第4話

「お世話になりました。」


今女は深々と海神に頭を下げた。

二人は船乗り場に立っている。これから江戸の提灯屋で働く事になった今女を、海神は見送りに来ていた。


「何かあれば、提灯の神や江戸の海神にいつでも頼りなさい。」


船が岸を離れ、姿が小さくなっても今女は大きく腕を、手を振っていてやがてそれも遠ざかり見えなくなった。


海神は視線を海から陸の方へ移した。そこには小さな鳥居と祠が建っている。


ある日、今女の働いていた家の嫡男が、相手誰彼構わず生きたまま手足を切断したり、目を潰したりと非道な振る舞いをする様になった。やがて嫡男は座敷牢に入れられたが、そこで奇声をあげながら自分の体を切り刻み息絶えた。


その次は次男、三男と立て続けに同じ症状を呈し、遂には正妻、主人、使用人にまで及び、困り果てた村人達は一族を寄ってたかって皆殺しにした。


村人はこれを、今女の祟りと信じそしてあの鳥居と祠を建てたのである。

海神は一か月程前にした、今女とのやり取りを思い出した。


『海神様、これは何ですか?』


海神の庭には、陸には無い様々な植物が植わっている。その一つを指して、ある日今女が尋ねた。


『それは猛毒だから、触るくらいは良いけれど食べちゃ駄目よ。』


『猛毒?死ぬんですか?』


『死ぬ方がマシよ。誰彼構わず傷つけずにいられなくなるの、物理的にね。周囲に誰もいなくなると、次はその刃を自分へ向ける事になる。』



今女の働いていた家の嫡男がああなったのは、この会話の数日後であった。


海神が鳥居に近付くと、祠には日々取り換えているのだろう、花や酒、餅が供えられている。

稲荷に聞いた話では、村人達は今や今女の話をするだけで呪われると怯えているそうだ。

これからも村人達は、実は生きていて、しかし既にここには居ない今女に怯えながら生きていくのだろう。


海神は、自分と同じ神の気配の全く無い祠を後にし、海へ帰って行った。

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祟り めへ @me_he

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