第2話 忘れたくない、ケチャップチャーハン

『忘れ物の多い喫茶店』 第2話


じいちゃんの喫茶店を継ぐことを決め、すぐ仕事を辞めてたくさんある手続きを終わらせてから一週間。

両親に話した時はめちゃくちゃ驚いていたけど、応援すると言ってくれた。

元々ごひいきにしてくれていた常連さんもみんな温かく受け入れてくれて……本当にいい人たちに恵まれたと思う。

仕入れ先の業者の方にも挨拶に行ったが、特に問題もなくスムーズに進んだ。

準備に1月程時間はかかったが、そんなものだと自分を納得させる。

ただ一つだけ問題があったとすれば経営方針だろうか?

 

(土日限定のランチメニューとか作ってみるか?)

 

アイデアを捻り出しメモをしていく。

元々じいちゃん1人で経営していたとはいえ、常連さんは結構多かったしコーヒーや紅茶の種類も多かったからそれなりにお客さんを呼び込むことが出来てはいたが、みんな結構なご高齢だったのだ。

 

(新規お客様をもっと呼び込めれば利益も上がるんだけどなぁ)

 

そう思いながら今日も仕込みを始める。

 

「さーて!開店するか!」



 

無事開店して1週間、ようやく落ち着いてきた。

最初は慣れない作業でてんやわんやだったが、今となっては余裕すら感じる。

まあ、まだまだ勉強中だし、これからも精進しないとだけどね。

流石に最初はモーニングで朝の7時には開店するようにしたから体が辛いと思ったけど、今はもう大丈夫だ。

というのもこの店、平日は朝7時から夕方7時までの営業なのだ。

なので朝4時くらいには起きないといけないのだが、早く起きることは慣れているし苦ではない。

 

(休日の営業時間を変えてみようかなぁ)

平日と休日の客入りや客層が違うので、その辺の調整も必要だろう。

あと、モーニング以外のセットメニューを作るのもいいかもしれない。

一応ランチ用のセットメニューは作っておいた。

なんてことを考えながら店内を見渡す。

テーブル席がいくつかあってカウンターもある、所謂昔ながらのレトロな喫茶店といった感じである。

壁際に本棚があり、中にはじいちゃんが集めてきたであろう本がびっしりと並んでいる。

漫画から小説、なぜか画集まで置いてあり少しカオスになっている。

また、窓際には小さな観葉植物が置かれている。これは俺が小さい頃にじいちゃんと一緒に育てていたものだ。

ちなみに今はサボテンを育てているが、これがなかなか難しい。

たまに水をあげすぎて腐らせることもある。

閑話休題。



 

さて開店して早々モーニングを食べに来たお客さんの接客をしているわけだが……

 

「しかしあの頃はこんなに小さかったのにね〜」

「ほんとよねぇ〜いつの間にか大きくなって」

「そりゃ大きくなるよ……」

 

この人達は俺が生まれる前からずっと通ってくれてる常連さん達で、俺のことをよく知っている人でもある。

だからこうして話しかけてくることもよくあることだ。

そして俺はというと、恥ずかしくて上手く話すことが出来ない。

小さい頃ならまだしも、大きくなったらなんか気まずくなるよね?そういうもんだと思うんだ。


 


「…………やっと落ち着いた。」

 

あれからしばらく時間が経ち昼のピークも終わった所でようやく落ち着きを取り戻した。

最初の忙しい時間帯が終わり一息つく。

 

すると平日のこの時間帯ではあまり見ない学生服を着た女の子達が入ってきた。

 

(珍しいな……)

 

「いらっしゃいませー。」

 

とりあえず声をかける。

 

「うわー何かいい雰囲気なお店だね」

「うん、私こういうお店が好きだなぁ」

「じゃあさ、ここにしない?」

 

女子高生3人組がそんな会話をしながら店内に入る。

うちの常連さん達は皆年配の方が多いから新鮮味を感じるなぁと思いつつ彼女達の元へ向かう。

 

「3名様でよろしかったでしょうか?こちらへどうぞー」

 

3人とも可愛らしい子たちだったので思わずニヤけそうになるが何とか抑える。

 

(あの制服って確か近くの女子高だよな?)

 

あまり学校には興味が無いので詳しくは知らないけど、この辺りでは結構な有名校だと聞いたことがある。

 

(あーあれか、午前中に学校が終わったから遊びに行くってところか。)

 

そう考えながらお水とおしぼりを渡す。

 

「ご注文が決まりましたらそちらのベルを押してください。

 

そう言って厨房に戻る。

女子高生達は初めてのお店ということでメニュー表を見ながら何を頼むか悩んでいるようだ。

 

「ランチメニューあるよ。」

 

そう言うと1人の子が反応する。

 

「えーどれどれー?あー美味しそう!」

「いいね、値段も千円超えないくらいだし。私はこれにしようかなー。」

「私はこれ!」

 

それぞれ決まったようなのでオーダーを取るために彼女たちの元に向かう。

 

「ご注文お決まりでしたら伺います。」

「はい!ランチメニューA、B、Cそれぞれ一つずつお願いします!」

「かしこまりました。ランチセットでコーヒーか紅茶どちらになさいますか?」

「あ、それなら私がコーヒーで。」

「じゃあ私は紅茶を。」

「私も紅茶で。」

「かしこまりました。少々お待ちください。」

 

伝票を書き上げ厨房に戻り早速調理に取り掛かる。

ランチセットはパスタとサラダ、ドリンク付きで千円超えない値段で提供している。

なので若い人でも手を出しやすいように工夫している。

といっても凝ったものではなくシンプルなものだが。

ただ従来よりもパスタの種類は豊富にしてみた。

今回頼まれたのはナポリタン、カルボナーラ、明太子のパスタである。

まずはサラダの盛り付けを始め、ドレッシングも用意していく。

うちの店はドレッシングはかけて提供ではなく好みでかけるタイプだ。

用意したドレッシングはオリジナルのドレッシングと和風、若い子向けにシーザーとゴマの全4種類を用意している。

3人分の麺を茹で始めるのと同時にサラダを提供しにいく。

 

「お待たせしました。こちらがランチセットのサラダになります。」

「ありがとうございます。」

「お好みでこちらの中からドレッシングをお選び下さい、では失礼いたします。」

 

そう言い厨房に戻る、1人で経営しているためマルチタスクが大変である。

まあ、じいちゃんと一緒にいる時は2人だったからそこまでではなかったが。

それぞれのパスタのソースを作りながら客席から聞こえる声を俺は聞いていた。

 

「ドレッシング選べるの嬉しいね」

「うんうん、私好きなやつあったからそれにしたんだー」

「そうなんだ。私はちょっとずつ味変したいから全部試してみようっと」

「おお、チャレンジャーだねぇ」

 

