感情のないお前たちに、わたしの最高にエモい一撃をくらわせてあげるわ

大澤めぐみ

感情のないお前たちに、わたしの最高にエモい一撃をくらわせてあげるわ

 気象局発表の予定よりも十五分遅れて雨が止んだ。

 開け放たれた窓の外から、コンクリートと草のにおいを含んだ湿った風が吹き込んできて、カーテンを揺らした。

 まだ昼だけど、日食が進行中なので窓の外はいつもより暗く、がらんとした教室に赤い光がほぼ真横のアングルで射していた。地球ではこういう赤い光を夕日と呼んだそうだ。

「見てこれ」と、が一枚のプリントを取り出した。今日返却された、職業適性検査の結果だ。名希沙が希望する『酪農家』の適性はA判定になっている。

「よかったじゃない。名希沙、動物好きだものね」

 わたしが言うと、名希沙は笑った。ちゃんと表情を作るとそれなりに美人なんだけど、笑うと歯茎がぜんぶ出るので台無しだ。

「うん。酪農家なら、本物の動物とも触れ合えるから」

「もうちょっと頭が良けりゃあ飼育員の道もあったんだがな」名希沙の肩の上でパグーが羽根をひろげ、甲高い声をあげた。「酪農家なんか、体力仕事のブルーカラーだぜ」

 教育、娯楽目的の動物園はコロニー内に一カ所しかないから、飼育員は狭き門だ。一方、酪農場はどこも人手不足にあえいでいる。体力的にも厳しく、一般的には不人気の職種だ。

「いいじゃない別に。今どきの労働は大部分が実際的なブルーカラーばかりよ。お上品なホワイトカラーの仕事に就けそうなのなんて、うちの学校じゃてんがいくらいじゃない?」

「コロニーのメインシステムをハックして落書きを残したガキか。まあ大したもんなのは間違いないな」

 パグーはオウムという鳥を模した、古い型のパートナーボットだ。子供の情操教育のためのおもちゃだけど、最近はARで投影するのが主流で物理的な筐体があるのは珍しいし、17歳にもなってまだ肩に乗っけているのも、なかなか珍しい。おまけに口も悪いので、子供の情操教育にも良さそうじゃない。名希沙は、わたしが出会った頃からずっとこいつを肩に乗せている。

ゆうは? どうだったの?」

 名希沙の質問に、わたしは机からプリントを取り出して見せた。

「船外作業員」

「ギャギャッ! こっちも体力仕事のブルーカラー! おまけにとびきりの危険作業だ!」嬉しそうに喚くパグーの頭を名希沙がはたいた。

「危険かもしれないけど、コロニー全体でも百人くらいしかいない、高給取りのエリート職種だよ。それに夕花のジェットブレードの技術も生かせるし。なにしろ、フリースタイル総合優勝だからね」

「まあたぶん、それも加味されての判定結果なんだろうけど。でもジェットブレードを履くとは言っても、船外作業員なんて、要はそれなりに、進んで曲がって止まれればいいんだもの。トリプルコークガゼルが役立つわけじゃないし」

 足に装着することで両手がフリーになり、高速で小回りも利くジェットブレードは、小規模な船外作業には最適の移動手段だけど、足の向きと体軸移動だけで操作するので操縦技術の習得がなかなか難しい。重力下の乗り物では、ローラースケートがイメージ的には一番近い。無重力空間を三次元的に自在に駆け抜けるローラースケートみたいなものだ。

 一度だけ名希沙を無重力アリーナに誘ったことがあるけれど、彼女はずっと腰が曲がったままで、まっすぐ進むことすらできなかった。

「大昔には、プロのスポーツ選手っていうのも仕事として成立していたらしいけどね」名希沙が言った。

「仕方ないわ。なにしろ頭数が足りないんだもの」

 コロニーではすべての住民が、なんらかの実際的な役割を果たすことを求められる。人員を遊ばせておく余裕はあまりない。けれど、そうしてみんなで一所懸命に働いたところで、どうにか現状を維持していくのが精一杯だ。そろそろ具体的な問題として表面化してきたコロニーの設備全体の老朽化への対策も、事実上なにもない。いつか滅びるまでどうにか生きていくだけの、発展性がない閉塞的な状況だ。

