エピローグ

  

  エピローグ 

 

『―――大女優の私を差し置いて『魔女の劇場』をやったってどういうことなのよ!?』

「だから、その話はもう何十回もしたじゃないですか…………」


 ジーンと鼓膜が痛くなって思わず受話器を耳から離します。昔ながらの黒電話(風)の受話器はまるで電話相手の熱量が伝わるかのように熱くなっています。


『それで振替の公演は何時なのよ? まさかやらないとは言わせないわよ!?』

「はあ、それももう何回も話していますよ。一年先までの満月の夜は全て予定が詰まっていますし、そもそも今は魔女協会の厳重な管理下なのです、ですよ。『鏡』の魔女の魔力が完全に消えていると協会が判断するまでは通常営業すらできません。はあー」


 私の声が聞こえたのか、隣で電卓を打つ音が微妙にリズムが乱れました。とはいえ、今回に限っては白亜にも責任の一端があるのでこれ見よがしに嫌みを言われる筋合いはありません。

 魔女の劇場はお客様の寄付金に賄われているので採算云々はそこまで影響ありませんが、営業停止は痛い。痛すぎる。通常公演の収入が繁忙期の夏に稼げないと出血多量で私たちは死んでしまうかもしれません。マジで。


『金がないならこそ、大女優の私を使いなさいよ。『魔女の劇場』の当日の昼と前後の昼夜公演の全6公演。すっごく儲かるわよー』

「…………ゴクリ」


 悪魔の誘惑が頭の中を駆け巡ります。公演のチケット料金に加え、“ロゼ”の場合はグッズの利益も見込めるから、ええと―――。


『どうせ次はあの性悪BBAなんでしょ? あんなクソBBAの公演なんか飛ばしちゃいなさいよ。若くて可愛い大女優の私が魔女を務めた方が観客も絶対に喜ぶわ!』

「ダメですダメです! ああ、危なかった! 危うく支配人代理兼館長代理の本分を忘れるところでした! いいですか、確かにロゼの『魔女の劇場』を公演中止にしてしまったことはロゼにも公演スタッフにも、そして何よりお客様たちには本当に申し訳なく思っています。でも、その次の『魔女の公演』を潰してしまうのはまた話が別です。次回の公演で魔法を必要とされるお客様たちが―――」

『はいはい、わかったわよー。言ってみただけ。ちぇーっ』


 まったく……本当にわかってるのでしょうか?

 本来公演予定の"La Dame aux camélias(椿姫)"の主演を務めるはずだった、『追憶ノスタルジア』の魔女こと朱鷺灯ときとうロゼは私の魔女見習いからの親友ですが、その性格と性質は才能タレントとはかけ離れたもので未来に対する向上心しかありません。

 彼女にとっての魔女の劇場は将来への階段の踏み段ステツプアツプ。一回でも多くこなすことで“大魔女”に近づくことしか頭にないように思えるのです。

 せっかく素敵な魔法を持っているのにそれがとてももったいない。


「話が終わったならもう切りますよ。この度は本当に申し訳あり―――」

『あ、そうそう。あんた魔法がまた使えるようになったんだって? それで、《白色の大魔女》の復活公演は何時なのよ? 何なら大女優の私が共演して―――』


 ガチャン。

 話が長くなりそうなので切ってしまいました。ついでに電話線も外してしまいます。先ほどから携帯電話に着信がバンバン鳴っていますが、それも無視します。


「白亜。一応確認しますが、誰かに話したんですか?」


 絶望的な収支予想はすっかり棚上げしたのか、白亜はチラシのセットをしていました。今回の事件で2つ良いことがあったとすれば、その1つは白亜がチラシセットに協力的になってくれたことです。


「話すもんか。話さなくても120年ぶりの『黒』の『鏡』の魔法とずっと観測されていなかった『糸』の魔法が観測されたのよ。魔女協会は今頃パニック状態よ」

「…………誰のせいだと思っているんですか?」

「…………にゃー」

「…………可愛くないです、ですよ。チラシ、貸してください」


 エコモードにした冷房の生温い風が事務室の中を通り抜けます。扇風機でもかけたいところですが、チラシが飛んでしまうのそれもできません。仕方がないので胸元やらスカートやら思いきり開くしかありません。殿方に見つかったら切腹ものの光景なの、ですよ。


