第7話 エピローグ
空想時代小説
またきびしい冬がやってきた。2度目の冬である。けがをした兵の多くは、体力が弱っており、冬を越せなかった。
(ここは人捨て場か!)と主水は心の中でいかりがこみあげてきていた。
春になると、主水も少しは気分がよくなった。あと少しで、本土に帰れるという思いだけが救いだった。ところが、7月に根室からどんでもない知らせがやってきた。
「アイヌに襲われた。陣屋を捨てる」
とのこと。その後、何も連絡はこなかった。主水と左門はどうすべきか話し合った。
主水「根室の陣屋が襲われた。お主、どう思う?」
左門「勝てば、勝利の文が届くでしょうが・・・」
主水「陣屋を捨てたのだから負けたのであろう」
左門「確かめに行きますか?」
主水「それも考えたが、半数の兵がさかれ、その者たちがアイヌに襲われたら、ここも守れなくなる。アイヌが船でこちらにくる可能性もある」
左門「ですな。行ったとしても危険な目にあうだけですな」
主水「今は、守りに徹しよう。火矢にやられないように、小屋に泥をぬりつけさせよ」
左門「早速、手配します」
と言いながら左門はニコッと笑った。
主水「何がおかしい?」
左門「いえ、おかしいのではなく、うれしいのです。やっと隊長らしさがもどってきました」
主水「何を言うか!」
と言いながらも、今までのふぬけの自分を恥じる主水であった。
その後は、何も起こらなかった。アイヌが攻めてくることもなければ、交代の兵も来なかった。主水が、
「根室の陣屋が襲われ、今夏の交代は来ない」
と告げると、兵たちの落胆は大きく、その日はだれも何も話さなかった。しかし、隊長が悪いわけではない。自分たちで、何とかまた冬を越すしかないのである。少しずつ、食料確保の日々となっていった。
3回目の春がやってきた。主水の部下とアイヌの見分けは、ほとんどつかなかった。ひげをそることを主水や左門がうるさく言わなかったので、皆ひげ面だった。そうでないと、冬を越すのが大変だったからである。
1866年8月、1艘の安宅船がやってきた。とうとう交代の兵がやってきたのだ。隊長は、主水の幼なじみの山家忠義(やんべただよし)であった。
主水「よくぞ、来られた。根室陣屋は?」
忠義「先月奪い返しました。そこで、主水殿には根室陣屋の副官の任が与えられました。隊長は堀切格之進殿です」
主水「なんと、本土に帰れるのではないのか・・・」
忠義「本土は、今大変でござる。幕府と長州が戦っております。開国派と攘夷派で、世間は真っ二つでござる。皮肉にもこの陣屋を造った幕府は今開国派でござる」
主水「仙台藩は?」
忠義「一応、幕府方です。ですから開国派となりますが・・・攘夷を唱える上役もおり、まとまっておりませぬ」
主水「いつものことだ!」
主水は捨てゼリフをはいた。仙台藩の身分制度が、硬直した藩政を形成するようになっていた。人の能力よりも血筋が大事なのである。
それから2年、主水は静かに暮らした。隊長の格之進からは「昼あんどん」と揶揄された。左門だけは味方になり、何かと補佐をしていた。
そして、1868年。白老から
「白老陣屋の補強のため、陣屋支所引き払い」
の命がでた。国後の山家忠義たちもやってきた。アイヌの人間は置いてきたという。彼らは、ふるさとの白老にはもどれぬのだ。運命とはいえ、ひどい仕打ちだと主水は思った。もっとも根室に連れてこられたアイヌも置き去りだ。こちらの方が、地元のアイヌとの戦いがあるから、より過酷だと思えた。
白老にもどると、すでに引き揚げの支度をしていた。会津藩が負け、仙台藩も新政府軍に降参したという。幕府方の残党が函館の五稜郭に立てこもっているとのこと。幕府についていては、陣屋が攻められる可能性があるので、逃げるとのことであった。ところが、格之進が異議を唱えた。
「どこに逃げるというのですか? 函館に行けば戦に巻き込まれ、松前に行くには遠すぎる。海峡を越えて、尻屋崎へですか。この安宅船で嵐にあえば、遭難の憂き目でござるぞ。わしはここに残る。幕府が攻めてくるとは限らん」
