人外と異端者狩りと半端者と

@Nialibrary

EP0 呼び声

どうして、貴方が遠いんだろう。

こんなに近いのに、貴女の荒い呼吸も、強く高鳴る心臓の音も、聞こえるほどに近いのに。


「……おやすみ、もう二度と、苦しまなくていいんだ」


低くて、くぐもった声。これが今の貴方の声?

違う。ちがうちがうちがう。そんなの違う。

貴方の声はもっと明るくて、澄んでいて、私に希望をくれていたはずなのに。今の貴方の声が鼓膜に届くたび、私の心臓が止まってしまいそうなほど寒くなって、怖くなるんだ。


「……なんっ…で……おにい、ちゃん…」


体が冷たくて、力が入らなくて、怖い。

怖いよ…お兄ちゃん…あの時みたいに、抱きしめて…怖かった時に、あの優しくて…暖かい…木漏れ日みたいな声で…大丈夫だよって、言って…。


言葉が欲しくて、幸せなあの頃に戻って欲しくて、私は手を貴方に伸ばした。

貴方がゆっくりと腕を私に向ける。その手に握られていたのは狼狩りの銃。私たち、魔女を、吸血鬼を、アンデットを撃ち殺すための武器。


銃声が鳴り、火薬の匂いが周囲に広がった。

どす黒い、病魔に冒されたものの血が月光に映し出された。


私たちはいつから、失ってばかりの道を、進むことになったんだろう。


私たちのあの、琥珀糖のように綺麗だったあの頃は、脆く砕けてしまったんだろうか。




現在時刻 21:56分

現在位置 カフェ「ライブラリー・コーヒー」


本棚が壁に並べられ、暖色のライトが照らし出すそのカフェの中とは対照的に、冷え込んだ深夜の街がガラス窓の先に広がる。

立ち昇るのは珈琲の香りと図書館のような独特の香り。

青年が端の席で向かい合わせになりながら、珈琲を飲みながら、雑談に興じており、少女はカウンター席に腰掛け、ショコラケーキを味わっている。

それぞれが、この穏やかな空間で思い思いの方法でくつろいでいた。


それとは対照的に暗い表情の女性と不安気な少女が並んでカウンター席に座っていた。


「どうぞ、こちらカプチーノとオレンジジュースです」


優し気な表情を浮かべる、眼鏡をかけたカフェのマスターが自慢のカプチーノを女性に、少女にはオレンジジュースを振る舞う。

女性は小さく感謝の言葉をこぼしてから、カップに口をつける。心ここに在らずだった様子の女性だが、カプチーノの味わい深くも、まろやかな香りと味に多少、落ち着かせることができたようだ。


「ありがとうございます…その…逃げるのに手伝っていただいて」

「いえいえ、私たちは同族を見捨てるような真似は致しません。もちろん、同族であるから助けるのではなく、道徳と私たちの意思によってあなた方に協力しますよ」


マスターがこの場にいる"イリス"の総意を伝えると珈琲を味わっていた青年たちからも声が上がる。


「そーそ。頼ってくれよ。それが俺たちの仕事なんだし」

「…ただ、人外の組織は都市でしか活動してない。つまり、都市を離れるということは…同胞が一人もいなくて、永遠に欲求と素性を隠し続ける生活を続けないといけない…。大丈夫ですか?」


