第32話


 カイリの背後から、その腹部を撃ち抜いたのは、悠一の放った弾丸だった。

 夏樹の細工によりDCBの抜かれた、ただの9mm Parabellum Balletは、カイリの血液という新しい抗体を纏って、夏樹の身体を撃ち抜いた。


「なぅ――」

「今っ」


 カイリは一瞬の隙を付いて、夏樹の左手を蹴り上げ、拳銃を遠くに放る。

 そして距離を取り、人差し指を夏樹に向け――言った。


「チェックメイト」

「あがぁぁぁぁぁぁぁっっっ」


 カイリの血液が粘膜に触れた以上、擬態種である夏樹が、死から免れる術はない。

 このまま死ぬか、あるいは――具現化して死ぬか。


 その二択しかない。


 銃創だけではなく、身体中から灰色の煙を立ち昇らせ始めた夏樹の姿を見て、カイリは直感的に「まずい」と感じた。


 対抗できる手段があるとすれば、抗体の代わりとなる自らの血液を、さらに高濃度、打ち込むだけ。

 刀を振り上げたカイリの肩に、手が触れた。


「待ってくれ」

「……なんで」


 そこには、痛みを抑えて立ち上がった悠一がいた。

 現状、声が聞こえていないカイリであっても……悠一が、カイリの動きを制したことだけは分かる。


 分からないのは、何故止めたのかという理由。


「うぐぅ、あ、ああああ、ぁぁぁ、っっっ!」


 身を抱えて喘ぐ夏樹に近寄り、悠一は言った。


「貴方は、どうして……ヒトガタになる道を選ばなかった?」


 それは、純粋な疑問だった。

 戦闘能力に限らない。

 夏樹という"人間"はとかく、かしこい。


 正当な手段で、正当な身分を、そして正当な生き方が出来たはず――。


 しかし、夏樹はそんな言葉を投げた悠一をほくそ笑むように、口の端から血を流しながら言った。


「……あたり、まえだろ。……あんな、人権もクソもない身分に、……落とされて、へっ、たまるかって」


 夏樹の視線が、カイリを射抜く。

 カイリは複雑そうな顔を作って、俯いた。


「ですね」


 カイリは視線を空へ投げ、小さく息を吐いた。

 遠くにある記憶を思い起こすように、言葉を紡ぐ。


「現状、ヒトガタの扱いは……あまりにも悪い。ひどい研究員が居る施設では、ヒトガタとて、およそ人間としての生は望めない」

「ああ、そうだ、な。……お前は、運が良かった」


 痛みに慣れたのか、それとも、抵抗することを諦めたのか。

 徐々に喘ぎ声を亡くしていった夏樹は、小さく呟いた。


「……オレは、ただ、人並みに生きたかった。それだけ、なんだ。そのために、道を探した。もがいた。ただ、それだけ――」

「――違う」


 師匠が綴る言葉に、悠一は頑として否を叩きつけた。

 そうすることこそが、弟子である……自分の役目だと思えたから。


「それでも貴方がやってきたことは、到底正義なんかじゃない」

「……ふ」

「人を殺し、擬態種を殺し、餌を食らって……時には、自らの罪を他人に被せ。人を喰らう快楽に身を落したあんたは――ただの擬態種で……それ以外に、形容する言葉なんてない」


 悠一は拳銃を再び、夏樹に突きつけた。

 DCBは装填されていない。


「人の姿や形をして……こうして、人を殺す僕と、同じだ」


 その矛先が向いたのは、夏樹の頭だった。


「ちょっと――」


 カイリがそれを見て、止めようと動く。

 もしこの場で脳を撃ち抜いてしまえば、残るのは擬態種としての生存本能だけだ。


 それがどれだけ恐ろしいことであるか、知らないわけがない。

 それでも、悠一はその道を選ぼうとした。

 それが、師匠への最大の手向けになると信じて。


「仕方、ねぇだろ」

「…………」


 夏樹が言った。

 悠一は、ただ黙って、続く言葉を待った。


「息をしていれば、ただ、生きていれば……それが、生と言えるのか?」


 檻に囚われ、餌を与えられるだけの動物。

 動ける範囲はごくわずか。


 人間どもから忌避されるような視線を投げられ、蔑まれ、疎まれる。

 ただ、憎しみの感情を向けられる"だけ"に存在を許された。


 果たして、これを生きていると言えるのか?


「生殺与奪を握られ、ただただ虐げられ、本能が指し示す快楽すらも奪われて……それで――」

「それでも、僕たちが生きる世界で、それは……大罪です」


 容赦なく引き絞られた銃。

 夏樹の頭は簡単に撃ち抜かれ、物言わぬ身体となって倒れた。


 ――最後の、一瞬。


 その顔は、どこか笑っているようだった。


「ちょっと!」


 このまま死ぬのならば良い。

 しかし、まだ身体に動くだけの余地があるとすれば――。


「たぶん、大丈夫だよ」


 耳の聞こえぬカイリの肩に、そっと触れた悠一。


「え?」


 倒れた夏樹の身体から立ち昇る灰色の煙。

 いつまで立っても起き上がる気配もなく、やがて擬態種の死の証である煙が消え。


 ――死体すらも消失した。


「これ、って……」

「考えていたんだ。夏樹さんが具現化したら、どうなるんだろうって。無意識が占める割合を多くする具象化を有した夏樹さんの本体は、きっと、誰にも認知されない……『何もない』ものなんじゃないかって」


 そこで悠一は精魂尽き果てたのか、腰を降ろして背中を壁に預けた。

 インカムを操作して、管制に報告を行う。


「こちら谷村。擬態種カノルスの防除、完了しました」


 ――最後に脳天を貫いた一撃に、夏樹の具現化に対する恐れなど考えていなかった。


 人間として生きたいと願った彼女に、人間としての死を与えた。


 ただ一人の弟子が、ただ一人の師匠に渡した、最大の手向け。

 ただ、それだけのことだった。

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