クソガキ2人が小説書き始めて世界が変わるお話

さておき

クソガキ2人が小説書き始めて世界が変わるお話

 外では逃げ水がきらきら輝いている。季節は夏だった。


 いまひとつ空調の効きが悪い二階の部屋。少年二人が机に向かっていた。部屋の主、源次はうんうん唸っていた。


「うがあああああわかんねえよおおおおお」


「書きゃあいいだろうがよ」


「わかんねえっつったじゃん書き方がよお……」



 想平はため息をつき、麦茶の入ったコップを手に取った。既にこの空気が十五分は持続していた。


「まったく、『一緒に宿題やって遊ぼう』って言うから来たら、お前いきなり『お話書いてみたい』ってさ、そりゃあ『書きゃあいい』としか言えんって」


「だって想平一番国語できるじゃん」


「あのなあ、読むと書くとじゃ勝手が違うんじゃないの?オレは読むのは好きだけど書いたことなんてないって」


「んなこと言ったら書いたことあるやつなんて一人もいねえじゃん周りに。想平しか思いつかなかったんだよお」


 このように困った雰囲気で言いつつも、源次の手は学習机の上にあるコップの水滴を大きな水たまりにする遊びに興じていた。想平は、落ち着きに欠け、時々突拍子もないことを言う源次を、学校生活の中でよく見ていた。

 だが想平はなんだかんだ源次と馬が合い、頼られることにも悪い気分はしなかったので、面倒くさがりながらも源次に付き合うのが常だった。今回も同じであった。


「だいたい何で急に書こうと思ったん」


「朝起きて、外出てラジオ体操行ってさ、太陽暑いなーっつってたら、あっ、なんか書きてえなあって思っちゃって」


「適当だなあ、それに、どんな話を書きたいとかあんの?好きな本とかあったっけ」


「あのーあれだよ、ほら、昔読んだ、ジジイとでっかい鳥がバトルするやつ」


「『大造じいさんとガン』のこと言ってる?教科書に載ってたやつじゃんか」


「いいだろ別に。かっけえじゃん、あの鳥の……」


「残雪だっけ」


「そう『残雪』!あんな感じの鳥の……その……バトル?」


「鳥と戦うなら猟師になった方が早くない?大変そうだし危なそうだけど……」


「違うって!オレが戦いたいんじゃなくて、その……戦う様子?その話を、なんつうか……見たいんだよお」


 

 記憶がおぼつかずすぐに言葉の出ない源次に対し、想平は物覚えが良かった。小学校の国語の授業で勉強した際、作中で「残雪」と呼ばれた「ガン」(雁)がどんな鳥でどこに棲んでいるかまで覚えていた。この近所に雁はいない。

 じゃあネットで調べるなり図鑑読むなりすりゃいいじゃん、とも言おうとしたが、どうも源次の意図は違うらしかった。雁の生態を知り、残雪のような雄々しい姿を見られても、そこに大造じいさんはいない。

 ライバル?友情?源次はそんな感じの関係性も込みで見たがってるのかな、と想平は考えた。

 それが見たいのならば仕方がない。想像力をもって、雁が羽ばたく情景を自給自足するのだ。



 仕方がないので想平は、朝の読書や昼休みや自習で培った経験を基に、どうすれば源次にお話を書かせられるか考え始めた。

 ちなみに絵を描くという選択肢はなかった。源次は図工の時間、絵の具セットを忘れる常習犯だったからだ。

 目下の課題は、お話に雁のような鳥を登場させるとして、物語の体を成すのか。本に書いてあるような、「それっぽい」話になるかだった。さすがに源次もその点にはハードルを感じており、故に書き方が分からないようだった。かと言って想平にも見当がつかなかった。 