彼らは人によく似ているが人ではない。

お調子者の青年は自信がある様子で楽観的だったが、物静かな青年は女性と少女が都市から離れることを不安に思っていた。

理由は簡単で、都市から離れれば、人外の数は殆どと言って良いほど居なくなる。

群れなければ、すぐに殺される。それが、人外の逃れられない運命の一つだった。


「…はい、夫が…死んでしまいましたし…もう、『群狼』もボロボロになりました…それに、この子には静かに、安全なところで生きてほしいんです…」


女性は涙を堪えるようにしながら、震える声で言葉を紡ぐ。伸ばした手が俯いたままオレンジジュースを飲む少女の肩を抱き寄せる。


「お母さん……」


少女はまだ今の状況がよくわかっていなかった。

死んでしまったと聞いた父親は、いつかいつもの様に帰ってくるような気がして、母親が酷く悲しそうで辛い表情をする理由がわからなかった。


青年たちはこのような悲劇を何回も見てきたが、それでも慣れはしなかった。やるせない気持ちとこの様な状況をただ、受け入れるしかないのが辛かった。

それは、この場で一番長く、人生を歩いてきたマスターも同じだった。

重く、静かな沈黙がカフェの中に漂う。


それを破ったのはショコラケーキを食べ切った少女だった。彼女は俯いてばかりいる少女と視線を合わせるように前屈みになる。


「ねぇ、名前、なんていうの?貴女のお母さんの名前は知ってるんだけど…貴女のの名前はまだ知らなくて。教えくれない?」

「え、あ、赤翼 莉亜…です…」

「そっか、莉亜ちゃんね。私は袮萌。飾雲 袮萌」


簡素な自己紹介を済ませた彼女は満足したよう生者の隣の席に座れば、少女の頭に手を当て、ゆっくりと慈しむように撫でる。


「私も、ちゃんと貴女達を逃がせるか、不安だけど…それでも、精一杯頑張るよ。だから、貴女も一緒に頑張ろ?貴女が頑張ってくれたら、私ももっと頑張れるから、ねっ?」


女性にしては低く、男性にしては高い、空間によく響く中性的な彼女の声は冷たい様に感じれるのに何処か人を信頼させる意思が込められていた。


「はい…お願いします…!」

だからなのか、少女は母親を手を繋ぎ、袮萌に向けて少しだけ明るくそう言った。


彼女の違う一面を知っている青年達は少し緊張した面持ちで見ていたが、その様子に肩を力を抜き、残った珈琲を二人して飲み干した。

袮萌のことを、元から信用していたマスターは彼女が食べていたケーキの皿を下げてから、置いてあった場所に代わりのものを置く。


「…22時、時間となりましたね」

「さって!行くとするかぁ」

「執行部の奴ら、今回はどれほどいるんだろうな」


青年二人が椅子から立ち上がり、荷物を背負う。


女性と少女も同じように荷物を背負う。

そして、袮萌はナイフを手に持ち、天井スレスレに投げ、逆手に構える。


「関係ない。あいつらは、私が一人残さず、

 切り殺してやる」


"イリス"は"執行部"に追い詰められている戦うことが苦手な人外を保護するためのチーム。

監禁された人外の救出、追跡されている人外の逃走の手伝いなど、正面切手の戦闘は苦手としていた。

だが、彼らのことをよく知る執行官は皆、口を揃えていう。

「あの伝令使が伝えてくるのは手痛い反撃だよ」



現在時刻 23:40

現在位置 カナガワ東南地区。とある港付近


俺たちが今回、赤翼親子を逃すのに使うルートは海上ルートだ。

地上ルートだと、追跡を振り切るまでに幾度も執行部からの攻撃を受けることになる。

航空ルートは自由が限られ、待ち伏せを受けやすい。

この港の近くには一度大阪付近にまで移動してから、外国に向かうコンテナ船があるのだが、それを利用する。

大阪に向かう途中で小舟を使って、シズオカエリアか、アイチエリアに向かう。そこまで行けば、そのまま、車を使い、日本海側に向かう。

執行部の主な活動地域は大都市を中心としている。

奴らの目が届きづらい場所は必然的に田舎の方になる。

とは言っても、どのような場所にも都市や街はあり、そこには必ず執行部の詰め所やら事務所があるのだが…。


「おい、どうだ?」

「ダメだ…港の周囲にもう執行部が居る…」

「くっそ…あいつらは駅の方で袮萌が相手してるんじゃないのかよ」

「一先ず、袮萌に連絡しよう。あそこまで人数が多いと突破できるかわからない…」


電車に乗り、港に近い駅にまで来たところで予定通り、袮萌と"イリス"の数人が執行部相手に囮として騒ぎを起こした。その騒ぎを隠れ蓑に俺たちと赤翼親子は船に乗るはずだったのだが、港の周囲には執行部の人間が予想よりも多く居た。


何も執行部の人間、執行者が一人も居ないとは思っていなかった。海上のルートを警戒して五人ほどこちらに向かってくるとは思っていたし、それを突破できると判断してこの計画を立てていた。

白いスーツ姿の執行者は確認できるだけで十五人ほど。突破しようと戦闘を始めれば、さらに十人くらい集まってくることを含めれば、突破は不可能に近い。


赤翼さんの様子を見れば、ここからどうするのか、自分たちが無事に逃げ切れるのか不安な表情が隠しきれていなかった。それでも、パニックになっていない限り、腹が座っているというか、覚悟ができていそうだ。

