新人巡査とサメ女

「なんだ……男の方だけか」

 老人は倒れたカネヒサを一瞥するとつまらなそうに言った。

 禿げ上がった頭、纏わりつく埃のような白い髪、よれよれのウールのジャケット。曲がった腰と疑問符を縦に引き延ばしたようなステッキ。

 その老人の周りを、空飛ぶアオザメがゆったりと周遊する。

「クソッ」

 足に傷を負わされ地に臥したカネヒサは素早く構えた拳銃の引き金を引いたが、それはチャキチャキ頼りない音を立てるだけで役目を果たさなかった。

「チャンスをやろう」

 刷毛のような眉毛の片側を持ち上げて、老人が言った。

「一つ。あの女の居場所。二つ。七郎丸の居場所。両方を吐けば命は助けよう」

「博士は、爆発に巻き込まれて亡くなった。七郎丸? 誰だそれは。ラグビー選手か?」

「ふふふ……今時の奴にしては気骨があるな。まあいい」

 老人は杖を持ち上げてカネヒサを指した。

「死ね」


「待て!」

 胸を押さえながら乱れた息で現れたのは、白衣の少女だった。

「博士!どうして⁉︎」

 渋沢は汗だくの顔を上げカネヒサにウインクして見せ、

「お前は……高柳のせがれか。老いたな」

 と言った。

「まさか……渋沢重緒本人か? いいや、そんな筈がない」

「逃げてください博士!こいつはどっちみち我々を殺す気です‼︎」

「有村巡査。村上がキミを選んで寄越した理由が解ったよ。キミは私の為に全てを投げ出してくれた。私にはそれに報いる義務がある」

 渋沢は白衣を脱いで投げ捨てた。月明かりが彼女の白い裸体を照らした。全裸だ。カネヒサは驚きながら少女から視線を外した。

「哀れな老人よ。お前の欲しがっているものをくれてやろう。一つは私。渋沢キチロウの愛娘にして当代のサメ使い。もう一つは父の研究の集大成。ホホジロザメと人間を融合させた究極の自律攻撃魚類四號──」

 渋沢の肉体がメキメキと音を立てて膨らんだ。

「──七郎丸」

 カネヒサが視線を戻した時、そこに理知的な少女の姿はなく、ただ巨大なサメがゆらりと浮かんでいるだけだった。


「ヒィッ!」

 余りの事に固まっていた老人が、我を取り戻し悲鳴を上げた次の瞬間。

 アオザメが体の前半分を失って地面に落ちて枯葉の上を滑って行った。跳ね飛ばされた老人が木の幹に激突して血を吐き、動かなくなった。その動きの風圧に、周囲の樹木が唸って葉を撒き散らした。


 夜の森に静けさが戻った。

 はらはらと舞い散る落ち葉。

 空飛ぶサメが月を遮って作る大きな影の真ん中で、カネヒサはぽつりと呟いた。


「……美しい」


*完*

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新人巡査とサメ女 木船田ヒロマル @hiromaru712

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