 右手には「小説 書き方」で検索したタブレット。左手には麦茶。

 想平の左手の甲をコップの水滴が伝った。麦茶は空になっていた。源次の机も同じで、違いはコップのそばに湖が完成している点だった。


「想平、アイス買いに行かねえ?」


「下になかったっけ?ちょっと取ってくるわ」


 ドアを開けようとして、ふと、想平は立ち止まった。



「それだ、それ書こう」


「え?」


「だから、家からコンビニまで行って、アイス買って、家に帰ってくるまでの話を書くんだよ。主人公も源次自身にしよう」


「そんなんでいいんか?」


「カレーの味の好みで親子げんかする話とか、教科書にあったじゃん。あれすごくいい話だし、同じくらいいい話は書けないけど……オレらにもありそうな話じゃん?じゃあオレらがコンビニに行くだけでもきっとお話にはなるだろ。源次はとにかくお話を書きたいんだろ?これならいけそうじゃん」


「確かに……!ウチも母ちゃんがカレーにエノキの根っこのとこ入れてくるとムカつくしな……」


「それは知らないけど。とにかくほら、書いてみ」


 源次は机に戻り、白紙のノートと鉛筆を取り出した。想平とやり取りをしたのち、ノートには次のような文が書かれた。



『源次は、暑かったので、コンビニにアイスを買いに行き、家に帰ってきました』



「ほんと~にこれでいいんか?」


「まだダメに決まってるじゃん。だから、これを『盛って』いくんだよ」


 要領を得ない顔の源次を横目に、鉛筆を取った想平がノートへ書き加える。先ほどの文章の下に、五本に分かれた矢印が引かれた。


「家からコンビニまで距離あるじゃんか。だから――」



『①源次は、暑かったので、コンビニにアイスを買いに行きました』

『②いろいろ』

『③源次は、コンビニに着き、アイスを買いました』

『④いろいろ』

『⑤源次は、無事に家に帰ってきました』




「いいか?この②と④の『いろいろ』に、出来事とか、登場人物とか埋めていくわけよ。どっちか一つでもいい。行く途中でおばけに会うかもしんないし、なんなら源次の好きな雁を出したっていい」


「天才かよ想平先生!このリストがあれだろ、あの……四コマ漫画の話みたいな……あれ……」


「『起承転結』って言いたいんだろ?良かったよ、それが分かる程度にはお前が国語できてて」


 想平の軽い嫌味さえ全く意に介さぬように、源次の目は輝いていた。今度は源次が先にドアへ駆け出した。


「じゃあやっぱアイス買いに行こうぜ!実際コンビニの道見た方が書けそうだし。話してたら死ぬほど食いたくなっちってヤバい」


 二人は外へ出て、コンビニに向け、遠くきらきら光る道を走った。




 家に帰ってからの行動は早かった。源次は迅速にアイスを食べ、キーンと冷えた頭のまま押入れをかき分け、奥にあった小五の教科書――自身の原体験を引きずり出していた。

 その後部屋に戻り、先ほど行ってきたばかりの道を思い出し、何とか文にするべく格闘を始めた。机の下にはアイスの袋が二つ転がっていた。

 それから十分、ノート・教科書・想平を交互に行き来しながら試案した後、源次は次の展開を思いついた。想平にノートが渡った。


「想平、ヤベえぞこれ、クッソ楽しい!」



『②源次が、道の途中のお地蔵さんの前まで行くと、手足の生えた、大根のぬかづけが出てきました』

 