と言い出し、根室陣屋からきた30名は残ることとなった。
翌朝、目を覚ますと安宅船はすでに出航していた。
「あいさつなしで出ていったのか? 武士の礼儀も知らぬ連中だ」
と主水がつぶやいていると、そこに山家忠義が走ってきた。
「主水殿! 隊長の格之進がおりませぬ。側近の部下もおりませぬ」
「なぬ!」
と言って、格之進の小屋に走った。そこはもぬけの空だった。
「我らは置き去りか!」
「昨日の話は、おそらく船に乗る人数を減らすために、格之進がうった芝居だったのですな」
忠義のその言葉に、主水は歯ぎしりしながら悔しがった。
主水は忠義と左門を呼び、今後の対応を話し合った。
主水「我らは置き去りとなった。今後、どうするか意見がほしい」
忠義「仙台藩は我らを見捨てたわけですな」
主水「少なくとも上役はな」
忠義「ということは、無理してここを守る必要はないということですな」
主水「そういうことになるな」
忠義「それでは、家臣を放免してはいかがか?」
主水「うむ、それはわしも考えた。しかし、ここを出てどこへ行く?」
左門「我らはいわば新参者。アイヌに知り合いもおりませぬ。アテナイがいれば何とかなったのでしょうが・・・」
忠義「国後や根室にアイヌを置いてきた我らを歓迎するわけはないですな」
主水「いた仕方ないことだ。上役の考えだ」
左門「まったく忌々しい格之進だ。あやつに会ったら、撃ち殺してやりたい」
主水「それとて、上役の指示に従ったまで・・・仕方ないことだ」
左門「上役の指示とは言うものの、あの家臣を見下した物言い、怒鳴り方、まっとうな武士のふるまいとは思えませぬ」
主水「格之進殿は、元々下級藩士の次男坊だったとのこと。しかし、学問に励み、堀切家の養子になったと聞いた。身分に甘えて、のうのうとしている人間が許せない。また下級武士だから、何も努力しないやつは嫌いだ。と酒の席で言っていたことがあった。わしは、昼あんどんと言われていたから後者だったのだろうがな」
左門「そんなことはありませぬ。家臣思いの主水殿こそ、ついていくべき上役と皆思っております」
忠義「わしもそう思うぞ」
主水「そこでだ。まずは一冬をここで過ごす。また自給自足じゃ。新政府軍がきたら降伏する。後は新政府軍にゆだねるしかない。これでどうだ?」
忠義「それしかないだろうな。陣屋の四隅に白旗をたてておくか」
左門「まるで源氏ですな。仙台藩は、元々鎌倉武士でしたからな。新政府軍は長州が中心ですから平家方ですな」
忠義「それはおもしろいな。白旗は降伏の印じゃ。むこうがその意味をわかればだがな」
その冬は厳しかった。秋に収穫した保存食のきのこや鮭を大事に食べた。一日一食だったが、下働きのアイヌ人がいないので、いつも汁物だった。だが、国後の冷たい風に比べれば、まだましだった。でも、雪の多さには閉口した。何日も小屋に閉じ込められる日々が続いた。
春になり、やっと陣屋の外に出られる日がやってきた。そんなある日、一人の漁師がやってきた。下北から来たとのこと。函館に行く予定が、嵐にあい、ここまで流されてきたとのこと。海流にのれば、下北だけでなく、仙台藩の領地まで行けるということだが、風の強い春は難しいということだった。夏まで待てば帰れるかもしれないということで、その漁師はしばらく陣屋にとどまることになった。その漁師がもどる時に、和船で自分たちも帰れる希望がでてきたので、陣屋の面々はその漁師をあたたかく迎えた。
夕餉の場で、その漁師が新政府軍の残虐な話を始めた。
漁師「聞いた話ですが、幕府方の侍が降参しても全員打ち首になり、河原に首がさらされたそうです」
忠義「なんとむごい。降参した者を許さない場合は、切腹させるのが武士のならい。なぜ、むごいことをする?」
漁師「福島というところで、新政府軍の上役が仙台藩士におそわれたのだそうです」
忠義「だから仙台藩士憎しか?」
主水「仙台藩は新政府軍に降参したのではないのか?」
漁師「それが・・・どうやら降参した後に、その事件があったようです」
主水「解せぬな。何か裏があるな」