 わたしは大きく溜め息をついて、窓の外に目を向けた。

 その瞬間、視界の端にものすごく強い白い光が一瞬見えて、次の瞬間には、轟音とともにすべてのガラスが内側に向かって吹き飛び、視界が完全な闇に閉ざされた。

 たぶん、わたしの身体も吹っ飛んだ。三半規管がめちゃくちゃな回転を伝えてくるけれど、視覚が利かないのでよく分からない。重力が劇的に減衰して、わたしは本能的にバランスをとった。

 足の裏が、どこかに触れた。床かもしれないし、壁かもしれない。大きく膝を曲げて、衝撃を吸収する。

 体感できる重力が、完全には消失していないけれど、かなり弱い。だんだん重力がなくなっていく、無重力アリーナに向かうエレベーター内の感覚に近い。なんらかの理由で、コロニーが正常に回転していないのかもしれない。

「名希沙!」わたしは暗闇に呼びかけた。返事はなかったけれど、なにかが動いた気配を感じた。真っ暗すぎて、なにがどうなっているのかまったく分からない。

「パグー!」思いついて、わたしは呼びかけた。「パグー! ライトを点けて!」

 パッと、小さな白い明かりがともった。わたしは天井に立っていた。上下が反転した教室の端っこで、ひっくり返った机の脚に留まったパグーの両目が光っている。教室まるごと全自動洗濯機に放り込まれたみたいに、なにもかもがめちゃくちゃだった。窓と扉にはすべて防災シャッターが下りている。

 事故? 災害? テロ?

 詳しい事情は分からないけど、とにかく、外でいきなり爆発かなにかがあって、即座に防災システムが反応しシャッターを下ろしたのだ。

「パグー! 名希沙は!?」

 わたしが声を掛けると、パグーは無言で首を振り、ライトを動かした。パグーが照らす領域に、名希沙の足が見えた。

 赤い。血が出ている。ガラスの破片で切ったかもしれない。

「名希沙!!」

 慌ててそちらに駆け寄ろうとして、足が完全に空をいた。さらに重力が弱まって、ほぼ無重力になっている。わたしは全身をまっすぐに伸ばして手近な机の脚をつかみ、反動を使って移動した。

 近づいてみると、名希沙の口と鼻からも血が出ていた。

「名希沙!!」

 わたしが声を掛けると、名希沙がかすかな声で、囁いた。

「夕花……わたし、これ……どうなってる?」

 名希沙は顔を俯けて、お腹のあたりを見た。そこから、血塗れの鉄パイプが飛び出していた。吹き飛ばされた拍子に、椅子の鉄パイプが刺さってしまったらしい。背中からお腹まで、完全に貫通している。

「名希沙!! 大丈夫よ! いま、誰か呼んでくるから!!」

 わたしはそう言いながら、本当に? と、頭の片隅で考えていた。え、だって鉄パイプが背中からお腹まで貫通って、普通にヤバくない? それにこの状況で、どこに行って誰を呼べばいいの?

「ごふっ!」

 名希沙が咳き込んで血を吐き、飛沫がわたしの顔まで飛んだ。名希沙が「あ、ごめん……夕花……」と、呟いた。

「そんなの別にいいから、名希沙! しっかりして!!」

「夕花……夕花さぁ……」名希沙の目から、急速に光が失われていた。「がんばってね」

 その言葉を最期に、名希沙はもう呼吸していなかった。

「ちくしょうっ!」わたしは叫んだ。「ちくしょう! ちくしょう!! なによ! なによこれ! なんなのよ!!」

 そのとき、外から聴いたことのないサイレンの音が響いてきた。わたしは驚いて、息を潜めた。

「こちらは、国連沿宇宙警備隊です。現在、大規模コロニー災害に対して、救助、救命活動を行っています。生存者がおられましたら、応答してください。繰り返します。こちらは、国連沿宇宙警備隊です……」

