IZLEMT≪イズレム≫
Renna
プロローグ:不毛の大地
家族だから守り合えるし、お互いのことが手に取るようにわかる。
大人たちが死んで子供だけしかいなくなって、食料を奪うために他のグループの奴らを殺した。
寂しくて眠れなかった夜も、おねしょをして怒られた朝も、両親を想って泣いた昼も共有している。
俺たちのことはヴィリスが守ってくれる。ヴィリスの言うことは絶対。強くて頼れる俺らの兄ちゃんなんだ――
≪西暦2042年 旧リトアニア共和国 マリヤンポレ≫
雑草すら生えない不毛の大地に、栄えた文明社会の残滓である廃墟となった建物たちが手つかずで残されている。誰も住んでいない、死んでしまった土地――
足を踏み入れたくはないが、調査任務だから仕方がない。
野戦服と同じデザインのカーキ色の防護服に、ヘッドセットとサングラス一体型のヘルメット。
顔を覆うゴム製の本体に空気中の放射性物質を吸収ろ過するフィルターがついている防護マスクを装着して、足元にはミリタリーブーツ、手には黒いゴム手袋。
数年前よりマシになっているらしいが、露出を最小限にする高機能な装備が欠かせない。
防御だけでなく、攻撃も重要だ。
『奴ら』と遭遇してしまった場合に可能な限り距離を取って戦闘できるように、狭い場所では本来使い勝手が悪い狙撃銃を携帯している。
(変異種どころか他国の軍人もいない。この辺りは早い段階でポーランド軍が資源を回収済みだからな……)
安全確認が済んだと報告するために、防護服に取りつけられた無線機を起動すると反応があった。
けれども電波が悪い。仲間がアンテナを立てたが、場所が悪いか。
『応%$せよ』
「ギリギリ聞こえているが、通信状況が悪い。こちらの声は届いているか?」
『ああ、届%’#る。中の$%は#”&うだ?』
「だいぶ散乱しているが、問題ない」
『では予定#$%に合流する』
ここは昔エンジニアを養成する小さな専門学校だったらしい。
一階から一部屋ずつ確認を終えて、現在地は最後に到達した二階の端の一室。プレートの消えかかった文字によると『2B教室』だ。
戦火のせいなのかその後の内乱のせいなのかは不明だが、教室のレンガ造りの壁は焼け崩れて半分野ざらしになっている。
見上げると、ひしゃげた黒い骨組みの先に嫌味なくらい清々しい秋の青空が広がっている。
床は天井が落ちて激突した際に粉々になって散らばった白い破片と砂と埃まみれ。デスクやパソコンは上からの衝撃で潰れてしまったらしく、原型を留めているものは少ない。
まるで映画のセットの中にいるかのような気分にさせる。人間がいなくなった後に漂うのは退廃的で非現実な空気なのだ。
それが物にまで浸透して、文明の温度の欠片すら感じさせない冷たさを放つようになる。
貴重な基板だってほとんど死んでいるだろうが、回収できるものがあるか手作業で見極めなければいけない。
足元にデスクトップが転がっている。画面は割れているが、見る限り損傷は浅い。触れようとしゃがむと同時にカチャっと音が響いて顔を上げてしまった。
いつの間にか教室の入口傍のデスクの上に少女が座っていて、こちらに拳銃の銃口を向けている。安全装置を解除した親指を黒いフォルムに沿わせて、舌なめずりをしている。
「変異種!?」
咄嗟に声が出てしまった。気配はなく、今の今まで物音すらしなかった。
少女は肩に新ドイツ連邦共和国の国旗のバッジがついたグレーのジャケットと黒いタイトスカートという場違いな軍の正装で、銀色の長い髪を高い位置で二つに結っている。
十六歳前後だろうか。
顔や手足を保護することなく露出し、防護マスクもつけていない。
灰色がかった青い瞳に透き通るような色白で、左右対称の並行二重のまぶたと形のよい鼻筋をしている。
妹が幼少期に遊んでいた人形に似ていると思った。
マズい。
ここまで相手の存在を認識してしまった時点で――
案の定、金縛りにあったかのように俺の身体は硬直した。
頭の中で、あの少女の声で特定の言葉が反復する。
『喉を掻き切れ喉を搔き切れ喉を搔き切れ――』
(ぐっ……)
少女を見てはいけない。
変異種の存在を認識すると脳波に接続されてしまい干渉が開始するが、距離を取り変異種から送り込まれる命令を追い払うことで解除できる。
断ち切るには強い意志で思考を巡らせること。俺は妻、娘、両親、妹の顔を順番に思い浮かべ、脳内に直接響き渡る不快で強烈な声をねじ伏せようとした。
「うがあああああ!!」
自分を取り戻そうと大声を出すと、身体中の体毛が逆立った気がした。
「あちゃー、おじさん意外と強いのね。大丈夫? 苦しい?」
話し掛けられているが、絶対に答えてはいけない。視線は床へ。しかし何故、少女は拳銃を使わない?
