第4話
烏屋敷に若い魔女が滞在していると聞いたのは、しばらく経ってからだった。
きっとその人だと、ラウラはすぐに思った。妖精も魔女も、ラウラにとっては似たような存在だ。
すぐにあそこへ行こうと思ったけれど、姉がやっていた分の家事も任されるようになって、自分の時間が減っていた。それでも、どうしてもあの女性の横顔と、笛の音が離れなかった。
ラウラは家事の合間を縫って、あの銀杏の木を探しに出かけた。日差しが強く、風の多い日だった。
初めて来た時は何も知らなかったけれど、今はお屋敷の敷地内であることを知っている。誰かに見つかったら怒られるかもしれない、と思いながら、そっと歩く。入江に近づくと、水紋が眩しい光の線を描いていた。
砂利道に辿り着く。ここまでは記憶通りだった。それから銀杏の木を、ラウラはあやふやな記憶を頼りに探す。
そこにいけば、あの人に会えるというわけでもないのに、自分はどうして探すのだろうと思いながら、緑が濃くなった銀杏の木を見上げる。
「……ここだったかな」
そこにあの人はいない。ラウラは近くの倒れた木に腰掛けて、ぼんやりと空を眺める。せめて笛の音が鳴っていればと思った。あの女性はここで一人、何を考えていたのだろう。砂利道を辿ってお屋敷に行けば、会いに行けるのだろうか。それとも門前払いをされて終わり?
小鳥の鳴き声が聞こえる。目の前で小鳥がチュンチュンさえずりながら、枝と枝を渡っていく。ラウラはいつの間にか、その器用さに見惚れて始めていた。
「こんなところにいたら、攫われちゃうよ」
突然、後ろから声がして、ラウラは振り返った。頭に被っている麦わら帽子が、まず目に入った。くすんだ緑帯を結び留めた、灰色のワンピースを着ている。目深に被った帽子をあげると、あの時の女性が微笑みかけていた。
「どうやって来たんですか」
いつからいたんですか、の方が良かったかもしれない。砂利を踏む足音も、草木をかき分ける音も聞こえてこなかった。風が強いせいで、紛れていたのだろうか。
「どうやってって、歩いて……?」
女性は質問の意図が分からず、困惑した様子を見せた。しかしすぐにニコリと笑って、
「じゃあ、空を飛んできたことにしようかな……なんて、間に受けなくていいよ」
女性はラウラの隣にスカートを整えながら座る。ラウラは女性が何も持っていないのに気がついて、
「今日は吹かないの」
と訊ねた。あんなにきれいな音色を聴けないのが、残念だった。
「……しばらく、いいかな」
「どうして」
「探してる」
風がそよぎ、小麦色の髪が揺れる。
女性は遠くを見ながら、淡々と話す。
「どうしたら良かったのか。なんのために生きてきたんだろうって。いっそ忘れたくなる。忘れそうになる。それで、気づいてしまう。私が私であることから逃れられないんだってね」
吹き飛ばされないようにと、帽子の頂点を掴んで外す。女性は帽子をくるくる回して手遊びしながら、
「だからかな」
クスッと自嘲気味に笑った。
「ずっと心が晴れないんだ」
ラウラは笛が泣いていた正体を、知った気がした。天気が晴れでも、どんなところにいても、彼女の心に乾いた雨が降り続いている。だからそれが、笛の音になった。
笛が泣いている理由を、見つけたような気がした。
「君、名前は?」
女性はふと思い出したように聞いた。
「ラウラ」
「……」
女性は驚いた様子で、まじまじとラウラを見つめる。
「ええっと」
ラウラが首を傾げると、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ああ、ごめん、思い出しちゃっただけ。昔もいたんだよね」
「ラウラっていう人が?」
「そう」
自分と同じ名前の人がいた。それだけでラウラは嬉しくなって、うわずった声で伝えた。
「お母さんがつけてくれたの」
「良かったね、いい名前」
と言いながら、女性は帽子をいじるのをやめなかった。
「お姉さんは」
ラウラは訊き返す。女性は口を開きかけたけれど、すぐには答えようとしなかった。
また風が強くなった。孤独はこの風の中へと溶けていくのか。この風は誰のものなのだろう。ラウラは烏屋敷に若い魔女が滞在している、という話を思い出して、風が鳴り止むのを待ってから、女性をまっすぐ見て言った。
「お姉さんは魔女なの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます