EP2 悲劇

現在時刻 23:39

現在位置 カナガワ東南地区


幾つもの足音と荒い息遣いが夜の街に響く。必死に走る彼らを追い詰めるように何人かに分かれた白いスーツ姿の人物たちは、淡々と逃げ道を塞ぐように追跡を続ける。


執行者たちはインカムから言い渡される座標を頼りに移動し、逃げようとする人外たちを追いかけ、立ち止まったと思えば、銃撃を放つ。

遠距離から攻撃で足止めを図るがその度に闇を縫うように放たれる幽体の斬撃で弾き落とされていた。

しかし、焦っていたのは逃げようとしている側だった。

どれだけ走っても、目的地に向かう道はすでに先回りされて、必然的に迂回を強要され、一向に目的地に近づけていなかった。


彼らが走る夜道の先に街灯が人影を道に映し出す。

タイミングを見計らっていた執行者たちが彼らが進む先を阻むように現れ、その手に持っている武器を戦闘を走っていた人狼の青年に向けて、戦闘の数人が振り下ろす。


「くっそ…!この道もか…!」


闇を切り裂くような白い閃撃を獣の腕が受け止める。到底、生物の腕を切りつけたとは思えないほどの耳障りな金属の衝撃音が響き、剣を振り下ろした執行者二人はその衝撃に思わず顔を顰める。

その一瞬をつくように人狼の腕が執行者の頭を鷲掴みにし、そのまま、なんの躊躇いもなく頭蓋が割れる音がなった。


「また迂回するしか……おいっ、追いついてきたぞ!」


跳躍した人影は鋭い青色の眼光を残しながら、ナイフを亡霊に突きつけようと大きく振り下ろす。

亡霊である青年、東は影を腕に巻き付け、容赦なき斬撃を受け流す。

背後の通路から青い瞳の人物が引き連れてきた執行者たちが続々と道を塞ぎ、前の通路も待ち伏せをしていた執行者たちも同じように道を塞ごうとする。


「こうなったら、目的地まで強引に行け、港。赤翼さんはしっかり港に付いていけ」

「ちっ、退けやクソども!」


獣の咆哮と見間違えるほどに声を張り上げた人狼、港は変化した両腕と驚異的な脚力を活かして、強引に執行者たちの道封じを突破しようと彼らに突撃する。

距離を空けて包囲するように取り囲もうとする彼らだったが、人狼は包囲される危険などないと言うのか、そのまま真正面の執行者に向けて拳を突き出す。

仮にも訓練を積んだ執行者はとてつもない速度の殴打に反応して、剣を構えて防ごうとするが、人狼の打撃は一撃で剣を砕き、ニ撃目でその肉体を破裂させた。


そして、逃げ道を塞いでいた執行者たちの注意が一瞬ではあったが人狼に集中したその時を見逃さず、幽霊の刃がさらに二人の喉元を描き切った。


「急げ!走り抜けるぞ!」

「赤翼さん、走れ!」

「は、はい…!莉亜、行くよっ」

「う、うん…!」


逃さないと躍起になり、剣を振るう執行者たちだが、幽体の刃と赤翼さんの障壁に防がれる。包囲網をあと少しで突破できるが、それを見逃すほど青い瞳の執行者は慈悲深くなかった。

