廻囃子

双町マチノスケ

怪談「廻囃子」

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。




 何年と聞いてきた台詞だったからこそ、その僅かな声色の違いに私は気づいた。ちらりと、声の主である男を横目で見る。表情こそいつも通りの仏頂面で、実に彼らしい。でもいつもより感情が昂っているような、それでいて寂しさも感じさせるような声だった。様々な感情をごちゃ混ぜにした複雑なものが、そこからは読み取れた。彼は手にしていたメガホンを、そっと机の上に置いた。それと同時に、私も目線を元に戻した。やはり、少なからず思うところがあるのだろう。


「それもそうか」と私は小さく呟く。だって……






 今年で、終わりなのだから。


 さっきの彼は時永ときながさんといって、私の親友だ。子供の頃から一緒に遊んでいた仲で、かれこれ数十年の付き合いになる。無愛想な顔のせいで誤解されがちだが、色んなことによく気がつくし、とても優しい人だ。私と彼は毎年この村で行われる祭り、その進行役を務めている。他にも何人かいるが、メインは私たち二人だ。もう、どのくらいやっているのだろうか。あまり意識したことがない。祭りといっても各地から人々が集う大規模な祭典でもなければ、オカルトじみた怪しげな儀式をする秘祭でもない。夏の夕方から夜中にかけて。男たちが小さな神輿を担いで歩き、少しばかりの屋台が並び、浴衣姿の人々が食べ物やちょっとした催し物に興じる。この小さな村を細やかに彩ってきた、言わば普通の「お祭り」。今は祭りの会場である村の広場、その端に設置された主催者用のテントから全体を見渡している。もうすっかり見慣れた、それでも飽きない祭りの夜だ。

 私と時永さんは共にこの村の生まれで、共にここで育ってきた。私たちはよく凸凹コンビだと言われる。やんちゃで騒がしい性格の私とは対照的に、時永さんは物静かで落ち着いた人だ。絶対に相容れなさそうなのに、何故か気が合った。何もかも正反対だからこそ、お互いに惹かれるところがあったのだろうか。色んな思い出がある。私が外出嫌いな時永さんを引っ張り出して外で遊んだり。私の行き過ぎた行動を時永さんが咎めたり。いじめられて泣いていた時永さんを、私が助けたり。勉強がぜんぜん出来なかった私に、時永さんが分かるまで何度も教えてくれたり。くだらない事ばかりだが、思い出を語るのには関係ない指標だ。私の思い出は、彼の思い出でもあると言っていい。そして当然その中には、この祭りがある。毎年かかさず二人で行って、同じ屋台の食べ物を食べた。この進行役だって、二人で立候補して一緒にやってきた。

 それが、今年で終わる。この村はここ数年、ゆるやかに死につつあった。若い世代の人口、特に子どもが著しく減っていて、祭りは勿論のこと共同体としての存続も難しくなっていた。たぶん「限界集落」とかいうやつだと思う。そんな中でもなんとか細々と続いてきたが、とうとう二進も三進も行かなくなってしまった。村から少し離れた隣町に編入されることになり、村民全員の立ち退きが決定した。その巻き添えを喰うような形で、この祭りも一緒にその幕を下ろすことになった。私たちにとっては大きな変化であり悲しい出来事なのだが、側から見れば別にそうではないのだろうな。あってもなくても変わらないような小さな村と、そこでやってる小さな祭りが終わるだけだ。

