後日談

第42話 

 ――あのライブの翌日。

 水萌さんと付き合った俺は、朝から彼女と一緒にいた。


 さすがアイドルと言うべきなのか、水萌さんは朝に強いらしく、スッキリとした面持ちだ。

 と、それだけだと夜を二人で過ごしたように思えるだろうけど、実際にはそんなことはなく――。


「はい、召し上がってくださいね」

「いただきます」


 同じマンションなだけあって、合鍵を貸した水萌さんが朝起こしに来てくれた。

 そして、いつも通りのテーブルで食べる朝ご飯を、彼女が作ってくれたのである。

 まあ……ご飯に魚、味噌汁といった簡単なものであるが。


 昨日のライブで疲れているだろうに、なぜか彼女は俺を起こしに来ることと、朝ご飯を作ると譲ってくれなかった。

 というのも、水萌さんが俺と付き合ったら、最初にしたいことが自分の料理を振る舞うことだったらしい。


「どうですか? 深雪の弁当と比べて」

「っ……」


 瞬間、手の力が抜け落ち、つまんでいたフォークがカランと皿に落ちた。

 水萌さんの顔はとてもにこやかだが、急な質問に戸惑ったから。


「え、栄養バランスの良い朝ご飯だと、思うよ」

「ほっ……」


 有無を言わさない迫力に、気付けば肯定していると、露骨に安堵の息を見せる水萌さん。

 実際、深雪さんの弁当と比べるものではなかったし、率直な感想しか言いようがなかった。


 というか、だ。

 どうして……深雪さんの弁当のことを知っているんだろう。

 多分、本人から聞いたんだろうけど、わざわざ俺に訊いた意味とは――。


「心配しなくても、俺は浮気なんてしないよ?」

「……むぅ、知ってますけど、一応です」


 言い訳しているが、この反応から察するに、嫉妬してくれていたのだろうか。

 ……なんか、かわいい。


 いや、南さんは元々可愛かった。

 ただ今の彼女の容姿は、南さんではなく、水萌さんである。

 水萌さんの容姿に、南さんの人格が入っているという表現がわかりやすいだろう。


 とにかく今の彼女には、双方向のギャップがあるのだ。


「でも、しっかりと言葉にしてくれるのは、とても嬉しいです~! そういうところ……本当に素敵だと思っていますから」


 可愛らしい仕草で南さんっぽいことを言いながら、うっとりとした顔で水萌さんの口調で話してくれる。


 まったく翻弄されない訳がない。

 ――こんな……誰も知らない、水萌さんの顔。


「あ……あんな盛大な告白をされたのに、俺は本音を隠すのは、不公平だろ?」

「そういうところに、惹かれたんですよ」


 勿忘わすれなぐさ色の髪に、琥珀アンバーの瞳で……彼女はまた微笑んでくれる。


 照れ臭さなんて、吹き飛ぶくらい絶大的な破壊力を持つ笑顔だ。


 最後のライブでこそ、水萌さんのこの魅力的な顔は公に見られてしまったけど、あの時も一応ウィッグを被っていた。

 天然の容姿で微笑む顔は、まだ俺以外の誰も知らないのかもしれない。


 もしかしたら、深雪さんあたりは見たことあるかもしれないけど、そこはノーカンだ。


「…………」


 けど、水萌さんはアイドルだ。

 きっとこの笑顔は本来、ファンのみんなに向けられるもの。

 そして近いうちに、お披露目される姿だろう。

 そんな事実に、少しだけモヤっとした。


 独占欲というものだろうか……彼氏になったからといって、よくない感情だ。


 正直、水萌さんのスペックに俺という男は釣り合っていない。

 それでも、彼女のことが好きだという気持ちは本物で……暴走している。

 だから、いっそのこと彼女の素である『魅力的すぎる水萌さん』が世間にバレて欲しくないと思っているのだ。


 もっと自信を付けて、水萌さんの彼氏として相応しい男になれれば、こんな不安も持たなくて済むだろうか……。


「翡翠くんは、優しいですね」

「えっ――」


 そのまま暫く食事を進めていると、脈絡が読めない褒め方をされた。

 琥珀アンバーの瞳に見つめられる。


「悩んでいる顔、していましたよ。でも、私の負担になりたくなくて、切り出せないんじゃないんですか?」


 彼女の言葉に、唖然とした。

 それは先ほどと違って、スッと言葉が胸の奥底に沁みたからだろう。

 そうだった……こんなに心に響くのは、彼女が本当に『南』さんだからだ。


「水萌さんみたいな素敵な人に好かれて期待に応えたいというか、やっぱり彼氏として特別に思われたいから、さ。どうすればそうなれるかなって」


 カフェ『ルージュ』で相談した時のように、つい言葉にしてしまった。

 何故だろう……本人を目の前に相談しているのに、不思議とそんな気がしなくて、話しやすい。


 返ってきた言葉は、予想通り揶揄うような口調だった。


