最終話
「――谷村です。赤級危険擬態種【カノルス】の防除任務、滞りなく完遂致しました」
『交戦を開始したとの報告は、受けていないのだが?』
管制である女性の淡々とした声に、悠一の眉がぴくりと動く。ぶっきらぼうな調子で、何時か聞いた言葉をなぞるように口にする。
「余談を許さいない状況でした。現場判断で、処置に入りました」
『……なるほど。師匠譲りの、独断専行というわけか』
インカム越しに聞こえる声は無感情な見た目をしている割に、どこか冗談めいていた。
しかし、続く言葉を吐き出す間際、変質した空気を如実に捉える。
『谷村悠一。まさか、お前も実は擬態種であった……なんてことは、ありえないな?』
「それは――」
悠一とて、管制のその言葉が真意でないとわかる。でなければ、わざわざ口に出して明らかにする必要のない疑念だからだ。
ただし、まったくもって疑いが零かと言われれば、そうでない。
アンバランスな心情の吐露を聞いた悠一は、一息吸って……軽く笑った。
「はは……」
――擬態種についての解明が飛躍的に進んだ現代であっても、その定義にはあやふやな部分が多い。
日本は、人を喰らわぬ擬態種をヒトガタと呼び、区別する。
なれば、擬態種としての生態が確立されていないのだとしても、人を殺した人を、人間はどう区別するのだろうか。
「案外、そうなのかもしれません」
『……何?』
悠一の言葉を、ただの冗談であると捉えることは容易い。されど、管制の息を呑む気配や雰囲気から見えるものは、研ぎ澄まされた警戒の色。
委員会内部に紛れ込んでいた擬態種の防除任務が終了した今、安々と口に出来るジョークとは言い辛い。
悠一は一言「いえ――」と否定の句を述べて、言葉を続けた。
「今日、僕は既知の人間を殺したんです。良くも悪くも、彼女はその後の僕にとって、無くてはならない……親や姉や、そういったカテゴリに当たる……そんな人でした」
『……ああ』
「僕の行った行為は、僕らが擬態種と呼ぶ彼らの行動と、何が異なると言うのでしょうか? 僕には、その違いが、明確に分からない」
擬態種が人間社会に初めて現れた時――。
人間は真っ先に、彼ら新生物を駆逐する道を選んだ。そうして生まれたのが各国政府に設立された解剖学的現生人類擬態種保尊委員会であり、執行官だ。
どうして、人間は擬態種を屠ろうと考えたのか?
簡単な問答だ。
彼らは、人間にとって生命を脅かす害獣だったからだ。
人間を喰らうこと……つまり、人間を殺すことを目的として動く彼らが防除の対象となりうるのだとすれば――人間を殺す人間を同じ列で語ることに、問題などあるわけもない。
「少なくとも、僕はあの人の死を、悼んでいます。あの人を殺した僕自身を、殺したいほどに憎んでいます。おかしい、ですよね? だって、僕がこの道を選んだのも、そもそもが――」
『もう良い。話は、聞かなかった事にしよう。事後処理は迅速に頼む。迎えが必要であれば、また、連絡をしてくれ』
そこで、通信が途切れた。
「…………」
悠一は眼前で腕を組む少女を見やる。
彼女こそ、日本政府が擬態種を仇なす為にと開発した、人工の擬態種。
彼女の話は聞いていた。
彼女たちは元々、撒き餌として街中で暮らすだけの存在意義だった。
擬態種が彼女たちを狙って食べれば、その時彼女たちの血は抗体として作用し、擬態種を屠る。
ゴキブリの毒餌剤のような、そんな程度の切って捨てられる軽い命。
しかし、初めて実戦投入された"黒枝カイリ"は、その手に持ったナイフを使い襲い来る擬態種を返り討ちにした。自らの血をナイフに塗りたくり、敵を殺した。彼女たち人工擬態種の新たな道が提示された瞬間だった。
「……終わった?」
「あ?」
「報告。……終わったの?」
「……ああ」
カイリは悠一の返事を聞くと、「あっそ」と興味なさげに答えた。
それからちらりと悠一の姿を視界に納め、「ああ、もう」と、膝を折って視線を同じにした。スカートのポケットを弄り、取り出したのは可愛らしい蝶がプリントされたハンカチ。
「血やら炭やらでベトベト。本当に、ずぼらな所は変わってないんだから」
「やめろって」
「いいから」
しばしの間、悠一の顔に付着した汚れを丁寧に拭ったカイリは、「よしっ」と満足気に頷いて、ハンカチを直した。
「お前……」
「え?」
「カイリ、なんだよな?」
「……今更聞くの?」
「この五年、メールでのやり取りしかしてこなかった。それに、数だって限られた回数だけ。仕方ないよ」
「……わたしは、ずっと見続けてきたのに」
「え?」
「なんでもないっ」
カイリは己の背丈程もある長大な日本刀の刀身に、包帯をくるくると巻くと、紐を括り付け、首に引っ掛けた。それから悠一に向かって背中を向け、膝を折る。
