まちがいさがし

「ときめき」って言葉は、平安時代からあるんですよ。「きらきら」もね。

 平安女子も、一ノ瀬ワタルさんや、富栄ドラムさんのような、きらきら男子に、ときめいてたわけです。(昨日、『人志松本の酒のツマミになる話』に出てらっしゃった一ノ瀬さんが、めっちゃかわいらしくって、頼むから、×絶させた元彼女とか、認知してない隠し子とか、出て来ないでくれよ、おい。と、私は心から祈りました。最近、心をへし折る芸能ニュースばっかで、ほんとにヤだ)


 紀貫之の妹の存在は、多分、史実です。「存在」だけね。設定は、私の妄想です。

 平安後期(源頼朝のお父さんの義朝と、平清盛が争っていたあたり)に、藤原清輔ふじわらのきよすけが和歌について論じた『袋草紙ふくろぞうし』という本があります。その中に、「『古今和歌集』の信頼できる本は、紀貫之の妹が写したものである」みたいな文があります。

 当時は、印刷技術がないので、誰かに借りて、写すしかなかったんですね。当然、写しまちがいが起きます。写して自分で読むんだから、必要なところだけ写す、関係ない・おもしろくないところは写さないとか、ここ、まちがってると思ったら、勝手に直すとか、そーゆーことはフツーにあるわけです。

 写したものを借りて写す時は、字が汚くて、わかんないとか、ここ、写しまちがい?元々、書きまちがってたの?…とりあえず、そのまま写しておこうって人と、直す人がいるわけです。

 さらに、この和歌、こう詠むより、こう詠んだ方がいいっしょ。とか、話の展開、こっちの方がいいって。とか、勝手に書き直したり、書き足したり、ここの展開、だるいとか、おもしろくないとか思ったら、写さないこともあるわけです。

 だって、自分が写して読むための本だから。「後々のちのちの時代に残る物」なんて気持ちは、当時の人たちの中に皆無かいむなんです。


 令和的に説明すると、スマホに加工した写真だけが残ってて、元々の写真データがないってゆー状態と同じです。――自分が撮った写真を、後々、歴史に残るものだから、元データを、ちゃんと保存しなきゃ!なんて、思いもしないでしょ?

 なので、もう平安時代末期には、ちょっとずつ違う『古今和歌集』を写した本――写本しゃほんが、いろいろあるって状態になってたわけです。『古今和歌集』だけじゃなく、『源氏物語』とかもね。


 そんな中、藤原定家ふじわらのていかは(百人一首をえらんだ人だよ)は、ちゃんとした写本=証本しょうほんを作ろうとします。

 と言っても、定家も、「こっちの書き方の方が、わかりやすいっしょ」って、自分で作った「定家ていか仮名遣かなづかい」というもので書き写しちゃったもんだから、元々の平安時代の仮名遣い、もっと言っちゃうと、紀貫之が実際に書いた仮名遣いは、失われている部分もあるんだよね。

 定家は、暴力で支配される武士の世に変わりつつあるのを目の前にして、「俺たち、お貴族様には、武士には生み出せない、理解できない、『みやび』ってものがあんだよ!!」って、存在証明をしたかったんだろーなーって、私は思います。


 将棋は一応、駒の動かし方は、わかるんですが、囲碁は全く知らなくて、Wikipediaを読んで、E-TVを見ました。

 菅原道真すがわらのみちざね紀夏井きのなついが、碁が強いというのは史実です。紀友則は、碁を打った時の歌が残ってるので、打てたと思いますが、上手・下手は史実に残っていません。

 調べて、初めて知ったんですが、碁を「打つ」という表現の初出しょしゅつは、この紀友則の歌の詞書ことばがき(和歌が詠まれた時の状況説明)なんだそうです。碁は「打つ」、将棋は「指す」と、どうして言い方がちがうのかは、わかっていないそうです。


 醍醐天皇の皇太子時代に住んでた「東宮」が、梨壺なしつぼか、雅院がいんか、どっちなのか、はっきりしなくてですね。なので、場所の名前は書かずに済ませてしまいました。『日本紀略にほんきりゃく』の宇多天皇のところに、「東宮雅院」って文章があったので、雅院かなーとも思うんですが。


 貫之の膝行しっこうが書きたかったんです。昔は、えーと、「昔」じゃないや、、日本式家屋かおくでは、部屋に入る時は、必ず座って、戸を開け、もちろん敷居しきい(廊下と部屋の境界線)は踏まずに、座ったまま、膝を進めて、部屋の中に入るのが、礼儀なんですよ。戸を開ける時は、スパーン!と一度で開けず、ちょっと開けたら、戸に手を掛けて、二段階でね!!

 でも、時代劇で、それができない理由は、理解しています。廊下を歩いて来た登場人物が、部屋に入るために座り込んじゃうと、カメラを下に下げないとなんないから、めんどくさいもんね!

 「膝行しっこう」をご覧になりたい方は、『必死剣・鳥刺し』の豊川悦司さんを見てね!!


 藤原氏が、権力や地位を独占して、私腹を肥やして、毎日ドンチャン騒ぎ。ってゆー平安時代のイメージは、そうでもなかったらしいって研究が出ているので、来年の『光る君へ』では、そゆとこ、書かれるかな~。平安時代を舞台にしただけの、不倫ドラマになっちゃうのかな~。(今期の大河ドラマが、ぐっちゃんぐっちゃんなのは、史実を無視した展開をしておきながら、「史実」に着地させようとするからだと思うんですよね~。家康が瀬名と信康を逃がして、それをバレないようにするために、もう信長を殺すしかない!って展開なら、まだ納得できたと思いません?)

 大河ドラマで、まだ夜も明けないうちの、お貴族様たちの徒歩や馬での出勤風景が出て来たら、私は泣くね!!平安時代のイメージってゆーと、牛車ぎっしゃですが、令和時代で言うと、超高級車で、一部の超上流お貴族様しか持てなかったんですよ…

 ちょっと思ったんですけど、藤原氏が没落して、院政になってからの政治の方が、自分のセフレに政治を任せたり、自分の愛人の子を天皇にしたいからって、退位させたり、ひどくないか??


 そういえばね、「史実」って言葉を軽々しく、私、使ってますが、「史実」っていうより「史料」って言うべきかと、思いましてね。

 「史実に残っている」というよりは、「史料に残っている」というのが、正解なのではないかと思います。で、さらに『物語』を「史料」として扱うのか、って問題もあるんですよねえ。

 たとえば、最近は『平家物語』は、「史料」としては取り扱われなくなっています。かと言って、鎌倉幕府の官製かんせい記録である『吾妻鏡あづまかがみ』が「史実」なのか?と言うと、疑問なんですけど。『平家物語』から写してるところもあるし。欠落部分(ある意味、隠蔽いんぺい部分)が多すぎて、貴族の日記や書簡の「鎌倉で、こんなことあったらしいって、言ってるのを聞いた」ってゆーのが、「史実」として採用されてるくらいだからねえ。



 この話、そんなに長く書くつもりもなかったのに、『鬼と舞う』の半分くらいの分量を書いています。とゆーか、『鬼と舞う』が、すっごい長く書いたような気がするのに、原稿用紙換算70枚くらいしか、書いてなかったんですよね…

 この話は、碁を始めるところで終わらせて、海の日に投稿するはずだったんですが、投稿できなくて、結局、全体的に書き直して、時平の話を足しました。


 では、次こそ、貫之が生まれて初めて鬼を静めた時の話です。

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【短編】女日記 善根 紅果 @yamaga-ruri

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