 機械的な、アクセントに乏しい単調な音声が大音量で響いた。教室の壁全体がスピーカーになって振動しているみたいだった。

 国連? わたしはその聞き慣れない名称に首を捻った。とはいえ、救助がきたのだ。わたしは助けを求めようと、大きく息を吸い込んだ。

「待て、あわら」と、そこでパグーがわたしを名字で呼んだ。「応答するな」

「……どうして?」わたしはパグーに訊いた。

「詳しく説明している時間がない。あれは敵だ。急いで緊急時用宇宙服を着用しろ」

 相変わらず、国連沿宇宙ナントカを名乗る音声が響いている。正体不明の救助と、見慣れたパートナーボット。どちらを信用するのか。

 わたしは一秒だけ考えて、教室後部に備え付けられている緊急時用宇宙服の収納ケースを叩き割った。

 すでにアナウンスは停止していた。

 制服を脱いでスキンスーツを着用し、ヘルメットを被る。

「気密スイッチもオンにしろ」

 パグーに言われてスイッチを操作したとたんに、外から凄まじい金属音が響いた。

「迷彩モードにして隅に隠れるんだ」

 隠れるといったって、教室の中に隠れる場所なんてそうはない。わたしは積み上がった机の陰に身を潜めた。その次の瞬間、高速で回転するなにかが窓のシャッターを突き破り、外から強引にこじ開けてきた。

 シャッターに空いた穴に向かって、強烈な風が吹いた。気密が破られて大気が吸い出されているのだ。つまり、この教室の外側はもう真空だということだ。今は教室の中も真空になっただろう。宇宙服を着ていなければ死んでいた。

 穴の外側から、チューブ状のなにかが侵入してきた。カメラだと思う。蛇みたいに蠢くそれは、ぐるりと教室の中を見回すとパグーに先端を向け、発砲した。パグーは羽ばたいてそれを回避した。カメラはしばらく、教室の中を飛び回るパグーの姿を追っていたけれど、やがて諦めたのか、するりと出て行った。

 パグーがすぐ近くの机の脚に留まり、言った。

「無人ドローンだな。迷彩で誤魔化せたか」

 教室の中はすでに真空になっているので、音が伝わらない。パグーの声はヘルメットの内側に直接響いていた。

「あれはなに?」

 わたしが訊くと、パグーはオウムらしく、ぐりんと大きく首を傾げた。

「さあな。でも確実なのは、連中の目的は生存者の救助ではなく、殲滅だってことだ」 

「どうしてそんなことを?」

「そもそもコロニーを破壊したのも、連中の仕業ってことだろう。誰ひとり生かしておくつもりはないのさ」

「え、ちょっと待って? コロニーが? 破壊されたの?」

 学校の近くで爆発かなにかがあって防災シャッターが下りたとかじゃなくて、コロニーじたいが?

「教室の外が、もう真空なんだぜ? コロニーが粉々に砕け散ったとしか考えられないだろ」

 パグーが羽ばたいて、国連ナントカが空けた穴から外を確認した。こちらを振り返り、首をしゃくる。見てみろってことのようだ。わたしもそっちに移動して、穴からそっと頭を外に出した。

 宇宙だった。

 漆黒の宇宙空間に、粉々になった街の瓦礫が渦を巻いて漂っていた。学校も、家も、道路やモノレールも、ぜんぶ宇宙の藻屑になっていた。ところどころに、飛び回る無人ドローンの影が見えた。反対側に顔を向けると、太陽を隠した地球の輪郭が赤く輝いていた。

「なんてこと……誰が、どうしてこんなことを」

「そりゃまあ、地球の人間たちだろうな」パグーが言った。「核ロケットでも撃ち込まれたかな。連中は感情がないから、経済的にとか、安全保障的に問題がないと判断すれば、サイモスを皆殺しにするのにも躊躇ないさ」

 君も歴史の授業で習ったろ? と、パグーは首を傾げた。

「21世紀の終わり頃に、人間の感情っていうのが実はウイルスによって引き起こされている感染症の症状に過ぎないってことが判明した。で、人間たちはその治療に乗り出した。当時の人間は感情次第で犯罪を犯したり戦争を引き起こしたりと、感情がもたらす経済損失はすさまじいものだったから」

 そのへんの話は、まあ聞いたことはある。

「でも中には、自分の感情を失いたくないと考える人々もいた。だけど感染症だからね。ひとりでもキャリアがいれば、また感染が広がってしまう。真ん中はないんだ。根絶か共存か、どちらかしかない。そんなわけで、僕たち感情を持つサイモスの祖先は宇宙に出ることになり、人間とは相互に不可侵条約を結んで、地球は感情の存在しないきれいな惑星になったってわけ」

「そうよ。不可侵条約じゃなかったの?」

「状況が変わったんだろ? 条約ってのは、あるていど力が均衡してるから成り立つんだ。今の衰退したコロニーじゃ安全保障上の問題にもならないって判断されたんじゃないか? むしろ、また感情が地球に流入してしまう可能性を危惧したのかもな。念のため、完全に根絶しておいたほうが安心だ」

「念のためって、そんな」

 そんなことで、そんな簡単に、コロニーを丸ごと? 街を? 学校を? 名希沙を?

