第3話


物を書いて、投稿するようになって、すごく思う。


あれダメ、これダメ、って言ってると何も書けんやーん、って。


で、そのあれダメ、これダメっていうのは、結局、自分が自分に『それ禁止だからー!!』って課してる何かなんだよね。


我ながら、制限きっつ!



「書く」ってことはさ、自分の中にある世界を、外に向かって開くことなんですよねぇ。


要するに、心(の一部)をパッカーンするわけで。


『私の中にはこんなキャラクターがいるんですけど!』

『私の中にはこんなストーリーがあるんですけど!』

『私の中の世界、面白くないっすか!?』


って外に向かって語り書ける。イコール、”書く”。



だから、その、めっちゃくちゃ怖いわけですよ。


どこかでさ、「嫌われちゃったらどうしよう」「受け入れてもらえなかったら……」とか、弱気な自分が呟くんだよねぇ。


ほら、オリジナリティあふれちゃってる感性を持ってると、時々、怪訝な顔をされることがあってさ……。ちょっとトラウマなのです。


とか、考えてたら、気づいちゃうわけですよ。


『あー、八方美人に生きてきたなぁ』って。


八方に美人するのって、超大変やん。

東西南北、さらに北西・北東・南西・南東……。あっちこっちに「美人」するんよ。

超エネルギー食うわ! いや、無理! 無理だからね!

相当な情熱がないと八方美人て難しいのよ!?


八方に美人しよ思たら、何にも書けんくなるのですよ。


だって、誰かへの優しさは、誰かへの厳しさになっちゃうわけでね。


そう。外側全部に「ええ顔」しようとしても、どだい無理なんよ。

人間様の限界を超えるのよ。


そりゃ、インターネットという場所とか、こういった場所をお借りしている身ですから、一応、言葉に注意は払いますよ。


しかし、八方美人になるための注意まで払ったら……倒れません? さすがに。



そうすると、思うわけですよ。


『八方に美人しないなら……、誰にとっての美人を目指せばええのん?』って。


……。”誰にとって”は、きっと実はたくさんあるんじゃないかなと思うのですよ。


”誰”。


自分のため、友達のため、家族のため。恋人や好きな人のため、子どものため、大人のため、世のお父さんやお母さんのため、仕事人のため、趣味人のため、道楽人のため……。


いくらだってありますよ。いくらだってあるし、それは時と共に、変わっていくかもしれない。


だって、人生において大切にしたいものなんて、人それぞれでしょう?


大切にしたい、想いなんて、それぞれだもの。



しかし、まぁ、多分、なにごとも基礎基本や土台が大事や~、と言われます。


ってことは、そこを大事にしていったら、世界って簡単にガラリと変わるのかもしれませんよね。


八方に美人してた情熱を、「集合~!」って集めてきて、それを自分自身に注いだら。

自分の情熱を自分に戻して、過去や今の自分、そして未来の自分のために「書きたい」と心が渇望するものを描いたら。


きっと、すんごいものが出来るんとちゃうかな~、なんて思います。



「やる気出ないわ~」って時は、きっとエネルギーが分散してる時。

自分じゃない、大切だと思う人や物事に情熱注いで、「ガソリン足りませ~ん」ってなってるわけだよ。


だから、ちょっと、取り戻そう。


他の人に注いでた分、自分に注いでいこう。


そうしたら、きっと、見える景色が変わってくるさ。


八方に美人せんと、自分に対して”美人”やっていこう。


そんな風に思うた、あっつい日の午後にございました。


かしこ。

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エッセイ 鈴乱 @sorazome

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