そんな会話を聞きながら、ドレッシングを数種類用意しておいてよかったと心の中でガッツポーズをする。

 

「よし、出来た。」

 

メインの料理が出来上がり、いよいよ提供する。

 

「おまたせいたしました。ランチセットのA、B、Cです。」

「わぁ、おいしそー」

「写真撮ろっ」

 

そう言ってスマホを取り出し写真を撮り始めた。

パシャッと音が鳴り3人揃って満足げな表情を浮かべていた。

 

「ごゆっくりどうぞ、この後紅茶、コーヒをお出ししますので。」

 

そう言ってその場を離れる。

その後も彼女達の声が聞こえてきたので耳を傾けてみる。

 

「明太子たくさん入ってて美味しい!」

「ほんと、このパスタ好きだなぁ」

「でしょー、ここのパスタめっちゃ美味しいんだよ。」

「へぇー今度他のも食べてみたいなぁ」

 

そんな会話が聞こえてきて、1人だけここのパスタを食べたことがある人がいる事に少し嬉しく思った。

 

(常連さんではないよな?じいちゃんが経営していた時に来てくれてるかもしれないけど……)

 

そんな事を考えながらコーヒと紅茶の準備をし始める。

コーヒーは昔からオリジナルブレンドでよく香りが引き立つようにドリップしている。

紅茶はアッサムティーを使っている。

これはミルクティーにしても合うし、ストレートでも楽しめる万能な茶葉だ。

ドリンクの準備も出来たので、提供しに行く。

 

「お待たせいたしました。こちらがコーヒーと紅茶になります。」

 

そう言ってカップを置く。

 

「あ、いい匂いですね。」

「うわぁー本格的ー」

「わぁーいいなー」

 

と3人が三者三様の反応を見せる。

そして彼女達はゆっくりと飲み始め、感想を言い合っていた。

 

「あ〜何かこのお店良いかもね。」

「うん、落ち着く感じするね」

「でしょ。」

 

気に入ってもらえたようで良かったと思いつつ厨房に戻る。

 

(ふぅ、やっと落ち着いた)

 

ようやく落ち着いたので皿を洗い始める。

1人で回しているためランチタイムに皿を洗う暇が無いため洗い場には沢山のお皿が積み重なっている。

洗おうとするとカウンター席に座る常連さんから話しかけられる。

 

「若い子も来るようになって、時代の移り変わりかしらね。」

 

そう呟くのはじいちゃんの頃からの常連さんの1人である、千晶さんだ。

 

「あはは、そうかもしれません。ランチ限定メニュー作ったからですかね?」

「そういえばそうだったかしら。じゃあ今度はランチを頂こうかしら。」

「ぜひお待ちしております。」

 

そう言って笑顔で返す。

千晶さんは決まってカウンター席で紅茶とデザートを注文してくれる。

ちなみに今日はチーズケーキだ。

千晶さんは2、3日に一回は顔を出してくれる、大変有難いお客様である。

 

「あら、もうこんな時間。仕事があるからそろそろ行くわね。ごちそうさま。」

「はい、ありがとうございました。」

 

会計をし、お店を出る彼女を見送りる。

ちなみに仕事は何をしているのか聞いたところ上手くはぐらかされてしまい、結局知らないままである。

もちろん歳は聞いていないが30〜40代だとは思う…多分。

そんな事を考えているうちに、店内は紙に何かを書いている男性と女子高生3人組のみとなった。

その男性は前にも見たことがあり恐らく勉強中だろう。

俺は皿を片付け仕込みの量の確認をした後、考案中のデザートのレシピを書く。と言ってもほとんど決まっているようなものだが。

紙に書いてあるのはプリンとパンケーキのレシピだ、安く提供でき、女性受けが良さそうなメニューがあった方がいいかと思い現在思案中である。

レシピを考案していると女子高生3人組の声が聞こえてくる。

 

「ねえ、これめっちゃ美味しいね!」

「でしょ!」

「うんうん、こっちも好き〜」

「えーどれ?私も食べるー」

 

それぞれのパスタをシェアしているようだ。

 

「はい、これもあげるー」

「やったー、ありがとう」

 

楽しそうに過ごしているのを見ると喫茶店冥利に尽きるというものだ。

じいちゃんはよく言っていた、美味いだけではなく過ごしやすい環境を作るのも喫茶店の大事な要素だと。

確かにそうだと俺も思っている。

そんな事を思いながら彼女達の会話をBGMにして、俺はデザートのレシピを書いていくのであった…………


 


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「どう?元気出た?」

「え?」

突然そんな事を言われて戸惑ってしまう。

「なんか暗い顔してたけど、大丈夫かなって思って」

「あ、うん大丈夫だよ!」

「そう、ならよかった」

 

そう言って美紀は笑った。

今日はテスト期間のため学校が早く終わり、私は友達の美紀とあやと一緒にお気に入りの喫茶店に来ていた。

お気に入りと言っても来るのは久しぶりだが……

 

「そうだよねー?元気ないように見えるんだけど……」

「あやもそう思った?志緒里元気ないよねー」

「そ、そんなこと無いよ!ちょっと疲れてるだけだと思う」

「大会のことでしょ。」

 

いきなり悩み事の核心を突かれてびっくりしてしまう。

だが、悩み事は1つでは無いのだが……

 

「えっと、まあそうです、はい……」

「やっぱりねぇ」

 

私の返事を聞いて、納得したような表情を浮かべる美紀。

 

「怪我の痛みはどうなの?」

「あ、うん。まだ少し痛むけど日常生活に支障はないかな。」

「無理しないでよ?」

「わかってるよ、でももう陸上はやれないって言われた時は本当にショックだったけどね」

 

そう言って苦笑いをする。

 

「そっかー、好きだったもんね志緒里は。」

 

私は昔から走ることが大好きだった。

だから高校でも陸上部に入部した。短距離走で県大会にも出場するほどの力を持っていた。

しかし先月事故にあい足を骨折してしまったのだ。

幸いにも命に関わるような大きな事故では無かったが、今後走れるようになる可能性は低いと医師から告げられた。

「うん、正直辛いし部活辞めようかとも思ってるんだけどね。」

「もったいないなぁ、せっかくいい記録持ってたのにね」

「ほんとにねー」

「はぁ」

 

思わずため息が出てしまう。

すると美紀は何か思いついたように口を開く。

 

「ねえ、気分転換にテスト終わったら遊びに行かない?」

「お、それ良いね」

「うん……」

「あ、もしかして用事があるとか?」

「ううん、そういう訳じゃないんだ」

「じゃあ行こうよ、たまには遊ばないと」

「……うん、いいよ。」

「よし、決まりね!」

 

こうしてテスト明けに遊ぶことが決まり3人とも美味しいランチタイムを過ごす。

食べ終わった後はいつものように他愛のない話をしていた。

 

「……じゃあそろそろ帰ろうか」

「そうだね」

「本当いいお店紹介してくれてありがとうね志緒里」

「こちらこそありがとね」

 

そう言って私たちは会計を済まし、店を出た。


 


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(俺の高校時代はどんな感じだったっけ?)

