第5話

 その質問に対して、女性はピクリとも表情を動かさなかった。

「どう思う?」

逆に質問し返されて、ラウラは言葉を探していると、女性はまたクスリと笑った。

「誰が決めるの、そんなこと。私は私、……だけど、魔女だったらどうするの?」

「え、どうしよう」

「殺されちゃうかもね」

「じゃあ逃げる」

女性がからかってきているのだろうと思って、ラウラも軽い気持ちで答えた。すると彼女は笑顔を深める。

「逃げな」

言葉とは裏腹に、声の調子が明るかった。

「そしてもう二度と、来なければいい」

「どうして」

明るく言われても、突き放されたのは変わらない。ラウラはショックを受けた。

自分と話したいからここに来たんじゃないの?と思ったけど、それは勝手な思い込みだったことにラウラは気がついた。自分がいたから、仕方なく話しかけただけかもしれない。

 女性は微笑んではいたけれど、その奥にある心情をラウラは読み取れなかった。

「私はここを出るよ。出ればあいつも、私がどこにいるかなんて分からないはずだから。それに、君が来てくれても会えないからね」

来ても会えないからという意味なら、完全に突き放されているわけではないと知って、ラウラは安心した。それからずっと気になっていることを、もう一度訊いた。

「じゃあ、やっぱり本物の魔女さん?」

「……そう言う人もいるね」

女性は小声で、やっと認めた。ラウラはいつか本物に会いたいと思っていたから、喜びと興奮に包まれた。

「ね、魔女さんなら何か魔法を教えて」

ラウラは無邪気にねだる。本物に会えるなんて、一生に一度もないかもしれない。知りたいという欲求が、ラウラを突き動かしていた。

「魔法、か……」

女性は渋っていた。

 けれども、そのうちラウラの視線に耐えきれなくなって、顔を背けた。

「一つ、君にとっておきの言葉がある」

と女性はもったいぶった前置きをした。ラウラは期待を膨らませて、少し前のめりになる。

「魔法について考えずに生きられるのが一番だよ。普通に生きたかったら」

「それじゃ、つまんないよ」

ラウラはいつもように、はぐらかされているように感じた。

「つまらなくない。私はそれを切望している」

「……?」

「隣の芝生は限りなく青い、のかもね」

 音にならないため息が、女性の口から漏れた。よくわからないけど、教える気はなさそうだと、ラウラはわかった。会話が途切れる。すると女性は立ち上がる。また急に帰ってしまうのかな、とラウラは心配した。女性は帽子を両手で抱きしめながら、くるりと振り返って、

「いいよ、教えてあげる」

どういう風の吹き回しなのか、女性はラウラの頼みを受け入れた。

「でも期待しないで。教えるのとできるのは別物だから。私もあいつのことは理解できる気がしないし」

あいつって誰のことだろう、とラウラが首を傾げていると、女性は帽子を逆さまにして、ラウラに見せた。

 帽子の裏側には、赤い宝石が縫い付けられていた。ラウラはその光に吸い込まれるような感覚がした。そしてそれは、錯覚ではなかった。

 気がつけば、暗闇の中にいた。それから虹色の光が、一つ二つと数を増していき、虹がかった宇宙の真ん中にいた。星々が上下左右に輝く。不思議なことに、同時に全ての星を見ることができた。世界が眠りについているような、静寂と落ち着きがあった。未知の場所にいる恐怖はなく、無性に懐かしさをくすぐられる気がした。

 一つの光が近づいてきた。それは三日月だった。細く長く尖った月牙は、薄オレンジの光を宿し、膨らんでいるように見える。月の端から、残光が滴る。その光が、近くの星を消していく。暗闇はガラス化し、水晶質の世界は無限に広がっていく。井戸の底で、小さな穴から空を見上げるように、月だけが見えた。

 ピュロロロロ……。

 耳鳴りのように、笛が聞こえてくる。ラウラは潜在的な恐怖を掻き立てられた。美しくもなく、泣いてもいない、無機質な音。次第に視界が狭まって、月さえ見えなくなっていく。ガラスの中に閉じ込められていく感覚に襲われた。その中でラウラはもがこうとしたけれど、体が硬直して動けなかった。ラウラはガラス以外のものを見ようと必死になった。咄嗟に思い出したのは、姉と一緒に拾った石だった。太陽の光が石の中で溶けて、ピンクと緑色が跳ね回る石……。

「お姉ちゃん!」

ラウラは叫ぼうとした。でも、喉の奥が詰まって、言えなかった。それでも叫んだ。

 その瞬間、強い風がなって、見ていたものが掻き消えた。

 木々がざわめく音が、鼓膜を揺さぶる。

 小鳥の跳び立つ音が聞こえる。

 視界がだんだんはっきりしてくると、ラウラは丸太に座っている自分を発見した。心臓が早くなっている。ハッと我に返って周りも見渡したけれど、誰もいなかった。

 ラウラは身震いした。女性がさっきまでここにいた痕跡を探そうとしたけれど、何も見つからなかった。幻だった。

 でもその幻は、彼女が見ている世界でもあるはずだった。太陽の位置だけが、さっきよりもずれているように感じた。風は相変わらず、強くざわめいている。

「……」

魔女にはなれない、とラウラは思った。教えることとできることは違うという意味が、少しわかった気がした。あれが魔法だとして、それを見ても姉のことを思うのなら、私は平凡に生きる方が向いているのかもしれない。

ラウラがこの銀杏の木を見ることはもうなかった。お屋敷にいた若い魔女はどこかに旅だったと聞いたから。

 その代わり、よく晴れた日にあの石を持って入江に赴いた。

 陽の光を反射して青く、時には緑に反射する湖。ラウラはしばらく光の輝きを眺めていた。それから、湖に向かって、手元にある石を投げた。石は音を立てて、水紋が広がっていく。ラウラはそれを黙ったまま見つめる。水紋は他のものと区別がつかなくなっていき、やがて元の湖に戻る。

 キューエの湖は、いつまでも美しかった。

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