このことは、新政府軍参謀の世羅修蔵が福島の宿に泊まっていた時に、仙台藩士から暗殺されたという事件である。仙台藩からすれば、降伏したのに世羅修蔵自身は、討伐の意志を捨てなかったということである。会津藩が新政府軍に降伏の意志を示していたのに、会津憎しで会津若松城下まで攻め入り、壊滅状態まで追いつめたことを思えば、仙台藩士も同じことをされると考えたのは無理もない。しかし、主水らには、その事情は伝えられなかった。ただ、白旗を掲げても、攻撃されるかもしれないということだけは理解できた。
6月、やっと風がおさまり、南に行く海流に乗れる季節になってきた。船に積み込む食料や水を確保する日々が続き、明日には出航するという夕方のこと。
ドーン! と地響きとともに大きな爆発音がなった。陣屋は結構広い。西側の土手の方で鳴った。主水らは走りに走った。
そこへ行くと、土手が崩れている。そこにとがった帽子をかぶり、黒い軍服を着た兵士が数人いた。
忠義は、白い旗を振って、
「降参する! 降参する!」
と大きな声で叫んだ。しかし、ダ・ダーン! 忠義はその場に後ろ向きにもんどり倒れた。主水はその場にいる家臣に、
「退け! 敵は撃ってくるぞ。陣屋へ退け!」
と大きな声で命を出した。こうなったら戦うしかない。敵が何人かわからぬが、相手が攻撃の意志をもっていることは確認できた。後は、運命に委ねるしかないのだ。
陣屋の敷地に入るには桝形の地形にある門を越えなければならない。まずは、その桝形の土手に左門が率いる鉄砲隊を配置した。10人しかいないが、鉄砲玉がなくなるまでふんばった。その間に、主水は船の出航を早めるべく、残った家臣を桟橋に行かせた。だが、そこでも銃声が鳴っている。陣屋は完全に囲まれたのだ。
陽が完全に落ちて、陣屋の中は壮絶な戦いの場となった。小屋は火がかけられ、いたるところで斬り合いが行われている。
左門「鉄砲はもう使えません。半数が死にました」
主水「うむ、あの漁師はどこにいる?」
左門「森に隠れたようです」
主水「あの漁師の案内がなければ、脱出できぬ。なんとか探し出して、桟橋に来るように言え!」
左門「わかり申した」
主水は、斬りに斬った。とどめをさす余裕はなかった。ただ、襲いかかってくる敵をよけ、一太刀浴びせるのが関の山だった。家臣に会うと、近くへ行き、
「何とか桟橋へこい。皆に伝えよ」
と申しつけた。
桟橋の近くで斬り合いが続いた。船は和船が1艘と漁師の舟が無事だ。だが、食料もなければ水もない。どこまで行けるかわからぬが、ここを脱出する唯一の手段であることには違いない。
そこに、左門と漁師がやってきた。左門は漁師の舟に乗り込み、舫い綱を切った。主水も近くにいる家臣とともに、和船に乗った。中には海につかりながら船に乗り込んだ家臣もいた。その数5名。30人いたのに・・わずかな家臣しか残っていなかった。主水は家臣とともに、櫓をこいだ。幸いなことに、敵は船を用意していなかった。もう大丈夫かと思った矢先、
ダ・ダーン!
鉄砲の音とともに、主水が船に倒れ込んだ。
「隊長!」
という家臣の声が、だんだん遠くなっていく主水であった。
完
あとがき
北海道白老町に「仙台藩白老元陣屋資料館」がある。10年ほど前に訪れるまで、私は蝦夷地の東半分が仙台藩領だとは知らなかった。私同様、宮城県人の多くが知らないと思う。明治になって、多くの仙台藩藩士や領民が移住していったのは知っているが、幕末の情報は少ないからである。その後、根室まで足を伸ばし、チャシとよばれるアイヌの城や、遠くに見える国後島を見て、小説のイメージを膨らませてきた。夏でも寒々しい天候だったが、真冬の厳しさを想像するのはなかなか難しかった。以前に、海外赴任でマイナス24度の世界にいた時のことを思い出すのがやっとだった。
実際に、駐屯された方々のご苦労を察するとともに、亡くなられた方の冥福を祈りたい。
飛鳥竜二
仙台藩、蝦夷地を支配す 飛鳥 竜二 @taryuji
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