「頭を引っ込めろ」パグーが言った。「またドローンが回ってきた」

 わたしは言われた通りに頭を引っ込めて、教室の壁に背中をつけた。

「でもドローンの走査から身を隠したとして、ここから一体どうすればいいのよ」

 わたしたちのコロニーはすでに丸ごと粉々になってしまっている。辺りにはドローンがうようよしていて、おまけに目の前に浮かぶ巨大な惑星が丸ごと敵なのだ。どこに逃げて、誰に助けを求めればいいのか。

「そうだなぁ。どうにかして宇宙船を確保して、くじら座タウを目指すとかかな」

「くじら座?」

「それも習ったはずだろ? 君、本当に授業受けてる? 僕たちの祖先は地球近傍のコロニーに留まることを選んだけど、サイモスの中には遥か彼方の新天地を目指したグループもいたんだ。その中で一番近いのが、くじら座タウだよ」

「そこまで行けば助かるの?」

「さあ? 僕も行ったことはないし、なにしろ14光年も離れてるから情報もそんなに入ってこないしね。向こうがどういう状況なのかは分からない。でも、いちおう移住じたいは成功したって話だし、誰かはいるだろう。助けてくれるかは知らないけど」

「……わかったわ。生存者を助けて、宇宙船を確保して、くじら座タウを目指す。それでいい?」

 わたしが言うと、パグーが笑った。

「はっはっは。君はあの惨状を見ても、まだずいぶんと楽天的なんだね。生存者なんて、たぶんいないんじゃないかな? 君がまだ生きているのだって奇跡みたいなものだ」

「あんたがいるじゃない」

 わたしは言った。今度はパグーも笑わなかった。

「あんたはパグーじゃない。パグーはわたしのことを名字で呼ばないし、口が悪いだけでそんな皮肉屋じゃないもの。爆発の後のごく短い時間でパグーをハックして、アバターロボットがわりにしたのね。そんな芸当ができるのは、うちの学校じゃひとりしかいないわ。あんた、まま天外でしょ」

 わたしは壁を蹴って教室の後ろまで飛び、自分のロッカーを開けた。わたしのジェットブレードは、ちゃんとそこにあった。見る限り損傷もない。使えそうだ。

「天外。あんた、本体はどこにいるのよ。助けにいくわ」

 ジェットブレードに足を突っ込んでバックルを締める。

「僕のことは気にしなくていい。どっちみち、僕はくじら座タウまで長い旅をするつもりなんてないしね」

「……あんた、怪我してるのね」わたしが言うと、パグーはまた黙った。「足手まといになるとか考えてるんでしょ。助けるわよ。あんたは、わたしを助けてくれたんだもの」

「僕のことは気にするな」

「まあ、あんたのことだから、どうせパソコン部の部室でしょ。あそこに山ほどコンピューターとかモニターとか持ち込んで完全に私物化してたものね」

 ジェットブレードを履いて、軽く伸びをする。体軸を傾け空を蹴る。爆発的に加速し、壁際で急旋回して、急停止する。道具も、身体も、問題ない。大丈夫。いける。

「さあ、行くわよ」

 声を掛けると、パグーは「ちょっと待てって、話を……」と言いながら肩に乗ったけど、わたしが穴から飛び出して加速すると、また黙った。振り落とされないようにしがみついているので必死のようだ。

 外は素敵な無重力障害物レースのコースになっていた。暗い宇宙空間を無数の瓦礫が漂っている。学校は粉々になりつつも同心円の回転運動を続けていて、完全に散り散りにはなっていない。ものすごく間延びしてはいるけれど、位置関係はそこまで乱れてなさそうだ。

「この感じだと、パソコン室はだいたいあっちのほうかしら」

 反動で推進するジェットブレードは、完全な虚空を蹴るより障害物の近くのほうがより加速する。フォアライトで教室の外壁を蹴って加速し、反転してレフトバックインで廊下の残骸を蹴る。瓦礫から瓦礫へ飛ぶようにして、どんどん加速していく。ときおりドローンの影が見えるけれど、イオンエンジンのもっさい機動じゃジェットブレードの動きについてこれるわけがない。

