心霊相談所「やすらぎ」

やわらか枝豆

第1話

心霊相談所「やすらぎ」








午前0時30分。先輩からLINEが来た。

先輩というか所長というか、田中がバイトしている事務所のオーナーである羽賀。

その先輩からのLINE。


「今ここ」

で、ビールとキャベツと焼き鳥の画像。

「きて」


ド深夜である。

終電すら動いていない時間に、来いとはどういうつもりだろうか。


「電車ないんで無理です」

と返信して、寝ようと思った。


「タクシー代出すから領収書もらって来て」


既読をつけずに、考えること数分。

「場所どこですか」

とりあえずそう聞くと即既読がついた。

数秒と経たずに帰ってきた返信に、田中は面食らった。



─────────────────


「めっちゃ近所じゃないですか!!」

席に通され、ビールジョッキを傾けている羽賀に食ってかかる。

「おー来た。早くね?」


「いやだから近所なんですよ。ウチからここ徒歩10分しないです」

「まじ。えーめっちゃ便利じゃん」

楽しげに笑う羽賀。そこで初めて、同席する人物に気がついた。対面には、一人の若い女性が座っている。

「え、あれ?一人で飲んでるんじゃなかったんですか?」

「うん」

まあ座って、と椅子を促され、とりあえず座った。

「お姉さん焼き鳥好き?真ん中のネギ食えるタイプ?」

「え、はい…」

「あっほんと?じゃあ俺ネギ食えないから食べてもらっていいすか?すいませーん!焼き鳥盛り合わせ追加で!」

意気揚々と注文する羽賀。

状況が飲み込めない。

「ちょっと、何してるんですか?まさかナンパじゃないですよね?」

さすがに不安になってヒソヒソと確認すると、まじめ腐った顔になり一蹴した。

「馬鹿か。そんなわけねーだろ」

それもそうか。

寝ようと思っていたこんな真夜中に突然呼び出されて来てみたらただのナンパだったなんて、無駄足もいいとこだ。

気を取り直して女性を見る。20代中盤くらいだろうか。セミロングの髪にグレーのパーカー、細身のデニム。

「俺はこのあとこの子の家に行く」

「え?」

「お前も来い」

「は?…いやいや…そういうのはちょっと」

「お待たせしました〜焼き鳥盛り合わせです」

焦ってそういうのは良くないとたしなめようとしたその時、盛り合わせが届いた。腰に前掛けをした店員さんは大学生だろうか、センターパートで休日はネトフリ観てますとでも言いたげな活発そうな人だった。根っからの陰キャである田中は元来、こういった人種は苦手である。


「ありがとうございます。あ、あとすいませんレモンサワー追加で。お姉さん飲み物おかわりいります?」


女性のグラスが空になっているのを見た羽賀が声をかける。

「あ…あ〜どうしましょう、えっと」

目線がメニューを探していたので、テーブルの脇に突き刺さっていた油でちょっとベトつくメニューを手渡すと「ありがとうございます」と小さく笑って受け取った。

「じゃあ…梅サワーで」

「梅サワーですね。紀州海と南高梅がありますが?」

「あ、紀州で」

「かしこまりました、レモンサワーと、紀州海サワーですね」

「お前は?」

羽賀に急に振り向かれ、咄嗟に注文する。

「え、あぁーウーロン茶で」

「かしこまりました〜」



泡が消え失せ、グラスが水滴でビショビショになったぬるそうなビールをひと息に飲みきる羽賀。

「っはぁーービールうま…世界一うまい」

女性はというと、さっきのメニューがベトベトだったのだろう、丁寧におしぼりで指を拭き続けている。


数秒の沈黙があった。

話題がない。

気まずい…田中のウーロン茶はまだ届いていないので、とりあえずお通しのキャベツをつまむ。旨塩ダレがかかった部分は美味しいが、味のついていない部分はただのキャベツなので、手軽に家畜の気分を味わえる。


