踏み入れた澱

 「ねぇ、見て」


恋華の明るくてどこか寂しげな声が聞こえる。僕はその声を聞けるだけで嬉しくなる。余命を告げられてから、僕も恋華も葉の色と共に変わってしまった。病室で寝ていた恋華は匂いを失った香水のように儚く、握った手は咲き終わった果実に冷たかった。でも、そんな恋華がこの景色を見れるほどまで回復したのは奇跡と言っていいだろう。信じれば叶う、それのありきたりな言葉を具現化した様な出来事に涙が溢れてくる。あの日から僕は何度もお見舞いに行った。時の流れは残酷だ。笑う君、泣く君、怒る君、今ならどんな恋華でも愛せると思う。恋華の辛さは分からない。でも少しは理解出来るはずだ。僕達はたまたま恵まれなかっただけ。珈琲の花のようにすぐに枯れてしまった。それでも意味のあるものにはなった。


「恋華今までありがとう」


「私も慧人と、一緒に過ごせて嬉しかったよ」


最期の言葉を交わし合う。


〈苦しみも楽しさも辛さも喜びも最後は全て朽ち果て消える〉


僕達は紅葉が咲き乱れる山の湖に飛び込んだ。


〈彼女の珈琲の匂いは水中へと溶け込んだ〉

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果実の波止場 10まんぼると @10manvoruto

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