「見えたわ、パソコン室」

 パソコン室は奇跡的に四角い形状を保っていた。入り口にパソコン室の札もくっついたままだ。穴も開けられていない。ドローンの走査も、まだここには回ってきていないらしい。

 わたしは入り口の手前で急制動し、防災シャッターを上げるスイッチを操作した。まず外側、次に内側と、二重のシャッターをくぐる。内部はまだ気密が保たれていた。

「天外!」

 わたしはヘルメットを外して声を出した。音が、空気を震わせた。

 天外はモニターだらけのデスクの前に座っていた。

「……なんだ。死んでるじゃん」

 爆発の衝撃で割れたガラスが刺さったのだろう。天外の身体は全身、血まみれになっていた。大量の血を流しながらも最期の瞬間までキーボードを叩いていたのか。キーボードは血に塗れ、周囲には血飛沫が霧のように漂っていた。

「だから言っただろ、僕のことは気にするなって」

 パグーは羽ばたいて天外の頭の上に移動すると、ブルブルと首を振った。

「僕は天外じゃなくて、彼がつくった疑似人格だよ。誰かがこのボットを通じて喋ってるわけじゃなくて、僕は僕だけで独立して動いてる」

「あんた……自分が死にそうになってるのに、わたしを助けるために最期のちからを振り絞ってパグーをハックしたの?」

「別に君を助けようとしたわけじゃない。まだなにかできることがあるんじゃないかって、最期まで考えただけだ。範囲内で拾えた生命反応が君だけで、そのすぐ近くにたまたまこのボットがいた」

「ちくしょう……なんなのよ。なんなのよこれ……っ!」

「泣くなよ、湶」パグーがキーボードの前に降り立ち、ものすごいスピードで首を振ってキーボードを叩きだした。「予定外の寄り道だけど、せっかくここまできたんだ。ちょっと調べものをしよう」

 モニターに、螺旋状に回転するなにかの映像が表示された。

「周辺の生きてるカメラから情報を取得してレンダリングした現在のマップだ」

 パグーがくちばしでモニターを叩く。回転しているのは、砕かれたコロニーの残骸だ。そのあいだを無人ドローンがゆらゆらと彷徨っている。やや離れたところに、そいつらの母船らしき大きな船影も見える。

「ドッキングベイがあった中心部はほぼ座標が動いていない。ここに小型宇宙船がある。映像で見る限りは生きてそうに見えるね」

 ちょこちょこと横に動いて、今度はモニターの右下のほうを叩く。

「僕たちがいるのはここ。回転しながらだんだん外に弾き出されているから、中心を目指すならさっさと出発したほうがいい。で、ここからなるべく敵をかわしつつ、ジェットブレードで最短最速で中心に向かうルートはこう」

 パグーが足でエンターキーを叩くと、マップ上にジグザグの赤い線が表示された。

「まるでブラックダイヤモンド級のジェットブレードクロスのコースね」

「公開練習なしの、ぶっつけ本番。いけそうかい?」

「わたしを誰だと思っているのよ」わたしは腰に手を当てて、ニッと口角をあげてやった。「余裕だわ」

 再びパグーを肩に乗せ、パソコン室を出る。

 地球の陰から太陽が顔を出し、強烈な光が瓦礫を照らして、たくさんの影を作っていた。これは身を隠しながら進みたいわたしたちには有利な条件だ。

 ヘルメットの内側に、進むべきコースがARで投影される。

「これは便利ね」

 瓦礫がつくる影の間を渡るように、ジェットブレードを蹴る。ジェットブレードは直線よりコーナーのほうが加速できる。その特性を活かして、体軸を傾けカーブを描きながら加速する。

「凄まじい機動だな」

 パグーが呟いた。慣れたのか、今度は喋っている余裕があるみたいだ。

「ジェットブレード、見たことなかった?」

「スポーツにはあまり興味がなかったんだ」

「でしょうね」

 コースは時間軸も含め四次元的に展開しているので、滑らかにスピンとロールを入れて、最小の動きで最大限効率的に瓦礫を蹴っていく。

 進行方向に突如ドローンが現れる。フロントロールして足を進行方向に向け、両脚でドローンの側面を蹴ってガゼルターン。ドローンはゆらゆらと体勢を崩し、わたしは反動で反対方向に劇的に加速する。無人ドローンの限られた外界認識では、なにが起こったのかも分からなかっただろう。