軽く地面を蹴っただけだ、軽々と街灯よりも高く飛び、僅かに遅れていた東に向けて、ナイフを斉射する。

ナイフを刃がギリギリのところで弾くが、鷹のように強襲する本人の攻撃を防ぐためには足を止めないといけなかった。


「時間をかけられた…取り囲んで。まずは一人」

「わかりました!」


道を阻もうと港や赤翼さんを攻撃していた執行者たちは標的を変え、足を止めてしまった東を取り囲み、容赦なく剣戟を浴びせようとする。

完全に包囲されないように幽体の刃で牽制しながら、隙を見出そうとするが、地面を這うようにして移動する青目の人物が反応に遅れた東の脚を切り払う。

走って移動しなければいけないと言うのに足の傷は致命傷だった。

痛みに悶えるくぐもった声を上げながら、彼は片膝を地面につく。その瞬間を見逃さず、執行者たちはその剣で人外の命を奪おうとする。


だが、闇に紛れた刃は並の執行者たちでは対応に手を焼くようで動けない港に近づくことすら困難のようだ。

足元から、周囲の物陰から、闇に包まれた刃が絶えず放たれ、その度に執行者たちが持つ剣と嫌な音が響く。


「東っ…!くっそ、今そっちに…」

「馬鹿。ちゃんと仕事を優先しろ。そういう、約束だろ?」


包囲網に取り残された仲間を助けようと振り返った港に冷静な声でそう突き飛ばすように彼の友人が言い放つ。

すでに包囲網を作り直した執行者たちはその半数以上が幽霊の青年を取り囲み、青い目の人物が彼の命を奪おうとしており、残りの半数は包囲網を突破した三人の動向に目を光らせていた。


「…くっそ…!赤翼さん、行くぞ!」

「っ…!」


包囲された仲間を見捨てる判断をした瞬間、動向を注意深く観察していた執行者たちは直ぐに追いかけだし、人狼は殿として、彼らの攻撃を防ぎながら、逃走を続ける。


「見捨てられたね。それとも、自己犠牲?」

街灯に照らされ、青い瞳の人物がようやくその姿をしっかりと目視することができた。

白い執行者のスーツの上から、黒いロープを見に纏い、口元を同じように黒い布で覆ったその人物は細い腕と灰色の髪の少女だった。

すでに執行者の剣戟を防ぎきれず、幾つかの切り傷を負った青年に少女は煽るようにそう言った。


「…さあ。プロ意識を優先しているものでな」


太々しくニヤリと笑った青年は未だ諦めようなどと思っていないのか幽体の刃を同胞を狩るものたちに向けた。


「…執行を開始」

「仕事は、しっかりと処理しないとな」



現在時刻 23:43

現在位置 カナガワ東南地区


わかっていた。この仕事を続けていれば、仲間との別れが訪れることはわかっていた。

イリスは戦闘を専門としてはいないが、人外の組織として活動していれば、執行部の連中と対峙するのは当然だった。

それでも、ここまで共に仕事を続けてきた唯一無二の友人を切り捨てると言う判断は苦しかった。


「あっ…!」


休む間もなく走り続けていた三人だが、母親に手を引っ張られていた少女は呼吸が尽きてしまいがくりと転んでしまう。


「莉亜っ…立って、急がないと…!」


母親が咄嗟に、転んでしまった少女を立たせ、もう一度手を引きながら走ろうとしたが、少女は足が痛いのか半ば座り込んでしまっていた。

青年は手を強く握り、胸中に渦巻く、焦ったいという思いと半ば怒りにも似た感情を彼はそれを押し殺すことにした。強く噛み締めていた口を開き、ゆっくりと息を吐く。プロ意識を優先するのなら、余計なことは考えていけない。