 ただ、山深い所にある閉じた村なだけあって、少し変わった信仰というか風習がある。ここでは「回る」という行為に特別な意味がある。幸福を繋ぎ止める行為であり、災いを遠ざける行為でもある。回っているものが描く輪の中に、今ある平和な日常が囲われて留まってくれますように。そして激しく回転しているものが触れたものを弾き飛ばすみたいに、疫病や災害から守ってくれますように。そんな祈りが、こんな短い動作に込められている。子供がやる遊びに、回る動作をするものがやたらと多かったり。食卓を囲む時、いただきますの代わりにその場で一度回る作法があったり。日常のありとあらゆるものが「回る」ことと結び付けられている。尤も、現在では殆どが形骸化してしまっていて、今言ったようなことを本気で信じてやっている人はいないと思う。正直なところ、私もあまり気にしていないクチだ。そういえば私よりもずっと前の世代、要するに大昔にはもっと違った意味を持っていたという話を聞いたことがある気もするが……もう忘れてしまった。あと、今祭りの会場に流れている音楽にも「回ること」に因んだ名前が付けられている。普通この手の音楽は祭囃子まつりばやしと呼ばれるが、ここでのソレは回囃子まわりばやしと呼ばれている。とは言っても使われている楽器などに特別なものはないから、言葉遊びの範疇だと思う。伝統的な楽器を扱える人が居なくなってからは、昔に演奏したものの録音を流している。

 今進行しているのは、この祭りの最後に行われる催し物だ。「回り駆けり」といって、誰でも自由に参加できる。地面に線を引いて作った細い道が四つあって、そこに一人ずつ並ぶ。まず参加者はその場で三十回回る。回るタイミングは合わせる。回り終わったらその細い道を真っ直ぐ走る。道からはみ出したり、転んだりしたら失格だ。一番早くゴールに着いた人が勝ちで、景品を獲得できる。これを用意した景品が無くなるまで繰り返す。要はかけっこなのだが、目が回った状態で細い道をはみ出さないように走る必要があるため案外難しい。足が速い者というよりは、三半規管が強い者が勝つ。それに道自体がけっこう長く、一回走り切るのにそれなりの時間がかかる。私も子供の頃や若い頃、何回もやったことがあるが全然ダメだった。今では主催者側にまわっているが、当時は夢中になってやっていたものだ。


 そして景品が残り三つになった時、時永さんが例の台詞をメガホンを使ってアナウンスする。

「チャンスは残り三回です」


 進行役として事務的にこなしているからというのもあるが、時永さんは感情の起伏があまり無い人だから、いつも棒読みに近い抑揚のない声で告げられる。でもさっき聞いた限りだと、少し楽しそうに言っている風に感じられた。童心に帰っている、と言うのだろうか。なんか、らしくないなと思った。でも別に悪い意味ではなくて。むしろ嬉しくて、少し可笑しくて。私は思わず微笑んだ。私だって、今日は年甲斐もなくはしゃいでいた。いくつになったって馬鹿みたいにはしゃいでいいんだ。子供でも大人でも、私や時永さんみたいな六十を過ぎたジジイでも。そして、そんな彼を見て今更ながら実感が湧いてくる。




 ああ、本当に終わってしまうのだな。

 この祭りも。そして、この山深い私の故郷も。


 ふと私は、会場の周りに視線と意識を向ける。



 今年で最後ということで、いつもより大勢の人が集まっている。







 ……いや、異様に多い。


 この村出身で他の地域へ移り住んだ人たちや、その家族や友人たちが見に来ているという話は聞いた。しかし明らかにそれ以上の規模が集まっている。見知らぬ人がいる。妙な格好の人がいる。この狭い村の会場が、人でごった返している。見てみると何やらカメラを持った人までいる。それもテレビカメラのような大きいもの。小規模の村落とは言え、長年続いてきた地域の伝統行事が消える瞬間ということで、村の外でもある程度話題になっているのだろうか。現在の住民と元住民などの関係者、そして外から集まった大勢の野次馬……という言い方は失礼だろうか。大体そんな感じの構成で、この場は埋まっていた。






 残り三回のチャンスのうち、一回目が終わった。どうやら数年前に村から遠い都会へ引っ越していた若いのが勝ったようだ。たしか就職先の関係だったような。いや、結婚だったか?この歳になると、どうにも忘れっぽくて困ってしまうな。残り二回。なんだか今日は時間が経つのが遅い気がする。もちろん気がするだけなのだが、そう感じる。最後の時間を噛み締めているからだろうか。それとも楽しい時間が終わってほしくないという、駄々をこねる子供のような感覚だろうか。多分、後者だと思う。回り終わってふらつきながら走り出す参加者を、ただぼーっと眺める。いつもより人が多いせいか、すごく盛り上がっている。歓声も大きく、熱気を帯びている。ただでさえ暑苦しい夏の夜だというのに。でも、悪くはないな。