 

そんな事を考えながら女子高生3人組を見送る。

 

(ほぼ土日ここの手伝いしてたな…)

 

高校生の頃は別にボッチとかではなく普通に友達はいたが、バイトばかりしていた気がする。

今考えるともう少し青春っぽいこともしておくべきだったと思うが……

まあ過ぎ去ったことは仕方がない。それに今は充実しているし後悔はしていない。

そんなことを考え、テーブルの片付けをしていると

 

(ん?)

 

テーブルの下に何か落ちているのを見つけた。

拾い上げてみるとそれは可愛らしいストラップでパンダのぬいぐるみが付いているものだった。

恐らくあの3人組の誰かの落とし物だろう。

店内を見渡す、勉強している男性は集中しているようでまだ会計はしないであろうと予想する。

俺は小走りで外に向かう。

扉を開け、辺りを探す。

しかし女子高生の姿は見えず、仕方なく店内に戻ることにした。

 

(とりあえず保管しておくか……)

 

そう思い、レジの下の棚にそのストラップを置いた。

 

(取りに来るかもしれないしな…)

 

そう考え、俺はカウンターに戻りこれからの食材の減りを計算しながら仕込みの量を確認していくのであった。



 

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「ありがとうございました!」

 

ラストオーダーも終わり、店を出るお客様をお見送りしていく。

 

「ふうー。」

 

平日の営業も慣れてきたものだ。

じいちゃんと比べるとまだまだだが、少しずつ成長しているはずだ。

そんな事を思いながら、閉店の看板を表に出し一息つく。

慣れてきた影響か疲れてはいるが心地よい疲労感だ。

さっさと片付けと掃除を終わらせるか。

そんな事を考えていると

 

(そういや日本酒貰ったんだっけ…)

 

色々と開店準備に手間がかかってしまい1月程店を閉めていたからか、俺が開業した途端お祝いとして常連さんから色々なものを貰ってしまった。

中には高価なものも混ざっており、本当に申し訳ない気持ちになったが……

そしてその中で頂いたものの中に純米大吟醸酒があったのだ。

 

「そういえばあの神様酒を持ってこいとか言ってたな…」

 

あの濃い一日は今でも鮮明に覚えている。

初めて会った時の第一声も「久しぶりの飯じゃー!」だったしな……

俺は苦笑しつつ、キッチンへと向かう。

 

「確か冷蔵庫に入ってるはず……」

 

冷蔵室を開けるとそこには1本の酒瓶が入っていた。

 

「あったあった」

(これならあの神様も満足するよな?)

 

そんな事を考え今日の自分の夕飯、もとい賄い作りにとりかかる。

今日はたまたま仕入れ先の肉屋で砂肝が安く売っていたため試しに買っておいたのだ。

料理の研究用と自分の賄い用で2人分は買った、

 

(賄い用でとりあえずガーリック炒めにしてみるか)

 

調理に取り掛かるが、これもあの神様に食べさせてあげたいと思った。

 

(まあ日本酒に合うしつまみに丁度いいだろ)

 

まるで居酒屋に出てくるようなメニューだと笑ってしまう。

だがこの喫茶店は一般的な喫茶店よりかは厨房が広く、食堂の厨房並みに大きいのだ。

だからうちの喫茶店は色々なメニューが作れる。

ちなみに中華鍋もあったりするが使ったことはない、一体じいちゃんはどこで使っていたのか……

そんな事を考えつつ、ガーリック炒めを作り終えた。

スープやサラダ、ご飯はすぐ作れる為、まずあの神様のところに持っていくことにする。

 

(お礼を言わないとな……そういえばあの神様は名前なんて言うんだろう?聞いてみるか。)

 

そんなことを考えながら、俺はお供物の準備をする。


 


ネックレスをかけ鍵を差し込み裏手にでる、やはりそうすると見たことのない林がありその中に続くように道ができている。

俺は迷わずその道を進んでいく。

すると開けた場所に出る。

そこには変わらず少しボロい小さな祠があった。俺は祠の前に行きしゃがみ手を合わせる。

 

(神様、じいちゃんに会わせてくれてありがとうございます。こちらはそのお礼です。)

 

そう心の中で呟き、作ってきた砂肝のガーリック炒めと頂いた日本酒を置く。

 

(喜んでくれるといいんだけど……)

 

そんな事を考えながら、その場から少し離れる。

すると以前見た時と同じように祠がガタガタと揺れ始める。

 

「来るかな…」

 

そんな発言と共に出てきたのは……

 

「酒とつまみじゃー!!」

 

変わらず狐耳を生やした綺麗な女性だった。

 

「このタイプの酒は久しぶりじゃの〜しかもつまみまで!」

 

随分機嫌が良いようで尻尾を振り回している。

 

「おお!これは美味いの〜」

 

早速肴に手をつけている。

そんな姿を見ていると作って良かったと心から思う。

 

「あの、この間はありがとうございます。」

 

俺はお礼を言った。

 

「ん?」

「えっと、前にじいちゃん呼んでもらったじゃないですか」

「ああ、あの時のことか。別に気にするでない。わしはお前の願いを叶えただけじゃからの。」

「それでも助かったので……」

「律儀な奴じゃの。ところでまだ自己紹介をしてなかったのぅ。わしの名は小稲荷じゃ。」

(コイナリ?まさか稲荷様みたいなものか?)