この状況で一番早く俺を殺せる方法は撃つことだ。理由はわからないが、気が変わって引き金を引かれたらどのみち俺は死ぬ。
皮肉なことだが、命令を切断できても決して安全ではないという現実が正気を保つ命綱になった。どうなっても命は危険だが、生きて帰りたい。生きて帰りたい。生きて帰りたい――
「イルゼだけだったら、解かれちゃうかもね」
まだ声変わりをしていない澄んだ少年の声が聞こえた。
「アイザイア、イルゼお姉ちゃんと手を繋ごうか」
「仕方ないなあ。ほら、レナも」
会話の内容から察するにもう一人いるらしいが、声と気配はない。
「僕たち『家族』からは逃れられない。どんなに強い軍人さんでもね」
変異種が三人――
絶望的だ。自分はもう、ダメだろうか。
そんな諦めが精神をつつき、俺を暗闇に引きずり込んだ。少女が送り込んできたものとまったく同じ言葉が、三人分の声で俺の脳に大量に注ぎこまれた。
『『『喉を掻き切れ喉を搔き切れ喉を搔き切れ――』』』
「……ぐっ」
震える腕のコントロールが効かない。腰のナイフを取り出し、俺は自らの喉元にゆっくり運んでいる。
冷や汗が流れて、身体が恐怖で冷えていく。
すまない。八歳の誕生日は一緒に祝うと約束したのに。
父さんを許してくれ――
喉に白銀の刃が触れたのと同時に、銃声が響いた。
衝撃に意識が追いついたのは音を認識した後で、俺はナイフを落としてその場に倒れた。
力を振り絞って目線を動かすと、子供が四人。そのうちの一人、入口の前に立つ十六歳くらいの野戦服を着た黒髪の少年が、拳銃の銃口を下ろした。
袖を捲って腕を露出している時点で、確実に変異種だろう。
「ねえ、どうしてわざわざ拳銃を使うのよ?」
「命じて自殺させるなんて悪趣味なんだよ! 射殺が一番効率いいだろーが」
「むう……ミーシャってば、能力使えないからっておいしいところを物理的に持っていくんだから」
「うるせー!」
銀髪の少女と黒髪の少年が言い合っている。
「そもそも私、大きい音が出るから拳銃ってあんまり好きでないし」
「そーいやお前、銃声のせいで集中力が切れて敵を逃がしたことあったっけ。アレはマジでマヌケだったよな」
「ちょっと、そんな過去のことほじくり返さないでくれるかしら!?」
「過去っつっても去年の話っていうか――」
「うるさい! ミーシャのバカ!」
「ぐえ!? 平手打ちはないだろ!?」
「もう……次は私の邪魔しないでよね」
「邪魔じゃねーだろ。援護だよ。俺たちは家族なんだから、助け合わないと」
じゃれ合う姿はまるで普通の十代の子供のようだ。ラトビア人ども、変異種の、化け物のくせに――
俺の意識が薄れ、身体の妙な温かさと共に深淵に堕ち続けた。
IZLEMT≪イズレム≫ Renna @renna_sakuri
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