 そんなことを考えながら、また昔のことを思い出していた。そう言えば子供の頃は、回囃子の音色が苦手だったな。今ではすっかり聞き慣れてしまったけれど、最初聞いた時は何とも言えぬ恐ろしさを感じたものだ。笛だの太鼓だの鉦鼓だの、使っている楽器は恐怖とは無縁と思えるようなものばかりなのに。言い方は悪いが、合わさると何故ああも気味悪くなるのだろうか。

 回囃子に限らず日本の伝統的な音楽というものは、何か不思議な怖さを持つものが多い気がする。聞いた途端に震え上がってしまうような直接的な怖さではなくて、なにかよく分からないけど怖いというか。言ってみれば、回りくどい怖さと言うか。






 ──あれ?


 そこまで考えて私は、あることに気がついた。



 回囃子が聞こえない。


 周囲の歓声にかき消されて聞こえていないだけだと思っていたが、そうではなかった。改めて耳を澄ましても、全く聞こえない。さっきまでは聞こえていたはずなのに。どうしたのだろう?流している機械の不調か?そんなボロっちいのを使っているわけではないのだが。周りの人間で他に気づいてそうな者は居ない。私は時永さんに音楽を流している機械の様子を見てくる、と伝えた。彼も気づいていなかったらしく、私に言われて「そう言えばそうだな」みたいな反応をしていた。普段だったら真っ先に気づきそうなものなのに、それほどまでに彼も熱中していたのか。私は機械のもとへ向かった。会場の目立たない場所にある、ちょっとしたノートパソコンと音響機器が置いてあるだけの小さいテント。誰も居ない。音響関係は私の担当なのだが、回囃子は一度かけたら祭りの終わりまでかけっぱなしだ。だからその場所に留まっていることは基本的に無くて、いつも好き勝手にうろちょろしているのだ。近づいて確認する。見たところ壊れているわけではなかった。しかし、何故か再生が止められていた。不審に思いながらもボタンを押し直すと、また回囃子が流れ出す。特におかしいところはない。

 ……何だったのだろう。誰かのイタズラか?それにしては何か中途半端だな。いや、もし壊されでもしていたら堪ったものではないのだが。イタズラだとしても、誰の仕業だ?野次馬の中に馬鹿が混じっていたのか?こんな大勢が一箇所に集まっている中で一人で抜け出したら、かえって目立ちそうなものだが。そんな奴を見かけた覚えはない。じゃあ、一体誰が?


 色々と腑に落ちずに、その場でしばらく立ち尽くす。




 私は急に、言いようのない不安に襲われた。この後なにか良くないことが起こるのではないかという、根拠のない漠然とした不安。今までこんなことは無かったのに。


 いやだ。何も起きないでくれ。何事もなく最後を迎えさせてくれ。


 もし、祭りを中断せざるを得ないことが起きたら。そして、そのまま再開できないまま終わってしまったら……いやだ、いやだいやだいやだ。


 私はその悪い想像を即座に振り払った。気にし過ぎだ。音楽が止まっただけじゃないか。現実で説明がつくような理由なんて幾らでもあるだろう。それに、今はちゃんと動いてるじゃないか。それだけで、十分じゃないか。半ば強引に、自分を納得させる。それでも消化しきれない気味の悪さにモヤモヤしつつも、私はその場を後にして主催者側のテントに戻った。



 私が機械の様子を見に行っている間に、先ほどの勝負が付いていたようだった。今度は見覚えのない人間が景品を受け取っていた。おそらく野次馬として今日ここに集まった人たちの中から、飛び入りで参加したのだろう。運のいい奴だ。それに、初めてにしては中々やるじゃないか。全く関わり合いのない人だが、何故か嬉しくなった。