「なにこれ」


「あれだよ、ぬかづけマンです」


「どれだよ!!」



 源次が言うにはこうだ。

 家からコンビニへ向かう道。細い道から広い道路へ出る直前の曲がり角には地蔵が祀られている。源次がそこに差し掛かると、謎の人影が立ちふさがる。

 イチョウの葉じみた扇状のフォルム。くすんだ白い体色。

 薄ら浮かんだ、道管。そしてそこから生えた、ヒトと同じ四肢。

 この奇天烈な何かを源次は「ぬかづけマン」と称したらしい。



「源次ぃ、オレら中学生になったんだよ?」


「うるせえなあ!思い浮かんじゃったんだからしょうがねえじゃん!!」


「ていうか、雁は出さなくていいんか?」


「そりゃ一番出したいやつだからな、あとにとっときたいんよ。コンビニから帰る道であと一個展開を作れるんだよな?」


「そんな、カレーの肉の塊だけ最後に食うみたいなさあ。あとなんでぬか漬けなんだよ」


「よくお供えしてあるだろ?ちょうどあの道の地蔵さんにさ。あとオレ今朝食ったから。うめえんだ、母ちゃんの出す漬け物」



 想平の頭は不安でいっぱいだった。こんなノリで話を作っていたら収拾がつかない。妄想にしても突飛で雑だ。

 想像力を補うために、もっと源次に色々本とか読ませる所から始めた方がよかったかと、後悔しかけた。

 だが手元のタブレットを見やると、お話づくりの先人たちは八割方同じことを言っていた。「何でもいいからまずは書け」と。


 それに、初めてキャラクターというものを創った源次は非常に満足そうだった。

 まあこれはこれでいいことなのかな?想平は思い直し、創作の工程を進めることにした。これは源次の創るお話なのだ。自分がすべきなのは提案のみ。



「分かった、じゃあこのまま進めるとして、このぬかづけマンは何をするわけ」


「う~ん……オレとケンカするか」


「お前、ぬか漬けと自分がバトルするところ、見たい?」


「……そうでもないかも、ぬか漬けが動くところは、見たい」


「じゃあバトルしないで、普通に仲良くしたらどう?『いっしょにアイス食おうぜ』とか言ってさ」


「仲間にすんのか」


「雁が出てくるまで仲間を増やしてったらどうよ。桃太郎だって犬・サル・キジと出会ったし、お前もあと一匹くらいは仲間にしよう」


「いいな!じゃあアイスは山分けだな、あっ、これが『オチ』ってやつか?」


「そういうことよ。よーしよし、これでさっき書いた⑤がはっきりしたね。みんなでアイス食ってめでたしめでたしって感じ?」


 源次はノートの②に書き加えた。



『②源次が、道の途中のお地蔵さんの前まで行くと、手足の生えた、大根のぬかづけが出てきました。源次はそいつと一緒にアイスを買いに行くことにしました』



 続けて⑤のオチを書き加えようとしたところ、想平が言った。


「……あとは雁だけど、どうする?」


「どうするって?」


「最後らへんに出すっつってもいろいろあるじゃん。ラスボスにするとか、ぬか漬けと同じくあえて仲間にするのもあり」


「ああ……うーん、あれだな……なんかちげえんだよな……」


 

 そのまま源次は長考に入った。想平が想像しているより、源次の中の「雁」は特別な概念になっているらしかった。「ライバル」「ラスボス」「仲間」とも違う、別の何か。

 源次が「書きたい」と思った根源は、恐らくこのあたりにある。今はまだ言葉になっていないけど、ここを大切にしないとせっかく書く意味がない。想平はこれ以上余計なことを言わない方がよい気がしていた。