日本で稲荷様って言ったら商売繁盛とか家内安全とかめちゃくちゃご利益があるイメージだけど……

 

「あー、えーと、改まして坂本歩夢です。」

「律儀じゃの〜別にそんな畏まらんでも構わんぞ。」

「いえ、そういうわけにはいかないですよ。」

 

神様相手に無礼な態度をとるなど恐れ多いことだ。

それにしてもこんな若い見た目なのに凄い貫禄だな……

そんな事を考えていると

 

「その格好してるってことは店を継いだのかの?」

 唐突に質問された。

 

「あっ、えっと……はい継ぎました。」

 

そう返すと小稲荷は嬉しそうに笑う。

 

「そうかそうか、それはめでたいの!」

「あ、ありがとうございます。」

 

小稲荷は酒瓶を直で飲みながら上機嫌に笑う、その姿だけではただの酔いどれ美人なお姉さんにしか見えない。

 

「…………そうじゃった!そうじゃった!、どれどれ〜」

 

じいちゃんを呼んだ時のように突然唸り始める。

 

「ふむ……なるほどの〜」

 

また俺ではない誰かと話すように独り言を言い始めた。

 

「どうやらお主は昭恵に似たの〜」

 

酔いが回ってきたのか少し舌足らずになっている。

 

「昭恵?……おばあちゃんにですか?」

「いやいや人気者じゃな〜、では呼ぶとするかの!」

酔っているからかこちらの質問には答えず上機嫌だ。

小稲荷様はそういうとじいちゃんの時と同じように突然手を合わせ目を閉じた。

すると風が辺りに吹き始め、目の前に光が灯る。

瞬発的に目を閉じてしまう。

じいちゃんの時と一緒だが心の準備が出来ていないため驚きを隠せなかった。

少しづつ辺りの光が落ち着いてきたのを感じたので俺は目を開ける。

その光はだんだんと人型へと変わっていく。

 

『誠に申し訳ございません、この度はよろしくお願いいたします。』

 

突如目の前に現れた人は女性で30か40代くらいであろうか、とても美しい人だ。

スレンダーな体型で家で着るようなラフな服装、こちらにお辞儀する姿はとても真面目な人だとわかる。

 

「えっ、あの……」

 

いきなりのことで戸惑いを隠せない。

前はじいちゃんが現れたから対応できたが、今目の前にいる人は知らない人である。

……………本当に誰だ?

 

『ああ、すみません。挨拶が遅れてしまいましたね。私は高梨幸枝と言います。』

 

そう言って再び頭を下げる。

 

「あっ、坂本歩夢です。」

 つられてお辞儀をする。

名前を聞いて俺はもう一度思う……本当に誰だ?

失礼のないよう必死に思い出そうとするが、やはりまったく覚えが無かった……

 

『あなたとは初めましてですね。』

 

そう言い微笑んでいる彼女はとても優しげで、どこか母性を感じるような人だった。

初めましてってことは初対面か………やはりこの人と会った記憶はない。

 

「あの、小稲荷様これは一体?」

「おお、すまんのう〜つい忘れておったわ。」

 

そう言うと小稲荷様は立ち上がりフラフラとこちらに歩いてくる、凄い酔ってらっしゃる…

 

「実はの、前みたいにお主の中に入って料理したいんだとよこの奥方様がの。」

「…………はい?」

「だから、あのじじい呼んだ時と一緒じゃて、ほら行った行った。」

 

手を振り払うかのように酒をあおりながら、俺を追い出そうとする。

 

「えっと……」

「大丈夫じゃよ、悪いようにはせんから。」

『本当に申し訳ございません、よろしくお願い致します。』

 

幸枝さんはまたお辞儀をする。

 

「えっと、わかりました……」

 

何が何だがわからないまま俺はとりあえず了承した。


 


 

「……えっとそれで、俺の中に入って料理をするんですよね?」

 

祠からの帰り道、俺は気になっていたことを尋ねた。

 

『はい、娘がいましてその娘に食べさせてあげたいんです…』

「はぁ、そうなんですか?」

 

よくわからず曖昧な返事をしてしまう。

 

『はい、あの子最近食欲がなくて心配で……』

「はあ……」

『一昨日なんてあの娘無理して食べて吐いてしまって……このままじゃいけないと思って何とか出来ないか考えていたら

いきなり呼ばれまして……』

「な、なるほど……」

『それで話を聞いてみたら面と向かって会話はできないけど、とある体を使って料理は出来ると言うので、それなら私も協力できると思いまして。』

 

とある体っていうのはおそらく俺であろう。

 

「はあ、でも俺料理以外特に何もできませんよ?」

『大丈夫です、今はあの娘に食べさせてあげないといけませんから!』

 

ガッツポーズをしながら力説する幸枝さん。

なんだろう……ちょっと変なスイッチ入ってないか?

 

『その為お身体を借りるのですが、何かありましたらすぐ言ってくださいね。』

「ああ、大丈夫ですよ。」

 

じいちゃんの時と同じ感覚が俺に襲うという事だけはわかった。

 

「あっ着きましたね、どうぞ。」

 

そう言い俺は裏手の扉から厨房に入る。

 

『わあ〜広い厨房ですね。』

 

幸枝さんは興味津々に辺りを見渡す。

 

「本当ですよね、喫茶店にしては広い厨房ですよ。」

『喫茶店なんですか?あら……』

 

幸枝さんは厨房から客席の方に出る。

 

『あの、もしかしてここって喫茶【忘れ物】ですか?』

「はい、そうですが?」

『やっぱり!娘が小さい頃何度か来たことがあるんですよ!』

「そうだったんですか?」

『はい、懐かしいですね〜確かオムライスを食べに来たのが最初でしたかね〜』

「それはありがとうございます。」

 

例え昔でも来てくれていたお客様がいた事に嬉しく思った。

 

『まさか知っている場所でこんな事ができるとは思ってませんでした!』

 

幸枝さんのテンションが上がっていく。

 

『さてと、早速準備を始めましょうか。』

「あっ、はい。」

『まずは食材の確認をしないと、多分大丈夫だと思うんですが…』

 

幸枝さんは厨房内をウロウロしながら、色々と確認している。

 

「あの〜、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

『んっ、どうしましたか?』

 

俺はずっと疑問に思っていた事を口に出す。

 

「そもそも何を作るんですか?」

『あっ言ってなかったですね!ケチャップチャーハンです!』

 

幸枝さんは自信満々に答えた。

 

「えっ?」

 

思わず驚きの声が出てしまった。

 

「…………ケチャップチャーハン?」



 


ケチャップチャーハンとはライスを炒めたものにケチャップ等を加えるだけの簡単な料理である。

ちなみにそこに鶏肉が入るとそれはケチャップライスではなくチキンライスになるらしい。


「ケチャップチャーハンですか……珍しいですね。」

『そうなんですか?私の家庭ではポピュラーなものなんですが……』

 

結構好き嫌い分かれそうなメニューだと思ったのだが幸枝さんの家庭では人気メニューのようだ。

ちなみに歩夢の家庭では出たことはない。

 

「なんだかんだ言って自分は作ったことないかも知れないですね、大抵オムライス用のチキンライスになってしまうので…」

『ですよね…………そうだ!ここでも食べさせてもらったんですよ、ケチャップチャーハン!』

 

うちのメニューにケチャップチャーハンは載っていないはずだが………

 

『まだ娘が小さい時にこれ食べたい!ってわがまま言ってしまったんですよ。』

 