 また、来てくれ。

 ……今年で最後でなければ、そう言えたのだが。


 そして同時に、また別のことを思い出す。村のこと。この村はずっと、よそ者を毛嫌いしてきた。私や時永さんにそんな排他的な考えはないのだが、村全体としてそういう雰囲気があった。そして村のお偉いさん方は特に、排他的な考えが強かった。人が減ってきて村の存続が厳しくなってきてからも、外からの介入を受け入れようとしなかった。そのくせ去るものは追わずなんだから、人がいなくなるのも当然の結果だ。

 今日みたいに外から来た人がいっぱいいるのは、村にとっては異例の事態だった。他の村民たちがどう思っているのかは知らないが、少なくともお偉いさん方にとっては気分の良いものではないはずだ。いつもならウダウダと言うのだろうけれど、もう村そのものが無くなるんだからと諦めているのだろうか。

 あの時に少しでも歩み寄る姿勢を見せていれば、この村は今日も元気に続いていたのだろうか。この祭りも、今日が最後にならずに済んだのだろうか。さっきの時永さんの台詞も…本当の終わりを告げるものではなく、また次がある恒例のものとして聞けていたのだろうか。そう思うと、どうしようもなく悲しくて。虚しくて。そして、やるせなかった。



 残り一回。これで、終わり。


 遂に終わってしまうのかと考えると、途端に苦しくなってきた。今までぼんやりとした影のようだった「終わり」が、しっかりとした実体を持って徐々に自分を締め付けてくる。どうにかしたい。でも、どうにも出来ない。


 本当に、本当に終わってほしくない。


 この運命的な場に、偶然選ばれた最後の四人がそれぞれの位置に並んだ。その光景を見て、私は不意にこんなことを思う。


 この時間が、この夜が、ずっと続けばいいのに。


 柄でもない。でも、戯けでもない。今ここにいる私の、心の底から出た純粋な想いだった。他の皆も、思っているのだろうか。



 最後の四人が、回り始めた。皆が一斉に注目する。周囲の熱狂は最高潮に達していた。いくつもの歓声が重なり合い、反響する。ぐわんぐわんと、それはもう頭が痛くなってくるほどに。

 凄いな。村が栄えていた時期でもこんなに盛り上がったことは、私の知る限りなかったのではないだろうか。無意識のうちに、心の中で回った回数を数えてしまっていた。十九、二十、二十一……


 ああ、終わってしまう。始まってしまう。

 最後の一回が、終わりが始まってしまう。


 そんな興奮と熱狂と、哀愁と切望の真っ只中。











 私は突如、全く別の方向に視線と意識を飛ばす。


 なんてことない、私にとって普通の行為だった。何かに集中している時、突然はっとしたように別の方向を見てしまう。そういうことが私にはたびたびあった。別に何かを感じ取ったわけでもない。向いた方向に何かあったこともない。そういう瞬間がある。ただそれだけ。

 だから今も、その瞬間が訪れただけのことだった。私が目を向けたのは、会場のすぐ近くの山。その上の方。ただ山の斜面があるだけの、木が生えているだけの、ゴツゴツした岩があるだけの場所。


 変わったものは、特に何もない。




 何もない。






 はずだった。











 何かいる。木々の間から、こちらを見ている。


 全体的なシルエットだけで判断するなら、一番近いのは人。でも、絶対に人ではない。異様なほど白く、ぬるりとした質感の肌。関節が人間ではあり得ない数になっている腕。身体に対して不自然に大きく、妙な突起物のある頭。


 そして、顔には巨大な目があった。




 目しかなかった。


 他に顔のパーツと呼べるものは何もなく、瞬きひとつせず、その瞳はぴくりとも動かない。






 ……なんだ、あれ。


 呆けたようになった私がなんとか絞り出したのは、馬鹿みたいに単純な、だが最も真っ当な感想だった。そうとしか、言いようがなかった。


 一体なんなんだ?


 何をしているんだ?


 何故あそこにいるんだ?


 何故見てくるんだ?


 何故?


 何故?