「…」シャクシャク


目の前に座っている女の子をチラ見するのもさすがに気が引けるし、そもそもなんでうちの上司と飲んでいるのか、どういった関係なのかをそれとなく把握しておきたい。


「…あのー…」


おそるおそる声をかけようとしたその刹那、大学生店員がテーブルに襲来した。


「お待たせいたしましたー!!こちらレモンサワーと、紀州梅サワー、でウーロン茶ですね!」


「あ、ありがとうございます」


女性は梅サワーを受け取るとテーブルに置かず、そのままひと息に飲みきった。


「え!お姉さん大丈夫ですか」

「あ、大丈夫です」


羽賀の心配もものともせず、けろりとしている。…ように見えたのだが、少し経つと酔いが回ってきたのか顔を赤くしてポテトサラダをつつき始めた。


「はあー…レモンサワー世界一うまい…もうレモンサワーと結婚する。いいかな?」


羽賀にそう問いかけられ、めんどくさすぎて適当に返す。


「いいんじゃないすか」


自分は何のために呼び出されたのだろう、と沸々と苛立ち始めたその時、テーブルの上のものをあらかた飲み尽くし食べ終えた二人は同時に席を立った。


「じゃ、そろそろ行きますか」

羽賀がそう声をかけると、女性もこくりと頷く。

「え、行くってどこに?」

伝票を持って飄々とレジに向かう二人に思わずそう声をかけると、女性が振り返って答えた。

「…私の部屋に」



─────────────────



田中はそれ以上何も言えず、腑に落ちない思いを抱えながら居酒屋を出て二人についていくしかなかった。


女性の家は居酒屋から歩いて20分ほどのところにあった。最寄駅が同じで気まずいが、駅を越えた反対側なのでまだマシか、と思う。

そこそこ古めなアパートの外階段を上がり、2階の一番奥が彼女の部屋だった。

鍵を回し、ドアを開ける。

「…どうぞ」


田中は女性の部屋に入るのが初めてだった。緊張して足が震えたが、なんとか冷静を装う。羽賀はというと酔っているのか、ずっとヘラヘラしていた。

けして広くはないワンルーム、大の大人が3人もいるとかなり手狭である。

部屋の隅に縮こまるようにして正座する田中と、ラグマットの上にあぐらをかいてにこにこする羽賀。


「じゃ、早速お願いします」

「…はい」


女性は落ち着かないようにもぞもぞと座り直すと、テーブルに置いた携帯を手にとってロック画面の時刻を眺めた。


田中も自分の携帯で時計を見る。時刻はあと数分で午前2時になろうかという頃だった。

もうそんな時間か。さすがに帰って寝たい…とあくびが出そうなのをこらえていると、突如視界が大きくぐらりと揺れた。


「!?」


地震だろうか、揺れがかなり大きい。震度5はありそうなほどの揺れに、慌てて避難しようと立ち上がった。


羽賀と女性は、座ったまま動かない。

「ちょっと!でかいですよ逃げないと…!」


「…地震じゃないです」

「えっ?」

「…この部屋だけが…揺れてるんです」


女性はうつむいたまま、はっきりとそう答えた。

そんなわけあるか、と思う。揺れはまだ続いている。とにかく逃げ道を確保しなければ、と玄関のドアを開けようと近づいた。


「開けないで!」


女性が叫ぶ。

なんでですか、と聞こうとしたその瞬間、全てを理解した。


ドアの外に誰かいる。


全身に鳥肌が立った。ドアスコープを覗くまでもなく、はっきりと存在を感じた。

部屋の電気はついている。ついているが、暗い。明るいのに、どこか奇妙な気味の悪さ。

その違和感の正体を、よく知っていた。


揺れが収まり、部屋の違和感とドアの外にいる「それ」の異物感だけが色濃く残る。


「来るんです…午前2時になると時々…でもこんなこと誰にも言えなくて…!」


女性が泣き出し、ベッドに突っ伏する。


「…ドアを開けたことは?」

羽賀が静かに問う。

「ないです…何とかしてください…!」



ドアが厭な音を立て始めた。

