 覡との拳でのタイマンが始まり、現場経験が多いからなのか、覡の動きは速かった。


 将烈でさえ危ういと思う場面が幾つかあり、拳が掠れた擦り傷が幾つか見える。


 それでもしばらく殴り合いを続けた結果、覡は急に電源が切れてしまったかのように動きが悪くなり、将烈は覡をうつ伏せに倒して背中に片膝を乗せ、両腕を後ろで拘束する。


 手錠を取り出して覡にかけるとき、将烈は覡にだけ聞こえるくらいの声で言った。


 「後悔してんなら、しっかり反省してまたやり直せばいい。お前なら大丈夫だ」


 「・・・・・・」


 その頃、斎御司が手配した男たちによって邑人たちは取り囲まれていた。


 「もう、逃げられない」


 男たちに包囲されても平然としている邑人に対して波幸がそう呟くが、当人は波幸の方を見ると、まるで挑発するかのような笑みを見せてきた。


 そして、軽やかに男たちの上を飛び越えると、邑人だけでなく、隆司も杠も灵閤も、風のように素早く逃亡した。


 それを見て、将烈はさきほどの残った煙草にまた火を付けながら言う。


 「薄っぺらいもんで繋がるもんじゃねぇよ。こういう仕事は特にな」


 結局、捕えられたのは覡1人であった。


 覡が連れて行かれるとき、将烈の方を向いてこう言ったそうだ。


 「俺はきっと、君みたいになりたかったんだ」


 「・・・・・・」


 将烈は何も答えることが出来ないまま覡の背中を見つめていた。


 「それはやめておいた方がいいな」


 「え?お宅なんでそんなにボロボロなの?」


 いつの間にか将烈の隣に立っていた鬧影が、顔面血だらけの状態で現れたが、将烈は腕組をしてそれをしれっと見ていた。


 鬧影の後ろでは、医師が早く処置をしないと、などと慌ただしく動いているが、鬧影は平気そうな顔をして立っている。


 そんな一件落着した様子を、遠くから見ている影が2つあった。


 1つは緑の髪に茶色の目、両耳には、髪の毛で隠れてしまってよくは見えないが白いピアスをつけており、上下黒のコートのようなものを羽織っている。


 もう1つは青い髪に金の目、橙色のピアスをつけており、何より目立つのは、上半身がさらしで巻いた状態で上着など羽織っておらず、代わりにマフラーを巻いているところだ。


 「一応間に合ったみたいだね、よかったよかった」


 「・・・・・・」


 2つの影はそれからしばらくして、そっと消えた。


 「将烈、お前何処に行ってたんだ。なぜ私にも何も連絡してこなかった」


 「将烈さん、一体どこに行っていたんですか。どれだけ心配したと思っているんです。どこかでのたれ死んでいるのかと思ったじゃありませんか」


 「つか斎御司さん、俺は減給じゃないですよね?え?まじ?」


 「将さん俺腕折れてるよ。とっても痛い。これはお金もらって治すしかない。だって痛いんだから!マジで痛いから!」


 「そもそもお前はなんで急にいなくなるんだ。ふざけているのか。ふざけているな。一発殴るくらいじゃすまないぞ」


 「将烈、とりあえず謝罪をしろ」


 「斎御司さん、それ娘さんが知ったら嫌われるんじゃないですか」


 「あー、腹減ったなぁ。将さんの奢りってことでいい?だって俺減給なんだもん。将さんより給料安いもん」


 「将烈さん、なんで連絡くれなかったんですか。機動部隊を動かしそうになったじゃないですか」


 「俺の治療費はお前が払えよ」


 「・・・俺聖徳太子じゃねえけど」


 戻ってきてそうそう、一気に文句を言われた将烈は、ため息を吐く。


 新しい煙草を吸おうとフィルムを剥がしたのだが、それを斎御司にぐしゃりと握り潰されてしまった。


 しまいには、それを地面にたたきつけ、足で踏みつけられてしまった。