「そういえば、“彼女”は今日から?」

「ですよー。やっと学校に話が通りました。一応、親戚の劇場を手伝う形にしてもらいました。まあ一種の長めの職業体験ですね」

「中学生だから、人件費はかからない…………」

「そこ! 顔が悪人になっているです、ですよ!」

「そういう彼方も顔が笑っているわよ」

「そうですかー?」

「そうよ」


 窓の外は眩いばかりの青色。まるで太陽に照りつけられた海をそのまま写し取ったかのよう。真っ白な入道雲がもくもくと立ち込めているのでもしかしたらまた夕立が来るかもしれませんね。

 あの『鏡』の魔女の事件から一週間の月日が経ちました。

 仙洞せんどう片理へんりさんは楽屋の廊下で倒れていました。でも、お子様をずっと抱いたままで私たちが発見したときもまるで父子が穏やかに一緒に眠られているかのようでした。

 念のため救急搬送してもらいましたが、片理さんもお子様もご健康そのもの。後日、親子3人で写った写真が白猫座のメールアドレスに送られてきました そして、感謝と今度は3人で白猫座を訪れたい旨を伝える文面とともに動画のURLも記載されていたのです。

 それは「人魚の姫」をモチーフにした仙洞片理さんの新曲でした。

 とても切なくて、でも、どこか懐かしくて温かい、仙洞片理らしいとても素敵な楽曲だったのです。

 村上香凜さんはあの晩のうちに凶器のナイフとともに警察に自首されました。そして、彼女が虐待される動画も同時に週刊誌から公開されたのです。

 もともと恋人の方が何度も醜聞を重ねている方だったこともあり、世間は概ね彼女に同情的です。恋人の元彼女さんのなかには凜香さんの出所後のサポートをしたいと公言している方もいるようです。

 これは私の想像ですが、「私は一度死んだ」とか理由をつけて彼女は「凜香」と本名で活動を再開するような気がします。たとえ不可抗力とはいえ、殺人を犯した彼女の道は険しいものになるでしょうが、彼女なら王子さまの力なぞ借りなくて必ず自分の足で歩ききるでしょう。

 そして、これもなんとなくですが、私たちは何らかの形で再会するような気がするのです。


「こんにちわー!」


 館内全体に響き渡るような元気な声が聞こえました。


「来たわね」

「はい!」


 やりかけたチラシを置いて白亜の顔をちらりと見ると珍しくとても緊張していました。白猫座の霊力マナも今はエコモード。無駄な魔力行使はもってのほかなのです。


「…………何よ?」

「いいえー。今日は猫の姿をまだ見ていないなーと思いまして」

「この人でなし!」

「はい、私は魔女ですからー」


 副館長の魔眼めいた視線をさらりと躱すと私は事務室から出ていきました。冷房を切ったエントランスは灼熱地獄そのもの。一歩歩く度に泡になって溶けてしまいそうです。

 正面扉を開けるとあの日と同じように本田透火さんが立っていました。


「お、お久しぶりです、彼方さん!」

「…………はい、お久しぶり、ですね……」

「ど、どうかされました?」

「いえ、ちょっとお髪のほうが…………」


 訂正です。透火さんとはあの日の姿とはちょっと違っていました。ショートカットだった髪はさらに短くなり、男の子よりも短いミニマムショートになっているのです。


「ああ、これですか。あんなことをしでかしたのでちょっとケジメを。本当は坊主にしようかと思ったんですが、これからお客様係をするからさすがにそれはないなと、て、キャッ!」

「とーーーーーっても可愛いです、ですよーーーー‼」

「す、ストップです! 彼方さん! 暑さ指数WBGT的に抱き合うのは大変キケンです!」


 これは新発見です!

 髪には魔力が宿るので魔女は大抵髪を伸ばすのが普通ですが、こういう中性的なのも大変魔女的でよろしいのです!

