赧頭巾と檜男(あかずきん と ひのきお)

藤宮史(ふじみや ふひと)

第1話

 決して思いをげられぬ、かなわぬ恋だからこそ、燃えあがる恋がある。××藩十二万石、足軽あしがる小頭こがしら大上おおがみ又右衛門またえもん人知ひとしれず煩悶はんもんした。

 三年前の春、三十路みそじをむかえた大上おおがみ上役うわやくからの縁談にも耳をかさずひとり身のままでいた。それとうのも、当時十四歳で、耀かがやくばかりに美しさを増していた次席じせき家老の娘、菊乃きくのひそかに思いを寄せていたからである。勿論もちろん、この封建ほうけんの時代で身分の垣根かきねをこえて一緒になるなどかなわぬ話である。それに、大上おおがみは武勇はあるが、容貌ようぼういささか難点があり、とくに口許くちもとが極端にまえに突き出し、顔が狼を連想させる狗顔いぬがおであった。これを、とくに菊乃きくの蛇蝎だかつごとく嫌っていたのを大上おおがみは知るよしもなかった。

 大上おおがみは、もともと嗣子ししの無かった大上家おおがみけに養子に入った身であり、兄弟はなく、養父母、実父母ともに、とうの昔に泉下せんかの人になっていた。事をおこせばお家断絶は覚悟せねばならぬ。しかし、後顧こうこうれいはない。年来のくるおしい恋心を一直線に遂げてみたいのである。


 そして、三年後の今日とう日に、到頭とうとうる重大なる決意をしてしまったようである。

 前以まえもって懇意こんいにしておいた次席家老屋敷の中間ちゅうげんたちの所にゆくのを口実に、一旦いったん中間ちゅうげん部屋で中間たちと酒をわし、頃合ころあい見計みはからい、抜け出して屋敷内の離れ座敷を目指す。今日とう日、このときは、菊乃きくのが離れ座敷でひとり一刻いっこく書見しょけんをしていると聞き及んだ。

 その頃の菊乃きくのは、あか小豆色あずきいろに染め上げた頭巾ずきん終日しゅうじつかぶっていた。一つには、右頬みぎほほにある大き目の黒子ほくろを気にんでとうことであったが、年頃の娘に有り勝ちな気儘きままであるとも見受けられた。


 大上おおがみは、真っ暗な離れ座敷の次の間に息をころしてひそんでいる。するとじっとりと頸筋くびすじに汗がにじんできた。

 ふすまのむこうで人の気配がする。菊乃きくのが来たようである。暮六くれむはん定刻ていこく通りであるから話に嘘はなかった。

 大上おおがみは、そろり、そろりとふすま引手ひきてに手をかけ、シュ、サッと、一度にふすまを開ける。驚愕きょうがくの表情を行燈あんどんあかりらした女が目に飛び込んできた。菊乃きくのではなかった。菊乃きくの乳母うばタ江たえであった。

 腰が抜けて、口をぱくぱく開いて言葉のでないタ江たえを、大上おおがみにらんで舌打ちをした。面倒めんどうな成り行きであるが仕方がない。大上おおがみは命懸けである。おもむろに、タ江たえに近づき、タ江たえの首に手をかける。ぎりぎりぎりとタ江たえの首を締め上げ、ばたばたさせる両脚りょうあしに尻を落として絶息ぜっそくさせてゆく。

 大上は、強張こわばった両手の指を一本ずつタ江たえの首からはがすようにはずしてゆく。

と、そこに丁度菊乃きくのが来合わせ、金切りの叫喚きょうかんをあげた。

 暫時ざんじのち、異変にけつけた家中かちゅうの者たちは大上おおがみを取り押さえた。


 次席家老不在のうちに、まともな評定ひょうじょうもなく、大上おおがみ又右衛門またえもんは、よいいつはん、屋敷内の庭先にいて切腹せっぷく沙汰さた菊乃きくのよりだされた。

 実母のごとタ江たえしたっていた菊乃きくのによる大上おおがみへの憎悪ぞうお苛烈かれつきわめた。形式上は切腹の沙汰であるが、事実はさいなんだ挙句あげく悶死もんしさせるとうにひとしかった。

