わたの原と恋のチョーク
大隅 スミヲ
わたの原と恋のチョーク
きれいな声だな。
そんなことを思いながら、おれは彼女の読み上げる短歌を聞いていた。
「――――というのが
彼女の問いかけに、教室内はしんと静まり返っていた。
誰もが自分を指名されないようにと顔を伏せて、目をそらす。
彼女は、先週からやってきた教育実習生だった。やる気十分。そのやる気がこちらに嫌でも伝わってきて、いい迷惑だった。こっちは無難に高校二年生という時期を過ごしたいと思っているのだ。
「じゃあ……」
彼女が出席簿へと目を落として、誰を指名しようかと考える。
おれは嫌な予感がしてならなかった。こういう時の嫌な予感というものは当たるのだ。
「えっと、小野くん」
ほら、やっぱりだよ。おれの予感は当たった。
どうせ、小野篁の歌だから同じ苗字の小野であるおれを指名したのだろう。
おれが席を立ち上がると、教育実習生の彼女は曇り一つ無い眼でじっとおれのことを見つめてくる。その視線には「がんばれ、がんばれ」という暑苦しいエールが込められているということが嫌でもわかった。
「わかりません」
おれはうつむきながら答えると、すぐに席に座った。
「え、あ、そう……そっか。えーと、それじゃあ……」
彼女は困惑していた。まさか、おれがわからないと答えるとは思っていなかったようで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
本当は知っていた。答えは百人一首だ。小学生の頃に、百人一首を全部覚えさせられたのだ。その際に参議篁という人物がおれと同じ小野という名字であるということも知った。だから、参議篁の短歌はしっかりと覚えていた。
あまのじゃく。おれはそんな性格だ。
授業が終わった後、彼女がおれの席へとやってきた。
「さっきの問題、難しかったかな?」
「いや、そんなことはないです」
思春期真っ盛りといった感じで、おれは彼女と視線を合わせずに答える。
少し離れたところで友人たちが遊んでいる声が聞こえてくる。いいなあ、おれも早くあっちへ行きたい。そんなことを思いながら、おれは彼女の言葉を聞き流す。
そんな時、おれに向かって一本のチョークが飛んできた。
野球部に所属している友人たちがふざけてチョークを投げて遊んでおり、その流れ弾がこちらに飛んできたのだ。
チョークはすごいスピードでこちらに向かって飛んできていた。チョークを投げて遊んでいたのは、野球部のエースピッチャーなのだ。
しかし、そのチョークはおれのところまでは飛んでこなかった。
代わりに、おれの視界をなにか黒いものが覆っていた。
「ちょっと、危ないじゃないの」
彼女の声。その声には怒りが混じっていた。
おれの目の前には黒い出席簿があった。
彼女は持っていた出席簿で、おれに向かって飛んできていたチョークを打ち返していたのだ。
か、格好いい……。
おれは彼女の素早い身のこなしを見て心の底から、そう思った。
それが、おれの恋に落ちた瞬間だった。
わたの原と恋のチョーク 大隅 スミヲ @smee
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