小さい娘ならよくあることだろう。

俺にもそんな時期があったのだろうか、思い出せない。

 

『そうしたらマスターさんがこれなら簡単に作れるよって作ってくれて。』

 

じいちゃんならやりそうだな〜と心の中で思う。

 

『あの時はヒヤヒヤしましたよ店内でわがまま言う子供なんて他のお客様からしたらご迷惑かもしれませんしね。』

 

幸枝さんは苦笑いをしながらあの時のことを思い出すかのように話をしてくれた。



 

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「ほら、今日は何食べようか?」

 

小学生になったばかりの娘にメニューを指差して尋ねる。

 

「えっとね、このオムライスにしたいけど……」

 

来る前は随分と機嫌よく走り回っていたはずの娘が何故か今は元気がない。

 

「うーんとね、あのね…」

「うん?」

「……なんでもない。」

 

何も話してくれない娘に少し悲しくなる。

いつも明るく何でも話すのに…………

どうすればいいか迷っていると店主が話しかけてきた。

 

「どうかされましたかな?」

「あっ、大丈夫ですよ。」

「……いいよ、何が食べたいんだい?メニューに載ってなくても大丈夫だよ。」

 

そう優しく声をかけてくれる。

 

「えっと、オムライスなんだけど…」

「けど?」

「………卵いらない………」

 

そう言いながら下を向いてしまう。

 

「卵なしかい?ならチキンライスで大丈夫かな?」

「……チキンライス?違う!お家だとケチャップチャーハン!」

 

娘は大きな声で主張する。

どうやら娘はたまに家で作るケチャップチャーハンが食べたいようだ。

 

「こら!お家で作るからわがまま言わないの。」

「でも〜今食べたいの……」

 

そう言いながら泣き出しそうになる。

 

「大丈夫ですよ、ケチャップチャーハンですね。」

 

店主は娘のわがままにも暖かく接してくれる。

 

「そんなわざわざメニューにないものを……」

「いえ、大丈夫ですよ。食べたくなっちゃったんだからしょうがないもんな嬢ちゃん。」

「うん!」

 

娘は笑顔になり大きく返事をする。

 

「良いんですか?」

「構いませんよ、高級な料理を要求されたわけでは無いですし。」

「ありがとうございます!」

 

娘は嬉しそうにしている。

 

「ちゃんとお礼を言える良い娘だな。」

「えへへ〜」

 

娘は照れくさそうにする。

 

「じゃあすぐできるんで待っててくださいね。」

「本当にすみません。」

「謝らなくて大丈夫ですよ、そうだ家ではどんな感じのケチャップチャーハンを?」

「えっと、普通にチャーハンを作る要領で夕飯の余り物とか、ケチャップを加えるくらいなのですが…」

「じゃあ胡椒とかはかけても大丈夫なんでかね?」

「はい、大丈夫です。」

「了解しました。」

 

そう言い店主は厨房に戻る。

それから数分後注文した品が出てくる。

 

「お待たせしました。」

「わぁ〜美味しそう!」

 

店主が作ったケチャップチャーハンには具材としてウィンナーと玉ねぎ、そして中央には可愛らしくコーンが乗っていた。

 

「いただきます!」

 

娘はスプーンでチャーハンをすくい口に運ぶ。

 

「んっ!」

「ど、どう?」

 

私は恐る恐る娘に聞く。

 

「おいしい!!」

 

満面の笑みを浮かべて答える。

 

「なら良かった。」

「本当にありがとうございます。」

「良いって良いって、料理人冥利につきるってな。」

 

全く気にもせず片付けをする店主。

その後私達は食べ終わり会計へ進む。

 

「また来てくれな、嬢ちゃん。」

「うん!絶対くるね!おじちゃん!ばいばーい!」


 


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『……という事があったんですよ。』

「なるほど、そういうことがあったんですね。」

 

俺は幸枝さんの話を静かに聞いていた。

流石じいちゃんだなと思う。

 

「じいちゃんに負けないように頑張らなくちゃな。」

『じいちゃん?あら、もしかしてお孫さんなの?』

「そうですね、一応小さい頃から休日はこの店の手伝いとかしてました。」

『そうなのね、休日は来たことなかったから分からなかったわ!』

 

昔話に花を咲かせていると、幸枝さんは使う食材を決めたようで改めてこちらを見つめる。

 

『じゃあ入って良いかしら?』

 

何故だろう?じいちゃんの時は何とも思わなかったが女性が入ってくると思うと変な緊張が俺を襲う。

 

「はい……大丈夫ですよお願いします。」

『ふう……行きますね!』

 

こちらに向かってくる幸枝さん。

俺は目を瞑って待機していると胸の方から衝撃が走る。

身構えていたからか倒れはしなかったが少しよろけてしまった。

 

『うわー男の人の手ってこんなに大きいのね!』

「ちょ、ちょっと!」

『ごめんなさい、ついテンションが上がっちゃって。』

 

自分の手を両手で包み込むように触ってくる。

なんだか凄く違和感を感じる。

 

『さて作りますか!』

 

幸枝さんはやる気十分と言った感じで調理を始める。

俺の体で食材を切っていく幸枝さん、自分の体なのに他人が動かしている感覚はやはり慣れない。

 

『どうかしましたか?』

「いや、何でもないです。」

『そうですか?なら良いのですけど。』

 

その後も危なげなく料理を進める幸枝さん。

こうやってみていると切り方やフライパンの扱い方にも個性が表れていて面白い。

そんなことを考えながら見ていたがいつの間にか後はご飯を入れ炒めるだけの状態になっていた。

 

『よし!あとはケチャップを入れて……』

 

そう言い慣れた手つきで混ぜていく。

するとケチャップの酸味のある良い匂いが店内に充満していく。

 

「なんか、お腹空いてきました。」

『ふふっ、そうですね。もうすぐ出来上がりますよ。』

 

あっという間に完成してしまったケチャップチャーハン。

 

「うわ〜美味しそうですね。」

『でしょう!我が家の伝統の味ですから!』

 

幸枝さんは誇らしげに話す。

 

「一口だけ食べてみても良いですか?」

『ええ、勿論です!』

「じゃあ……」

 

スプーンですくい口に運ぶ。

ケチャップの甘い香りとチャーハンの香ばしさが合わさり絶妙なバランスになっている。

 

「んっ、美味しい。」

『でしょう!』

「良いですね、自分初めて食べたかもしれないです。」

『あら、それは光栄です。』

 

そんな会話をしながら俺は気になったことを尋ねる。

 

「そういえばこれを幸枝さんの家に届ければ良いんですか?」

『いえ?あの神様から聞いた話ではこのお店に来るって言ってたわ。』

「えっと、この後来るんですか?」

 