「休憩すっか」と源次に声をかけたはいいが、内心、今日中に終わるか怪しいなと感じていた。


「そーだなー、またアイス食いてえんだけど」


「またぁ?家にあるお菓子でよくない?」


「いやめちゃくちゃ食いてえ。なんかアイスの話するたびに食いたくなってきて……あっ!」


「なんだよ?今度はぬか漬けでも食いたいわけ?」


「その通りだわ。今朝食ってなくなったから母ちゃんに買ってこいって言われてたんだった……コンビニのやつを」


「お母さんが作ったんじゃねえの!?」


「いいだろうめえんだから!ちょっと行ってくるわ」


 ウチの買い物に付き合わせるのはさすがに悪いと、源次は一人部屋を飛び出してしまった。

 依然として外は暑く、陽の光が遠く道の先をきらきらと照らしていた。


 想平は一人床に寝転び、ひとつあくびをした。ここから十五分くらいは、源次の気分転換になるならという期待を頼りに、待ちぼうけの態勢が続くだろう。

 帰ってくるころには話の続きを思いつくかもしれない。どうやって雁を出すか、という問題の答えも。




 源次が部屋を出て五分後、想平は、コンコン、という音を聞いた。

 同時に、ごくわずかに、眉が動いたのを感じた。だがすぐさま想平の頭は「源次のお母さん?お菓子でも持ってきてくれたかな」という安易な予想で占められた。


「あっ、はーい」


 起き上がり、ドアノブに手をかけ、想平はようやく気づいた。眉が動いたのは違和感を覚えたためだったことに。

 ノックの音が、どういうわけかドアの下の方から聞こえていたことに。

 ドアを引くと、眼前には誰もいない。足元だ。すぐさま想平は下を向き、ノックの主を捕捉した。


 四肢を生やした大根のいちょう切りだった。




「まだコンビニ着いてないよな源次ぃ……!」


 想平は、源次の後を追いかけていた。


 源次はやたらアイスを買いたがった。

 それは源次が、アイスを買うまでの過程をノートに書き込んだ後だ。

 源次はぬか漬けを買いそびれたことを思い出した。

 それも源次とぬか漬けの扱いについて問答をして、ノートに書き込んだ後だ。


「自分が書いたものに影響されすぎだろ」とも思えた。

 だが想平は見てしまった。おそらくは、源次が「ぬかづけマン」と称した、謎の生き物を。


 源次の部屋で生き物を見た。

 そいつもまた、源次が思いつき、ノートに書き込んだ後に現れて――――


 これは、突飛で雑な妄想だろうか。

 源次の部屋で四肢の生えた大根を見た想平は大層驚いた。すぐには動けなかったが、源次の学習机から鉛筆とノートが消えているのを認めると、もう部屋を飛び出すしかなかった。


 源次の馬鹿みたいな妄想が、現実化している。



 五分は全力疾走しただろうか、肩で息をしながらも想平は辿り着いた。源次がぬか漬けを思いつくきっかけになった、地蔵である。

 数えられた限り、ここまでで十五匹ものぬかづけマンに遭遇していた。地蔵の前、供え物の皿は空だった。

 

 再び走り左へ曲がる。片側に草木が生い茂り、舗装がひび割れた短い道だ。ここを抜ければ新しく広い道路。さらに右へ曲がり進めばゴールのコンビニである。

 風が草木を揺らしさらさら音を立てたが、暑さが涼風を、焦燥が風情を凌駕したのか、想平には一切聞こえなかった。

 遠くに逃げ水が見えた。地表が光熱にさらされ光を屈折させている。きれいに舗装されたアスファルトの道路が近い証拠だ。つまりコンビニまであとわずか。源次は――

 道の隅、草木が生えた側にうずくまっていた。


「源次!」


 まだ源次まで少し距離がある。想平は駆け寄りながら呼びかけた。


「……想平!来たのかよ?なんなんだよこの手足の生えた変なの!?」


「お前も見たのかよ!知らんって!お前が考えたモンスターだろ!」


「えっ!?じゃあ、やっぱオレが考えたぬかづけマン!?」


「聞けよ源次!たぶん、源次が、お話の流れにそってノートに書いたことが本当になってる……!」


「はあ!?こわっ!!」


「ぬかづけマンが現れたのもぬか漬けを買いたくなったのもやたらとアイス食いたくなったのも全部そうだ!あんなバカみてえな生物を思いついたとしても、ノートに具体的に書いたのなんてこの近所でお前くらいしかいないじゃん、絶対。もう源次が原因としか考えられない……!」


「バカみてえとか言うなや!!」


「とにかく!!」


 想平は源次へ消しゴムを投げつけた。


「ノート持ってきてんだろ?ぬか漬けのくだりを消すんだ。そしたら奴らも消えてくれるかも。あんなのがリアルに近所にわらわらいるのは……なんかこう……やだ!」


「……あ~クッソ!!」


 源次は歯嚙みしながら消しゴムを手に、紙面に向け力を込めた。


「消えた?」


「……ダメだ消えねえ!」


「頑張れ!ちょっとぬかづけマンも消えたか確かめてくる!さっき来た道にいっぱいいたから」


「違う!消えねえんだよ!ぬかづけマンが!」


 引き返そうとしていた想平は再び源次のもとへ駆け寄った。ノートの文字はなんとか消えていた。筆圧の跡だけがかすかに残る。

 その足元では、あろうことか、アリの行列と並走する形でぬかづけマンたちの行列ができあがっていた。源次は先ほどまでしゃがんでこれを眺めていたのだ。こちらが消える気配はない。