 疑問しか出てこない。

 

 その瞬間──






 聞いたこともないような異音が響き渡る。耳を介さず、脳に直接に入り込んでぐちゃぐちゃにかき混ぜてくるような、とても大きくて不快な音。そのあまりの音量に咄嗟に耳を塞ぎ、顔をしかめ下を向く。目の前にある怪異を一瞬忘れ、たった今湧いて出てきた別の疑問に向き合う。


 今度はなんだ?


 よくよく聞いてみると、その音は回囃子だった。ただ何と言うか歪んでいるような、めちゃくちゃに引き伸ばされている感じがする。何かの鳴き声のようにも、警報音のようにも聞こえる。


 あの機械、やっぱり壊れていたのか。



 強張る身体を無理やり動かし、周りをちらっと見る。

 一瞬目に映ったその光景が信じられなかった。











 誰もいなかったように見えた。


 村人も、あれだけいた野次馬も。


 唯一人、時永さんを除いて。


 さっきまで私から少し離れたところにいた時永さんは




 目の前にいて、じっと私を見つめていた。






 私はもう一度見ようとしたが、出来なかった。異音の音量がとうとう耐えきれなくなる程までになり、それどころじゃなくなっていた。


 一回様子を見に行った時にちゃんと確認しておくんだった。全く勘弁してくれ。色々と台無しじゃないか。野次馬にとってはいいネタになったか。そう言えばでかいカメラを持ってた奴もいたな。

 とにかく仕切り直そう。まずはこの異音を早く何とかしないと。だが動けない。何故か身体に力が入らず、頭も回らない。うずくまってしまう。目をぎゅっと瞑る。次第に、周りの音が聞こえなくなる。鳴り響く異音に飲み込まれていく。自分一人だけがこの場に取り残されているような、そんな感覚になる。



 もう、ダメだ。そう思った時。






 突然、音が止んだ。

 目を開けて、ふらつきながら立ち上がり、周りを見る。











 何事もなかったかのように、ガヤガヤしていた。



 時永さんがいる。

 少し、クラクラする。

 頭が痛い。

 あれ、なんで痛いんだっけ。

 というか、なにしてたんだっけ。

 直前のことが思い出せない。

 何かを見ていた気がする。




 いや、見ていた気がって。

 いくら最近忘れっぽいからって、そんな大事なことは忘れてないぞ。











 ──祭りだよ、今年で終わりの。


 それも最後の「回り駆けり」。


 しっかりしないと、最後なんだから。いや最後だからこそ、いつも通りでいこう。ずっと続いてきた、続けてきたことなんだから。

 思えばこの変なかけっこで、私は時永さんに勝てたことが無かった。運動そのものは時永さんより出来たのだが、三半規管がめちゃくちゃ弱いらしく、三十回も回った後だと真っ直ぐ歩くのがやっとの状態だった。「一回は絶対に勝ってやる」と拗ねながら約束したことを今更思い出した。彼は笑顔で「頑張れよ」と言ってくれた。当時は嫌味を言っているのかと少しムキになっていた記憶があるが、今なら断言できる。時永さんはそんな人じゃない。

 結局、約束は果たせず仕舞いだったな。いや、これが終わったら二人だけでコッソリ勝負してみようか。わいわい騒がしく遊ぶのもいいが、誰もいなくなった静かな場所で遊ぶのも悪くない。子供時代、門限などとうに過ぎた夕闇の公園。罪悪感と親に怒られるという恐怖と、それでも止まらないワクワクを抱えて夢中になって遊んだあの頃。もう一度、何十年か越しに戻ってみよう。時永さんは「この歳でなに馬鹿なことを言ってるんだ」と言うと思うけれど、なんだかんだで乗ってくれるだろう。

 ……そう言えばどのくらいやったっけ、「回り駆けり」。多分もうすぐだと思うのだけど。私は時永さんの方に目をやる。彼はちょうどメガホンを手にしたところだった。


 それを見て、私は全てを悟った。


 安心した。


 やっぱり、もうすぐだったんだな。


 私は向き直った。四人が並んだ会場をまっすぐ見据え、「あの台詞」を待った。

 それは、すぐに聞こえてきた。

 とても聞き馴染んだ声が、何回聞いたか分からない台詞が、会場へと放たれた。






「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。

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