 将烈は両膝を曲げて頭をガシガシとかくと、「わかったわかった。話すから」と大きめの声を出した。


 すると、みな静まり返る。


 「ちょっと知り合いのところで厄介になってたんだよ」


 「覡の事件を調べてたからですよね?」


 波幸が確認するように聞くと、将烈は首を横に動かした。


 「いんや、ソレじゃねえ。俺の部屋が荒らされてたのも、あいつらではねえ」


 「どういうことだ?ちゃんと説明しろ」


 「・・・・・・面倒くせぇなぁ」


 斎御司に催促されると、将烈は曲げた膝に肘を乗せて頬杖をつきながらそう呟くと、斎御司に頭を軽く叩かれてしまった。


 後頭部を摩りながら斎御司を睨みつけるが、斎御司は目を細めて将烈を見る。


 「・・・・・・詳しくは言えねえが、もっと深いとこだ」


 「深い?」


 将烈は斎御司を見ると、何かを感じ取った斎御司は、それ以上将烈に何か聞くことはなかった。


 沈黙が続いたあと、将烈が口を開く。


 「お前らに話しがある」








 「俺は一旦鼇頭を離れる」


 「嫌です」


 「いや、なんで波幸に決定権があるみたいな感じになってんだよ」


 「またいなくなるんですか。私たちに何も話さずに」


 「・・・・・・」


 不安に駆られた子犬のような波幸の瞳に、将烈は目を逸らした。


 「俺もやだ!将さんがいねぇなんて、仕事楽しくねえもん!!」


 「そもそも楽しくねえぞ、仕事なんざ」


 「やだやだ!絶対やだ!」


 子供のように駄々をこね始めた火鷹に、将烈は立ち上がって、隣でボロボロになっている同期の肩に手を置く。


 「安心しろ。俺がいない間、こいつが代わりに鼇頭を仕切る」


 「「「は?」」」


 言われた本人の鬧影だけでなく、波幸と火鷹も声が裏返った。


 眞戸部も驚いた顔はしていたが、眉をハの字にして苦笑いをする。


 鬧影はいきなりのことに将烈に文句を言おうと口を開いたときには、将烈が斎御司に了承を得ているところだった。


 「私は構わん。鬧影ならいいだろう」


 「いや、ですが」


 「私から栄転ということで異動届けを出しておく」


 「正直癪だがまあ仕方ねぇ。どこの馬の骨ともわからねえ野郎に任せるくらいなら、こいつに任せたほうが幾分かマシだ」


 「俺をなんだと思ってるんだ」


 「今回、やべぇことに首を突っ込んだつーのは分かった。だが、引くわけにもいかねえ。俺がいねぇってだけで、今回みたいに鼇頭を利用されんのも御免だ」


 「ですが・・・っ」


 「ケリつけるまでは俺は離れる。じゃねえと、鼇頭自体が消される可能性もある。今までもそういう奴は相手にしてきたが、相手が悪すぎる。最悪、全員死ぬ」


 「私は付いて行きます!」


 「ダメだ」


 「私の仕事なら他の者に引き継ぎできます!大丈夫です!将烈さんと一緒に行きます!」


 「ダメだ。却下。拒否。お前がいねぇと鼇頭は回らねえ。言っておくけどな、鬧影は俺よりポンコツだからな」


 「さっきから俺をなんだと思ってるんだ」


 将烈に軽くディスられながらも、鬧影は将烈のいつものふざけた感じとは違う空気を纏っていることが分かると、変に話を邪魔することはなかった。


 それは眞戸部も同じで、将烈と斎御司のやりとりというか、2人の空気を感じ取り、ふざけた感じで話している将烈だが、至って真剣だということを理解する。


 「俺も将さんと行きたい!」


 「だからダメだっつてんだろ。お前らがいねぇと乗っ取られるからな、こいつに」


 そう言って、将烈はくいっと鬧影の方を指さすが、さすがにもう鬧影も突っ込むようなことはしない。


 「何かあったら斎御司のおっさんを頼れ」