何か鋭いもので鉄を引っ掻くような…


ぎぃ……ぎぃ………ぎぃ…………


音は絶え間なく続く。


「ちょっと…何とかしてくださいよ、先輩…!」

「…」

羽賀は黙ってドアを見ている。


ぎぃ……ぎぃ………ぎぃ……………がり……



しばらくの静寂。

音は消え、数分ほど経った。

いなくなったか…?とあたりを見回そうとした時、


キィ…と郵便受けが開いた。


そして、真っ黒に焼け爛れ、ところどころ赤黒い肉と、血が変色してこびりついた奇妙に細長い指先が現れる。同時に、肉の腐敗した耐えがたい悪臭。思わず服の裾で鼻を覆う。

骨と皮のようなその手はずるずると手首の先まで部屋の中に突っ込んでくる。黒々とした指先から、赤黒い糸を引いて、何かが玄関にぽとりと落ちた。変色した血塗れの爪であった。腕はさらに郵便受けにめり込み、部屋に侵入してこようとしている。やがて郵便受けからでは入れないと悟ったのか、黒い腕はだらりと垂れ下がったかと思うと、ずるずると血痕を残して郵便受けから引き抜かれた。


「田中」

「はい」

「ドア開けてみて」

「嫌です。先輩が開けてください」

「俺は準備とかあるから」

「もう終わってるでしょ!」


怖い。得体の知れない化け物が外にいてこちらに侵入しようとしている、こんな状況でドアなんか絶対に開けたくはない。

開けたくはなかったがなぜか身体が勝手に動き、ドアに近付いていた。また郵便受けから手が伸びてきたらどうしようと思いつつ、鼓動を慌ただしく打つ心臓を抑え込みおそるおそる鍵を開け、ドアノブを──捻った。


途端に鼻を打つようなひどい悪臭、眼前に飛び込んできたのは全身が焼け爛れた人間の形をした異形であった。顔はなく、目のある部分には黒々とした穴が開き、その腐敗した肉片の中にちらちらと白く蠢くものは蛆虫だった。そこまで視認した刹那、突如それが大きく膨張したかと思うとドアの隙間なくみちみちに詰まった人間の内臓のような物体へと成り替わり、田中を瞬時にして飲み込んだ。


「田中!」

田中を取り込んだ怪物はずるずると玄関からこちらに向かってこようとしている。


羽賀は咄嗟にバスルームの扉を開け放ち、シャワーホースを引っ掴むとそれに目掛けて勢いよく水を放出した。


ジャアアアアアア、と水が怪物に当たると、濡れた部分が萎むのがわかる。こちらにどろどろの腕を伸ばす怪物をシャワーで回避しつつ、脳天であろう部分に杭を打ち込む。

その瞬間、怪物は消え、後には倒れ込む田中の身体があるだけだった。




「田中〜。起きろ〜」

「…」

目を覚ますと事務所だった。

「あれ…さっきのは」

「倒したに決まってんだろ。感謝しろ俺に」

「あぁ…」


田中は寝かされていたソファから起き上がり、頭をかいた。


「仕事ならそう言ってくださいよ…」

「言わなかったっけ?」

「教えてもらってないです。てかなんで依頼人と飲んでたんですか」

「そりゃ居酒屋で知り合ったから。で、お化け怖いんで飲んでから行きましょうって言われたんだよ」

「あぁ…」

「アパート水浸しにして悪いことしちゃったな。ま退治したからいっか」

「そうですね…」


羽賀は安楽椅子に座り大きく伸びをした。


「いやーやっぱお前の霊媒体質ピカイチだな、お前と行くと100%出る。こんなにやりやすいことはないね」

「だからって深夜に呼び出さなくても…」

「まあまあ。助けてやったし」

「当たり前でしょう」


霊障手当つけといてくださいね、と田中は怒りながら帰っていった。




これはこの事務所の主である羽賀と、アルバイトの田中によるお化け退治物語である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心霊相談所「やすらぎ」 やわらか枝豆 @Tanuking0805

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る