もう店は閉まっていて表にもcloseの看板が立っているはずだが………

 

『私にも分からないわ。ただここに来れば会えると言われただけで……』

「そうなんですね……」

 

店の表に目を向けてみる、あれ?closeの看板が裏返っている。

きちんと看板を立てたはずだが…

するとタイミング良く扉が少し開く、隙間から顔を出すように女性が顔を出す。

 

「あの〜すみません、まだやってますか?」

 

その女性はフードにダウンを羽織りいかにも寒そうだ。

ただ何故か髪は乱れており顔色も少し悪い。

 

「あっはい!大丈夫ですよ、どうぞこちらの席に。」

「ありがとうございます。」

 

幸枝さんはいつの間にか俺の体から抜けておりその女性を心配そうに見つめている。

 

『志緒里…』

 

俺は店内の明かりをカウンター席側のみ明かりをつける。

一応表にcloseの看板を今一度立てて置く。

 

「あの………すみません、もしかしてもう営業終わりでしたか?」

 

俺の一連の行動を見た女性は申し訳なさそうに聞いてくる。

 

「いや、問題無いですよ。」

 

そう言い少し明るくなった店内で女性の顔をまじまじと見る。

そしてどこか見覚えがある気がすると思った瞬間思い出す。

確か今日の昼過ぎ辺りに来た女子高生3人組の内の1人だ。

そんなことを考えていると幸枝さんはその女性の周りを忙しなく動き回っている。

 

『本当にごめんね志緒里、ごめんね…』

 

幸枝さんは涙を流し謝り続けている。

 

(この子が娘さんか………)

 

目元が少し腫れている事から泣いていたのだろうか?幸枝さんは娘の頭を撫でながらあやしている。

しかし幸枝さんのその姿が見えていないのか、娘さんは下を向いており表情が見えない。

 

「………」

 

しばらく沈黙が続く。

俺達も声をかける事が出来ずにいるとようやく娘さんの口が動く。

 

「あの、そういえばここに忘れ物をしたと思うのですが……」

「忘れ物ですか?……ああ確かストラップが一個だけ落ちていましたが……」

「それです!」

 

よっぽど大事な物だったのだろう、勢いよく立ち上がり俺を見つめる。

 

「今とってきますので少々お待ちを。」

 

俺はレジ下の棚からストラップを一つ取り出し彼女へ渡す。

 

「これであってますか?」

「はい!これで間違いないです!良かったぁ〜」

 

心底安心したという感じで胸をなで下ろす。

 

『そのストラップ………』

 

幸枝さんは娘さんの手にあるストラップを見て呟く。

俺はとりあえず水とおしぼりを用意する。

 

「あっすみません、ありがとうございます。」

 

彼女は軽く頭を下げながら受け取り、そのまま手と口を拭く。

 

「いえいえ、お気になさらず。」

『……』

 

幸枝さんは黙ったまま何か考えているようだ。

どうするか、今出せるのは幸枝さんが作ったケチャップチャーハンぐらいしかない。

 

「あの………この匂いって…」

「ああ、今賄いで作ってるんですよ。ケチャップチャーハン。」

「ケチャップチャーハンですか!?」

 

さっきまで俯いていた彼女がいきなり大声で叫ぶものだから驚いた。

 

「えっ、ええそうですけど……」

「私、ケチャップチャーハン大好きです!!」

「そっそうですか……」

 

あまりの迫力に圧倒されてしまい何も言えなくなってしまう。

 

「丁度閉店したので今すぐ出せるのがケチャップチャーハンしか無くて……」

「全然良いですよ、こちらこそ閉店間際にすみません……」

 

申し訳なさそうに話す彼女に俺は笑顔で答える。

 

「別に大丈夫ですよ、すぐお出しますね。」

「すみません、お願いします。」

 

幸枝さんを見ると未だに固まったままだ。

幸枝さんはずっと心配そうに娘さんを見つめている。

 

『志緒里……』


 


「はい、こちらケチャップチャーハンになります。」

 

俺はカウンターに座る志緒里さんに出来上がったばかりのケチャップチャーハンを置く。

 

『……』

幸枝さんは変わらず志緒里さんの横に座り、その様子を見守っている。

志緒里さんは目の前のケチャップチャーハンを見つめている。

そしてスプーンを持ちゆっくりと口に運ぶ。

「美味しい……」

志緒里さんはスプーンを止めず無我夢中で食べ進めていく。

「美味しい……」

「志緒里さん?」

「…美味しいよ……」

 

そう呟きながらただひたすらに食べ進める。

目からはいつの間にか涙を零しながら……

 

『志緒里……』

「お母さんが作った味と同じだ………」

『……』

 

幸枝さんは娘の言葉を聞き泣き崩れてしまう。

志緒里さんは食べるのをやめ俺を真っ直ぐ見つめてくる。

その瞳は力強く決意に満ちたような表情だ。

 

「あの!これお母さんが作ったのと同じなんですけど………」

 

俺はその言葉を聞いて一瞬戸惑う。

俺ではなく幸枝さんが作った物だと正直にいえずどうするか迷う………

 

「あっ、そうなんですね!これはうちのレシピ集に入ってまして試しに作ってみたんですよ!」

 

俺は必死に誤魔化す。

やはり母親が作った味というのはすぐ気づくらしい………

 

「そうなんですか?でも凄く似てましたよ!」

「………あ!もしかしてお母さんの名前は幸枝さんですかね?」

 

俺は話題を変える為咄嵯に出た質問を志緒里さんにする。

 

「え?はい、お母さんの名前は幸枝ですけど…」

『歩夢さん?』

 

幸枝さんは俺が突然名前を出したことを不思議がっているようだ。

 

「実はですね、幸枝さんから教わったんですよ。」

「え?どういうことですか?お母さんが教えたって……」

 

志緒里さんは俺の言葉を聞くと驚きながら口を開く。

 

「このお店前は俺のじいちゃんがやってたんですよ。それでその時に教えてもらったというか……」

「じいちゃん?」

「ええ、俺も聞いただけですけど、以前このお店でオムライスではなくケチャップチャーハンを注文した人が居たんだって。」

「…………それってもしかして……」

「親子で来てたお客さんで、お子さんのわがままからケチャップチャーハンを作ったらしくてそれがとても好評だったとかなんとか……、

それでその後じいちゃんが親の方に一応レシピを教わっておいてたらしくて、今日たまたま自分が練習がてら作ってたんですよ!」

「……」

「それでそのレシピのタイトルが幸枝流ケチャップチャーハンって書いてあったのでもしかしたらと思いまして………」

 

俺は必死に説明をする。

志緒里さんは話を聞きながら何か考えている様子だ。

 