 将烈にそう言われ、鬧影は「わかった」というしかなかった。


 「じゃあ、しばらくの間頼んだぞ。炉冀たちも好きに使ってくれ」


 そう言うと、将烈は後ろ髪など全く引かれないように颯爽と歩きだす。


 その背中を見て、波幸と火鷹は追いかける。


 しかし斎御司に止められ途中で追いかけるのを止めると、今にも泣きそうな声で呼ぶ。


 「「将烈さん!将さん!」」


 将烈は足を止めるが、振り向かない。


 それがまたなんとも言えず寂しさを誘い、波幸と火鷹は溢れそうになる涙を堪えるしか出来ない。


 風で靡く将烈の黒髪が、手を振っているように見えてしまう。


 震える声をなんとか制御しようと唇を噛みしめていると、2人が何も言ってこなかったからか、将烈が2人を見る。


 すると、2人を見て笑った。


 「なんつぅ情けねえ面ぁしてんだよ」


 その笑みがまた波幸と火鷹の胸を苦しくさせる。


 いつもは仏頂面で睨んでいるような目つきをしていて、気だるげで、身体に悪いと注意しても煙草をまったく止めなくて。


 罪を犯した人間に対しても、立場なんか関係なく間違いは間違いだと指摘し、仲間内からも煙たがられるが、悪を罰するということだけを目的としているわけではなく、罪を償わせて社会に復帰してほしいと願っている。


 何があっても自分を曲げず、信念を曲げず、頑固と思われるほどに意志が強い。


 英雄豪傑、不暁不屈、豪放磊落、義理人情、そんな言葉が似合うだろうと思う。


 そんな男の優しい笑みに、もう二度と会えない気がするのは、波幸と火鷹だけだろうか。


 すでに我慢出来ずに泣いてしまっている火鷹の横で、波幸は目に涙を溜めながらも、それが零れないよう呼吸を整えてから問いかける。


 「戻ってきますよね」


 それを聞きたかったのは、波幸だけではないはずだ。


 後ろでその光景を見ている斎御司も、眞戸部も、そして鬧影も。


 将烈のそれに対する答えを待つ。


 早く答えを言ってほしいと思う反面、答えてほしくないと思ってしまう矛盾を抱えながら、問いかけた本人、波幸はじっと将烈を見つめる。


 それほど時間が経っていないにも関わらず、この時間がすごく長く感じてしまう。


 将烈がまた小さく笑ったかと思うと、急に目つきがいつものものに変わる。


 「俺を誰だと思ってんだ」


 びゅううう、と風が強く吹いて、いつもは黒髪で少し隠れてしまっている将烈の目が、はっきりそこに見える。


 「「!」」


 いつもはカラコンをつけているため目立つことのないその瞳の神々しさに、思わず見惚れてしまう。


 久しぶりに見る将烈のその目に、斎御司も一瞬目を見開く。


 実際にそれを初めてみる鬧影と眞戸部は、ぽかん、と口を開いてみてしまった。


 口角を上げて笑ったかと思うと、将烈は鋭い目つきで言う。








 「泣く子も黙る、金目の将烈だ」








 将烈が去っていく姿を見つめながら、ただ、また出会えることを祈るしかできなかった。


 火鷹は涙をごしごし拭うと、空に向かって叫びだした。


 「がんばるぞーーーーーーー!!!!」


 いきなり叫んだ火鷹に対し、いつもなら「五月蠅い」と間髪入れずに引っ叩いていただろう波幸だが、この時だけは、違うことを言った。


 「俺も、がんばる」


 その2人を見て、眞戸部は安心したように微笑んだ。


 1人の男が築き上げた正義が壊れないよう。1人の男のその信念を守りぬけるよう。


 1人の男を信じる者たちによって。








 「「あの人を超える!!」」








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