プロ意識の優先。それが、見捨ててきた友人の約束だった。


「莉亜、ほら」

「…え…」


座り込んでしまった少女に向けて、背中を向けて、しゃがみ込む。

気がつけば、雨が降っていた。雨は無慈悲に強く振り付け、少女の髪も彼の背中も等しく、濡らしていく。

雨粒は走り続けて、熱を持っていた彼らの体を冷やす。

少女は子供の勘なのか、彼が苛立っていることがわかっていた。それでも、おずおずと手を伸ばし、彼の背中に寄りかかる。


「赤翼さん。行きますよ…あと少しで目的地です」

「は、はい…」

「………」


彼は少女を背負い、また走り出した。ここまで走り続け、執行者とも幾度か渡り合ったあとだと、子供であっても人間を一人、背負って走るのは厳しかった。

それでも、彼は何も言わずに走り続ける。


怒りで叫ぶのも、悲しみで泣くのも後でできる。

今は、仕事に集中するんだ、



現在時刻 23:47分


莉亜を背負い、赤翼さんを先導してここまで走ってきたが目の前にいるのはあの憎たらしい白スーツの男だった。

街灯に照らされ、一際大きい獲物を地面に突き立てて、こちらを呑気にそうに笑いながら見る男と近場のベンチに座り、俯いていた。


「…なんで…先回りされているの?」


赤翼さんの言う通りだ。ここにくるまで、何度も迂回と遠回りを繰り返して、目的地を悟られぬようにしながら、ここを目指していた。

だと言うのに、執行者は平然とここに来ることがわかっていたかのようにこの場にいた。


「流石だなぁ、槿。お前の予想通りだ」


感心したように表情を明るくさせた男は地面に突き刺さっていたフランベルジュを引き抜き、片手で構える。

怯えるように強く肩を握っていた少女をゆっくりと下ろせば、すぐに母親の後ろに隠れる。


「容易なことなり。いくら迂回路、遠き路を選んだとて、焦る気持ちで目的地に近づいてしまう。ならば、予想を立てるのも容易いことなり」


ゆらりと立ち上がった青年は、ゆっくりと引き抜いた刀は照らす光がないはずだと言うのに、それ自体が淡い光を纏っているようにすら思えた。


「…生きたいと願うものの生命を奪うは、哀しきことであれど、我が任に準じればならぬ」

「はいは〜い。いつも通り、俺が遊撃ね。まぁ、怨むなら、有名になってしまったイリスを恨むんだな」


「……誰が恨むかよ。俺が恨むのはいつも力不足な、俺たち人外自身だ」


雨足はさらに強まっていた。雫を払い落とすようにその場で2回、小さくジャンプした彼はその両腕は人狼の腕へと変化させ、構える。

もうすでに、目的地は近い。ここまできたら、赤翼さん達だけでも問題ないはずだ。

プロ意識を持ちながらも、彼は感情に正直だった。


「赤翼さん。言ってこいよ。俺はこのくそったれの執行者どもを殴り飛ばしてから…追いつくさ、きっとな」

「……ごめんなさい…」


誰だって自分のせいで何人もの人が死んだとなれば、後味の悪さを感じるだろう。それが仕方のないことではなく、自らが招いたこととなれば、尚更かもしれない。

それでも、彼女は自分の愛おしい子の手を握り、走り出した。


覚悟というにはあまりにも濁っており、怒りというには澄んでいるような感情はきっと、割り切れたということなんだろう。


二人分の足音が聞こえなくなったあと、雨音だけがしばらくの間、その場に残った。何処か遠くで車が通ったのか、水たまりを弾いた音が対峙する三人の耳に届いた。

その瞬間、人狼は地面を蹴り飛ばし、雨を弾きながら、フランベルジュを持つ執行者に拳を振るう。

空を切る轟音が霞んでしまうほどの衝撃音が鳴り、剣は大きく空に弾ける。ただ、それ程の衝撃であったとしても相手は武器を手放すことなく、態勢を崩しながらも、追撃を避けようと後ろに下がる。


「うおっ…!とんでもない馬鹿力だなおいっ!」

「代わりたまえ」

「はっ!二人まとめて吹き飛んじまえ!」


それを見逃さぬように猛進しようとする。しかし、一瞬だけだが開いた空間にもう一人の執行者が割り込んでくるが二人まとめて殴り飛ばそうと人狼はさらに大きく振り翳した拳を打ち出した。