「……小さい頃ここに何回か通ってたことがあって、その時わがまま言ったのなんとなく覚えてます。」

 

涙を流しながら志緒理さんは思い出を語る。

 

「小さい頃からお母さんの作るケチャップチャーハンが好きで、運動会とか陸上の試合の前とかは必ず作ってくれるんです。」

「良いお母さんですね。」

「はいっ…」

 

志緒里さんはとても嬉しそうに笑う、だが涙は一向に止まらない。

 

「……新しいランニングシューズを買いにお母さんと一緒に出かけて……その途中で…」

 

少しの静寂の後志緒理さんが再び口を開く。

 

「その途中で…事故に遭って……私だけが助かっちゃって……ごめんなさい……」

 

志緒里さんは大粒の涙を流す。

 

『謝る必要なんてないの!』

 

大声で叫ぶ幸枝さん、

だがその叫びは志緒理さんには届かない。

 

『あなたが無事で本当に良かった。でも私が死んでから志緒理はいつも泣いていた。もう泣かないで……』

 

娘に優しく語りかける。

 

「お母さん……」

 

志緒里さんはただただ泣くばかりだ。

 

『ごめんね志緒里。』

 

 幸枝さんは娘の頭を優しく撫でる。

 

『本当はもっと一緒にいてあげたかった、ずっと傍にいたかった。』

『でもね、私は志緒里にちゃんと幸せになって欲しい……ちゃんと前を向いて生きて欲しいの……』


 

娘の頭を撫でているはずの手は震えている。

俺は言ってあげたかった、すぐそばにお母さんがいること。

泣かないでほしいと。

俺に何かできる事はないか……

 

「……俺もね先月にじいちゃん亡くしてさ、まだ実感湧かなかったんだよね。」

 

俺の言葉を聞いた志緒里さんはこちらを見る。

 

「実はさ、俺この店継ぐ前は普通にサラリーマンしてたんだけど、仕事辞めちゃったんだよ。」

「えっ?」

 

志緒里さんは驚く。

そりゃそうだよないきなりこんな事言われたら……

 

「元々はじいちゃんみたいな料理人になりたくて調理師の専門学校行って、卒業した後は色々なレストランで働いてたんだけどさ、

なんか色々あって結局やめちゃって……」

「そんな中じいちゃんが亡くなって俺も結構落ち込んだりしたけどさ、じいちゃんに約束した料理人になるって夢諦められなくて、だからもう一度ここで夢叶えようと思ってこの店継いだんだ。」

「……」

 

志緒理さんは俺の話に耳を傾ける。

 

「今でもさたまに思うんだよ…もし俺があの時諦めてなくて料理人一筋でやってたら、もう少し頑張っていたら、じいちゃんも心置きなくこの店俺に継がせてたのかなって。」


俺は言葉を続ける。

 

「でもそんなこと言っても仕方ないし、やる気ない顔でこのお店経営してる方がじいちゃんに怒られそうだしさ、だったらせめて料理の腕はまだまだでも精一杯やろうって決めたんだ。」

「…………」

 

「そんな直ぐ立ち直れるわけじゃないって分かってるけど、もし隣に今お母さんがいたらどんな顔するだろって考えたりすると良いんじゃないかな?」

『歩夢さん…』


幸枝さんは俺を見つめながら静かに呟く。

 

「俺は親になったことはないからはっきりとは分からないけど、私だけが助かっちゃってごめんなさいって言葉は親は聞きたくないと思う…」

「あっ……」

 

志緒里さんは自分が言った言葉を思い出したかのように口に出す。

 

「そんなこと言っちゃたらさ、もし隣で今幸枝さんが聞いてたら幸枝さん泣いちゃうと思うんだ。」

 

「……」

 

「それはダメだよ。親なら子供には笑っていて欲しいはずだから。」

 

「……うん……」

 

志緒里さんは下を向き涙を拭っている。

 

『志緒理ちゃん…』

 

少し言い過ぎたかな?と不安に思っていると、

 

『ありがとうございます。』

 

幸枝さんは俺に頭を下げながらお礼の言葉を述べる。

俺はそれに笑顔で応える。

 

「お礼なんていいですよ!俺は思ったことを言っただけですし。」

「えっ?」

 

志緒理さんが不思議そうに見ている。

当然だ、志織理さんには幸枝さんは見えていないのだから。

 

「ああ、いえ何でもないです…」

 

ややこしいことになってしまった。

だが志緒里さんは何か吹っ切れたように再びスプーンを手に取る。そしてチャーハンを口に運ぶ。

 

「おいしい……」

 

志緒里さんの頬を一滴の涙が流れる。

 

「お母さん……」

『志緒里ちゃん……』

 

二人の声が重なる。

志緒理さんは涙を浮かべながらも笑っていた。

 

「……陸上もできなくなっちゃって、家に帰ってもお母さんはいないし、ずっと寂しかった……」

 

入ってきた時と違い、志緒理さんの顔は少し明るくなったように見える。

 

「お父さんもね、お母さんが亡くなってから毎日無理やり仕事を頑張ってる……この前なんて私が元気でいてくれたらそれでいいって……」

『そうなのね……』

 

幸枝さんは自分だけがいなくなってしまった後の家族の事を気にかけていたようだ。

当然と言えばそうだが……

 

「家に帰るとキッチンとかリビングにお母さんがいないのを見て、いつも泣きそうになってました。」

「……」

「でも今日久しぶりにお母さんの手料理を食べれて本当に嬉しくて、また作ってくれるかな?なんて考えたりして、そうしたらもう我慢出来なくて……ごめんなさい、急に来て泣いたりして。」

『志緒里ちゃん……』

 

志緒里さんは再び目に涙を浮かべる。

 

「大丈夫ですよ、お母さんの作る料理の味って忘れたくないですよね、料理名は分かってても食べないと味は思い出せませんから。」

 

俺は優しく微笑みかける。

志緒里さんは涙を流しながら、それでも必死に笑顔を作ってくれた。

 

「はい……とっても美味しいです。ケチャップチャーハン。」

 

涙を流してはいるものの、その笑顔はどこか清々しい。

 

『……』

 

幸枝さんは何も言わずただただ娘がスプーンを口へ運んでいく様子を眺めている。

その様子は小さい頃から娘がご飯を食べる時に見せる表情なのだろう、

俺には母親の気持ちや考え方なんてものは分からないけど、その姿はとても優しくて良い母親が見せる姿なのかもしれないと、そう感じた………


 


「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです!」

「お粗末様でした。お腹いっぱいになりましたか?」

「はい、たくさん泣いておなか減ってたみたいで、おかげさまで満足しました。」

 

志緒理さんは照れ笑いをする。

 

