雨傘と火縄銃 ~雨傘振り回すガールと火縄銃ぶっ放つガールの学園退魔譚〜
薩摩路快速
第1話 雨降りの銃声
誰だって一度は、雨が降るという非日常を喜ぶ歌を耳にしたことがあるだろう。
雨の中、蛇の目を持った母親が迎えに来てくれる歌を。
そんな、幼い時に聞いた童謡が頭をちらつくような、しとしとと雨が降る森の中。
童謡と違うのは、彼女に母親の迎えは来ないということだ。
今日という日のために特注された
彼女の故郷の伝統的な結婚装束を着付けられた少女は、切り揃えられた黒髪の下から物憂げな顔をしている。
薄く化粧された晴れ姿に似合わぬ
さて、雨が降る森の中というお世辞にも足場が良いとはいえない場所を進んでいる駕籠だが、それにしては進みが速く安定していた。
両端に駕籠を運ぶ
女性一人乗った駕籠に術を掛け続け、こんな森の奥まで運んでくるのは骨が折れることだろう。
男二人使って脚で運んだ方が楽なはずだが、そうしないのは
この国──《帝国》には、表の社会と裏の社会がある。
普通の人間は表の社会で平和に生活し、裏の社会はたとえ存在を知っていたとしても関わることはない。しかし、《
この森は、そんな異界門がある地帯の一つであり、門から出てきた妖魔が彷徨いていることも珍しくはない地域。
そしてこの森の異界門、少女の故郷の村からほど近い場所にある。
そんな村の歴史のほぼ全ては、妖魔に怯える日々で構成されていた。妖魔は皆、人の手には負えない程の身体能力と異能の力を持ち、さらにその残虐な精神性をもって人を喰う。
都会から離れているこの村に妖魔を討伐する人はおらず、いつ奴等に村を襲われるかも分からないまま不安な毎日を過ごし、実際に妖魔が現れたら逃げ惑い、気付いたら農作物や数人の村人が消えている……それだけの歴史なのだ。
だがある時村人は、これ以上妖魔に好き勝手にされるわけにはいかないと考えた。しかし村に戦える人はいない。ならば戦う以外の方法で、村への被害を減らさなければならない。
村人たちが数年かけて話し合って、彼らが辿り着いた妖魔対策。それは『数年に一度、村一番の娘を異界門の前に据え膳として差し出し、妖魔の気を引いてもらう』というものだった。
一言で表すならば生贄。村で最も価値が高いモノと引き換えに、村の平和を保つ。非道な策だが効果は高く、始めて以降村が妖魔に襲われることは無くなった。
以来これは村の伝統、あるいは因習となる。
今駕籠に乗って森を行く少女もまた、村を妖魔から守るための尊い犠牲として異界門に向かっているのだ。中学を卒業してすぐに、村を出立して。
彼女が結婚装束を着ているのは、別れる村からのせめてもの
晴れ姿に不釣り合いな雨の中を駕籠に乗って進むと、元から暗かった森が一層暗くなる。
雨は次第に強まって、既に大雨といった様相。それに混じって時折瘴気のようなものが漂うのは、異界門が近づいている証拠か。
その通りに駕籠は異界門の前に到着して、遠隔操作の術が切れた瞬間、それはぬかるんだ地面に乱雑に墜落した。
少女は水音と振動に驚き、恐る恐る畳表を持ち上げた。
雨粒が降り注ぐ向こうに、禍々しく光を放つ空間の切れ目がある。あれが村の人が言っていた異界門というものだろう。
それを見た少女は、困ったような素振りを見せた。彼女は、異界門に着いてからどのように振る舞えばよいかを聞いていないのである。
少し逡巡して、少女は駕籠の中から蛇目を差して地面に足を下ろす。
地面に置いた下駄に足を通すと、靴底の歯が泥に深く沈んだ。雨で跳ねた泥水が綺麗な装束の裾をみるみる濡らし、蛇目に当たる雨粒の音が少女の息遣いを掻き消していた。
「ここが、異界門……」
か細い声で、少女は呟いた。
降り続く雨に下げられた気温が、彼女の吐く息を白く曇らせる。
そして少女は一歩二歩と駕籠から離れ──背後で駕籠は音を立てて崩れた。
「──っ⁉︎」
息を引き、少女は振り返った。
自分が乗ってきた駕籠が木片となり、泥に沈んでいた。何によって壊れたのか。周りを見渡しても原因らしき物は見当たらない。
だが、見渡したことで辺りの全貌が見えてきた。木々が鬱蒼と茂る森の中に、異界門を中心にしてぽっかりと空いた空間。
それを囲うように、朽ち果てた瓦礫が散乱していた。原型をとどめていないが、間違いない。過去に異界門に少女たちを送ってきた駕籠が、こうして到着する度に壊されていたのだ。
「……あぁ、」
いよいよ彼女には、村に帰る手段が無くなった。
端から帰れるとは思っていなかったが、いざその現実を目の当たりにすると、目を背けていた恐怖がどっと押し寄せてきて、少女は腰を抜かした。
傍に手放された蛇目が転がる。雨を一身に浴びることを気にしている余裕は、今の彼女には無い。
だから、気が付かなかった。
背後に何者かが立っていることに。
「グルル……」
唸り声。
少女は再び振り返る。
門が放つ光に背から照らされた化け物。
辛うじて人型だがその腕は四本ある。人のそれからはかけ離れた紫色の体躯は、今まで彼女が伝え聞くのみだった妖魔の姿そのものだった。
少女の大きな黒い瞳が、鈍く光るソレの双眸を捉える。
牙が覗く口からは、瘴気が漏れ出ている。
妖魔から知性は感じられない。ただ、目の前の人間を餌としか思っていない。