「コースアウトだ。ルートを修正する」

「オーケイ」

 ふたたび現れたマーカーに沿って移動する。オープンスピンからフォアレフト。サイドクロスオーバーしてスリーターン。

「見えてきた。宇宙船だ」

 宇宙船は直径10メートルくらいの、概ね円盤状だった。中心のフックを外側から引くとハッチが開いて、わたしは内部に滑り込んだ。

「ははは! おめでとう! まさか本当にここまでたどり着くとは思わなかったよ。あとは座標を指定すれば自動航行だ」コックピットのコンソールパネルの前で、パグーが大きく羽根を広げて小躍りしながら言った。「さて、くじら座タウの座標は……」

「待って。悪いけど、くじら座には行かないわ」

 わたしはパグーのくちばしを手で遮った。

「え?」

「あのね。わたし気付いたんだけど、どうやらめちゃくちゃムカついてるみたいなのよ」

 わたしはコンソールパネルを操作して、座標を入力した。

「わたしも名希沙も、きっと天外……あんただって。コロニーに住んでた誰もが、みんなそれなりに未来に希望を持ってた。コロニーの老朽化とともにゆっくりと滅んでいくだけの運命だったとしても、ぜんぜん絶望なんてしてなかった。いろいろ諦めてはいたけど、でも夢はあった。こんな風に、いきなりロケット撃ち込まれて殺されなきゃならない筋合いなんてない。こんな目に遭わされて、すごすごと遠い星まで逃げるなんて、そんな惨めな真似はできないわ」

「この座標は……あの母船じゃないか」

「実際のところ、わたしがこの宇宙船で、くじら座タウまで辿り着いて、なおかつそこで助けてもらえる可能性って、どれくらい?」

 わたしが訊くと、パグーは顔を俯けた。

「……まあ、楽観的な数値で、0.001%ってところかな」

「じゃあ、わたしがこの船で、すぐそこに見えてる母船を襲って制圧できる可能性は?」

「まさか! バカげてる!」パグーは反射的にそう叫んだあとで「いやでも……」と、動きを止めた。

「連中はまったく予測してないだろうな。それに君が艦内への侵入に成功したら、その瞬間から感情の感染がはじまるわけだ。感情のないあいつらが、突然の感情をどう受け止めるのかは分からないけど、まあ混乱するだろう。0.01%くらいは可能性があるかもしれない」

「まあ、なんてこと! くじら座タウを目指すより十倍も希望が持てるじゃない!」

「いや、待てって! それで仮にあの母船を制圧できたとして、それでどうするんだ?」

「うーん。地球に降りて、今度は地球を制圧するとか」

「いや、それこそバカげてる……いや、意外とそうでもないのか。連中は感情の流入を恐れているからこそ念を入れてコロニーを破壊したわけで。逆にこっちからひとりでも侵入してしまいさえすれば、地球に感情のパンデミックが発生する? いや、でも……」

 ごにょごにょと独り言を続けるパグーに、わたしは「あのさ」と、言う。

「まだ母船の制圧もしてないのに、そんな先のことを考えたって仕方なくない? まずは、あの母船の制圧」

「いや、そうだよ! まずは、じゃない。そんなこと本気でできると思ってるのか?」

「さあね? でも、やれるだけやってみる。まだなにかできることがあるんじゃないかって、最期の最期まで考えてみるわ。わたしをこんな目に遭わせたことを、絶対に後悔させてやる」

「感情的だな……」

「ええ、もちろん」わたしは頷いて、胸をはった。「感情的なのよ。人間だから」

「オーケイ。わかった」パグーも頷いた。「たしかに、あるかも分からない14光年先の未知の惑星より、目の前で光り輝くあの青い星のほうがはるかに魅力的だ。サポートしよう。情報を集める」

 パグーがものすごい勢いで首を上下に振り、コンソールパネルをくちばしで叩きだした。正面ディスプレイにさっきと同じようなマップとマーカーが表示される。

「母船とのドッキングは不可能だ。近づいたら、この船をデコイにして君はジェットブレードで乗船ハッチから侵入するんだ」

「オーケイ。見てろよ人間ども」

 わたしはシートに座り、四点式シートベルトで身体を固定した。

「感情のないお前たちに、わたしの最高にエモい一撃をくらわせてあげるわ」

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感情のないお前たちに、わたしの最高にエモい一撃をくらわせてあげるわ 大澤めぐみ @kinky12x08

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