「あっ、代金はいらないですよ、賄いなので。」

「えっ、でもそれじゃ悪いですよ。」

「いえどうぞお構いなく。自分もまだまだ料理人としてペーペーなので。」

「でも……」

「本当に大丈夫ですよ、それでも譲れないのでしたら次もまたこのお店にお客様として来てください。」

「……はい、わかりました。絶対また来ます!」

「ありがとうございます。」

 

話に折り合いがついたところで、志緒理さんは申し訳なさそうにしながらも席を立つ。

 

「本当にありがとうございました。」

 

そうお辞儀をする姿はどことなく幸枝さんに似ている事から親子なんだなと感じさせる。

 

「いえ、何もしていませんよ。」

 

 俺は苦笑しながら答える。

 

「あの、聞きたいことがあるんですが良いですか?」

「はい、なんでしょう?」

「お母さんの…あの、お母さんのケチャップチャーハンのレシピ私にも教えて貰えませんか?」

「えっ?」

 

予想外の質問で思わず驚きの声が出る。

 

「あっ、すみません!やっぱりダメですよね。」

「………ダメなわけないですよ、元々志緒理さんのお母さんの料理なんですから。」

「本当ですか!?」

 

志緒理さんは目を輝かせながらこちらを見る。

 

「はい、簡単な料理なので今書いて渡しますね。」

「ありがとうございます!あれ?何で志緒理って名前知ってるんですか?」

「……えっ?」

 

しまった!幸枝さんが何回も言うから自分も言ってしまった!

 

「あーえっと、お昼頃来ましたでしょ?盗み聞きした訳ではないのですが聞こえてしまったので…」

 

焦りから変な口調になってしまった。

 

「そうだったんですね。」

 

なんとか誤魔化せたようだ。

 

「ではこれがレシピです。」

 

 俺は紙を一枚渡す。

 

「はい、ありがとうございます!」

 

志緒理さんは大事そうにポケットにしまう。

 

「お母さんの料理、頑張って再現しますね!それでお父さんにも食べさせて、後お母さんがいつも作るサラダとかも……」

 

志緒理さんは楽しそうに話す。

 

「本当にありがとうございました!」


 志緒理さんはもう一度頭を下げてから、席を立ち出口へ向かう。

 

「また来ますね!」


 志緒理さんは笑顔で手を振りながらお店から出ていく。

 

「今度来る時は忘れ物しない様にしてくださいね。」

「はい!」

 

元気よく返事をしてドアが閉まる。背中しか見えなかったが、

来た時とは明らかに違うのは目に見えて分かった。


 


店内には俺と幸枝さんのみになったが先ほどの重い空気が嘘のように消えていた。

 

『歩夢さん、ありがとうございます志緒理があんなに嬉しそうに……』

 

幸枝さんは志緒理さんが見えなくなった後もずっと店の外を見つめている。

 

「俺はただ幸枝さんが作ったケチャップチャーハンを出しただけですよ。」

『そんなことありません、本当に色々ありがとうございます。』

 

少しでも手助けできたのであれば良かったと歩夢は思うことにする。

 

『本当に志緒理は良い子に育ってくれました。』

「それはお母さんの教育の賜物だと思いますよ。」

『そうですかね?昔っから直ぐ走っていなくなりますし、迷子にはなるわで大変でしたよ…』

「そうなんですね、でもちゃんとお礼を言えたり謝ったりするところは幸枝さんにそっくりです。」

『そうですかね……』

 

幸枝さんはどこか儚げに微笑む。

 

『……あのストラップは小さい頃志緒理が欲しい欲しいってわがままいうから仕方なく買ってあげたんですよ。」

「子供のわがままのあるあるですね。」

『……もっと志緒理と一緒にいたかったな…』

 

その言葉は俺に向けられたものではない事は分かった。

きっと幸枝さん自身に向けたものだろう。

 

『あのまま怪我なく走り続けていたらもしかしたらオリンピック選手になっていたかもしれません……』

「………そうかもしれないですね。」

 

俺は相槌を打つ事しか出来ない。

 

『後は……志緒里がどんな人と付き合うのか、結婚する姿も見てみたかったな…』

「……」

『……ふふ、ごめんなさいね、こんな話をしても困るだけですよね。』

「いえ……そう思うのは当然だと思います。」

『…私が湿っぽくなってもしょうがないですよね!あの娘は今必死に前に進もうとしているんです。それを見守る事くらいはしてあげないと!』

「幸枝さん……」

 

幸枝さんは明るく振る舞うがその目からは涙がこぼれ落ちている。

それでも彼女は精一杯前を向いていようとしているのだ。

それが分かるからこそ、彼女のその姿はとても痛々しく見えた。

 

『私が泣いて、志緒理に心配かけさせちゃう訳にもいきませんからね。』

 

幸枝さんは袖で涙を拭き、無理に作ったような笑顔でこちらを見る。

 

『……ではそろそろ行きますね。』

 

何か決意をしたように幸枝さんは笑う。

 

「……はい。」

 

俺は彼女にそう声をかける。

 

『……本当に、ありがとうございました。』


まるで教科書に載っているかのような綺麗なお辞儀を俺にする、その後、元々半透明な体が更に薄くなりながら幸枝さんの姿が徐々に消えていく。

 

「……」

 

俺は黙ってそれを見送った。

もっと良い言葉が送れたのではないかと思う。

だけど、自分には他に出来ることがなかった。

俺にできるのは料理と体を貸すぐらいだ。

志緒理さんがこれからどうなっていくかは分からないけど、 彼女が後悔の少ない人生を過ごせる事を祈る。

 

一応忘れ物がないかの確認をしながら店内を見渡し、再度店を閉める。

店内はケチャップチャーハンの香りと共にどこか優しく儚い雰囲気に包まれていた。

 

「母親の手料理、最近食ってないな…」

 

幸枝さん親子を見ていて俺も母親の手料理を食べたくなってしまった。

 

「…俺も作り方教えて貰っとくか。」

 

そんなことを考えながら、俺は自宅へと歩いていく。

忘れられない味が誰にでもあるように、大切な人から受けた優しさも心に深く刻まれるのだと改めて俺は今日感じた。


「……あっ、小稲荷様の所に酒瓶と皿置きっぱだ。」


一人前の料理人になる道はまだまだ遠い…………




 


―――ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ねぇこのカレーって…」

「お昼頃とか忙しくなってきたんじゃないの?」

「バイトか……」

「あの、すみませんまだやってますか?」

「あ!大丈夫ですよ、どうぞこちらの席に。」


次回

「認めてほしい 海の幸カレー」

 

 

 

 

 

 

 

 

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忘れ物の多い喫茶店 尺一 @hokuhoku1221

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