「えぇ、そんなの簡単じゃないですか~……翡翠くんはもう、特別なんです! 私が保証しちゃいますから、私を信じてくれるだけで、いいんです」


 参ってしまう。

 水萌さんは器まで違った。

 そうだった……俺が好きになった人は、そういう人だった。


「翡翠くんは、翡翠くんのなりたい自分になってください。もっと我儘になっていいんです。前にも、言いましたよ?」

「……そうでしたね」

「あ、敬語~」


 そこは許してくれないのか……。

 でも、すごく安心した。

 なんだか甘やかされている気もするけど、元気付けられた。


「じゃあ……一つ、お願いごとをしていい?」

「十でも百でも、何でも、お聞きしますよ」

「いや、水萌さんが嫌がることはしたくないから、ちゃんと判断してほしいんだ」


 そう言うと、水萌さんの目は点になった後、柔和な笑顔を見せてくれる。

 半ば呆れが見えつつ、半ば期待感を伺わせる。


 思い切って、俺は想いを言葉にしてみた。


「水萌さんが、これからもセンターを続けるなら……それはちょっとイヤだなって」


 センター……すなわち『カラーリング』のピンク色で売っていくことになるなら、自然とその役割はキュートなアイドルを意味する。


 すなわち俺の質問には、他の人にも……この笑顔を譲りたくないという暗喩が込められていた。


 水萌さんは、少し考える素振りを見せつつ、やがて口を開いた。


「いいですよ。センターじゃなくても」

「そ、そんな簡単な話……なのかな?」

「あのライブはサプライズの演出……ということに、できると思いますから」


 そう単純な話でないことは、俺ですらわかるのだが、それでも彼女の顔は自信満々である。


「ミリー……センターの子は、青になりたいみたいですけど、私は一応あのライブの功労者なので、間違いなく交渉できると思います」


 そういえばあのライブでは、元々センターを担当していた網井ミリーが青を担当していた。

 しかし、彼女はグループの青を狙っていたというバックストーリーがあったらしい。


 すると、なんだか俺の願望は網井ミリーの願いに反するもので。申し訳なくなってしまうが――。


「大丈夫です。演技でクールを演じている私くらい、きっとミリーはすぐに超えてきますから、その日まではお預けしてもらいます」

「いいの、かな」


 なんだか俺の都合を優先し過ぎているような気がするけど――。


「万が一プロデューサーがダメって言うなら、アイドルやめちゃいますもん」

「それはダメだ!」


 軽口で言った水萌さんにストップをかける。

 彼女が何のためにアイドルをしているのか、なんて知らない。

 でも、教室で見せた水萌さんのクールさは、すべて真剣にアイドルをしていたからだろう。

 絶対、そんな簡単に手放せるものじゃない。


「翡翠くん……好きです」

「っ……俺も、水萌さんのことが好き」


 平然とした顔を崩さず、突然の告白に、気付けば俺もこう返していた。


「はいっ! 翡翠くんには好きな私でいてもらいたいので、アイドルはやめません」

「それは……良かった」


 安堵と共に、妙な感覚に陥る。

 もしかしたら、アイドルをやめるなんていうのは冗談で、わざと揶揄っていたのかもしれない。


「……それで、翡翠くんは私にどうしてほしいんですか?」

「外では、クールなアイドルでいてほしい」

「はい。よく言えました」


 ただ言葉にするだけで叶ってしまうなんて……。

 それだけで、とてもスッキリした気分になった。

 恋人と会話をしているだけで、こんなにも清々しい朝に変わってしまうなんて、夢みたいだ。


 そして朝ご飯を食べ終わり、お互いに手を合わせた、その時のこと。


「私だって、彼氏だけに特別な私でいてもらいたいんですからね?」


 合わせた手を口元に寄せ、頬を赤らめながらこちらをチラッと見てくる水萌さん。

 ボソッと言った言葉は、なんていうか――。


「ズルいな」

「ズルい私も、翡翠くんだけにしか見せません」

「…………」


 本当にズルくて……可愛い彼女だ。

 水萌さんの方が、よっぽど我儘だと思う。

 そういうところが……魅力的すぎて、困るのだ。











୨୧┈••┈┈┈┈┈┈あとがき┈┈┈┈┈┈••┈୨୧


karousi simasu


こちらカクヨムコン9ラブコメ部門応募作です。

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カフェで笑顔の可愛いデレ天使の正体が、誰にも微笑まないアイドルなわけ 佳奈星 @natuki_akino

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