「あ、あの、」
少女は後退りながら、震える声で言う。
「食べないで、ください……」
少女が後退れば、妖魔は近寄ってくる。
話の通じない相手に、焦燥感がせり上がってくる。
逃げよう。そう思いつつも抜けた腰が言うことを聞かない。
にじり寄る妖魔から目を離せないでいると、妖魔の腕が少しずつ変化しているのを見た。
元々筋肉質だった腕がさらに膨張し、手先の爪は一層鋭くなる。
今まさに、妖魔はのこのこと門の前に現れた少女を喰ってしまおうとしていたのだ。
「あぁ、い、いや……」
少女の声にならない声。
妖魔はそれを意に介さず、少女に襲い掛かる。
目にも留まらぬ速さで少女に近付き、鋭い爪を備えた腕を振り上げる。
まともに斬られれば、この少女など一撃で殺せるだろう。
「いやぁぁぁああああッ‼」
目前に迫った自分の死に目に、少女は思わず叫び――
「全く。折角おめかしして来てくれたんだから、そうやって雑に喰い散らかすのは失礼じゃない」
何者かの声。
そして、爆発音に似た銃声。
少女の眼前が眩く光り、同時に自分を喰わんとしていた妖魔の上半身が爆ぜた。
頭上を光線が飛び、一瞬遅れて少女の身体に血と肉片が降り注いだ。
口に飛び込んできた、腐ったような鉄の味の何かを反射的に飲み込んでしまう。
その瞬間、頭を内側から強烈に殴られたかのような頭痛に似た眩暈に襲われ、少女は「うえぇ」と嘔吐いた。
一通り呻き、雨に混じって涙が滲む視線を上げる。
こちらに向かって倒れ込んだ、妖魔の死体の下半身。
その向こうの異界門、その陰から一人の少女が現れた。
どこかの学校の制服、雨を浴びて艶やかに光る金髪、自分よりいくらか小柄な体格に、美少女と形容して差し支えない横顔。
そして、肩に担いでいたのは木製の長銃――歴史の教科書で見た火縄銃。
銃口から煙をたなびかせた金髪の少女は、独り言のように言う。
「今日ここに普通人が来るって聞いてたから半信半疑で来てみたけど、まさか本当に来るなんて」
それから、青い瞳を晴れ着姿の少女に向け、問う。
「アタシは
黒髪の少女は、未だ恐怖が抜けない震えた声で答える。
「し、シグレ……」
「
他人の名前にケチを付けながらも、クラーラと名乗った少女はシグレに手を差し伸べた。
「来なさい」
「……来るって、どこに?」
「決まっているじゃない、アタシの家よ。アナタ、村から生贄にされて、帰るところ無いんでしょう?」
その言葉を聞いて、シグレは身を乗り出した。
嬉しさからではない。気になることがあったのだ。
「どうしてそれを知ってるの」
「おばあちゃんから聞いてたのよ。この近くには妖魔対策のために村娘を生贄に出している村がある、ってね」
だから助けようかと思って、とクラーラは言う。
クラーラの申し出に、シグレはその手を取るのを少しばかり躊躇う。
すると、金髪の少女は急かすように続けた。
「……アナタ、この森から出たいんでしょう? それとも、そこで座り込んだまま妖魔に喰われたいわけ?」
「い、いや……それは嫌だ……!」
シグレが首を振ると、クラーラは「だったら決まりね」と笑った。
「安心しなさい。アタシの家はちゃんと表の社会にあるし、妖魔も全然近寄って来ない。家に着くまでアタシが守ってあげる。それに――」
金髪の先から、スカートの裾から、雨水を流しながら少女はシグレの手を引いた。
「シグレの分の着替えだってたっぷりあるわ。いつまでもそんな恰好をさせるわけにもいかないもの」
シグレは、泥水や妖魔の血肉で内側まで濡れそぼった自分の装束を見下ろして、そして頷いた。
そうと決まってからの行動は迅速だった。
クラーラはシグレの手を引いて、大雨の降る森を駆ける。
だが、正装に下駄姿のシグレが速く走れるはずもないので、クラーラが歩調を合わせる。
クラーラは森の中を、まるで勝手知ったる家の中を走り回るかのように軽快に走り抜け、シグレを導いた。
途中、何度か妖魔の姿を見かけることがあったが、奴等は二人の姿を認めると慌てて逃げ出していた。
雨粒や草木が顔に当たるので、道中のシグレは目を開けることすらままなっていなかった。しかし、クラーラがシグレを気遣ってくれたので、一度も転ぶことなく二人は森を抜けることができた。
そこにあったのは、舗装された道路。
シグレの故郷の反対側。生まれてから今日まで一度も村を出たことが無かった彼女には、初めての景色。
クラーラは、すぐ近くに停まっていた車までシグレの手を引いて行った。
二人が近寄ると、車の運転手は窓を開ける。クラーラはそこから運転手に捲し立てた。
「異界門1156地点で普通人一人を救助。妖魔を一体討伐、アタシと普通人に怪我は無いわ。おばあちゃんに保護の体制を整えるように伝えてちょうだい」
「承知しました。お嬢様はこのまま車で帰られますか?」
「ええ。この子も一緒に家に連れて行って」
「かしこまりました」
運転手は雨の中車を降り、後部座席のドアを開けた。
「お二方とも、どうぞお乗りください」と彼が言うので、いよいよ自分が助かったことを実感したシグレは、とうとう車を目前にして気を失ってしまうのであった。
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