いつかの約束

もずのみいか

いつかの約束

「前回より点数、悪かったね」


 その何気ない言葉が、子供のやる気をぽっきり折るのだという事が。

 いい大人なのに、教師なのに、何故わからないのだろうか。


 は自分の席に戻り、85点と書かれた赤い筆跡を眺めた。


「60点! がんばったね」


 先生に言われ、嬉しそうにする男子をチラッとみて、誰にも聞こえないよう小さく小さくため息をついた。

 なんであの子は、いつかよりも点が低いのにほめられるの?


 普段はちゃんと勉強しなくて赤点ばかりだから?


 だったら、普段からちゃんとしているのが、馬鹿みたいじゃない。




「いつかちゃん、バイバイ」


「うん。また明日ね」


 別れ道で、クラスメイトに手を振る。


 少し先を歩いていた、少し背の高い彼女にも声をかけた。


「あすかちゃん、ばいばい」


「────……またね」


 振り返ったあすかは、それだけ言って会釈した。背負っているランドセルの大きさはいつかと同じなのに、あすかの仕草は大人みたいだ。


 そして塩対応は今日も平常運転。


 人嫌い、なわけじゃないと思う。


 そっけないけど、誰かが困っていたら助けてくれる子だ。


 つるむのが苦手な人も、いるよね。


 あすかの背中を見送って、いつかは駅に足を向けた。


 さ、いつかは今日も塾だ。


 塾は学校の隣の駅。


 ICカードを改札にタッチすると、鳥の鳴き声のような音がぴよぴよと鳴る。


 不正防止の為だとはわかるのだけれど。


 いつかはこの音に、お前は子供だと言われているようで、あまり好きではなかった。


 改札機に表示された残高は4,120円。いつかにしたら、なかなかの大金だ。お母さんは忘れっぽいから、ことあるごとに「念のため」って言って、多め多めにチャージするのだ。

 子供料金なのだから、そんなに一気に減らないのに。


(そういうところが、お嬢さん育ちなのよね)