 源次の顔面がみるみる青くなった。


「なあ想平……オレがお話の中に書いたものが本物になる、ってことなのか……?」


「だからそうかもって言ったろ?」


「うっ……うわあ……あ~」


 源次の顔面全てが青くなった。想平には、彼がここにきてようやく事態を理解したように見えた。

 だが実のところ、事態は想平の想定した遥か斜め上にあった。


「オレ……想平が来る前、ちょっと思いついちゃって……」


「……!書いたんだな?お前書きやがったな!何書いた!!」


「あれだよ……あの……」


 突如、二人の足元にいた二本の行列が四散し、全力疾走し始めた。

 一様に、命の危機を感じたかのように。



「地球」



『③源次たちは、コンビニに着き、アイスを買いました』

『④源次たちは、帰り道、アイスを狙ってやってきた地球に出くわしました』



 

 あんなに照り付けていた空が、一瞬のうちに黒くなっていた。


 いつの間にか足元にはアリも、謎の生き物もいない。それどころか生命の気配全てが絶えたようだった。

 道の向こうでは、逃げ水が消えている。

 その異常事態に気付いて、二人はようやく空を見上げた。

 

 自分たちがいま立っているはずの、蒼い惑星が頭上に迫っていた。


 もう一つの地球は、立ち尽くすばかりの二人など構わず、少しずつ、少しずつ地表へと近づき、そして――



🐦 🍧 📒 🥬



「『――こうして、今のわたしたちの世界が生まれたのでした。めでたし、めでたし』」


 老人が絵本を閉じた。


「えー」


「わかんなーい」


「めでたくなーい」


 早速子供たちのツッコミが、次々と施設の部屋に響く。


「ほら今日は『おしまい』じゃ。早う支度をしなさい。続きは明日、『神鳥様』をお迎えしたあとじゃろう」


「えーなっとくいかなーい」


「なんじゃなんじゃ、そんなに面白かったか?」


 老人は得意気だった。あの時、世界が「本当に」激変してから七十年。この地に住み、伝承の物語を読み聞かせ続ける者として、子供たちの受けが良いのはやはり嬉しい。

 だが実のところ、


「いや面白いっていうか」


「整合性なーい」


「終わり方ざつー」


「投げっぱー」


 子供たちは、この七十年で、物語に対してやけに聡くなっていた。まだ言葉を発して間もない、幼い子でさえである。

 物語を愛する者が世界を創り変えたおかげか、と思うと、老人にとっては感慨深かった。だが一方、鋭さのあまり子供たちが自分にあたるのは少々困りものだった。

 老人は首をすくめた。


「わかっとる。君らが言いたいのは、地球と地球がごっつんこしそうになった後、どうして今ワシらの住んでる世界になったのかってことじゃろ?いやいや、投げっぱなしじゃないんじゃ。明日の『神鳥様』のお話を聞くとわかるんじゃよ」