 2人で汗だくになりながら笑って身体を離すと扉を閉めました。


「うん? どうしました? 彼方さん?」

「いえ、透火さんが次に正面玄関から入るのは何時かなと思ってしまいまして」

「ああ、次からは楽屋口から入るんですよね?」


 本田透火さんは魔女協会の長老会議での討議の結果、白猫座の魔女見習いとして預かることになりました。通常であれば、“向こう側”の“扉”そのものである彼女は欧州の何処かで死ぬまで軟禁状態になってもおかしくないところなので超法規的措置といえるでしょう。

 …………十中八九、私への貸しのつもりなのでしょう。

 ま、その意味でも私が魔導器ヴァイオリンを手に取った甲斐もあったというものです。

 とにかく今日から透火さんの魔女見習いとして日々が始まるのです。

 これから彼女が出会う魔女たちとその魔法は彼女にどんなものをもたらすのでしょう?


「彼方さん、あの、一応洗濯してきたんですけど…………」


 そう言って渡してきたのは白猫座の制服一式でした。あの事件が終わった後すぐに透火さんは協会の人間たちに拉致されるように連れて行かれてしまいました。そのため白猫座の制服は貸し出したままだったのです。


「あー、それはそのまま今日使ってください。それとも着物エプロンにしますか♪」

「はい、制服でお願いします!」


 お互いこれ以上ない笑顔で不毛なやりとりをした後、今度こそ扉を閉めかけたのですが、


「はい、こっちも学校の制服ですよ。というか、無くて困らなかったんですか?」

「うーん。クラスメイトに制服を隠されるからスペアがいつもあるんですよ。でも、ありがとうございます。わざわざ忘れ物を保管してもらっちゃって」

「…………透火さん、本当の忘れ物はポケットの中にきっとありますよ」

「???」


 透火さん怪訝な顔をしてポケットの中に手を入れると途端に目が大きく見開いたのです。


「そんな、どうして…………」


 少女の小さな手に握られていたのはキラキラと煌めく翡翠のチケットでした。

 

   Fahrkarte(チケツト) aru(ある)


 あのとき、白亜が残したaruという謎の単語はまさしくそのままの意味だったのです。わさわざチケットをドイツ語にしたのは『鏡』の魔女に気がつかれないため。手が込んでいるというか込んでいないというか、まあ白亜らしいといえばらしいのですが。


「魔法は何時だって目に見えなくても、“ここ”にあるんです、ですよ」


 透火さんは一度大事そうにチケットを心臓に当てるとそれから宙に掲げました。太陽に照らされたチケットが翡翠の光の粒をまき散らします。そして、それを眩しそうに見る透火さんの口元は綻んでいたのです。


「またね、あみお姉ちゃん」


 そう言うと魔女見習いの少女はエントランスを歩くと『箱』の中にチケットを迷いなく投げ込みます。こうして翡翠のチケットは役割を終えたのでした。

 そして、魔法のチケットは次の魔法を待つお客様の元に旅立つのです。


「これからよろしくお願いします、支配人代理兼館長代理!」


 午後の陽に照らされた魔女見習いの笑顔は直視できないぐらい眩しいものでした。


「こちらこそ、改めてようこそ『白猫座』へ! 当館は魔女見習いのあなたを歓迎します!」


 


 この世界には魔法が存在する劇場があります。

 その名は―――「魔女の劇場」。

 魔女の魔法を体験するのに特別な資格がいりません。

 本当に魔法が必要とする人の下に翡翠のチケットは届くのです。

 あなたに素敵な魔法との出会いがありますように!

 


「ねえ、うみちゃん。“アイする”ってなあに? どうしておひめさまはおうじさまとけっこんをしないといけないの?」

『それはね、とうか。人間は自分ではない別の誰かが必要だからなの。誰かを“愛する”ことでその人の鏡になり、その誰かが自分の鏡になる。そうすることで自分が自分になれるんだよ。だから、“アイ”は“自分自身”なんだ』

「よくわかんない。ねえ、うたをきかせて」

『また? とうかは本当に歌が好きだねえ』

「わたし、うみちゃんのうたがだいすき!」

『そう? じゃあ、私の将来はミュージカル女優だね!』

「うみちゃんはじょゆうさんなの? わたし、ぜったいにぶたいをみにいくよ」

『本当? じゃあ、約束。私は女優になる。そして、とうかは最初のお客さん』


 ―――うん、約束だよ。 



―――END


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魔女の劇場 ~魔法を信じられなくなったあなたへ~ 希依 @hopedependism

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