無礼者 (2)

「実はね、ESSでヒカリ……のことをちょっと話題にしたらね、二人ほどすごく興味を示した子が出てね、それで、『一度会って話してみたいから、お茶会セッティングしてよ!』って言われたんよ」

「あー」

 なるほど確かに面倒な話だ。ヒカリは知らず頭をかいていた。

「それって、男子?」

「ううん、女子ばっかり。だから合コンとかそんなんじゃなくて、本当に単なるお茶会」

「お茶するだけだ、ってんなら、まあ……」

 そう応えかけたところで、ふと、ヒカリの脳裏に何かが引っかかった。

 それは、小さな違和感だった。糸くずの入った靴下を知らずに履いてしまった時のような、そんな微かな微かな……違和感。

「待て。さっき、なんて言った?」

「なんて、って?」

「ESSで何を話題にしたって?」

「え、それは、ヒカリ……のことを」

「そこ、もっと大きな声で明瞭に」

「…………ヒカリ、たち、のことを……」

「達?」

 ヒカリが殊更に低い声で復唱すれば、茉莉は観念した様子で両手を上げた。

「ヒカリと原田さんの! ていうか主に原田さんのことを! 話したら! めっちゃ食いつかれて! 一緒にお話ししましょう、って!」

 咄嗟にベンチから立ち上がろうとしたヒカリの太腿を、茉莉が見事な反射で抑え込む。

「逃げるなー!」

「逃げるに決まってるだろ!」

 万里を振り払おうと身をよじるも、彼女の手は一向に緩む気配が無い。

「やたら頼みづらそうにしてたわりに、実際に聞いてみたら意外と簡単な用件だったな、って思ったら、そういうことか! 話題のメインはアレなんだろ? 私を巻き込むな!」

「だって! 私入れて女子三人、しかもそのうち二人は初対面でしょ。原田さん一人だけじゃ、色々気まずいかなあ、って思って、ヒカリも一緒にいてくれたらなあ、って!」

「そこで女子の数増やしてどうするんだ!」

「だって、ほら、ヒカリは女子枠を超越してるし!」

「雑な言い訳をするな!」

 眉間にしわ寄せ凄んでみるも、茉莉が怯む様子はない。ヒカリは一旦抵抗を諦めて、ベンチに座り直した。

 それを見た茉莉も、ヒカリの膝からおそるおそる身を起こす。

「じゃあ、こうしよう。ヒカリはお茶会に参加しなくていいから、原田さんに声をかけに行くのに付き合って」

「だから私を巻き込むなって……」

「だって、私一人じゃやっぱりまだちょっと声をかけづらくて……。そもそも、ヒカリの先輩でしょ」

「たまたま同じ学科ってだけで、なんであの下劣馬鹿と関わり合いにならなきゃならないんだ」

 ヒカリは、機嫌の悪さを隠す気もなく、盛大に鼻を鳴らした。

 その様子を見て、茉莉が小さく首をかしげる。

「下劣とか馬鹿とかクソ野郎とかいつも言ってるけど、別に原田さんって、そんな酷い人じゃなくない? 確かにちょっと調子がいいかなとは思うけど、高校の時とか、ああいう男子、フツーにいたじゃん」

 二十歳を超えた大学生を「フツーの高校生」扱いするのもどうかと思いつつ、ヒカリは一旦口をつぐんだ。どうすれば茉莉に原田のダメさ加減を理解してもらえるのだろうか、と、しばし思案する。

 一番強烈なネタとしては、新歓コンパにて原田が仲間内で「ボンキュッボン」な話題で盛り上がっていたあの時のことがあるが、これは場合によっては諸刃の剣となりかねない。高校の頃から胸部サイズの話題には非常にセンシティブな茉莉は、「胸があるだけ、いいじゃない」だの「胸よこせ」だの、本題を見失った上に血迷った反応を見せてくる可能性があるからだ。場合によっては、全面的に原田の味方につかんとも限らないぐらい、彼女に胸の話は禁句なのだ……。