 すなわち、切腹に脇差わきざしは使用せずに扇子腹せんすばらとし、介錯かいしゃく大刀たちではなく、首切りに丸い青竹あおだけを使った。刃物ではないので容易に死ねず、大上おおがみむしろはしを両手につかんで青竹の苦痛に耐え、到頭とうとう舌をかんでんで絶息ぜっそくした。

 それでも遺恨いこんの消えぬ菊乃きくのめいにより、青竹を割りいて竹鋸たけのこぎりをこしらえ、その竹鋸で大上おおがみの首を切り取る。しかも腹を十文字にいて臓物を打ち捨て、腹の中に庭石をごろごろ詰めて畳針でい合わせ、首ともども石詰めのからだ千疊沼せんじょうぬま沼底ぬまぞこしずめるのであった。


 離れ屋敷での事件の一切を目撃していた次席家老の家臣、珠瀬じゅぜ兵部ひょうぶは無念であった。

 かねてよりタ江たえに、ほのかに懸想けそうしていたが五十の坂を越し、亡妻ぼうさいの七回忌の法要を目前にしていては如何いかんともし難く、この夜も何気なにげなくタ江たえのあとについて庭にでて離れ座敷へと向かったのであった。

 それよりも、このような仕儀しぎになるとは夢にも思わなかった。タ江たえが座敷へと入り、しばらくして、何やら気配はあった。しかし、まさか、あの下郎げろうタ江たえに手をかけていたとは、返すがへすも残念無念、まことに慚愧ざんきにたえない。

 珠瀬じゅぜ兵部ひょうぶは、タ江たえ大上おおがみ又右衛門またえもん扼殺やくさつされてから七日なのかった頃より、タ江たえ菩提ぼだいともらうために一体の仏像を彫りはじめた。

 それは兵部ひょうぶタ江たえへの想いを込めた仏像で、ひのき丸太まるたざいをもとめた物であった。しかし、残念なことに兵部ひょうぶにはまったく造形の心得こころえさいはなく、仏像の一木造いちぼくづくりをとの当初のおもいであったが、出来上がったものは檜丸太ひのきまるたの皮をいたずらむしっただけの木偶でくの人形にすぎなかった。

 なかばば捨てられた風情ふぜいで、離れ座敷の庭のすみに安置された仏像に手をあわせ、タ江たえ御霊みたまに手をあわせていた。


 ひのき丸太まるたからけずりだされた仏像もどきの木偶でくは、目をました。

 木偶でくに魂が漂着したのである。木偶でくの名は、檜男ひのきおと言った。わるい造形であったが珠瀬じゅぜ兵部ひょうぶ入魂にゅうこんの人形が目をました形である。

 檜男ひのきおは気がついた。下手へた造作ぞうさくの目から見える世界はかずんでいたが、たしかに世界はあった。しかし、残念なことに手を動かそうにも足を動かそうにも思い通りにはならなかった。兵部ひょうぶ造作ぞうさくはわるく、手も足も丸太まるたから出ておらず、ただ丸太まるたの皮に手足らしきけずすじの溝があるばかりであった。

 折角せっかく、生まれでたのに、これでは何もならないと檜男ひのきおは思った。檜男ひのきおには夢があったのだ。自由に世界を動きまわり、そして、できれば人間の男の子になるとう夢があった。しかし、何とうことだろうか。この四肢ししのない不自由な体軀たいくで、何をどう生きてゆけばいいのだろう。しかもわるいことに、目は見えるものの、耳は聞こえず、口もきかれない。つんぼおしで首も動かない。全身麻痺の状態である。これでは檜男ひのきおが生きていることを知る者もないであろう。

 しかし、庭のすみにいる檜男ひのきおにもが昇り、陽が照ると、からだ全体が暖められ、また陽が暮れて夜になると、夜露よつゆにぬれてからだが冷えてゆくのはわかった。

 る日、いつものように陽にからだを温めていると、目のまえが次第に影になってゆくのがわかった。すると次の刹那せつなはげしい痛みがからだに走っていった。そして、次から次へと打ちえられてゆく痛みが続いていった。

 目をあけると、眼前がんぜん菊乃きくのの姿があった。手に木刀ぼくとうを持ち肩で息をしていた。そして、菊乃きくのは叫んだ。

 「だれか! あのにく大上おおがみ下郎げろう面影おもかげ宿やどす、この木偶でく始末しまついたせ!」

 菊乃きくのはつきのさわりと、タ江たえうしなった悲しみと、日々の屈託くったくくるうようであった。                         (完)


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