 子供のいつかから見ても、お母さんはお金に苦労した事が無いのだろうなと思う。


 特別お金持ちではないけれど、生活に困ったことはない。


 たつやくんちのお母さんみたいにスーパーをハシゴしたりしないし、国産車のエコカーだけど、移動は車だから電車にも乗らない。


 特別お金持ちではないけれど、地方都市で生きていくには十分だ。


 お母さんは、都会が嫌いなんだって。


 狭いし、高いし、うるさいし。


 いつかからしたら、田舎のおばちゃんたちの噂話ネットワークのほうが、よっぽどうるさいと思うけど。


 4,120円。


 いつかにしたら大金だけれど、東京にはどうしたって行けない。


 学校に。田舎に。冴えない自分に嫌気がさしたって、ドラマみたいな展開で都会には行けないのだ。

 大人がいなきゃ何もできない、子供だから。


 行けるとしたら────。


 行って帰って、怪しまれない距離感として。


 大阪、くらいか。


 いつかは、昨日の社会の授業を思い出した。


 太陽の塔。

 昔の万博のシンボル。


 なんだか気になったのよね。


 行ってみようか。今度の土曜日。ひとりぼっちで。


 朝から友達と図書館にでも行くと言えば良い。


 そのくらいの嘘を疑われない程度の信頼は、普段から積み重ねている。



          ◇



 モノレールに乗り換える駅で、知っている横顔を見つけた。

 彼女はホームにひとり、ぼんやりと立っていた。


 声をかけるかどうか迷ったけれど、スルーしたあと気づかれても面倒だ。

 何より、いつかがゆっくり話してみたいと思う相手だった。


「何してるの」


 不躾ないつかのセリフに、あすかは目を丸くした。


「そっちこそ」


「あ────。社会の、黒ちゃん先生の話が頭に浮かんでさ。きてみた」


「ひとりで?」


「ひとりで」


「なんだ、一緒か」


 そう言って、あすかは笑った。


「────一緒に行く?」


 意外だった。

 あすかはひととつるまないイメージだったから。


「いいの」

 いつかが問い返すと、あすかは首を傾げた。

「だから誘ってる」


 それもそうか。




「もう一個、顔があったんだよね」


 塔が見えるベンチに、ふたり並んで座った。そう言ったのは、あすかだ。


 いつかは頷く。

「黒ちゃん言ってたね。もともと地下にあった顔は、撤去されてから行方不明だって。でも、いまは復元されてるんでしょ?」


「でもさ、そんなの知らない人もいるじゃん。そうやってさ、新しいものと入れ替わって、無くなったものは、いないのが当たり前になっちゃうのかな」


「どうだろうね。知ってる人は知ってるだろうし」


「私さ、転校するの。東京に行くんだ」


 あすかの告白に、いつかは目を瞬いた。


「────東京」


「そう」


「いいな。いつ?」


「来月。いい、かな。私は、行きたくないんだけどね」


「うらやましいよ。田舎、好きじゃない」


 あすかは困ったように笑った。


 あ、しまった、といつかは思った。

 あすかの気持ちを考えない発言だった。


 どうしていつも、いつかはこうなのだろう。

 言ってしまってから、後悔する。


「お母さんは、私がいないと。でもお父さんとも、離れたくないよ」

 絞り出すような声で、あすかが言った。


 いつかはかける言葉が見つからなくて、黙ったまま、時間が流れた。


「…………」


「みんなとも、離れたくない」


 そんなふうに、思ってくれていたのに。

 さっきの能天気な自分の発言が、もっと嫌になる。


 急に動揺がこみあげてきて、いつかは立ち上がった。


「私、飲み物買ってくる」


 自動販売機の前で小銭入れを開いて、いつかは一時停止した。


(ああ、足りない。70円しかないし。この自販機、電子マネー使えないのか……)


 正直、もう飲み物のことはどうでもよかった。


 急に実感がわいてきた。


 いつかのなんでもない毎日から、あすかが消えるのだ。

 大人っぽくて、群れなくて、いつもぴんと背筋をのばしたあすかの姿が────消えてしまう。


「どうしたの?」


 背後から心配そうな声がした。あすかだ。


「現金……これしかないや」


 いつかが小銭を見せると、あすかはポケットを漁って、「あった」と言った。その手には100円玉が。


「一本なら買えるよ。半分こしよ」




「手紙を書くよ」


 ベンチに戻り、いつかは言った。


 小学生の約束なんて、いつまで続くの?

 大人はそう言うかもな。

 でも、いつかは決めたから。


 また会えるその時まで、約束を繋げるのだ。


 勉強もやる。誰に認められなくても。

 きっと、未来の私が褒めてくれる。


 そして、胸を張って、あすかの隣に並びたい。


「ありがとう」


 あすかは言った。

 その横顔には子供らしい心細さがうつっていて。


 ────この約束を、思い出には絶対しない。


 いつかはそう、心の中で誓ったんだ。



          ◇



「今はここまでだけどさ。10年後、東京タワーの下で会おう」


 いつかの提案に、あすかは笑った。


「そこはスカイツリーじゃなくて?」


「東京タワー」


「あえての」


「あえての」


「いいよ。絶対忘れない。楽しみにしとく」


「その時、お互いが幸せでも幸せじゃなくても。お酒を飲んで話をしようよ。

 大人になったあすかちゃんと、話がしたいよ。

 あっ、その時、もし大人になってもお酒が苦手だったらさ、今日みたいにコーラでもさ、オレンジジュースでも良いよ」


「────うん」


 いつかはいっぱい自分の願望を話したけれど、あすかの返事はやっぱり短かった。

 でも、塩対応とは思わなかった。


 あすかの目から、なみだがこぼれていたからかな。


 頬を伝って落ちた雫が、とても綺麗だと思ったんだ。


 いつかはあすかの手をぎゅっと握った。────お別れの駅に帰るまで、ずっと。



          ◇



「お母さん。うん。夏休みは帰るよ。新幹線も予約とったから。教え子が待ってるからね、お盆あけたらまた東京に戻るけど────。え? これでも人気の塾講師なんですぅ。────あっ、またあとで」


 通話を終わらせて、いつかは、手を振りながら歩いてきた彼女の正面に立った。


 ショートヘアの似合う美人だ。

 メイクもして、あの頃とは髪型も違う。

 でも面影はある。


 その背筋はぴしっと綺麗にのびていて、いつかもつい姿勢を正した。


「久しぶり、いつか」


「久しぶり、あすかちゃん。────お酒、飲めるようになった?」


「無理。そこは大人になっても変わらなかった。まずいわ、あれ」


 苦虫を噛み潰したような顔で言う、あすか。

 いつかは笑って、ポンと手を叩いた。


「じゃあ、コーラで乾杯だ」


「いいね」

  

 積もる話がたくさんあるよ。


「よし、行こう!」


 いつかは東京タワーを真下から見上げて、ふふっと笑った。


 この街で、また会えた。


 あの約束は、もう思い出になっても良い。また、新しい約束ができるのだ。


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いつかの約束 もずのみいか @natunomochi

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