彼の澱みない一撃を執行者は鞘に入ったままの日本刀を翳し、それを受け止めようとする。


ぶつかり合い、耳を劈く激音の後、僅かな反響を除けば、その一瞬だけは雨音が滴る音だけが残った。


彼は目を見開かなければならなかった。

武器ごと執行者二人を宣言通り吹き飛ばすことができるほどの威力だったはずの一撃は日本刀によって防がれ、その相手は僅かに半歩、後ろに下がっただけだったのだ。


「……"骨断"」


本能的な危機察知が働き、直ぐに後ろへと体をずらしたが振り下ろされた刃は容赦なく、彼の腕を深々と切りつけた。


「くそっ…」

「おー、流石。相変わらず見た目によらないな」

「…肉を切らすほどではなき。つつがなくくだくだにに切り裂き、任を果たさん」

「はいは〜い。そうだな」


二つの凶器がこちらに向けられ、敗北という結末を予想できたとしても、彼には逃げ場などなかった。そもそも逃げる気もなかった。今更、どんな面を下げて、逃げ出せばいい。


「覚悟しろ。狼がお前らの首を噛みちぎってやる…!」




現在時刻 23:54分


少女の視界はぼやけていた。街灯が住宅の明かりが揺らいでぼやけていた。

彼女は理解することを放置していた。今、何が起こっていて、それは何に発端するものなのか、考えたところでわからないと思っていたからだ。


それでも理解を拒んでも事実は幼い少女の心を容赦なく突き刺していた。

初めて、あのカフェに行った時、明るい笑顔を迎えてくれた男の人も、静かながら本について教えてくれた男の人も、居なくなってしまった。

お母さんも…ついさっき、離れ離れになってしまった。

言われた通り、ただ走って、足が痛くなって、歩いてしまって、そしてついに歩くのすらも辛くなってしまった。


足がズキズキと痛んで、雨粒が容赦なく体温を奪っていくから酷く寒くて、呼吸が乱れていて、心細い。


「目標発見」


雨音だけの夜道だったが、その静寂は低く抑揚のない声によって破られた。

振り向けば、スーツ姿の男たちが何人も居て、彼らの鋭いナイフのような視線は全て彼女に向けられていた。


「はぁ…はぁ…にげ、ないと……うあっ!」


彼らが自分を追っていると言うことを不確かながらそう確信した少女はすでに限界だったが走り出そうと足に力を込めたその瞬間に、放たれた矢が彼女の足を貫く。

少女には耐えられないほどの激痛だっただろうが、すでに疲労しきっていた少女は悲痛の声を上げることも出来なかった。


「目標を捕縛。連行するぞ」

「了解」

「了解。弱っているのなら都合がいい」



「…なんで……なんでっ、こんな…」


赤い血が雨に紛れ、下水道に流されていく。

少女の瞳から溢れ出した涙は雨に紛れて、その悲哀すらも世界は許さなかった。

痛みが少女の停滞した思考を無慈悲にも加速させてしまった。

お父さんは、死んだんだ。

助けを求めて、訪れたカフェで優しくしてくれた人たちもみんな死んでしまった。

頑張ると約束した人は助けに来てくれなかった。

お母さんもついさっき、離れてしまって、もう二度と会えないことを理解した。

ただ、ひたすら悲しかった。

心を締めつけてくる悲しみも、どうしようもないほど濁った怒りも、その全てを世界に訴えたかった。


ただ、泣き叫びたかった。

この感情を何かを向けてぶつけたかったの。


「うっ…うわぁぁ!!あああぁぁぁぁっっ!!!」


少女の声とは思えないほどの音量で、混沌とした感情が込められた叫び声が発せられた。顔を手で覆い、爪が薄い肌を容易く破いて、血を流させる。

泣き叫ぶ声は一種の衝撃はとなり、彼女の足元から水を無くして、彼女の体に打ち付けられるはずの雨粒もその音波に弾かれる。


世界に訴えるようなその声を上げながら、両手を組み合わせ、空を仰ぎ見る。


彼女の訴えに応じるように、それは現れた。


人間の胴体を持ちながら、足があるべき部位には杭のようになっており、爛れた体全体を隠すために包帯と白い蝋が塗りたくられていた。一対の羽をもがれた翼は広く掲げられており、目は蝋の手によって隠され、王冠に見立てられた手によって耳は塞がれている。

口は開かれていたが、笑っているわけではなく、ただひたすらに声を上げるために開いていた。


それは、少女を狙う人物たちに背を向けて、泣き続ける少女の代わりに、奴らと対峙した。


ただ、この激情を、吐き出したいんだ。

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人外と異端者狩りと半端者と @Nialibrary

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