「えー今ききたーい」


「もやもやするー」


「オープンエンディングー」



「今年の子らは物語のことをよく知っとりますなあ、先生」


 老人はこう言って後ろを振り向いた。「問題が未解決のまま解釈の余地を残して終わる結末」という用語を、幼子が用いるのだからそれは驚く。


「長老、せっかくですから、もう少しだけお話していただけます?子供たちにもこっち手伝ってもらわないと」


 老人の後方、「先生」と呼ばれた女性は、明日の祭事に備えて部屋の飾り付けをしていた。

 壁面にはわらで編まれた縄がかかり、縄の結び目には小ぶりの茄子、きゅうり、大根、人参などが挿し込まれていた。奥に「児童館」の文字が見える。


「そうですなあ」


 老人は再び本を開いた。白紙の頁だった。


「それじゃあ皆、いいかの?ちょっとだけさっきの続きの話しちゃるから」


 文句を垂れていた子供たちの目が輝いた。

 老人は白紙に手をかざすと、火花のような音と共に、絵と文字が現われた。


「いいかい、二つ目の地球が迫ってきたじゃろう。それがすこうしずつ迫ってきて、そして――」



🐦 🍧 📒 🥬



 源次が口を開いた。


「想平、雁を出したい」


「は?」


 いつものおぼつかない思考が嘘に思えるほど、決然とした口調だった。


「バカお前何言って」


「残雪がハヤブサに襲われるところ、覚えてるか?」


 ほとんど泣き顔の想平は唐突の問いに面食らった。

 ややあって、源次が言っているのは「大造じいさんとガン」における名場面のことだと気付いた。

 大造じいさんと、残雪率いる雁の群れの直接対決。そこへ乱入した隼から身を挺して群れの仲間を守り、残雪は手負いになった。だが腹から血を流してなお、残雪は大造じいさんへ戦いの意志を見せた。そこにある種の威厳を感じ、感嘆した大造じいさんは、宿敵を討つ千載一遇の好機を前にしながら、猟銃を降ろしたのだ。


「――大造じいさんは、それまで残雪を倒すためにいろいろ罠をしかけたりもしたけど、その様子を見て考えを改めるんだよね。ひきょうなやり方で戦いたくないって」


「そう、オレも同じ気持ちなんだ」


「……だから何言って」


「まだよくわかんねえけど、周りがこんなヤバいことになったのはオレがお話を作り始めたからかもなんだろ。なら正々堂々、この話を終わらせるべきなのはオレだろ。だからこのお話に雁を出して、最後まで書ききる」


 想平はここにきてようやく分かった気がした。源次がこの話で目指していたものが、何だったのか。


「母ちゃんが、カレーにエノキの根っこのとこ入れたときも、なんだかんだ必ず全部食ってるからな」


「いやそれはマジで知らんけど……」



 源次が物語に求めるものは、「戦い」それ自体ではなかった。

 より正確には戦いを通して見出されるもの。無理矢理言葉にするなら……「覚悟」や「責任」だろうか?

 今訊かれたら、いつもの源次のように言いよどむんだろうな。想平は自らの言語化の拙さを恥じた。

 だがそれで構わない。これは源次の創るお話なのだ。自分がすべきなのは提案のみ。


 そう、源次がこのお話を完成させ、源次自身の責任を果たすため、できる提案がある。 

 源次は再びノートを開き、鉛筆を持った右手を振り上げようとした。

 

「だったら!!」

 