 ヒカリが思い出の中を彷徨っていると、当の茉莉が「どうしたの?」と顔を覗き込んできた。

「なんでもない」

「えー、本当? さっきから、何かたくらんでいるような顔してるじゃない」

「殴るぞ」

 阿吽どこ行った、と胸の内でぼやきながら、ヒカリはあらためて別な反論を試みた。幸いなことに、弾数にはまだまだ余裕がある。

「あいつは、女子に『ケツの穴の小せぇ奴』とか言う奴だぞ?」

 だが、万里はけろっとした顔で、即、言い返してくる。

「でも、それって、ヒカリの態度に合わせてるだけじゃないかな」

「なんだって?」

「だって、原田さん、私には『ケツ』とか言ったことないよ」

 思わず言葉に詰まってしまったヒカリに、万里はにっこりと笑いかけてきた。

「ある意味、正面からドーンとヒカリに向き合ってくれてる、貴重な人間なんじゃない?」

 ヒカリの刺すような眼差しを受けても、茉莉はまったく怯む様子も見せず、むしろ満面の笑顔でそれを弾き返してくる。満面の――凄みのある――笑顔で。

「じゃあ、行くよ! いざ、工作研究部へ!」

 茉莉の剣幕に、ヒカリは為すすべもなく、そのままずるずると引きずられていった。

 

 文化系部棟一階、薄暗い廊下の突き当たり、「工作研究部」と書かれたドアをノックすれば、ややくぐもった声が「どうぞー」と応答した。

 ふてくされた表情も露骨に、ヒカリは無言で扉を押しあける。

 趣味の工作に勤しむ人間ならば来る者を拒まず、という同好の会なだけあって、工作研究部の部室は雑多なもので溢れかえっている。壁一面のオープンラックに並んでいるものを見るだけでも、紙の束、木材、工具箱、裁縫道具、溶接機、果ては炊飯器まで、見事なまでの混沌っぷりだ。

 部屋の真ん中には、八人がけのテーブルサイズの立派で重厚な作業台があり、その一番手前の所に、ハンダごてを構えた見慣れた後ろ姿があった。

「なんだ、珍しいな。この作業だけ終わらせてしまうから、ちょっと待ってな」

 背中を向けたまま、さもこちらが見えているかのように、原田が応対する。

 またコイツはそうやって思わせぶりなことを言って、会話の主導権を握ろうとする。その手にはのらないぞ、と、ヒカリは茉莉を振り返った、が、ヒカリが「何も言うな」と合図を送るよりも早く、茉莉が驚きの声を上げてしまっていた。

「え? 原田さん、見えてるんですか? え? 鏡とか?」

「見えてなくても、分かるって」

 ヒカリは、小さく舌打ちした。得意げに弾む声が、ヒカリの神経を更に逆撫でる。

「扉の前で止まった足音は、二人分。ノックをするってことは、部外者ってことだ。で、普通なら、扉をあけたら、『あのー』だの『すみません』だの訪問の理由を説明しようとするだろ? 黙ってつっ立ってるなんて無礼者は、友達に頼まれてしぶしぶやって来た雛方ぐらいしか考えられないからな」

「すごい!」

 原田はハンダごてをスタンドに差すと、ここでやっとヒカリ達を振り返った。

「大正解、だろ?」

 正面から視線が合ってしまって、ヒカリは思わずたじろいだ。慌てて眉間に力を入れ、反撃にかかる。

「本当にノックの主が私だと確信していたのなら、名前を呼んだんじゃないのか」

 ヒカリの文句に、原田は「言うねえ」とでも言いたそうな表情を浮かべた。

「厳しいこと言うなよなー。部員の誰かが俺を引っかけようとしている、って可能性も、一応あるんだからさ。これぐらいの演出は、手品でもつきものだろ」

「それでも、『友達に頼まれて』ってのは、過剰装飾、後出しだ」

 単なる知り合いに頼まれた場合など、ヒカリの連れが「友達」以外だった場合で先の条件に当てはまる状況は幾らでもある。きっぱりと推理の穴を指摘したヒカリに、原田は、きょとんとした顔で言葉を返した。

「え、でも、ドアあけて無言、なんてひねくれた態度、仲の良い友達にしか見せないだろ、お前」

 

 ちょっとヒカリどこ行くのよー、との抗議の声を勢いよく扉でへし切って、ヒカリは一人さっさと部室棟をあとにした。

 

 

 

    〈 了 〉

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