娘に関しては…必死に声を上げないようにしているようだが。


「よし、繋がった。袮萌。そっちはどうなってる?ちゃんと誘き寄せれてるのか?」


先ほどからずっと端末を使って囮役の袮萌に状況を確かめようとしていたが、やっと繋がったようだ。


「…しんどいかな。もう何十人と倒してるに、まだまだ、湧いて出てくる…っ…!邪魔だっての!」


端末に耳を近づければ、袮萌の荒い呼吸音と風が空を切る爆発するような音、人の痛みに苦しむ声に怒鳴り散らかす声が混ざり合った戦場の音が伝わってくる。


「港に執行者どもがいるんだ。人数が多くて、突破できそうにもない。こっちに何人か回せるか?」

「到底無理。なんなら、さっきこっちで三人死んだんだよ?こっちだって数多くてそれどころじゃない」

「三人…?!んじゃ…どうすりゃいいんだよ…」


何故ここまで相手の数が多い?赤翼さんは特段、名のある人外でもなければ、奴らが目の敵にするような異能犯罪者でもない。

殺されたという父親か?

いや、「郡狼」に所属していたとはいえ、一般的な構成員だと聞いていた。幹部でもない人物の家族をそこまで付け狙うか?


相方は袮萌との通話、そして俺はいつもと違う今の状態の謎に思考が逸れていた。その時に。


「あ、危ないっ!」


赤翼さんの警告の言葉に青年二人は素早く反応して、上空から無慈悲に振り下ろされるナイフを紙一重で回避する。二人はそのまま流れるようにそれぞれが"人狼"、もう一人が"亡霊"としての力を解き放つ。


「おっらぁっ!」

「"影迎"…」


上空から強襲してした人物に対して、それぞれが人狼の筋骨隆々の片腕へと変化した拳での殴打と、鋭い刃物と化した影を闇夜に紛れさせて突き刺そうとする。

闇に紛れ込む暗器は逆にナイフで叩き落とされ、地面を蹴った人物は振るわれた拳をさらに足場にして高く飛び、亡霊の青年の上を通って、路地の入り口付近に着地する。


「逃げるぞ…!港は無理だ…!」

「くっそ…赤翼さん!ちゃんとついてきて!莉亜ちゃんも!」

「う、うん…!」


赤翼さんと莉亜ちゃんを二人で挟むような形を取り、港から離れるように走り出す。

奇襲を仕掛けてきた人物は輝くような金色の瞳が闇を切り裂きながら急接近する。


「はぁっ!」

「死んでっ!」


壁を足場にピンポールのように軌道を取りながら滅多刺しにしようとする鍵爪がナイフを弾き返す。

彼らが出ようとする路地の出口に数人の執行者が集まり、いつの間にか道を封鎖していたが、幽霊の青年は怯むことなく走り続ける。


「退け…!」


放たれた黒い刃物を執行者たちの剣が防ぐが、更に迂回し、背後に回っていた刃が執行者たちの首に深々と突き刺さる。ぐらりと揺らぎ、倒れた彼らに意を介さず、執行者に追われる人外たちをその場を後にした。



現在時刻 23:54分

現在位置 カナガワ東南地区。住宅街。


雨が降り注いでいる。雨が傘を叩く音、車が水溜りを勢いよく通っていく。


「あっ……あーあ、濡れた」


青年は深夜の時間ではあったが、明日の朝食が冷蔵庫に無かったことに気がつき、近くのコンビニで食パンを買いに行っていた。

彼はびしょびしょに濡れた足元を見て、ため息をはく。

今日も、昨日も、一昨日も。変わらない日々が続く。

もう少ししたら、自分は警察に勤めるんだろうか。

それとも、何処か違う会社にでも入るのだろうか。

未来なんてわからない。過去なんて見ない。

現在も真っ暗だ。


「まぁ…悪くはないんだけど……明日の予定なんだっけ…」


俺はネガティブな思考を切りやめ、これからの予定を確認しようと、携帯を取り出した。

その時、酷く悲しくて、酷く怒りが込められていて、思わず涙が出そうな…そんな泣き声が聞こえてきた。


「なに…?誰かが泣いてる…?」


聞き覚えがあるようなこの声が夜の街に響き渡る。

胸騒ぎがする、どうしてもこの気持ちが抑えられなかった。


どうして泣いているんだ。どうしてそんなに悲しいんだ。


どうか、泣き止んでくれ。

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