 想平は、源次の右手首を掴んだ。


「……だったら、ちゃんと考えて書こう。ちゃんと雁を出して、ちゃんと『オレたち全部が助かる』終わり方で、ちゃんとキッチリ終わらせようぜ」


 先ほどまで悲愴ささえ感じられた源次の眼に、再び輝きが戻った。

 蒼い惑星が頭上に迫り、衝突まであと僅かという状況にもかかわらず、今ここは二人にとって、いまひとつ空調の効きが悪いあの二階の部屋そのものだった。



「じゃあ……オレ考えたんだけど、でっかい雁に地球ごと載せてもらって、どっか遠くの宇宙に行こう。これで皆が助かる!」


「源次さあ、いっつもスケールがデカくてアホだな?……なら源次が思う百倍はデカくしないと。地球の直径が確か一二七四二キロらしいから」


「それ以上にでっかいやつにするんだろ?じゃあ二万だ、デカさ二万キロ」


 消しゴムの跡が残る頁に、源次は再び文字を埋めていく。

 その中身を、想平が補強していく。


「あっ待て、そもそも、どういう理由で雁がオレたちのところにやってくるわけ?」


「それは……腹が減ったから?」


「……オレたちを食いにでも飛んでくるわけ?」


「いやいや雁は人なんて食わねえぞ。正々堂々人と戦うのが雁だろ?……そうだ!」


 源次は手元にあったビニール袋を持ち上げた。中身は、母から頼まれていたおつかいの品である。源次はすでにコンビニで買い物を済ませていたのだ。

 当然、中には――四肢を生やした大根のいちょう切りが入っていた。


「腹をすかした雁はこいつのにおいにつられてやってくる!これで理由はOKだろ」


「まあ一応話は通る……かな?それより大丈夫か?こいつ食われちゃうかもしんないじゃん。一応コンビニに一緒に行くお供なんだろ」


 想平には、袋の中でぬかづけマンが四肢をばたつかせているのが見えた。


「大丈夫、そんなことさせねえよ。なんてったってこれからアイスを分け合う仲間なんだから」


「あっあとさ、地球ごとオレたちを背中に載せられる超デカい雁がいるとして……本当にオレたちを助けてくれるかな?」


「えっ!?ダメか?」


「だってオレたちと雁は初対面なんだよ?助ける理由がない」


「雁がたまたま超いいやつで助けてくれないかなあ?」


「そういうの『ご都合』って言ってな?嫌われるやつだよ?それに残雪だって大造じいさんの宿敵って感じだったじゃん。……だから提案があって」


 想平は体ごと源次を向いて、真っ直ぐに見て言った。


「源次も雁とバトルするんだ。大造じいさんみたいに」


「……マジ?」


「これなら一番出したかった雁の見せ場が一番熱くなるし、『勝った方の言うことを聞く』って条件にすれば、源次が勝てば雁がみんなを助けてくれるって筋も通るし、一石二鳥だな」


「……戦えるのかな?オレ大造じいさんじゃないぞ?」


「いや今更なにチキってんだよ!もう一個地球出現させるような奴がよ!!」


 想平は源次の肩を強く叩いた。


「お前さあ、雁の戦う様子を書きたいって言ったじゃん?源次が考えてるものは、やっぱ源次が自分自身で戦わなきゃ表現できないと思う。それに――」


 想平は源次から目線を落とした。

 そこには稚拙ででたらめで、それでも今、ひとつの形を成そうとしている物語がある。


「オレは絶対面白い話だと思う。源次はどうかな?」


 

 ノートとビニール袋を手に、源次は立ち上がった。

 袋の中身を開け、ぬかづけマンを放してやった。とてとてと走る謎の生き物を見送ると、しばしうつむき、目を閉じた。こいつらが、自分の創り出した仲間が無事なまま、これから始まる戦いが終わることを祈って。

 目を開き、ノートへ書き込んだ。想平が教えた、物語の軸となる五つのリスト。その④と⑤に内容が補完され、物語の空白が今、埋められた。

 顔を上げる。超音波のような高い轟音が響いた。

 やがて、頭上に迫る惑星を、巨大な影が覆い隠した。巨大な、巨大な、鳥の影が。


 

 降り立ったそれの鋭い眼光、猛々しい羽ばたきからは威厳と、溢れる生命力が感じられる。

 その翼には、源次の憧れが反映された結果か、雪解けのように白く光るものがあった。

 しかし同時に、それはだらだらと口からよだれを垂らしており、勇壮な姿とはひどくアンバランスに見えた。

 ぬか漬けで誘い込むという筋書きは見事に決まったようだ。いける。源次は再び右手の鉛筆を握り締め、笑った。


 ついに源次は、憧れていた物語の存在、雁と対峙した。

 

 万感の思いだった。

 

 源次は右手を振り上げ、空高く叫んだ。



「よっしゃ!やってやらあ!かかってこいよ、雁!!」




『①源次は、暑かったので、コンビニにアイスを買いに行きました』

『②源次が、道の途中のお地蔵さんの前まで行くと、手足の生えた、大根のぬかづけが出てきました。源次はそいつと一緒にアイスを買いに行くことにしました』

『③源次たちは、コンビニに着き、アイスを買いました』

『④源次たちは、帰り道、アイスを狙ってやってきた地球と、ぬかづけを狙う大きな雁におそわれました。しかし、雁との大ゲンカの末仲良くなった源次は、雁の背中に乗せてもらい、地球につぶされそうな人たちをみんな助けて、遠くへ飛び立ちました』

