三本指のマリア

真花

三本指のマリア

 今から千七百年程前、現在のペルー、ナスカ地方。ホモサピエンスは、長頭、三本指の異人類「アジェム」の先進的文明の影響を受けながら、アジェムと共生していた。その文明差からアジェムは神様のように扱われた。温厚で、ホモサピエンスを虐げることはなかった。

「私、マリアの子供が産みたい」

 ケチャは草原に足を投げ出したまま、体を捻って隣に座る僕の顔を覗く。僕は長い三本指で頬をかく。

「ケチャ、アジェムと人間は交わってはいけないんだよ」

「そんなことは知っているわ。ずっとそう言うことをしなかったのも、しきたりを守るためだもの。でも、どうして交わってはいけないの?」

 僕はゆっくりと首を傾げる。知らないってことはないだろうに。でも……

「ねえマリア、私はあなたに触れていたい。ずっと一緒にいたい。アジェムと人間の違いなんて、ちょっとしたことでしょう?」

「曲がった子供が生まれるんだよ。その子は孫を作ることが出来ない。僕達生き物は子孫を残すことが何より大事だ。次に、自分で何かを成すことが大事」

「そんなの、想いが強ければ乗り越えられる」

「乗り越えられないんだ。交わってはいけない。……どうして、いきなりそんな話をするの?」

 ケチャと出会ったのはお互いにまだ幼い頃で、今日と同じ草原を最初は別々に、いずれ一緒に走った。空が真っ青で、暑くて、僕は生まれて初めて他人といる幸福を知った。僕はアジェムで、ケチャは人間で、社会に対する立ち位置は全然違うものになることは最初から分かっていた。だけどそんなこと関係ない。

 ケチャが十歳のときに高熱を出した。人間の文明の力では治すことは出来ず、待つしかない。死ぬかも知れないが、そんなことでアジェムを頼ることは人間はしない。報せを聞いた僕はすぐにケチャの家に行き様子を確かめてから、アジェムの医師に嘆願に行った。医師はすぐにケチャを診察して、薬を出してくれた。ケチャは次の日には解熱し、また元のように快活に笑った。ケチャの両親に感謝されたが、僕は当たり前のことをしただけだったから、一切のお礼を受け取らなかった。医師への謝礼は僕の貯めていたお小遣いから出した。

 十三歳になってケチャが大人の女の仲間入りをしてからも、僕達は頻繁に会った。アジェムにも人間にも、そう言う関係を続けている僕達を潜め眉で見る人はいたが気にしなかった。いや、気にはなったが、ケチャに会うことの方が大事だった。二人がアジェムか人間か、どっちか一方だったらよかったのにと、考えるようになった。

「私、結婚の話が来てるの。同じ村の人。でも私、マリアと結婚がしたい」

 僕は唇を噛む。ケチャは続ける。

「もし結婚をしたら、今みたいに会えなくなっちゃう。お父さんは乗り気だから断るなんてことはないと思う」

「確かに、誰かの妻とこんな逢瀬を重ねることは出来ない。……でも、生物として子供を産むことは、大事なことだと思う」

「生き物だよ、確かに。でも、私は私、ケチャなの。マリアのことが好きな、ケチャなの」

 ケチャは泣き崩れて僕の胸に顔をうずめる。僕は背中を撫でる。結婚が変えられない未来だとケチャは理解しているし、僕も、受け入れ難いけど同じだ。

「子供を産んで、育ったなら、また会おうよ。毎日でもいい。いや、そのときには一緒に暮らそう」

「今じゃダメなの?」

「それじゃあさらったことになっちゃう。結婚間近の姫様をさらうのは物語の中だけだよ」

 ケチャは僕の胸に涙を染み込ませる。

「分かってるよ。もう未来は決まっているって。だからマリアがその向こうをくれるんだ」

「僕はそのために全てを捨てるよ」

「どうして? そんなことしなくてもいい」

「二十年後にアジェムは次の大移動をするんだ。これは秘密だよ。僕はそれに付いて行かない。この土地でケチャの人生が十分に進むのを待つ」

 僕達は初めて口付けて、次にそれが出来るのが何十年後になることを腹の中に据えて、草原を後にした。

 結婚式は村中を練り歩く。アジェムは人間の結婚式には参加しない約束になっていたから、僕は遠くからそれを見守った。ケチャは綺麗だった。隣の男もよさそうな顔をしていた。

 ケチャは順調に子供を産んで、大きな病気もなく育っていると噂で聞いた。僕は独身を貫くことにした。もし結婚をしたなら、大移動に付いて行かないという選択は出来なくなるから。いずれ来る一人暮らしに備えて、多くのことを勉強した。

 二十年目、アジェムは大移動を開始した。半年後に次の移動先の場所の連絡が僕に父からやって来た。両親は僕と生活をしたいと。だが僕はこの地に留まる。もう十年の辛抱だ。

 孤独に慣れそうで、やっぱり慣れない。そんなことばかりを考える自分を嗤う。

 ノックがした。

「どうぞ」

 開いたドアの向こうには、ケチャがいた。

「来たよ、マリア。今日からずっとここに置いて」

「四十年ぶりだね。もちろん。ベッドも用意してある」

 僕達はギュッと抱き合って、キスをした。

 ケチャは元気で、よく働いた。僕も負けじと働いた。若い日と間を飛び越えたように繋がった今、僕は嬉しくて泣いた。その姿を見てケチャは笑った。笑いながら泣いた。

 老いていった。

「マリア、私そろそろ死にそう」

「そんなこと言うなよ。まだずっと二人でいよう」

「ううん。今から死ぬって意味じゃないの。でも、体の感じがもうボロボロでね。だからきっと最期の日は私のことを見送って」

「約束する」

 それから三日後にケチャは死んだ。一番最後の呼吸まで、僕が見送った。二人でよく会ったあの草原に墓を作って埋めた。埋葬が済むと、僕の生命力も急に薄くなった。アジェムの葬送の方法は死体を焼いて、大地に撒くと言う形だが、自分でそれをすることは出来ない。かと言って部屋で死んでいるのを見られたくもない。

 草原の近くに小さな洞窟がある。ケチャとも若いときに何度か足を踏み入れたことがある。僕は死期を悟った朝、ケチャの墓を見守れる洞窟に向かった。奥の、奥の方で膝を抱えて座る。

「マリア、また向こうに行ったら一緒に暮らそう」

 ケチャの声が聞こえる。

「待たせてごめん」

「あなたの方がずいぶん待ったわ」

「これからはずっと一緒だ」

 僕はケチャの胸に抱かれた。

 千七百年後、真っ白なミイラとなったマリアが発掘された。三本指で長頭、その表情は穏やかだった。


(了)

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