第4話 金剛石《エルマシュ》

「……こいつらは、てめえを慕っていたんじゃないのか」


 災厄フェラケトが腕に力を込めた。チャクルも含まれているのだろうか。どうして守るようなことをするのか、さっぱり分からない。


(我が君様の敵なのに? みんなを壊したのは、こいつじゃ、ないの? 金剛石エルマシュって……?)


 金剛石を宿せる玉胎晶精ターシュ・ラヒムはごく稀だ。闇の御方カランクラル様の宮殿にもいないくらいに。災厄フェラケト──としか思えない男──は、たしかに眩しくてとても綺麗だけど。


「どれほど魔力ギュチを注いでも、我がに相応しい石を捧げられぬ役立たずだ。せめて囮になれれば本望だろう」


 地に散らばったアイセルの月長石の欠片が、チャクルの目にも胸にも刺さる。貴石を抱いた子たちを、カランクラル様はあんなに愛しげに抱き締めたり口づけたりしていたのに。ついさっき、闇の御方はみんなをまとめて屑石と蔑んだ。では──イルディスやクルムズ、ほかの子たちを砕いたのも?


 がたがたと震え始めたチャクルを、災厄フェラケトがあやすように抱き締めた。敵だと思っていた男の手は優しいのに、愛し敬った主の笑みは、冷たくて鋭くて恐ろしい。


「半端な石を育てようとしたのは無駄だった。やはりお前しか考えられぬ。ほかの魔神シェイタンに横取りされなくて良かった──大人しく石を差し出せば許してやろう」

「結局殺すんじゃねえか! 俺は、もう一発ぶん殴りに来たんだよ!」


 蕩けるように囁くカランクラル様に、災厄フェラケトは噛みつくような剣幕で応じた。と、同時にふたつの強大な魔力ギュチが膨れ上がり、ぶつかり合い、弾ける。


「ひゃ──」


 カランクラル様は闇を鞭のように繰って災厄フェラケト──金剛石エルマシュ? ──を絡めようとする。エルマシュは、迫る闇を金色の矢で射ち落とす。絢爛な魔力ギュチの嵐に巻き込まれて、チャクルの全感覚がぐちゃぐちゃになる。


玉胎晶精ターシュ・ラヒムが、どうして魔神シェイタンと渡り合えるの!?)


 貴石を生み出すだけの、か弱い小魔ペリのはずなのに。


 心の中で混乱して泣きわめく間に、闇の魔力ギュチはチャクルにも掠めて、髪がちぎれ頬に細かな傷が増えていく。──彼女を抱えているせいで、エルマシュは徐々に押されている。


「足手まといは放り捨てれば良かろうに」

「これ以上、目の前で《砕かれ》て堪るかよ」


 カランクラル様の嘲りに、エルマシュは憤然と答えた。断ち切られた輝く髪のひと房を、宙に撒いて煌めかせながら。


「ご主人様に可愛がられて満足ならご勝手に、だ。やってるのを覗き見れば安心できると思って来たんだ。だが──囮で殺されるのは違うだろうが!」


 エルマシュの咆哮は、隙になってしまった。首元を狙う闇の鞭を、彼は辛うじてのけぞって避ける。それでも服が破られて、鎖骨の間に埋まった彼の石が露になるあかがね色の腕に抱えられたまま、チャクルは目を見開いて感嘆の吐息を漏らした。


(本当だ、金剛石……それも、真っ黒の!)


 まばゆいのに、どこまでも混じりけのない闇の色の石。金剛石の中でも特に希少な、貴石中の貴石。そうだ、闇の御方カランクラル様がご自身のに、と望むなら、黒以外の色はあり得なかった。


「弱者が強者に仕えるのは世のことわりであろう?」

「だったら目を抉られた時点で諦めろ。あの時、あんたは俺に負けた」


 不思議そうに首を傾げたカランクラル様は、エルマシュに嘲られて唇をわななかせた。闇の魔力ギュチの鞭に、無数の棘が生じる。


「盗んだ力で何をおごるか……!」

「あんたが喜んでくれたんだろうが。今さら返せとは言わないな?」


 無数の光の矢が、迫りくる闇のいばらを射抜き、砕く。漆黒と黄金の煌めきに目が眩みながら、チャクルはカランクラル様の御言葉を思い出していた。


『かつて、お前のように成長が遅い子がいたが、見事な石を育てたものだった』


 あれは、このエルマシュのことだったのだ。玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、注がれた魔力ギュチで体内の貴石を育てる種族。でも、魔力ギュチが石を育てるのに回らなかったら──もしかしたら自分のものにできる、とか?


(じゃあ……私も……?)


 カランクラル様の御力をいただきながら、チャクルの石はとてもみすぼらしかった。ほかの子たちに無駄だと嗤われたあの魔力ギュチが、チャクルの中に留まっているのだとしたら。


 思いついたのとほぼ同時──チャクルは、右手の指先が熱くなるのを感じた。炎がにあるような。熱くて痛いから、放り投げたい。けれど、そうしたら辺りを焼き尽くしてしまいそうな気がする。


(これが、魔力ギュチ……?)


 突如、その場に現れた熱の塊に、強くて綺麗なふたりも気付いたようだった。


、なのか……!?」

屑石チャクルにしてはよくやった。金剛石エルマシュを足止めせよ」


 エルマシュは焦った表情でチャクルを見下ろし、カランクラル様は嬉しそうに彼女に命じる。


 エルマシュの腕にぶら下げられたまま、チャクルは考えた。足手まといを庇ってくれた、初対面の同族。長年慈しんで育ててくれた──でも、みんなを壊したカランクラル様。どちらに味方するべきか。でも、本当に一瞬だけだ。


 チャクルが熱の塊は、カランクラル様の御顔にあやまたず命中した。


「裏切るのか! この私を……!?」


 カランクラル様の御目を覆っていた闇の魔力ギュチが砕けて、無残な傷痕が露になる。美しいはずの御顔が憤怒に醜く歪むのが眼前に迫る。エルマシュが、隙を逃さず距離を詰めたかの。


「足元すくわれて、ざまあないな?」

「貴様ら──」


 チャクルを抱えていないほうのエルマシュの手が、黄金の爪を纏ってカランクラル様を狙う。御目を抉った傷を、さらに深く刻もうと。でも、カランクラル様が闇色の短剣を作り出すほうが、早い。


(いけない……)


 チャクルは、身体を捩ってエルマシュの腕から抜け出した。両手を広げて──闇の切っ先に、我が身を晒す。


 色々なことが同時に起きて、同時に感じられた。振り下ろされる黄金の爪が描く、眩い軌跡。目が痛むほどの輝き。


屑石チャクルの分際で……!」


 カランクラル様の、悔しそうな御声。それから──


「お前、なんで──」


 闇の鞭が力を失い消える中、エルマシュは狼狽えた声を上げた。チャクルの身体をもう一度、今度は両腕で抱き締めた──その瞬間、彼女の身体の中心に埋め込まれた水晶が、ひび割れて砕ける音がした。

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