『⑤源次たちは、無事に新しい家(地球)に帰り、みんなでアイスを山分けしましたとさ。』



🐦 🍧 📒 🥬



「……その『雁』が、ワシらの言う『神鳥様』なんじゃよ」


「えー」


「やっぱわかんなーい」


 話の続きを語り終えてなお、子供たちからはツッコミの声が飛んだ。

 ただ、一応お話の決着がついたからか、老人には、子供たちが先ほどより少し晴れやかな表情をしたように見えた。それならまあいいかと、老人は安堵した。


「それでそのあとどうなったの?」


「『雁』は『神鳥様』になって、ワシらを暑さから守ってくれるんじゃ。明日からいらっしゃるから涼しくなるぞ」


「ふたりはー?」


「そうじゃなあ、まだお話を書いているじゃろう」


 正確には「ふたり」ではないんじゃが。少し目を伏せ老人は続けた。


「さっきのお話で源次が書いた五つのリストがあったろう?ありゃあ未完成で、まだ細かいところができてないんじゃ。だからお話を書き足していく。そうすると火山が噴火したりするし、森ができたりもする。そうやってワシらの世界は大きくなるんじゃよ」



 その一環で「神鳥様」がやって来るようになった。かつて老人自身も対峙した、巨大な「雁」が。

 七十年ほど前、「彼」はお話を通し本当に地球を創り変えてしまったが、生き物が異常な暑さに悩まされることに変わりはなかった。

 それを見かねた暑がりの「彼」が再びあの鳥を呼び、太陽光をよける日陰になってもらおうとしたことが、今子供たちが準備しているこの世界の神事に繋がっている。

 子供たちの手には透き通った光を放つ石が握られていた。神鳥様を祀る飾り付けに使うものだ。神事の時期は神鳥様が太陽を覆い隠し、日中も暗くなるため、地上の人々が明かりを見失わないようにするというのが目的とされる。また神鳥様の好物で、この石の色に誘われてやって来るとも言われる。

 その色は例えるなら、ソーダ味の棒アイスの水色に見えた。




「ところで、なんでそこまで一気に話してくれなかったの?」


「時間の都合じゃ。ほれ、あっちで先生が呼んどるじゃろう。行った行った」


「さあさ、お話の続きは明日ですよ!みんなでお飾り手伝ってね!長老、ありがとうございました」


 ちょうど「先生」が手を叩き、大きな声で子供たちを促した。子供たちはわあわあ騒ぎながらも、一様に飾り付けの準備に向かった。

 一人の女の子だけがその場に残った。何か言いたげに、目を伏せ、きょろきょろとしている。


「なんじゃ?どうしたんじゃ、まだ訊きたいことがあるかい?」


「あの……なんで源次って人はそんな……すごいことができるようになったんですか?昔の人はそんなことできなかったって……お父さんとか……お母さんとかが……」


「ああ……そのことか……」



 この季節にはいつものことだが、老人は「彼」に思いを馳せた。

 未だお話の続きを書き続ける「彼」のそばには、現在、自分ではなく、もっと巨大で有能かもしれない存在が、編集者のような役割としてついている。

 それはひょっとしたら、七十年前からふたりを、というより「彼」を見守っていたのかもしれない。



「ふーむ、せっかくだから、直接おたずねしてはどうじゃ?」


「えっ、会えるの?」


「ああ、今の時期なら……ちょうどあのあたりにおわすじゃろう。ほら」



 老人は窓の向こうを示した。


 外では逃げ水がきらきら輝いている。季節は夏だった。





<参考文献>

『椋鳩十名作選1 大造じいさんとガン』 椋鳩十 絵:小泉澄夫 理論社 2010年

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