「ん」
「……なんのつもり?」
「おんぶしてあげるって言ってるの。どうせ、動けないんでしょ?」
「良いよ別に」
「強がりは良いから、ほら、さっさとして」
「……わかったよ」
「よい、っしょと。……見かけによらず、結構重いのね」
「まあそりゃ、鍛えているし……」
「…………」
倉庫を出て、明るくなりつつある港を歩く。
年下の少女に背負われて、なんとも情けないと自覚しつつ、暖かな背中と、揺れて動く景色が重なって、不意に溢れるのは小さな涙。
悠一はカイリにばれないようにと軽く拭い、紛らわすように声をかけた。
「あの日と、逆だな」
「どの日?」
「お前と初めて会った日。あの日は、僕がお前をおぶって帰った」
「……朧気ながら、覚えている自分が憎らしいわ。記憶から抹消したい」
「なんでだよ」
「さあね」
示し合わせた訳もなく見上げた夜空。
不意に――二人の視界に、一匹の蝶が舞い込んだ。
全身を黒く彩り、茶色く大きな斑点を持つ蝶。
「クロアゲハ……」
「どうして、こんな所に?」
ひらひらと、まるで二人の前に姿を見せる為だけに現れたと言わんばかりの様相で、クロアゲハ姿を消し、何処か遠くへと飛んでいった。
「――これから、どうしようかな」
「…………」
ぽつりと、悠一は呟いた。
――なんとなく、執行官の道を選んだわけではなかった。
夏樹の家で暮らす日々の中、悠一の元に届いた一通の手紙。差出人が不明ながら、そこにはカノルスについての詳細な記録が記されていた。
すぐにそれが事実であると受け止められなかった悠一が、手紙の存在を夏樹に隠し、独自に一番近い所から捜査を始めた理由は――。
「執行官、辞めるの?」
「さあ、どうだろう。しばらくは、続けると思う。お金が十分にあるわけじゃないし。でも、将来は――」
「辛かったらさ、辞めても良いと思う。誰にも、止める権利なんてないから」
「……お前は、どうするんだ?」
「わたしに選択権なんてないわよ。擬態種を屠る為だけに、この世に生まれ落ちたんだから」
解剖学的現生人類擬態種保尊委員会は防除完了した擬態種や、まだ防除が完了していない擬態種たちに対して、公式にコードネームを付ける。
それはヒトガタであるカイリも、例外ではない。
カイリのコードネームはタナトス。
自らの血液が、抗体にたな武器であるとされる彼女には、擬態種に対する死を与えるという意味で、「死」そのものを神格化した存在の名が与えられた。
悠一はカイリの背中で小さく頷いた。
カイリもまた、背中で動く悠一の存在に気がついて、振り返る。
「どうしたの?」
「決めたよ」
「何を?」
「僕は執行官を続ける」
「……あらま、そりゃあ、酔狂な」
「防除対象がいなくなる未来が来たとすれば……お前だって、捜査官を続ける必要が無くなる。一体であっても、そんな未来に貢献できるのだとすれば、それで良いさ」
「……馬鹿みたい。五年も前に、少しの間一緒に過ごした相手の為に、心をすり減らし続けるの? それは、ただ……」
――わたしを生きる理由を、責任を押し付けているだけ。
言いかけて、カイリはその言葉を呑み込んだ。
「はっきり言うけどさ、悠一は戦うことに……人に死を与える事に、向いてなんかいない」
「お互い様だろ。……お前だって、優しすぎるよ」
「――本当に、馬鹿なんだから」
例え僅かな希望であったとしても、悠一は微かに遠方で光り輝くその道に手を伸ばす。
何もない自分に、愛をくれた少女の為。
愛を失った自分に、情を教えてくれた女性の為。
そして――今度は自分が、孤独な少女に愛情を伝える為。
二人の間にある決定的な繋がりは細くて、しかし鋼のように硬い糸が一本限り。
その糸は――黒枝美翅と言う、一人の女性。
他の繋がりを持たない二人は、か細いその糸を大事に手繰り寄せ、そして、再会を果たした。
「嘘つき」
「……なんだよ、突然」
「守るって、約束したじゃない」
「……ああ。そうだな。ごめん。約束、守れなかったよ」
「嘘つき。ずっと、一緒にいてくれるって……約束、したのに……」
「うん。ごめん」
悠一は、自分を背負うカイリの頭に手を乗せる。
カイリの動きが止まった。
「だから、これからは、一緒にいるよ」
「……どうせ、嘘なんでしょ」
悠一は、何も答えなかった。
二人は無言で、小さく、お互いの指に触れる。
カイリは歩くことを再開して。
歩く二人を見守るように、天高い空の上。
一匹のクロアゲハが、ひらひらと舞っていた。
"人間"と同じ姿で"人間"を喰らう怪物(俺)は、"人間"の女の子に恋をした。 駆け出し作家T @T_0413
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