十年の瞬き

いいの すけこ

それは生命の瞬き

「ざっけんなクソじじい!!」

 声変わり前の少年の声が、鋼鉄の壁に反響する。

「船長と呼べっつってんだろうがトマ!」

 唸りを上げるエンジンの駆動音も、虫の羽音のようなプロペラ音も、彼らの会話を掻き消すことは出来なかった。

 飛空挺の中では、それらの音は日常だから。

「いい加減、俺にマトモな仕事をさせてくれ」

「あんだァ? てめえまさか普段の言いつけを仕事と思わず、適当ぶっこいて片してんじゃねえだろうなァ」

「そんなんしてたら俺はジジイとおかみさんに百ぺんは殺されて、とっくに鳥のエサになってるっつの!」

 船長の禿頭に青筋が浮かぶ。けれど少年――トマは、臆することなく捲し立てた。

「毎日毎日、雑用ばっかり。そりゃ、掃除も炊事も繕い物も大事な仕事ってのはわかるさ」

 荒くれ者どもをものともせず、母のように船員を叱りとばし、世話を焼くおかみさん。彼女にどやされながら家事仕事をするのも、トマは嫌いでは無い。


「けど、いい加減に俺も空賊団の一員としての役割や仕事をくれよ」

 訴えるように手を広げる。家事仕事で荒れた手はまだ小さく、機械油が黒く染み付いた船長の力強い掌との対比が虚しい。

「だから今日から、大事な任務を任せるっつったろうが」

 船長の太い指が、トマの背後を指さす。

「トマには今日からしばらく、荷物番を命ずる」

 小さな倉庫内は明かりの他には、艦内放送用の内線機と非常ベルがあるくらいで、がらんとしていた。

「荷物番だって?」

 トマは鼻を鳴らした。いつもは大小様々な荷が押し込まれているが、今、倉庫内にある荷物はただひとつ。

「ただのおりじゃないか!」

 ぽつんと置かれた横長の箱。トマの体より一回り大きい程の細長い木箱はまるで棺……というか、棺桶に偽装された荷物であった。


 棺桶に横たわるのは、小さな少女。

「お前はちょうど同い年くらいだから、面倒見てもらうのにちょうどいいと思って」

 寝具というより積荷保護のための毛布にくるまれて、少女は寝息を立てる。

 白い顔に色の薄いまつ毛を伏せて、微かに眉根を寄せた寝顔はとても安らかには見えなかった。

 腹の中で怒りと失望が綯い交ぜになって、熱となってゆく。

「人間は商わないんじゃなかったのかよ」

 花嫁市場を襲撃したことからして、おかしいと思っていたのだ。

 腕力や経験を認められたわけでなく、お守りとして荷番を命じられたのも腹が立つが。

 生きた人間を荷物として扱っているのが、トマには許しがたかった。

「これ、人間じゃねえぞ」

「……は?」

 トマの傍らを大股で素通りして、船長は少女の顔に手を伸ばす。

 黒い指先で、少女の瞼をこじ開けた。

 大きな赤い瞳。

 紅玉の様な瞳の中で、いくつも光が瞬いた。火が爆ぜるように、雷光が走るように煌めくそれは魔法の光。


人造人間ヒューマノイドだ……」

 それも魔法使いが造った。魔力を動力としているということは、そういうことだ。

機械マシンタイプよりも複製クローンタイプよりも、遥かに貴重で高価なシロモンだ」

 少女の顔から手を引きながら、船長が言った。

「……どうしちまったんだよ、ジジイ。アンタ、価値のあるもんのためなら、危ない橋は渡っても。それでも子どもを攫うような真似だけは、しないだろうよ」

「お前はを、人の子どもと同じだと思うか?」

 頭と同じく剃りあげた顎を撫でながら、船長は問う。

「それ、は……」

「うぅ……ん」

 トマの耳が、甘い声を拾った。

 船長に触れられた瞼を擦りながら、棺の中の少女はゆっくり起き上がる。

 夢の中――人造人間が夢を見るかはわからない――から現実へとピントを合わすように、少女はまばたきを繰り返した。

 開いた少女の目と、トマの目が合う。

 造られた瞳。絶えず魔力の痕跡が瞬く赤いまなこに煌めいたのは。

「思う」

 間違いなく、生命の輝きだった。


「……やっぱりトマがこのの面倒を見な」

 満足したように、船長はトマの背を叩いた。

「金になるなら、良かったんだがなァ。一銭にもなりゃしないが……人としてちょっとばかし見過ごせねえ頼み事を、されちまったのよ」

「船長?」

 苦笑いを浮かべた顔に、トマが全幅の信頼を置くいつもの船長を見る。

「とにかく、このお嬢ちゃんはトマが……」

「アンタァー!」

 ぐわん、と倉庫内の空気を震わす程の声が響き渡った。トマは思わず歯を食いしばったし、少女の瞳は文字通り火花を散らす。

「おかみさん?!」

「アンタ、トマのお嫁さんを花嫁市場から攫ってきたってのはどういうことなんだえェ?!」

 倉庫内に飛び込んでくるなり、おかみさんは船長の首に腕を回した。家事で鍛えられた腕が、船長を締め上げる。

「まってまってまっておかみさん!」

 顔色が変わっていく船長の首に絡みつく腕を、トマは必死になって引き剥がす。


「およめさん?」

 初めて、人造の少女が言葉を口にした。たどたどしく、見かけよりも幼い子のように。

「ちょ、おま、誤解して……るけど、それも良いかもなァ。可愛いお嬢ちゃんだし、未来のトマの結婚相手ってのも悪くないかもしれねえ」

「ばっ……口の端に泡ためながら、馬鹿なこと言ってんじゃねえジジイ!」

 少女はこてんと首を傾げた。

「およめさんは、本物の人間じゃなくてもなれるもの?」

 無垢そのものの顔をして、少女は問うた。

「私は本物の人間違うから、できないことたくさんあるって言われたよ。えっと、こせきっての、ないし。人間の決まり、ほうりつ? っての、通用しないって」

 少女は赤い瞳を輝かせる。

「けっこんは、人間のほうりつですること?」

 トマはただ呆然と、光瞬く瞳を見つめた。

「……アタシら孤児だったから戸籍なんかないけど、夫婦やってるしねえ」

 船長の首を絞める腕を緩めて、おかみさんは言った。

「まあ、気持ちひとつだよ」

「お前らが大人になる頃には、人造人間に関する法律の一つや二つ、変わってるかもしれねぇしなあ」

 少女はぱっと顔を輝かせた。

「私、大人にはなれるって聞いたよ。そういう風に造ったからって!」

 トマと少女が大人になる頃。

 変わるのは世間か、法律か、人の心か。

「じゃあその頃には、私はおよめさんになれる?」

 もしかしたら、世の中は何も変わらないかもしれないけれど。

「……なれたら、いいな」

 少女の瞬きがあまりに眩しくて、トマは僅かに視線を逸らす。

「俺のかは、知らんけど」

 そうは、言うけれど。

 この二人は十年後に結婚します。









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